世界一尊敬する女性
「カテラ、ルカ。彼女はミュゼちゃんと言って、俺が世界一尊敬する女性だよ」
「………は?」
今の「は?」はこの場にいる多数が発した声にもならない声で、もはや音源が特定できないぐらいに皆が皆、口にしていた。
フェリクス様はすっと腕を動かすと、取り巻きを下がらせ、私の元へと歩み寄る。
そして、その場に突っ立っていた私に静かに跪いた。
その動きはまるで運命の相手を見つけた王子様のようで、私はごくりと唾を呑む。
この国の最高権力者に近い存在が、たかが男爵令嬢に跪くだなんて異常事態だが、フェリクス様の厳かな雰囲気がそんな突っ込みを封殺していた。
イリアがどんなに騒いでも涼しい顔で無反応を貫いていたフェリクス様が、私が来た途端に態度を急変させた事が、何だか恐ろしくてたまらなかった。
「すまないね、ミュゼちゃん。取り巻き達が嫌な想いをさせて。この通り、謝らせてほしい」
フェリクス様はそういって少しだけ頭を下げた後、すっと立ち上がると、私の額に軽くキスをした。
一瞬だけの柔らかな感触がまるで永遠のように確かに感じられ、思考が停止する。
なんで今の流れでキスなんてしたのかは理解不能だが、野次馬や取り巻きの女子の一部がフェリクス様の奇行(額へのキス)に謎の歓声をあげた。切実にやめてほしい。
「ミュゼちゃんが話したいと思ってくれたのなら、僕はいつでも君の相手をしたいし、むしろ何もなくてもいつも君に会いたくてたまらないよ。だから、今度からは人づてではなくて、君が僕の元に来てほしい」
「ご、ごめんなさい。取り巻きの人に追い返されるかなって思っちゃったんです」
人間は慌てていたり、追い詰められたりしていると、本当に思っていた事しか喋れなくなるらしい。
今のはイリアの事を笑えないぐらいに失言だった。
フェリクス様は「ああ」と頷くように呟き、笑顔で取り巻きの人達を見渡す。
「僕の事を守ってくれるのは嬉しいけど、突き飛ばして危うく女の子を傷つけそうになったり、僕の尊敬する女性を遠ざけるような振る舞いは、いきすぎているよ。これからはこのミュゼちゃんという子が来た時には追い返さないで僕に取り次ぐこと。それと、イリアさんが来た時もミュゼちゃんからの言伝てだった際は、きちんと相手をすること。いいね?」
フェリクス様は終始見事なまでの笑顔なだけに、圧が強かった。
取り巻き達は「……は、はい……」とすっかりと萎縮した様子で人形のような動きでカクカクと首を振る。
「良かったね、ミュゼちゃん。これでフェリクス様とゆっくり話せるね!」
嬉しそうに笑顔で話すイリアだけがこの場での唯一の癒しである。
しかし、ここでも微妙に空気が読めていない感じなのが本当にイリアはイリアだなと思った。
「放課後に話したいんだったよね、もちろん構わないよ」
フェリクス様は爽やかに笑いつつ、私の耳元にそっと口を寄せた。
「でも、この調子だとイリアさんの指定していた屋上で話す形だと野次馬が湧きそうだ。良かったら、街に下りてカフェにでも行って話そう」
「え? フェリクス様もカフェって行かれるんですか? ……意外……」
フェリクス様の吐息が耳元にかかる事にソワソワする感覚があったが、なんとか私は会話のキャッチボールを続けた。
ちなみにカフェは街にあるものの、庶民が使う事が多く、あまり貴族や王族には使われない。彼らがカフェの代わりに使うのは大体サロンだ。
まぁ、私たちアーシェル家は残念ながらサロンに行ける程のお金がないので、カフェに行く事が多いのだが。
イリアやサザンドラ様はこんな私に付き合ってくれ、本来彼らはサロンに入り浸れる立場の人間なのに、カフェに付き合ってくれる。まぁサザンドラ様はカフェに来る度に変装をした騎士が護衛をしているらしいのだけども。
フェリクス様は私と至近距離で目線を合わせると、彼にしては珍しい、皮肉げな表情で言った。
「君に対することで、「あいつ」に出来て、僕に出来ないことがあってはならないからね」
「………は?」
私の困惑を余所に、フェリクス様は一瞬でいつも通りの優しげな笑顔に戻り、私の至近距離から離れた。
「では放課後、校門で待ってるよ。また会おう」
そう一方的に言ってから、取り巻きの一部を引き連れ、フェリクス様は教室へと戻っていった。
……やっぱり、フェリクス様って何だか怖いし、よく分からない人だな。
フェリクス様が取り巻きに「この場に収拾をつけてほしい」と指示してくれたお陰で、この騒動を見ていた野次馬から、私とイリアは距離を取りつつ自分の教室に戻れた訳で、そこは感謝しなくちゃいけないのだけど。
私は結局、その後は放課後まで、ずっと授業を受けつつも上の空だった。
それがバレたのか、授業を受け持つ先生からは二回も指され、二回とも「聞いてませんでした」と答える羽目になった。
これで成績が下がったら、全てフェリクス様のせいにしようと、日頃の勉強不足を棚に上げて私は誓ったのだった。




