偽善と曖昧さは紙一重
もしかして、フェリクス様は私が嘘告白を自分にぶちかましている事を見抜いて、お戯れでこういう事を言っているんだろうか。
そうだとしたら、どんなにいいか。
まぁそりゃあ、そこまでフェリクス様の怒りを招いたのだとしたら、不敬罪でお偉いさんから厳重注意を受ける可能性もあるかもしれないから、全然良くはないのだけど。
私はとんでもない無茶ぶりをしてくれた縦ロール令嬢の事がつくづく恨めしく感じた。
……全く、彼女さえいなければこんな事には……。
「じゃあ、また明日会おうね。楽しみにしてるよ」
「……ちょっと待ってください!」
私はそのまま何事もなかったかのように立ち去ろうとしているフェリクス様を、あらゆるエネルギーを振り絞ってどうにか呼び止める。
フェリクス様は私の方を振り向くと、「どうしたんだい」とこれまた穏やかな美声で言った。
フェリクス様の優美で高貴な佇まいに、彼に対して罪悪感があるのもあり、思わず圧倒される。
他に好きな人がいる私ですらこの存在感の強さには負けそうになってしまうのだから、いつもキャーキャー言ってるフェリクス様のファン達の気持ちも分かる気がした。それにしても彼女たちは常に騒ぎすぎだとは思うけど。
しかし、いくらフェリクス様が魅力的だったとしても、この訳が分からない流れを決して受け入れてはいけない。自分の噓告白で招いた窮地は自分でどうにかしないと。
とはいえ、「実は全部嘘でーす! ごめんなさい、てへぺろ!」と事実をありのままに告げるのもそれはそれで良くないので、どうしたものかと私はほとほとに困ってしまった。
呼び止めたもののずっと黙っている私に、フェリクス様は何を思ったのか、艶やかに微笑んだ。
その微笑みは優しげだったけど、何を考えているのかぶっちゃけよく分からないと思ってしまうような不透明なもので、私はとりあえず警戒する。
「ミュゼちゃん、僕は君の事をいつも遠目から見ていたんだよ。それなりに前からね」
「は、はぁ」
「そういえば初対面だった筈なのに何故か私の名前をばっちり知っていたな、この方」と私は今更ながらに気づいた。我ながらあまりにも遅い。
「適当でものぐさなのに、損得勘定抜きに他人の為に動けるミュゼちゃんは、僕にとってヒーローみたいに眩しい存在だった。太陽みたいな君が僕の為にいてくれれば、どんなにいいかとずっとずっと考えていたよ」
適当でものぐさなのはその通りだが、他の私への評価はあまりにも過言がすぎる。
「私は別にそんなすごそうな人間じゃないのですが。基本的にいつも自分の事ばかり考えていますし」
「やっぱりミュゼちゃんは僕の考えていた通りの子だった。自分の善性をひけらかさず、どこまでも謙虚だ。その辺にいるような自称善人とはわけが違う」
こころなしかフェリクス様の口調が熱を帯び、若干早口になっている。
そう、それはまるで、どこぞの限界オタクのように。
そんなフェリクス様のご様子に、私は先ほどとは別の意味で圧倒される。
こんなに熱心に何かについて語るフェリクス様を初めて見た。
いや、この人の詳しい人柄なんて今まで大して知りもしなかったけど。
……思っていたよりも、もしかしたらフェリクス様は面白い人なのかもしれない。
私は状況にそぐわないしょうもない事をついつい考えてしまっていた。
「僕が君の事を好きなのは当たり前の事だとして、ミュゼちゃんが僕の事が好きだなんて、まるで夢みたいだ。ねぇ、ミュゼちゃん、本当に僕の事が好き? 僕の都合のいい幻覚じゃないよね?」
「…………それは、」
フェリクス様はそういって本当に嬉しそうに微笑む。
……今思えば、それはフェリクス様なりの私に与えた最後の逃げ道だったのかもしれない。
恐らく、ここが私の分岐点だった。この時に「やっぱり嘘です」と言えていれば、フェリクス様は私を解放してくれたのかもしれない。
でも、この時の私は何を血迷ったのか、「例えほぼ初対面の人だったとしても、誰かのこんなに嬉しそうな笑顔を曇らせたくはないな」などという事を咄嗟に思ってしまったのである。
とんだ偽善だったなと、自分自身に吐き気がする。ここで本当の事を言うのが、フェリクス様への一番の誠意かもしれないのに。
「私は、フェリクス様の事は全然嫌いじゃないですよ」
私はフェリクス様の事をちゃんと「好き」であるとは言えなかったけど、彼の問いかけを真っ向から否定する事は出来なかった。
要するに、逃げたのだ。フェリクス様の真っすぐすぎる私への好意(?)を前にした結果、はっきりと真実を告げる事をつい避けてしまった。
「嫌いじゃない、か」
フェリクス様は私のちょっと失礼だったかもしれない煮え切れない回答を聞いても、一切動じず、優美に微笑んでいるままだった。
「僕は君のそういう優しくて甘っちょろい所が好きでもあるけど、憎らしくも感じてしまうよ。今回は、僕にとって最高に都合がいいパターンのそれだったみたいだけど」
「え、今なんと」
「これからもっと君に僕の事を好きになってもらわないとね、って言ったんだよ」
フェリクス様は私の栗色の髪を一束掬いとり、口づけた。
「今は「嫌いじゃない」でもいいよ、さっきの君はあんなに熱烈に僕の事を好きと言ってくれたのだからね」
あまりのスマートな仕草にたじろいてしまう。
こんなセクハラめいた気障ったらしい仕草なんてその辺の男性にされたら絶対に鳥肌ものなのに、フェリクス様がやると何故かそれっぽくきまってしまうから不思議だ。
「それはまぁ、はい。告白したといえばしてましたね、私は」
私は曖昧な言葉遣いで肯定する。それは本当に事実といえば事実なので。
切実に目の前のフェリクス様から逃亡して、昼寝でもしてたい。
私の一番の趣味は睡眠をとる事なのだ。寝ている時だけは、現実世界の厄介な事を全て忘れられるから。
しかし、このままフェリクス様と婚約するわけにもいかないのである。
切実に「嘘をつくにしてもわざわざ結婚したいという話まで言うのではなかった」「告白するなら好きだとだけ、ただただ言えば良かった」と後悔が止まらない。
私はやっぱり今からでも良いから嘘だったと言おうと口を開く。しかし、それをタイミング悪く、さえぎる影があった。
「フェリクス様、大丈夫ですか~~~!?」
向かい合っていた私とフェリクス様の前に現れたのは、私に嘘告白をしかけた縦ロール令嬢だった。
何故、今、来た? 私は思わず顔をしかめる。
その表情をどう解釈したのか、縦ロール令嬢は嬉々としてフェリクス様の傍へとずずいとにじり寄った。