爆睡ののち、夢のあと
コツコツコツコツ。
ペンで文字を書く音が心地よく響く。
私はその規則正しい音に、気づけば意識の覚醒へと導かれていた。
「……ん、んんん……」
懐かしい夢を、見た気がする。
思い出す事が気づけば少なくなっていた、幼少期に出会ったお兄さんの夢。
何故か彼についての詳細はあまり思い出せないのだが、私とお兄さんは少なからずともに時間を過ごしていた。
お兄さんに名前や実年齢などは聞いた事はないのだが、明らかに年上ではあった。
彼とは今は付き合いはないが、どうやって疎遠になったのだろう。
それすら曖昧だったが、私にとってお兄さんと過ごした時間は大事な思い出だった。
コツコツと教室内に響いていたペンの音が不自然にとまる。
「起きた?」
と、すぐ横で、この場にいない筈の人の声が聞こえた。
「……フェリクス様?」
声の方向を恐る恐る見ると、大量の書類を捌いているフェリクス様がいた。
フェリクス様は私が彼の方を見ると、書類に向けていたペンを机へ置き、私の方へと向き直る。
「やぁ、ミュゼちゃん。ゆっくり寝れた?」
「ええまぁ、ぐっすりと……ってもうこんな時間なんですか!?」
教室の窓を見ると、もう日も暮れ、夜に近い空模様となっていた。
イリアの言っていた通りの結果になってしまい、どうやらフェリクス様が来た後もずっと寝てしまっていた事にも気づき、私は顔が真っ青になる。
明日から私のあだ名が「寝過ごし令嬢」になったとしても、甘んじて受け入れようとしみじみ思ったのだった。
今からではフェリクス様とカフェに行くなんて不可能だろう。自分から誘ったくせに、なんて事をしてしまったのだ。
怠惰な私だが、これからは何か約束がある前には絶対に寝ない。そう心から誓った。
「こんなに気持ちよく寝ているのに、起こすのも悪いかと思ってね。ごめんね、僕に話したい事があったという話だったし、早めに起こした方がよかったかな?」
「いえ、むしろ私こそすみません。フェリクス様にせっかく時間を作ってもらったのに、ずっと寝ていて」
ものぐさ令嬢呼ばわりされた私でも、約束をすっぽかすレベルで寝てしまっていた事実にはさすがに罪悪感が湧いてくる。
今日は他の予定をなしにしてまでこちらを優先してくれていたという事実もあるし、尚更だ。
自己嫌悪で死にそうである。
しかし、フェリクス様は私の葛藤を吹き飛ばすように軽やかに言った。
「可愛い君の寝顔を見ながら、溜まっていた書類仕事を消化できて有意義な時間だったよ。これから僕が仕事をしている時、ずっと隣で寝ていてほしいぐらいだ」
なんてことを言うんだ、この人は。そんな状況でお昼寝なんて、絶対嫌なんだが。
「……それはちょっと私の方が気が休まらないかもしれないですね」
そう言いつつも、こんな私を責めないフェリクス様の優しさには頭が上がらない気持ちだった。
フェリクス様は悪戯っぽく微笑む。
「今日の君は隣に僕がいても、こんなにも爆睡していたのに?」
「すみませんすみません、本当にすみませんでした」
ゆ、許されていなかったのかもしれない。
「別に謝ってほしい訳じゃないよ。でも、君と今日はカフェに行けなそうな事はとても寂しいな」
「こればっかりは私が悪いんですけど、チクチクと言葉で刺してこられると辛いです」
「あはは、ごめんごめん」
愉快そうに笑うフェリクス様は、そのままの流れで私の髪にごく自然な動作で触れると、ゆっくりと撫でた。
「寝癖、ついてるよ。治しておいたから」
「あ、すみません、ありがとうございます」
この人はすごくナチュラルに私と肉体的接触をもつ所があるなとぼんやり思っていると、フェリクス様はさらりと話題を変える。
「ところで、今日はカフェに行けなかったけど、良かったら今度また日を改めて、君と街をデートしたいな」
「デート、ですか?」
「私とフェリクス様が出かけるのってデートって言っていいの? 両想いの恋人同士でもないのに?」という意味で聞き返してしまったのだが、フェリクス様は私の発言をそんな風には受け取らなかった。
「あぁ、ぜひ君とゆっくり時間をとって二人で出かけたいな」
「私もまぁ、フェリクス様とゆっくりお話しする時間が作れたら嬉しいですけども」
そう言って無表情で頷くと、フェリクス様は私の言葉に嬉しそうに笑った。
この流れでもう一度「デートっておかしくないですか?」などと言える元気は私にはなかった。自分で自分が情けない。
フェリクス様と二人でお話ししたいのは事実だけど、フェリクス様を喜ばせる意味で言ったのではないのに……フェリクス様に私達の婚約の件について事情聴衆したかっただけなのに!
しかし、やっぱり言えない。私はあまりにも弱い。




