隙間
私は小さい頃から《隙間》が苦手だった。
本棚と本棚の隙間、壁と箪笥の隙間。
トイレのドアと下の隙間。
家を見渡しても、外にいてもわりと《隙間》というものは存在している。
小さい頃から私は不思議なものが見えていた。
それは黒いモヤで、よく隙間にいるのだ。
母親に「あれはなに?」と聞いたことがあるが
母親には何も無いけどと返されそこで
私しか見えないのかと悲しくなった。
小学生くらいになるとその黒いモヤは形をなすようになっていた。
隙間から手のような形のモヤがおいでおいでと
誘ってくるのだ。
好奇心で近づきたくなるのが近づいては
だめだという本能で見ないフリをしていた。
そんな日々が続き、小6の時に祖母が亡くなった。
おばあちゃんっ子の私は特に泣きじゃくり、
棺の傍から離れなかった。
その日、祖母の家でのお通夜に親戚たちが集まり挨拶をしては消えていくのをおばあちゃんの傍で泣き腫らした目で眺めていた。
祖母の和室の部屋に棺とロウソク、座布団、
代わり代わりに来る大人たち。
初めて身近な人が亡くなりただその様子をぼーっとみている私。
ふと、障子が閉まりきっていないことに気づいた。
障子と障子の、隙間。
見ないように顔を背けようとしたら隙間から目が覗いてた。
何故か祖母な気がして、私はその隙間の方へ
行かなければならないと思った。
(絶対おばあちゃんだ……おばあちゃんが来たんだ……)
その思いで障子に触れようとした瞬間に
パンッ!
と目の前で障子の隙間を閉められてしまった。
「それはおばあちゃんじゃないからだめだよ」
上から降ってくる声に顔を向けた
長い黒髪でセーラー服を着ている、お姉ちゃん。
「……お姉ちゃんも見えるの?」
「見えてるよ、しっかりとね」
そう微笑んだ顔はすごく優しげだった。
「隙間にいるのは相手しちゃダメだよ」
それ以外もダメだけど……と私の頭を撫でるお姉ちゃん。
会ったことは無かったけれど親戚のお姉ちゃんらしい。
「名前はなんて言うの?」
「……美和」
「かわいいね、私は優希っていうの」
優希お姉ちゃんは隙間の話をしてくれた。
あれはやはりいいものでは無いらしい。
「美和ちゃん、ああいうのは心が弱い時に付け込んでくるからね」
さっきみたいにね、と付け加えて何があっても知らないふりをするんだよと忠告された。
私は自分と同じように見えている人と初めて会えて嬉しかった、出会いがこんな状況でなければもっと喜べたのに。
そのあとも少しお話してくれた優希お姉ちゃんは
私のことを気遣ってか日常やお友達の話などを話してくれて、それから優希お姉ちゃんのお母さんであろう人に呼ばれてお姉ちゃんは帰っていった。
*
あれから私も中学生に上がり隙間のやつが
はっきりと見えるようになっていた。
隙間から手が伸びておいでとしていたり
目がこちらを見ていたりしていたがもはやその頃には日常になっていて、優希お姉ちゃんの言葉を思い出しては構わないように見ないフリをしていた。
ただできる限り隙間はできないように家具を配置して。
ある日、学校から帰るとお母さんが慌ていて
どうしたの?と聞くと山村さんが亡くなったという。
誰だろうと首を傾げると優希お姉ちゃんの母親だった。
急遽私と母親はお通夜に行くことになり、車で隣の市まで行くことになった。
お母さんが亡くなってつらいだろうなという気持ちとあれ以来話せなかった優希お姉ちゃんに会えるという気持ちが私の中に混在していて少し複雑だった。
40分くらいで山村と書かれている表札の家に着いた、母親は近くの駐車場へ停めてくるから先に行ってなさいと家の前で下ろされて。
大人と連れられた子供たちがちらほらと家の中に入っていくので紛れて私も入る。
棺の横には憔悴しきった優希お姉ちゃんがいた。
顔は青白く、細身で、でも長い黒髪は健在だった。
優希お姉ちゃんにスっと近寄り、大丈夫?と声をかける。
見るからに大丈夫ではないのはわかるけれども。
力無く私を見る優希お姉ちゃん。
「……美和ちゃん?」
「うん、久しぶり優希お姉ちゃん 」
「…大きくなったね、すっかりお姉さんだ」
そう言って優しく笑ってくれた。
今はそれどころじゃないだろうに、私ならきっとあの頃はそんな余裕なかっただろうな。
「…なんとか大丈夫だよ、来てくれてありがとね」
きっとママも喜んでる。そう呟いて母親の棺を
優希お姉ちゃんは眺めている。
…優希お姉ちゃんにあの隙間の話はできなかった。
今ならもっと聞きたいことも見えるものが増えたことも報告できるけれども、目の前の憔悴しきった年上の女の子を見るとそんな話はとてもじゃないができない。
私は無理しないでねとだけ伝えて、
母親としっかりお通夜に参列し次の日もちゃんとお葬式にいった。
挨拶するのは優希お姉ちゃんと、手伝ってくれている身内であろう人。
…父親らしき人物は見受けられなかった。
(…片親なのかな…?こんな時ぐらいくればいいのに)
そんなことを思ったが余計なお世話かと口には出さなかった。
お葬式の帰り際、美和ちゃん。と呼び止められて
私は振り向いた。
冠婚葬祭用のワンビースを着たお姉ちゃんが
青白い顔でそこ立っていて、大丈夫?と2度目の心配をしてしまった。
「……美和ちゃんはさ、あの時こういう気持ちだったんだね」
「え?」
「ううん、なんでもない!…元気でね」
そう言って優しい笑顔で見送られた。
聞きたいことは山ほどあったがそれを言わさない空気感がそこにはあった。
「…うん、優希お姉ちゃんも、元気でね。」
そう言って手を振った。
……優希お姉ちゃんが亡くなった知らせを聞いたのはその数週間後だった。
母親から学校帰りに早々に聞かされる。
「えっなんで?!」
もしかして後追い自殺というやつなのだろうか。
「…いや、うん…美和は優希ちゃんを慕ってたししらない方がいいよ 」
お通夜もお葬式も優希お姉ちゃんの母方の祖母たちがひっそりと行うらしい
「お別れすらできないの…?」
そう俯いて呟くと母が言いよどみながら、ご遺体が…と呟く
遺体?遺体が何?
やっぱり自殺とかなのだろうか…
「体ありえない方向に潰れていたらしいの」
あの、なんていうか…挟まれて潰されたような…
そこまで言われて、私はああ。と納得した。
優希お姉ちゃんは触れてしまったのだ。
あの時の私のようにお母さん恋しさで、
あの隙間に見た何かにきっと誘われたのだ。
歳をとる事に鮮明に見える、隙間にいる《何か》
…優希お姉ちゃんは私よりも年上だ。
何が見えていたのだろうか、何に誘われてしまったのだろうか。
私は母親にわかった。とだけ伝えて部屋に戻った。
*
部屋にはベッドがある、隙間があるタイプの。
母が収納にいいからと買ったのだけど私はこの大きな隙間が嫌だ。
ものを詰めたいが生憎、収集癖もない私の部屋は
割とシンプルでそれは隙間を極力作らないためでもあった。
まぁ、今までの隙間にいたもの達は
こんな大きいところに入るほどの大きさではなかったけれども。
…その日の夜は何故かとても暑くて寝苦しくて
寝返りを何度も打った。
クーラーもサーキュレーターも回しているのに
蒸し暑い、ジメッとした暑さ。
もう1回寝返りを打ったその時、
ベッドの下に、人がいるような存在感を感じた。
急に鳥肌が立ち暑かった室内が肌寒く感じる
心臓が脈打ち、下にいる何かに聞こえるんじゃないかと不安になった。
チクタクと壁時計の針が変わらず部屋に響いている。
何分たったか分からないけれども、まだそいつはそこにいる。
人がいる、気配。
どうしよう、やはり知らないふりをしてこのまま眠れるの待つ?グルグルと考えるが答えは出ない。
下から ズルッズルッという引きずる音がした。
(えっ出てくる?!)
思わず見ないようにしてたベッドの床の方を見ると
青白い女の子のような手が伸びていた。
『みわちゃんはきをつけてね』
鮮明にベッドの下から優希お姉ちゃんの声で
しっかりと聞こえたセリフ。
その瞬間に鳥肌と部屋の肌寒さが消えた。
…居なくなったのだろう、人一人分の気配もしなくなった。
(やっぱり優希お姉ちゃんは触れちゃったんだ)
あいつらに、今みたいに鮮明に、見えたんだ。
今のがほんとに《優希お姉ちゃん》だったのか
擬態した《なにか》だったのか確認のしょうがない。
……本当に触れてはいけないものなのだ。
でも確かにそこに存在する。隙間の何か。
そして日常的にある、隙間。
私はこの先もずっと隙間は苦手なままなのだろうと完璧に寝れなくなった頭で考えた。
隙間にいる《何か》幽霊なのか、怪異の類なのか
わからないそれは確実に私たちの心の《隙間》を狙っています、お気をつけて。