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卒業前、最後の試験について

作者: 群青ラテ

 職員用の靴ロッカーを閉め、上履きでつま先を三度打つ。木村教員の出勤ルーティンのひとつである。

 連休2日目、午後2時。校舎の廊下は閑散としている。

 外と中のコントラストが強い。藤棚の陰が粒になり、時折床に模様を描く。

 グラウンドでは野球部とサッカー部が午後の活動を開始している。少し風はあるが、薄曇りのちょうど良い気候だ。葉擦れに混じった部員達の声に疲れは見えない。

 3階の教室からは様々な楽器の音色が聞こえる。吹奏楽部にも1年生が加入してから約一ヶ月、音程が整わないどころか音がまともに出なかった当初に比べると、随分それらしくなったように感じる。



 

 玄関から一番近い階段を上り、職員室に向かう。

 お疲れ様です、と声をかけると、奥の作業机から予想通りの人が顔をあげた。

 

「やあ木村先生、お疲れ様です。ゴールデンウィークですよ?」

「お疲れ様です佐藤先生。こちらのセリフでもあります」

「はっは、確かに確かに。いやあ、連休明けに夏の保護者会のプリント出さないといけないでしょう。内容チェックは通ってたんだけど、通常業務やりながら発送作業もするんだとちょっと量がね」

 

 ひと学年分のプリント類が印刷された束と封筒。宛名シールと両面テープ、セロハンテープ。

 それらが作業机に用意されている。

 

「他の担任の先生といっしょにやらないんですか?」

「いやあ、鎌倉先生は部活があるし、水野先生はお子さんがずっと調子悪いからね、請け負ったんだよ。副担任はみんな他学年も兼任してるから。こっちはほら、部活も持っていないし、今年はまだ生徒指導部も忙しくないからね、ははは。長期休み前後の方が気を揉むよ」

 

 慣れた手つきでプリントを三つ折りにし、宛名シールを貼った封筒に入れる。

 宛名も印刷してしまえば良いのだが、特定のサイズだと印刷機がしょっちゅうエラーと紙詰まりを起こすので、この方法に落ち着いている。

 せめて窓付きの封筒にしてくれればプリント側に印刷できるので良いのだが、単価が高いからと稟議が通らない。

 

「手伝います」

「いやいや、大丈夫だよ。木村先生も何かやることがあって来たんじゃないんですか?」

「いえ、特に。休みが続いて手持ち無沙汰だったので」

「そう? では、お言葉に甘えようかな。ありがとうございます」



 

 木村は佐藤の向かいに座り、宛名シールを封筒に貼っていく。

 木村の向かいで佐藤は、三つ折りのプリントを作っていく。


「野球部は、今年は結構いいところまで行くんじゃないかって話だね」

「中学の強豪校の子が入学して、山田先生が熱くなっていましたよね」

 

 1クラス分の封筒が出来上がったところで、封筒に両面テープを貼り、剥がし、蓋を閉め、上からセロハンテープを貼る。

 糊づけだったものが両面テープになっただけ、作業としてマシになった方だ。

 それも、糊が表面について汚れていたことで保護者からクレームが入ったことが原因なのだから、学校側に作業効率化を検討する意思があるのかは怪しいところである。

 

「仕事はどう?」

「ざっくりした質問ですね」

「はっは。やることが多いでしょう、教員は」

「そうですね。教育実習では授業の様子を追うのに精一杯でしたし、雑務の多さには少し驚きました」

 

 完成した封筒を段ボールに縦に並べる。量が少ないうちは倒れるが、後々綺麗になるだろう。

 まとめて郵便局に持ち込むのも、ここでは教員が行なっている。

 全学年分となると集荷を頼むのだが、ひと学年分だと学年担当が請け負うことが暗黙のルールになっている。

 

「佐藤先生、三つ折り上手ですね。私はどうしても端がずれてしまって」

「慣れだよ慣れ。このプリントの場合は、敬具のちょうど下あたりで折るといい感じになる、とかね。そうやって折る太さを調整しながらやるの」

「なるほど。やってみてもいいですか」

「もちろんもちろん。ここだよ、敬具に被るギリギリくらいで折るんだ」

 

 佐藤の指示に従って、プリントを下から畳む。

 確かにこのまま上も合わせて折ると、綺麗な三つ折りになった。


「上手い上手い。自分は逆にシールを貼るのが苦手だから、やってもらえて助かるよ。それもコツがあるんだろうか?」

「あまり意識したことはないですが、こういう四角いシールは、対角を持って貼る方が皺になりにくいですよ」

「おお、そうなんだ。じゃあやってみるよ」


 木村の指示に従って、宛名シールを貼る。

 多少平行がずれたが、端までピッタリと皺なく貼れた。


「いやあ、難しいね。でもいつもよりきれいに貼れたかもしれない」

「私が佐藤先生に教えるというのは、何か変な感じがします」

「木村先生も教師なんだから、教師に教えたっていいじゃない。生徒は何も子どもだけとは限らないよ」

「そうですね。大人になっても、学ぶことはたくさんあるんだなって、思います」


 プリントの山は半分くらいになった。




「木村先生」

「はい」

「本当は何か、相談があったりするんじゃない?」

「どうしてですか?」

「なんとなくだよなんとなく。何もなくても、そう言われたら雑談のネタになるかもしれないだろう? 単純作業って疲れるからね、おしゃべりしながらやるのもいいよ」


 二人の手が止まることはない。

 目線は手元に落ちており、合う事はない。

 部活動の声と、様々な楽器の音が、他に誰もいない職員室まで届く。


 木村は2クラス目の封筒の束を段ボールに入れる。

 まだ量が足りなく、立てた封筒がずるずると倒れていく。



 

「期末テストを作るじゃないですか」

「そうだねえ」

「生徒の理解度に差がありすぎて、内容考えるのが大変だなと、そういうことを考えるんです」

「そうだねえ」

「それで、佐藤先生が作った高3の最後のテストのことを思い出して」

「ああ、アレね」

「いえ、ずっと頭には残っていたんですが、改めて思い起こしたというか」

「うんうん」

 

 二人の手が止まることはない。

 休日でも切られないチャイムが鳴る。部活動を行なっている教員生徒の、時間感覚の補助になっている。

 

「全問選択解答にしていましたよね」

「そうそう」

「問いが20個あって、ひとつ5点の100点満点。5問ずつ横並び」

「よく覚えてるねえ」

「忘れようがありません。普通選択解答って、1、2、3とかア、イ、ウとかじゃないですか。でもあのテスト、問1がサ行、問2はタ行みたいに、明らかに意図して変えていましたよね」

「そうそう。アレ解答の選択肢もその分用意しないといけないから意外と大変なんだよね」


――――

 

 問1 サシスセソ

 問2 タチツテト

 問3 ガギグゲゴ

 問4 ヤユヨ

 問5 アイウエオ


――――

 

「内容は3年間の総集編という感じで、幅広く出題していましたけど。正解以外の選択肢、結構適当にしてしませんでした?」

「いやあ、自由解答の問題作るよりも大変でさ。あと、引っ掛けになりそうな解答は省いたりしてね。そうするとどうしてもおふざけっぽい選択肢になっちゃうんだよねえ」


――――

 

 問6 アイウエオ

 問7 マミムメモ

 問8 ダヂヅデド

 問9 タチツテト

 問10 アイウエオ


――――

 

「アレ、答えていくうちに、問題を見なくても答えがわかってしまうと思うんです」

「そうだろうねえ。問……4なんかは、わざわざ小さく書く子もいたから。ははは」

「それはテストの意味があるんでしょうか」

「あるある。ちゃんとやってた子は、普通に解いた方が早いもん」


――――

 

 問11 ガギグゲゴ

 問12 ン

 問13 カキクケコ

 問14 ダヂヅデド

 問15 ナニヌネノ

 

 問16 マミムメモ

 問17 タチツテト

 問18 アイウエオ

 問19 タチツテト

 問20 カキクケコ


――――


「なら、どうして手間暇かけて、あんな形式にしたんですか?」

「んー。理由はおおまかに2つかな」


 木村の手が止まる。佐藤を見る。

 佐藤は黙々とプリントを三つ折りにしている。


「ひとつは点数を取らせるため。最後の授業でやるテストの頃なんて評定確定しているし、卒業要件には関係ないから、ぶっちゃけ何点でもいいんだよね。

 勉強が苦手な子はさ、テストに向かうのも苦痛なんだよ。自分が『できていない』ことを晒す時間だから。

 それが主要教科を全て携えて、三ヶ月に一回、自分の将来の選択肢に影響する課題に向かわないとならない。それはもう辛い」


 木村は宛名シール貼りを再開する。


「勉強が辛いんじゃない、勉強ができないことが辛い。結果が数字で与えられ、クラスや学年での順位をつけられる」

「学校とは、そういうものではないんでしょうか」

「そうだとも。内申点はあるけど、やる気や過程を評価する、なんてことは正直今の教育では難しい。一人一人を見つめる時間が、人手が、足りない。だから結果で評価する。大人はともかく、子ども達にそれを強いる今のシステムを、自分はあまり良いとは思っていない」

「佐藤先生は、教育者が天職な方だと思っていました。こんな話を聞けるとは」

「はっは、買い被りすぎだよ。ともかく、選択肢がガギグゲゴだのヤユヨだのだったら、なんかおかしいな? とは気付くだろう? あいうえお表の順でもないし。問題の中身はさっぱり分からなくても、並べてみると意図に気付く。気付いた子は全問まとめて正解するから、100点を取りやすい。

 人生で100点をもらう経験は、結構少ない。大人になってからもね。高校生活に1個くらい、取りやすい100点があってもいいじゃないか」


 プリントの山は後少しまで減った。

 セロテープの封を切り、台にセットし直す。

 新品のセロテープは、先ほど使い切ったそれよりも透明度が高く、輝いて見える。


「気づかない子もいるのでは?」

「もちろんいるよ、ははは。逆にきちんと解いた子の方が間違っていたりするもんだ。

 だからメインはもうひとつの理由かな。答え合わせすれば意味はわかるからね」

「もうひとつの理由とは、祝辞ですか」



 

 卒業、おめでとう。

 元気でね、またいつか。



 

「色んな生き方をしてきた子がいるだろう?」

「……はい?」

「勉強が苦手な子、好きな子、部活を頑張った子、3年間帰宅部だった子。毎日塾に通った子、家に居場所がなかった子。友達とたくさん思い出を作った子、教室に居られなかった子。病気を抱えながら頑張った子、悲しい思いをした子、休学から復帰した子。

 夢がある子、未来が不安な子。

 学校が好きな子、学校が嫌いな子」


 プリントの三つ折りが終わり、佐藤は封筒を閉める役割にうつる。

 太陽が一番高い位置から徐々に下がり、職員室に日が差し込む。


「大人との折り合いが悪い子も少なくない。自分が学生だった時よりも、もっと顕在化したように思う。

 親族でもない、たかだか3年の付き合いの大人……教師のことをどこまで信頼できるだろうか、どうやったら信頼してもらえるだろうかと、いつも考える」

「そのための方法が、テストの語呂合わせなんですか?」

「少なくとも、アレが嘘偽りない気持ちだと伝わるように努めて来たつもりだからね。

 ひとりの大人が『君たちの未来を信じている』ことを知る。

 それだけで救われる子もいると思っているよ」


 段ボールの余白が少なくなった。


「思春期の頃って、そういう励ましを綺麗事と捉えることも、あるんじゃないでしょうか」

「もちろんもちろん。答え合わせしながらさ、『キメェー』とか言うんだよ、やんちゃな男子は。でもちゃんと全問正解してるんだから、可愛いもんだよ、はっはっは」

「そういう子には、本当に佐藤先生の意図が伝わっているんでしょうか」

「いつかわかる日が来る、なんて楽観的に捉えているよ」

「どうなんでしょう」

「あのテスト、問21があったのを覚えているかい? 『問21、自由記入欄(配点なし)』って」


 木村は宛名シールを貼り終え、残りの封筒を閉める作業に入る。



 

「当時の担当クラスに皆勤賞で全教科評定5というすごい子がいてね。文武両道な真面目な子で、あまり自分の思っていることを口にするタイプじゃなかったように思う。

 その子が問21に『将来教師になりたいです』って書いていたのを、今も覚えてるよ」


「『待ってるよ』と書いてあったのを、私も覚えています。当時のテスト、まだ持っていますから」


「それだけでもう、やって良かったと思うだろう?」


 木村の目には、当時のままに緩く笑う佐藤がうつっている。




「今年いっぱいで辞められるって、本当なんですか」


 佐藤は微笑んだまま、静かに顔を伏せる。

 木村が職員室に入ってから何度目かのチャイムが鳴った。


「今ちょうど3年生を受け持っているしさ。……帰って来ないかと親に言われていてね。自分は一番上の子だし、独身で身軽だから、そろそろ親孝行のタイミングなのかなと、受け入れることにしたんだ。地元の学校に転勤するって感じかな」


 複数の足跡が階段を降りる音がする。

 吹奏楽部が練習を切り上げたのだろう。笑い声が遠くなっていく。

 

「私は佐藤先生に憧れて教員になりました。まだ学びたいことがたくさんあるんです。ようやく、今、こうして、なのに」


 たった1年なんですか、という言葉は飲み込んだ。

 

 木村は、佐藤のことを甘い先生だと思っていた。受験に必要な学習よりも、心の在り方や生活に必要な知恵の話の割合が多かった。物足りなくて、授業中に入試の赤本を解いていた。

 

 最後のテストも通常通り取り掛かり、3問目で違和感に気付いたが、そのまま問20まで解き。

 解答欄に並ぶカタカナに、思わず顔を上げた。

 

 今と変わらぬ微笑みが頷いた。

 良い大学に進み良い企業に入るという、漠然とした親からの願いが、木村自身のやりたいことで上書きされた瞬間だった。



 

「ありがとう、木村さん。この仕事をしていて良かったと、今本当にそう思うよ」

「いえ、いいえ。すみません、忘れてください。文句を言うのは違いました。

 ここにいる間、学ばせてください。佐藤先生の教育を、私が引き継いで行けるように」

「はっは、もう十分な気もするけれど。でもそうだな、とりあえず今ひとつ追加で伝えておかないといけないことがある」


「休みの日はちゃんと休んだ方がいいよ。体力勝負だから、教員って」

「それは、全然説得力がないですね」




 橙色の職員室に笑い声が響く。

 段ボールには封筒が整然と並んだ。

お読みいただきありがとうございました。


木村先生、佐藤先生の見た目や性別は読者様の想像にお任せしています。

現代日本においては恐らくほとんどの方が「先生」と呼ばれる職業の人に出会ったことがあり、

イメージする先生像も多種多様であろうかと思います。


避けては通れない関係性ですから、中にはとんでもなく辛い思いをさせられた方も少なくないと思います。

私自身も多々経験があり、学校教育というものが「だいぶ嫌い」の域にいるものの

関わりは薄かったけど良い先生だったなと、大人になってから気付いた存在がおりました。

美化された記憶かもしれないけれど、あの時確かに見守られていたことで、当時の小さかった私が救われる思いもあります。


今学生の読者様、当時学生だった読者様、

もしくは今・過去に先生と呼ばれる存在だった読者様に

何か響くものがあれば幸いです。

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