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3.Pasqua

 3.Pasqua


「パオロ、家族と過ごさなくていいの?」

「クリスマスは家族と、パスクワは好きな人とって言うんだよ」

「でも…」

「彩菜、心配しなくても僕の家族が突然帰って来ることなんてないさ」

「そうなの?」

「僕らがそう決めたんだ。きっとこれが最善の方法なんだ」

「そう」

「実はね、妻には別のパートナーがいる。だから、本当に気にしなくていいよ。僕が今一番愛しているのは仕事だ」

「パオロが仕事を愛してるのは一緒に働いたからよく伝わってきたわ。私が仕事に夢中になれたのもあなたのもとで働けたからだと思うの」

「彩菜。それでも僕はまだ妻を愛しているんだよ」

「パオロ、ごめんなさい。私、余計なことを言ってしまったみたいね」

「いいんだ。気にすることはない。すべては変化する。人生なんて上手くいかないことの方が多いと思わないかい。時々やってくる失敗は当たり前。それが人生さ」

「パオロ」

「彩菜、そんな悲しそうな顔しないで。せっかく君とゆっくり過ごせるんだ。すべては過ぎたこと。過ぎたことには拘らない方がいい。悪いことはもちろん、好いこともね。善悪のジャッジすら無意味だ。人生の出来事にいちいち何かを付け加え、意味づけし始めた途端、真実からどんどん遠ざかっていく。そんなことしてもただ自分を傷つけるだけさ。すべては終わったこと、ただそれだけさ」


 大きめのマグカップでカプチーノを飲み、チョコチップ入りビスコッティを片手にブランチの支度をしていた。

「ねぇ、彩菜。今夜は映画のレイトショーで笑いに行かないか。バカバカしくてくだらない映画で思いっきり笑うんだ」

「イタリアンジョークなんて分かるかしら」

「笑う為に頭を使わなきゃいけないのは、面白くない証拠さ」

 ブラックオリーブをペティナイフで細かく刻みながらパオロが言った。茹でていたパスタのタイマーが音を鳴らすと、鍋のパスタを一本取り出しパオロが口に入れた。その横でフライパンにニンニクとアンチョビをオリーブオイルで炒めていた。食欲をそそられる香ばしい香りの中へ薄切りにしたブラックオリーブとパオロが確かめたアルデンテのパスタを加えササッと軽快に混ぜ合わせた。

「わぁ、いい香り。美味しそう」

「彩菜、そこのお皿を取って」

 パオロがトングで盛り付けている間、急いでパンとフォーク、スパークリングワインをテーブルに用意した。

「ボナペティート」

「グラッチェ」


 ほどよく昼寝をした後ドライブがてら出掛けたレイトショー。特大ポップコーンを私たちの間に置いて始まった。お馬鹿で下品な笑い声が始終繰り広げられるイタリアンコメディ映画はやっぱりよく分からなかった。ひとつの感情に蓋をすると、他の感情を感じないからなのだろうか。そんな私にお構いなくパオロはコロコロと笑い転げていた。周りのイタリア人たちも大きな声で手を叩き、大袈裟なくらい喜んでいて、なんだか同じ空間にいるのに私ひとり違う世界の住人になった感覚がした。帰りの車中、あんなに笑い転げていたのが嘘のように真顔でパオロが私の今後について話を切り出した。

「ねぇ彩菜、この先どうしたいかそろそろ決めたかい?」

「ごめんなさい、パオロ。なるべく早く帰国しなきゃとは思ってはいるのよ、そうは見えないだろうけど」

「別に帰国を急かせているわけじゃないんだ。もし君がこのままイタリアに残りたいなら、僕は君に仕事を紹介するし、僕と一緒に住むのが嫌なら別の部屋を借りてもいい。馬鹿な映画を見ても笑えないほど彩菜が苦しんでるは分かってるつもりさ。だけど、遅かれ早かれ決めなきゃならない。どうするかは君の自由だ。僕を頼るのに遠慮はいらないよ。迷惑とか遠慮とか、変に日本人にならなくていい。もし迷惑だったら、始めからフィレンツェまで君を連れて来ないさ。僕とここに居ることでかえって帰国しづらく、踏ん切りをつかなくさせてるのも分かってるんだ。僕自身は君と一緒に居て楽しいし、このままでも構わない。だけど、君はダメだ。そろそろ前に進まないと。君の人生だ。いつかきっとこの時のことが遠い過去の出来事になる日が訪れる。その日のためにもね」

「ごめんなさい」

「謝ってほしいんじゃないよ。僕は彩菜と過ごせて楽しい」

「パオロ、もう少しだけ時間を貰ってもいい?」

「それはもちろん構わないよ。でも君の観光ビザには期限があるだろう。君の国籍はユーロ圏じゃなく日本だ。仕事をするなら労働ビザに切り替える手続きが必要になるからね。この国の手続きが遅いことくらい君もよく知ってるだろ」

「そこまで考えてくれてたなんて。わたし、全然気にしてなかった、ごめんなさい」

「彩菜は僕に謝るようなことは何もしてない。君に法を犯してほしくないだけなんだ。不法滞在や不法移民がいくらでもいる国だけど、君にはそんなことさせたくないからね」

「もうそんなに時が流れていたのね」

「時は誰にも平等に流れているからね。彩菜の選択を尊重するから心配不要。労働ビザ申請をするならどうにか出来るけど、早ければ早い方がいい」

 引き止められるでも、追い出されるわけでもない。こんなに贅沢な選択肢が並んでいるのに損得勘定すら頭が働かない。相談相手もいない。誰かに決めてもらえたらどんなに楽だろう。日本から逃げるようにここまで来るのを決めたのは間違えなく、この私だ。兎に角帰国し、結婚式をあげる予定だった孝と向き合いすべて投げ出し逃げたことを謝りたい。未練がないわけでもないのに、復縁したい気持ちにもなれない。時間が経てば経つほど、想いが強ければ強いほどに気持ちが不透明になる。彼と話せば何か見えてくるはず。すべてはそれから。孝と真摯に向き合わずにモヤモヤを抱えたまま新たな人生を始めるなんて出来ない。心の大半を占めるこの鬱々を蔑ろに次へいけそうにない。

 浮気、不倫、婚約破棄、何ひとつ目新しい言葉じゃないのに自分とは無縁と思っていた。巷に溢れかえっている惚れた腫れたの恋愛模様。それなのにいざ自分に降りかかってきたらこの様。こんなにも愚かな行動をとるなんて呆れてしまう。たかが男に裏切られたくらいで大袈裟だ。バカバカしい。愛してたから?憎しみに変わったから?人間だから?仕方ないの?どうやら私はかなり面倒くさい。いい加減逃げ続けることにピリオドを打ち、あるべき場所に還る日を決めなきゃ。


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