第五話 小鈴との再会
月も上がり夜も更けてきた幻想郷。その里の中で歩く少女が一人。
彼女は足早に一つの灯りのともる家へと向かった。
そして、家の前まで来ると暖簾を分けて中へと入る。
上の看板には「鈴奈庵」と書いてあった。
ガラっという音とともに戸を開けた。
「こんばんわ。小鈴ちゃんいるかしら。」
そう声をかけると、向こうから声が返ってきた。
「はーい。あ、霊夢さん。どうしたんですか。」
小鈴は笑顔で話しかけたが、霊夢の顔は真剣そのものだった。
「急で申し訳ないのだけど、ちょっと話があるの。それでここではあれだからうちまで来てくれるかしら。」
「え、博麗神社に今からですか。いいですけど、大丈夫ですよね。」
小鈴は怪訝な顔になった。
「そうね・・・。大したことではないわ。」
霊夢はゆっくりと答えた。
ーーーーーーー
窓の外を見ると、真っ暗の中で大きな桜が光っている。
あれがかの有名な桜なのだろうか。
私はそんなことを思いながら白玉楼の部屋の一つで座っていた。
私の心は全く落ち着かなかった。
小鈴と会って何が伝えられるのか、彼女はどう反応するのだろうか。
全く分からない。
わからないからこそ怖かった。
机の上においてある湯呑に手をかけては、ただそれを手で囲って暖を取った。別に寒いわけではない、しかし寒気に似たような震えがして仕方がなかった。
「ふうぅー」
何度も深呼吸をして心を落ち着かせる。
とにかくわかないことへの恐怖で一杯だった。
「失礼します。」
障子の向こうから声がした。
私が「どうぞ」というと障子が開いて妖夢さんが現れた。
「準備ができました。行けますか。」
私はゆっくりと深呼吸をする。
しばらく目をつぶってから意を決した。
「行きましょう。」
私はそう言って立ち上がった。
「本当に、大丈夫ですか。」
妖夢さんが聞いてきた。
まあ、明らかに緊張しているからだろう。
私は心配をかけまいと少し笑ってから
「大丈夫。ありがとう。」
といって歩き出した。
私は妖夢さんについて板張りの縁側を歩いていく。
薄暗く霧がたちこめる中で、右にはひたすら障子が続いていた。
前に来たときは幽霊がその辺をフワフワ待っていたのに、今日は何もいる気配がない。強いて言うなら妖夢さんの半霊が目の前にいるぐらいだろうか。
一番奥まで来たところで妖夢さんが足を止め、障子に手を掛けた。
「こちらになります。どうぞ。」
そういって妖夢さんは大きく開いた。
中を見ると、間仕切りは取り払われて、広い一つの部屋になっていた。
しかし、灯りがなくて真っ暗なので、どこまであるのかわからない。
私が中に入って少し戸惑っていると、後ろからまた声がする。
「あ、そうでしたね。これをお持ちください。」
そういうと、妖夢さんはどこから持ってきたのか楼台に乗ったロウソクを差し出してきた。
「このロウソクをお使いください。詳細は言えませんが特別なものになっていて、普通のものより長く、明るくなります。」
私はそれを受け取った。
確かに火が青い色をしていて熱くもなかった。
「このロウソクの火が灯る間が、お会いできる時間だと思ってください。本当は私もこういうことはしたくないのですが、こういう形になるのはご理解ください。」
いつまでも、というわけにはいかないか。
おそらく彼岸の中で何かしらの取り決めがあったのだろう。
上にも上なりに難しいのだろう。
「・・・わかりました。ありがとう。」
私はそう言って再び部屋の方を向きなおす。
ここからはもう後戻りできない。
でも、やらなければ。
大きく息を吐いてから、部屋の中に足を踏み入れた。
中に入ると、真っ暗の中でロウソクの白い火が周りを照らす。
六畳ぐらいの範囲なら照らせるぐらいの明るさなので、手探りでということはなかった。
話ではもう小鈴は眠っているらしいのでいてもおかしくはないのだが。
そう思いながらゆっくりと部屋の真ん中に進んでいく。
すると、暗闇と光のはざまに黒い塊が見えた。
その塊はゆっくりと上に立ち会がって、のろのろと私の方に近づいてきた。
私はもしやと思った。
もしそうなら私は動かない方がいい。
ゆっくりと屈んで、楼台を床に置いてその影が近づいてくるのを見守った。
だんだんと大きくなっていき、見覚えのある着物がはっきりとしてきた。
「阿求、なの?」
小さい声だったがそう聞こえた。
その声も私には聞き覚えがあった。
何度も聞いたあの声だった。
影はさらに近づいてきて、遂にその顔が見えた。
「阿求、本当にあなたなの?」
彼女の顔には戸惑いが現れていた。
しかし、目を見開いて見えるすべてから情報を得ようとしてるのが分かった。
遂に、その時が来たのだ。
私は口を開けた。
「そうよ。小鈴。久しぶりね。」
私がそういうと、小鈴は勢いよく私のもとに駆け出した。
「阿求!!」
大きな声で叫ぶと、私の胸元に向かって飛び込んできた。
「あ、ちょっとまって、わっ!」
私は不意のことでバランスを崩して、尻もちをつくように後ろに倒れた。
幸い手をついたので別に何ともなかった。
「小鈴、だいじょう、ぶ・・・。」
私がそう言いかけて小鈴の方を見ると、小鈴は私の胸に抱き着いたまま顔をうずめていた。そしてしゃくり声を出しながら泣きじゃくっていた。
「こ、小鈴・・・。」
私が呼びかけてもそれにこたえる余裕もないようで、まるで赤子のようにただただ大声を上げていた。小鈴は十年という月日で大きくなっていた。顔つきもだいぶしっかりとしているように見えた。でも、今の彼女は昔のままのようだった。
私の頭の中で和鈴のことが浮かんだ。
「そう、辛かったのね。頑張ったのね。」
私はそう言って小鈴の頭に手をのせた。
それだけ会いたくて、会いたくて、それでやっと達成できたのだ。
その苦労を私は全く知らないが、それは理解できた。
私の目頭も熱くなってきて、こらえらえなくなった。
しばらく私は小鈴をしっかりと包んでいた。
「私、信じられない。本当に阿求なのね。」
小鈴は少し落ち着いてくるとちゃんと話ができるようになった。
私と小鈴はお互いに畳の上でヘタッと座っている。
「そうよ、私よ。あなたがどうしてもっていうからね。」
「うれしい。私、今とても幸せだよ。」
小鈴はそう言ってまた抱き着いてきた。
「あったかい、本当に感じる。阿求を感じる。」
私の耳元でそうつぶやく。
「あ、え、そう。ありがとう。」
私も小鈴に会えたことはうれしい。言葉では言い表せないほどの喜びだ。しかし、同時に若干困惑もしていた。
どうしてこんなに彼女は私を欲したのか、さっぱりわからなかった。
「ねえ、小鈴。どうして私に会いたかったの?」
私はふとそう聞いた。
小鈴は少し時間をおいてからポツリと言った。
「忘れたくなかった。」
「え、」
「阿求が死んでから私の中の阿求がどんどんなくなっていく気がしたの。それが嫌だった。だから・・・」
「それは・・・」
やっぱりまだ彼女にとって私という存在が大きなものだった。
それが彼女を前に向けるのを妨げてしまっている。
悲しみが癒されること、それは忘却でもある。
忘れてしまうこと、時間が過ぎていくことは残酷なことだ。
忘却があるからこそ人は前にすすめるのだ。
「小鈴、時間は残酷なものよ。でも時間に流れに身を任せてもいいんじゃないかな。私を忘れないでいてくれるのはうれしいけれど、前に向かって歩いてほしいの。」
私は小鈴の横でそう言った。すると、小鈴はガバッと起き上がって私の肩をつかんだ。
「阿求はわかってない!」
私と小鈴の顔が向き合う。
「阿求は、私にとって大事な人なの。私のたった一人の、友達だから・・・。だから、忘れたくなんかないの。」
小鈴の顔は涙の跡で一杯だった。
「ずっと一緒にいさせてよ。」
小鈴の声は震えていた。
私もどうにも答えられなかった。
忘れてくれなんて言えるわけがない。
かける言葉が思いつかなかった。
「・・・阿求だって」
ふと小鈴がぽつりと言う。
「私だって阿求にもっと自分を大切にしてほしい。」
「そ、それは・・。」
「阿求こそ全然わかってないの!」
小鈴の顔は恐ろしく険しいものになっていた。
「私にとって阿求は、先生みたいな、親みたいな、そんな大きな存在。阿求はもう私の一部なの。そんな簡単に忘れられないし、忘れたくない。」
私は茫然と彼女の顔を見つめる。
「だから、そんな簡単に記憶を時間の流れに任せてほしいなんて言ってほしくない。」
気迫迫る声だった。
なんだか怒っているような、しかし悲痛な叫びのようにも聞こえた。
「ねえ、阿求はどうして私と友達になったの?」
その一言は私に大きく突き刺さった。
なぜ私は小鈴と友達になったのだろうか。
別に生きる役割は決まっているのだから社会のなかの構成員としての立場を自分で作りに行く必要もない。むしろ寿命が短い分悲しみの方が大きくなる。だったら初めから親しい仲なんか作る必要なんかない。
でも私は実際交流をする方を選んだ。
小鈴と共に日々の多くを過ごした。それはすごく充実した、素晴らしい日々だった。私にとって足りない何かを埋め合わせてくれているような気がしていた。
足りない何か、、
思えば小鈴と会った頃は孤独だった。稗田の家である以上決して親しくというわけにはいかなかった。そんな中でも関係なしで私に話しかけてきたのは小鈴だけだった。
「私もさみしかった、のかなぁって。」
私はしばらく考えてから一呼吸して言った。
「孤独でとてもつらかったの、だから友達になったのかな。」
私は小鈴の手を取って握った。
「私にとってもあなたの存在がなくてはならないものになったのよ。」
そんなことを言っていると、鼻が痛くなってきて目が熱くなる。
「ああ、もう。耐えられないわ。」
私は鼻をすすりながら目を押さえる。
「ごめんなさいね、私小鈴のことわかってあげられなくて。」
一度涙が落ちるともう止められなかった。
頬の横を幾重にも熱い筋が落ちていき、息を吸う間もなくなってくる。
何度も手の甲で払うがそんなことは無意味だった。
「うう、阿求、そんなの無責任だよ。」
小鈴の声がしてはっと顔を上げると、小鈴も泣いていた。たださっきよりは落ち着いていた。小鈴の顔はさっきまでの険しい顔ではなかった。
私と小鈴とで目が合うと、互いに軽く泣きながら笑いあった。
だんだん蠟燭も短くなってきた。もうあまり時間は残されていない。
「小鈴、もう時間が無くなってきたわ。最後に私のお願いを聞いてほしいの。いい?」
小鈴は軽く首を縦に振る。私は「ありがとう」といって彼女を手を握った。
「私のお願いはね、私に構わずにあなた自身をもっと大事にしてほしいってことなの。」
「でも、私は阿求のことをっ、、」
「うん、わかってる。それは私もわかってる。忘れてしまうのが怖いのもわかるわ。」
「だったら、、」
「私は、私のことで苦しんでほしくはないの。小鈴には小鈴の未来があるから。」
「私は苦しくなんかないよ!ただ阿求のことを忘れたくないだけなの。」
小鈴は必死な表情で私に訴えかける。
私の心もとても締め付けられる思いで一杯だ。
でもこのまま私という存在にとらわれても欲しくない、という思いは変わらない。
このまま小鈴の考えが変割らなければ、同じことの繰り返しになってしまう。忘れたくないというのはわかるが、時間は残酷にも流れていく。私の記憶のように定着はしてくれない。
私の存在を常に感じられるものがあるとすれば、それは・・・。
「小鈴。私の部屋ってどうなってる?」
「そのまま中は誰も触ってないと思う。」
「あの中には私の書いたもの、日記なんかがそこら中に残ってるはずよ。記憶はなくなってしまうけど、記録なら残りつづける。あなたならわかるでしょ。」
私は彼女の目をまっすぐと見つめる。
もうこれが私を見つける唯一の手がかりだろうだと思う。
小鈴は黙っていた。
「記憶はどんどん薄らいでいく。でも記録はそうじゃない。それを見れば薄らいだ記憶もまた復活する。そうじゃない?」
「・・・そうだけど。」
小鈴は黙って目線を外す。
「ねえ、小鈴。私は忘れないからわからないけど、大事なものってそんなにすぐには忘れないんじゃないかな。覚えようとしなくても覚えてしまっている、記憶ってそんなものだと思うの。」
我ながらなんと説得力のないはなしだろうか。私は絶対に忘れないのに忘れるという概念を語っているのはずいぶん滑稽な話だ。
「だからそんなに無理しなくてもいいと思うの。ふと思ったときに思い返して、思い出せなかったら私の部屋に行けばわかる。それでいいと思うのよ。」
私がそういうと、小鈴は唇を震わせながら言った。
「本当に部屋に行けばわかるのよね。」
「もちろん、記録は私の本業だもの。舐めてもらっちゃ困るわ。」
そこは自信をもって答えられる。
「阿求は私のこと忘れないよね。」
小鈴は私を見つめて言う。
「ええ、絶対に。大丈夫よ。私を信じて。」
私も小鈴の目を見てはっきりと答えた。
しばらくの沈黙が続いたが、小鈴が大きく深呼吸をして口を開いた。
「わかった。私、阿求を信じるよ。」
「本当に!?ありがとう。」
「でも、阿求も私のことを忘れないでね。絶対に。」
「ええ、もちろんよ。絶対に忘れないわ。あなたがこっちにくるまでいつまででも待ってるわ。」
そういって私は小鈴の両手を持っていった。
「私を信じて。大丈夫よ。」
横を見るともう蝋燭に火がチラチラと揺れていた。もう今にもきえてしまうだろう。
「小鈴、今日はありがとうね。私もうれしかったわ。」
「何言ってるの。私が言い出したことなの、私が一番ありがとうって言わないといけないわ。」
お互いに軽く笑いあう。
「じゃあ、さようならね。元気でね。いつまででも待ってるわ。くれぐれも急がないでね。」
私はそう言って大きく両手を広げた。小鈴はそれを見ると吸い込まれるように私に覆いかぶさってきた。
「さようなら。阿求こそ元気でね。」
小鈴の声は鼻声だった。
「ええ、さようなら。ありがとう。」
私がそういうと、周りが一気に暗くなった。
蠟燭の火が消え、すべてが終わった。
「小鈴、小鈴?」
周りは暗くなったと同時に、小鈴の力が一気に抜けて私にもたれかかってきた。私が呼びかけても特に返事がない。すると、どこからか真っ暗な中から声がした。
「そのまま彼女を下ろして寝かせて頂戴。」
「え、あ、はい。」
なんだか聞いたことがある年増な声だった。
私はそれに従って小鈴の体を床に下ろして体を横に向けた。
「紫様ですか。」
暗闇に向かって尋ねる。
「ええ、稗田様、お手数をおかけしました。後はこちらでしておきます。」
その声は淡々といった。
私は暗闇に向かって声を大きくしていった。
「あの、どうか小鈴をお願いします!どうかお願いします!」
「・・・うまく収まることを願っています。」
その声はそれを最後に再び聞こえることはなかった。