第二話 河原にて
上を分厚い雲が覆い、薄暗く、湿っぽい空気が周りを包んでいる。
気が付くと私はそんな場所に立っていた。
下には一面の小石の絨毯が広がり、すぐ前には先も見えないような大きな川が流れている。
ああ、私は死んだのか
私はすぐに状況を理解した。
そう、ここは彼岸である。ついにその時がやってきたのだ。
「お久しぶりですね。阿弥さん、いや、阿求さん。」
すぐ後ろから私の名前を呼ぶ声がした。
すぐに振り返ると、そこには大きな鎌を持った女が立っていた。彼女の後ろでは彼岸花の赤色が波打っている。
「・・・そうですね。お久しぶりですね。小町さん。」
そこに立っていたのは三途の川の船頭の小野塚小町だった。
彼女のことは先代の記憶の中にもはっきりと残っている。
「今回はだいぶ長かったですね。私もさみしかったんですよ。」
小町さんが私にそういった。
しかし、私は「そうですね。」とは言えなかった。
二人の間で少しばかり沈黙があった。
「あ、えっと。とりあえず、行きましょうか。」
私は悲しい顔をしていたのだろうか、小町さんが慌てた様子でそう言った。
私は軽くうなずくと、彼女の後をついて行った。
石と石がすれる音が響く。
「えっと、なんかすいせんでした。」
小町さんは歩きながら私に話しかける。
どうやら私の態度が怒っているようにみえたようだ。
「謝らないでください。私は別に怒っているわけではないですから。ただ、あちら側に行くという心ができていなくて。わかってるはずなんですけど、混乱してるんでしょうかね。」
私は草履を擦りながら言った。
小町さんは振り返るでもなくただ黙々と歩いていた。
しばらくすると、岸につけられた小舟が見えてきた。
その小舟の先につくと、小町さんは振り返る。
「さあ、行きましょう。よろしいですか。」
私は「はい」と言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
この期に及んで何をたじろんでいるのか、自分で自分のことが分からなかった。
わかっているはずだ。
そして、後悔はないはずだ。そう頭の中で唱える。
「どうしましたか。」
小町さんは私の顔を覗き込む。
答えようとしたが、言葉が出てこない。
気づくと、自分の足も動かなくなっていた。
私は下をむいたまま固まってしまった。
小町さんはそんな私の様子を見ていたが、しばらくして「うーん」と唸った。
「そうでした。この時間は向こうの岸が混むんでした。私としたことが忘れていました。」
突然小町さんはそういって、上の方を見て続ける。
「これはしばらくこっちの岸沿いを走りながら時間調整をしないとなー。」
私は小町さんのいう意味が分からなかった。
ポカーンとした顔をさらしていたことだろう。
彼女は改めて私の顔に視線を向けた。
「阿求さん、さぞ向こうでの世は充実したものだったのでしょう。不幸なことに、今回は向こうにつくまですごく長くなりそうです。どうでしょう、私との暇つぶしにその話をしませんか。」
ああ、これが船頭というやつか。
ずいぶん策士なものだ。
私は頬を少し緩ませた。
「仕方ありませんね。付き合ってあげましょうか。」
「ありがとうございます。手をどうぞ。」
そういって彼女は手を差し出す。私はその手をもって、船主から船に乗り込んだ。私は船の真ん中に渡された板の上に座った。
「では、行きますよ。」
小町さんはそういうと、岸から船を押し出してそのまま船主に飛び乗る。ある程度岸から離れると、彼女は船尾に移動し、櫂を漕ぎ始めた。
「ありがとうございます。」
私は前だけをみて言った。
「こうだから私は、いつまでも船頭なんですかねぇ。」
小町さんは笑いながら言った。
岸伝いに赤い彼岸花が揺れていた。
一体いくらの時間がたっただろう。
私は船の上でただひたすらに話し続けていた。
小町さんは私の話すこと一つ一つに反応し、返答してくれた。
気が付くと向こうから黒い帯が見えてきた。
「阿求さん、そろそろ着きますよ。」
ついにその時が近づいてきた。
ただ、最初の時のように緊張をかんじることはもうなくなっていた。
私は現実を受け入れて、私自身の次の役目に意識を向けていた。
船は速度を落とし、後ろでは小町さんが右へ左へと動く。
徐々に黒い帯は灰色へ変わり、細かい凹凸が見えるようになった。
そして近くの石が一つ一つはっきりし始めたぐらいで船が止まった。
小町さんは櫂を置くと、岸に飛び降りる。
「お待たせしました。どうぞ。」
小町さんはそういって手を差し出す。
「ありがとう。」
私もそういって、彼女の手を握る。
そのまま立ち上がって岸に降り立った。
彼 岸の風景は向こうの岸と特に変わったものではなかった。
殺風景な河原が続き、水の音すら聞こえないほど静かだ。
「では、四季様のところへ直接ご案内します。こちらです。」
小町さんは私の前に立つと、そういって歩き始めた。
私も彼女について行く。
稗田の当主は死んだあとは閻魔、すなわち四季映姫の下で次の転生まで約百年仕えることなっている。
だから、私がこれからたどる道は、普通とは違う。
閻魔様の裁判を受けることもないし、六道輪廻の輪にも入らない。
もちろん浄土にいくこともない、とても特殊な存在なのだ。
ある意味妖怪なのかもしれないと少し思うこともある。
私はゆっくりと右手に川を見ながら河原を歩いていく。相も変わらず殺風景な風景が続く。
ガッシャーン
唐突に左側から何かが崩れる音がした。
私はとっさに顔をそちらに向ける。
よくよく向こうを見てみると、奥の方で細長いものがたくさん立っているのが見える。
「小町さん、今の音は何ですか。」
私は小町さんに尋ねた。
「あれですか。たぶん石の塔がくずれたんでしょう。ほら、賽の河原というやつですよ。子供たちがあそこでずっと石を積んでるんです。そのうち見えてきますよ。」
小町さんは少し体をこちらにひねる。
「そ、そうですか。」
賽の河原
そういえばそんなものもあった。
前に来た時はちょうど石塔を鬼が鉄棒で崩しに来ていて、子供たちの悲鳴と泣き声であふれかえっていたような記憶がある。
趣味の悪い場所だ。
しばらく歩くと、石塔が私の両脇に多く並び始め、そのまま行くと子供たちが見えてきた。
「ここが賽の河原ですよ。」
小町さんが私に言う。
確かに看板に『賽の河原』と書いてある。
私の記憶ではここは悲しみと絶望で一杯の場所だったが、今見てみると、子供たちはニコニコしながら石を積んでいる。
崩しに来る鬼の気配もない。
「賽の河原ってこんな感じでしたっけ。なんかこう、もっと見るに堪えない場所だった記憶があるんですが。」
私は思わず聞いてしまった。
「えーと、そうでしたね、阿求さんは知らないんでしたね。確かに以前は鬼が石塔を壊して周り、菩薩様がそれを救済するっていう形だったんですが、今は成仏が制限されているのでそういうわけにもいかなくなってしまったんですよ。菩薩様によって成仏できないんじゃこれをする意味もないっということになって、今はさながら孤児院みたいな感じになってますね。」
「じゃあ、石塔は壊されないんですか。」
「ええ、はっきり言えば、今はただの遊びですね。そもそもあのやり方ってかなり前から問題になっていたので、これを機に改めたってところですかね。」
十年ひと昔とは言うが、百年もたてば何もかも変わってしまうのだな、と時間の流れを実感する。
私はしばらくはしゃぐ子供たちを見ていた。
そこでふと私はこちらを見つめる一人の女の子が目に留まった。
他の子は楽しそうにはしゃぎ、石を積んでいる。
しかし、その子はただ一人で石を積む様子もなく私のことを見つめていた。
なんてことはない、所詮一人の少女である。
が、私はなぜかその子のことがすごく気になった。
他の子と違って他のことに、違うことに関心を向けている。
その姿に私は強い既視感を覚えた。
「あ、阿求さん。どうしましたか。阿求さん?」
小町さんの声が後ろからする。
気がつくと、私はその子のもとに踏み出していた。
一歩、また一歩と歩き、彼女の座ってる前まで来ていた。
彼女は座ったまま私を見上げている。
私は膝を曲げて彼女と目線を合わせる。
彼女の髪の毛は縮れて跳ね上がっていた。
「こんにちは。」
私がそういっても彼女はただ、無表情で私を見つめている。
「ほかの子みたいに石で遊ばないの?」
彼女は首を横に振る。
「そう、私のことがそんなに気になるの?」
そう聞くと、突然、彼女はゆっくりと腕を大きく開き始めた。
「お姉さん、なんかさみしそう。お母さん言ってた。ぎゅってしたらみんなさみしくなくなるって。」
私の胸にいきなり風が吹き抜けた気がした。
自分の心の重しが外れたように感じる。
今までずっと知らず知らずのうちに隠してきた感情が今一気にあふれてきた。
気づけば私も腕を開いて彼女の腕の中にいた。
「そうね、そう。あなたは正直ね。」
目頭が熱くなるのを感じる。
大人というのは正直になれない。
そしてそれに自分も気づいていないのだ。
「あ、阿求さん、えと、大丈夫ですか。」
小町さんの声が後ろからした。私が振り返ると、小町さんがすごく苦い顔をしている。
「え、あ、ごめんなさい。」
私はすぐに少女の手の中から離れて立ち上がる。すると、彼女は私の手を握ってきた。
「こういうのって、大丈夫なのかな・・。今は誰も見てないからいけるかな。」
小町さんは一人で何やらブツブツ言っている。
「と、とにかく。阿求さん、行きましょうか。阿求さん?」
小町さんがそう言っているのが聞こえたが、私はこの少女から離れらなくなっていた。
彼女も私の手を離そうとはしない。
この少女は私をずっと変わらず見つめている。
「阿求さん?聞こえてますか?」
小町さんがこちらを覗き込んできた。
「小町さん!この子を私に預けさせてください。」
私はハッと小町さんの方を向いていった。
小町さんは数秒顔の動きを止めた。
そして、先ほどよりもさらに渋い顔になった。
「・・・。マジですか。」
「ダメですか?」
「いや、ダメではない、けど。よくもないと思うんだよなあ。」
「そこをどうか、お願いします。」
私は小町さんに頭を下げる。
「そ、そんな、私なんかに頭なんか下げないでください。わ、わかりました。なんとか手を付けておきましょう。」
小町さんは手をグルグルとさせながら言った。
「ありがとうございます!」
私はさらにもう一度頭を下げる。
「いや、や、やめてくださいよ。頭上げてください。まずいんですよ。いやまずくないけど、いろいろ立場上あってですね。わかりましたから、とにかく頭上げてください。」
自分の苦しみというのは言われないと、案外自分でも気が付かないものなのかもしれない。