婚約破棄とかするものではありません。〜断罪される令嬢は、兄の溺愛から逃れたい〜
短編です。読みに来てくださってありがとうございます!
「ソフィア・アレグリア!本日をもってお前との婚約は破棄する!」
会場がしんと静まり返る中、よく通る声で第一王子は続ける。一世一代の晴れ舞台。後には引けないその状況に、会場の面々も、ソフィア自身も、察する。
(今しかないっておもったんだろうな。)
と。そして、
(今でもなかったのにな。)
とも。
「あの…アランハルト様。本当に、それだけは、やめていただけたらありがたいのですが…。」
きり…と痛む胃を抑えながら、ソフィアは言ってみる。
それは、自分のためでもある。しかし、やっと婚約者になったアランハルトのため、というのが8割くらい。
「今になって縋ってももう遅い。度重なるリリア嬢へのいじめ、嫌がらせは目に余る。そんな悪女を妻にはしない!」
そうだ。ことの発端になったリリア嬢は、会場には見当たらない。
「リリアは怖がって控室から出られないそうだ。そんな風に追い詰めて恥ずかしくないのか!」
ああ、好ましいと思っていたアランハルトの真っ直ぐさが、もうイライラにしかならない。
いや、そもそもいじめなんて100%冤罪で、なんなら被害にあっているのはこちらなのだ。アランハルトは、自分で崖っぷちに突き進んでいることに、全く気づいていない。
「最後くらい大人しく、こちらの言葉を聞き入れ、従え!この婚約は…!」
そこで言葉を切ったアランハルトは、ソフィアから何故か視線をそらし、ソフィアの後ろに目をやった。
その顔から分かりやすく血の気が引いていく。
(ああ…終わった…。)
こんなに鋭く、一直線に第一王子に向かって殺気を放てる人物なんて、一人しかいない。
ギギギギ…と、後ろを振り返ると、アランハルトよりも遥かに『王子』な顔をした麗しい青年が、表情だけは笑顔で、そこにいた。
その隣には、怯えて控室にいるはずのリリア。何故かうっとりと青年を見上げ、その肘のあたりにそっと手を添えている。
「あ…リカルド兄様…?」
ソフィアは恐る恐る呼びかける。
「久しぶりだね、ソフィア。」
先程まで放たれていた殺気が瞬時に消え、柔らかい蕩けるような笑顔を向けてくる彼の名は、リカルド・アレグリア。ソフィアの三つ上の兄、なのだが。
「リ…リリア?」
アランハルトはリカルドに寄り添うリリアに声をかける。リリアの表情から、怯えは感じない。それどころか、リリアは目に涙をためて、アランハルトをキュッと睨む。
「ひどいです、アランハルト様!私は何度もソフィア様は無実だとお伝えしたのに、こんな場所で断罪なさるなんて!!」
(…う…わあ。)
控室でどんなやり取りがあったか、想像するしかないが、今のリリアは分かりやすくリカルドに乗り換えている。
(もう、だめね。諦めましょう。)
「婚約破棄の件、承りました。ごきげんよう、アランハルト殿下。」
ソフィアは、場を収束させるべく、そう言って退室しようとしたのだが。
「うん。待とうね、ソフィア。いろいろ聞きたいこともあるし、やりたいこともあるから。」
リカルドに止められて、逃げ場がなくなってしまった。
「さて。リリア嬢、ちょっと手を離してくれる?もう、我慢の限界なもので。」
リカルドの笑顔は輝いている。
なんの我慢が限界なのか、リリアはよくわからないまま、言われたとおり、手を離していた。
「さて、と。アランハルト。お前、どこからしゃべってるの?壇上から降りなよ。」
注目を一身に集めたリカルドの、思いがけない言葉に、皆一瞬思考が止まる。
「なっ!なにを今…っ!!」
アランハルトが怒りに赤くなってそう言いかけたのだが、リカルドが指をくいっと動かすと、その体は勝手に浮き、無様に壇の下でコケてしまった。
「お兄様!?」
ソフィアもあまりの出来事に声をあげる。
王族相手にやりすぎだ。しかし、リカルドは涼しい顔をしている。
「大丈夫だよ。ソフィア。こいつはもう王子じゃないし、貴族ですらない。今頃は生まれた記録から抹消されているんじゃないかな。」
(生まれた記録から?)
「当然、婚約なんて初めからしてないし、破棄だの何だのと、ごちゃごちゃうるさいだけなんだよ。」
リカルドは虫けらを見るような目でアランハルトを見た。
そして、やっと立ち上がったアランハルトにぺらりと一枚の紙を見せる。
それを見たアランハルトは、青ざめて言葉を発しなくなってしまった。
「まあ、ここまでやったからには全部見届けてもらうけどさ。」
そこから、怒涛の勢いで、リカルドの独壇場が始まった。
「まず、ソフィアのいじめ?について。これは、事実無根。そもそも被害者のリリア嬢が否定してる。そうだよね?」
リカルドから微笑まれ、リリアは胸を張った。
「はい。私はソフィア様からいじめなんてされてません!」
「でも、君は、泣きながら…。」
「あれは、勘違いでした!」
アランハルトが蚊の鳴くような声で言いかけたのを、リリアはしっかり潰す。
リカルドを確認するように見つめるリリアに、リカルドは満足気に頷いてみせた。
「他でもないリリア嬢がこう言うんだ。必要なら証拠もある。…まあ、仮に多少ソフィアが気に入らない相手に何か制裁を与えたとして、何の問題もないけど。」
(いや、あるから!やってないのは事実だけど!)
残念ながら、ソフィアは嫉妬から誰かをいじめるほどアランハルトに入れ込んでいたわけではないのだ。本当にリリアに対して何もしていない。
「で?何か言わなきゃいけないんじゃないかな?アランハルト。」
「お、お兄様、もう…。」
ソフィアは顔面蒼白だ。
(止めなければ、とんでもない展開になる気がする!!)
謝罪まではよい。だが、謝ったら最後、アランハルトは今度こそ何の武器もないままにリカルドから叩き潰される気がする。
(なんならアランハルトだけじゃなくて……。)
「…すまない。」
アランハルトは項垂れながら言った。
「ろくに調べもせず、聞いた話だけでソフィアを断じたのは間違いない。私は、取り返しのつかないことをしてしまった。」
深く、本当に深く落ち込んでいるアランハルト。その落ち込みは、ソフィアのことだけではないようだった。
「良いのです。分かっていただけて良かった。お兄様。ありがとうございます!さあ、帰りましょう。久しぶりに会えて、私、ゆっくりお話したい気持ちですわ!!」
幕引きを試みるソフィアだが、リカルドは優しく微笑んで首を左右に振る。
「優しいソフィア。君に免じていろいろなことを見逃してきたことを、僕は後悔している。姑息にも僕が国外にいる間に、これ幸いと君を貶めたこの国の奴らは、もう必要ないと思うんだ。」
終わった……。
歌うように滑らかに、リカルドは続ける。
「国王夫妻の息子は、来年学園に入るレオンハルト王子のみ。彼が皇太子になる。そこの男は、王族を騙った罪で投獄。罪の償いは最下層での労働かな。あ、一応後世の憂いを断つための処置はさせてもらうよ。ソフィアがリリア嬢に嫌がらせしたと証言したアリア嬢とテレーゼ嬢のカルダ伯爵家とゼネダ男爵家は爵位剥奪のち一族平民落ち、もちろん婚約者も同罪、彼女たちの嘘に気づいていながらソフィアを庇わなかった同級生22名は学園退学のち、領地にて幽閉、一応家族は見逃してあげようかな。……本当はこんなもんじゃ生温いけど、やりすぎたら国が存続できないからね。しょうもない国だけどソフィアの生まれた場所だから、残すことにするよ。」
彼は本気だ。
そして、それを可能にするだけの力がある。
『神の愛し子』
この世界を『調整』するために、千年に一度創造主に選ばれる存在であるリカルドは、神の代行人としてあらゆる場所に赴いて役割を果たしている。
その代わりに、彼自身が望めば大抵のことは叶うという、『神へのおねだり』という恐ろしいスキル持ちなのである。
世界にとって幸いだったのは、リカルドの執着が、唯一、妹ソフィアにしかなかったこと。
そして、ソフィアが、ごくごくまともな善良な人物だったということだ。
幼いときから完璧な兄に溺愛されたソフィアは、やがて察するのである。
「私がしっかりしないと、世界が滅びる」と。
スキルが発現した十歳の時から、ソフィアの害になると見るや存在ごと抹消しようとするリカルドを5年ほと、止め続けた。
努力の成果から、淑女の鑑と呼ばれ、ソフィアを攻撃してくる者はいなくなった。
非の打ち所のない(と思っていた)皇太子とも婚約した。
将来王妃になれば、リカルドもこの国を、世界を悪いようにはしないはず……
そう、思っていたのに。
リカルドが神のおつかいで三年ほど異国に行っている間に、事情を理解仕切っていない若者たちによって最悪の事態が引き起こされてしまったのである。
リカルドの危険性を教え込まれていたはずのアランハルトが、とどのつまり全く「分かっていなかった」ということだ。
(…なんだか、疲れちゃったなあ。)
リカルドが、ソフィアに都合のよい世界改変をしようとするたびに、倫理的に受け入れられず必死に回避してきた。それに対して周りのソフィアへの対応は、ひどいものだった。リリアの立ち回りが上手かったのはあるとしても、自分を引きずり下ろそうとする悪意への対応は辛かった。
「リカルド様って、すごいんですね!!」
耳につく甘ったるい声。
怖いもの知らずのリリアはリカルドに再び接触しようとする。
が。
「ああ、君はもう消えてくれる?」
そんな一言に、リリアは、キョトンとした表情のまま、だんだん薄れていって……
(ああ、もう!)
「お兄様!全部撤回しないと、一生口を利きません!!」
「撤回する!」
リカルドの言葉でリリアの実体が戻る。
消えかけた実感はあるらしく、その場にへたり込んでしまった。
「ソフィア。これでいい?」
ソフィアの表情を伺うリカルド。
ソフィアは美しく微笑んだ。
「お兄様。私、婚約は円満に解消して、どこかでのんびりしたいと思います。彼らのことはもう良いのです。……謝罪さえあれば、許します。」
「ソ…ソフィア様!私、嘘をつきました!!ソフィア様は何もなさっていません!!」
真っ先に動いたのは伯爵家のアリアだ。叫ぶようにそう言って彼女が平伏すると、先程断罪された同級生達が次々とひれ伏す。
「私も、嘘を!」「分かっていながら何もしなくて!」「ソフィア様に廊下でぶつかったことが!」「夢でソフィア様とデートしたことが!」……何やらわからないのも含めて会場中の人々がひれ伏すと、そこに立っているのはリカルドとソフィアだけという異様な光景になった。リリアはへたり込んだまま、顔面蒼白で何かブツブツ言うだけだ。
「ね?お兄様。これでおしまいにいたしましょう?私、疲れちゃいました。早く帰って、未来の話をしたいです。」
「仰せのままに、お姫様。」
リカルドは甘く微笑むと、ソフィアを抱き上げ、屋敷に転移した。
その後も暫くの間、全員が平伏した会場では、顔を上げるタイミングがつかめず、異様な光景が続いたとか、なんとか。
なにはともあれ、この日のことは広く周知され、国中が胸に刻むことになるのである。
「リカルド」ではなく、「ソフィアが世界の命運を握っている」ということを。
「もう、お兄様と一生一緒にいればいいんじゃないかな?」
「うふふ。そんなの、私の心臓がもちませんわ。」
「大丈夫!強くしてもらうから。」
「うふふ。お兄様、そういうところです。」
ソフィアの幸せ探求の道は、まだまだ模索が必要なようである。