第81話 ナヨキ東
目を開けると、薄暗い木の天井が視界いっぱいに広がっていた。
はて? ここは……ん?
どこからか煮炊きの匂いが漂って来る。
そうか! えーっと確か――
寝台の上で上半身を起こした瞬間、胃の奥がふわりと揺れた。
うぷっ、まだ少し気持ちが悪いな。
ここはナヨキ東の小迷宮、その入口近くにある小屋の寝台だ。
ノルデ騎士団詰所のゲートを抜け、体が消えるような嫌な感覚に慣れず、
今回もまた役立たずになってしまった。
どうやらそのまま眠ってしまったようだ。
耳を澄ますと、厚い木の壁越しに、外から鍋をかき回す音が聞こえた。
金属の触れ合う乾いた音と、野菜が煮え立つときのふつふつという気配。
窓の隙間から差し込む光は赤く、角度も低い。
もう夕方か。
カーリナが三つの小迷宮を申請、小屋の使用許可はすんなり下りた。
各迷宮で五日間、計十五日間の探索を行うのだが、
初日の今日、騎士団の都合でゲート移動は午後になっていた。
特にやる事もないので、
ノルデを離れる前に、正午前に一度冒険者ギルドに寄ってみた。
アンニとアイニェータに挨拶しておくべきと判断したからだ。
二人ともレオノールにお熱なのだ、声をかけずに去ってしまうと、
次に会った時にどんな目に合うか恐ろしかったのが本音である。
都合よくアンニとアイニェータはギルドにいた。
というか、何やらギルドマスターのアンダースからのお説教中で、
小さくちぢこまっていたアンニが滑稽であった。
こちらに気づき、いつもにも増してアンニがレオノールに話しかけてきたのは、
会話を伸ばしてアンダースのお説教への逆戻りを避けたかったに違いない。
必死なアンニを見てアイニェータは呆れかえっていたのだ、
当たらずとも遠からずといったところだろう。
今日から三つの小迷宮を巡ると伝えると、アンダースに昼食を誘われた。
もちろんアンダースの奢りである。
さすがギルドマスター。
奢りだと聞いて、アンニとアイニェータが当然のように付いてきた。
後でまたお説教されるんだろうな。
ノルデの食堂の一卓を占拠していた。
アンニがレオノールの隣の席を死守しようとし、
アイニェータがさりげなく割り込もうとする、
あの小競り合いを思い出すと、少しだけ口元が緩んでしまう。
どうやら酔いは治まったようだ、さっきまでの不快感がなくなった。
「お兄ちゃん、起きてる? まだ気持ち悪い? 夕食できたよ」
ノックもなく扉が開き、そこからレオノールが顔をのぞかせている。
その首元で揺れるのは小さな翡翠のペンダント。
「もう大丈夫だよ。――そのペンダント、よく似合ってるね」
「うん。ありがとう。これあたしの瞳と同じ色なんだよ。こうやると、ほら」
よく磨かれた翡翠はレオノールの瞳と同じ青緑で、夕日を受け輝いている。
アイニェータのプレゼントである。
レオノールに好かれようとするアイニェータの必死さは、
翡翠の輝きと同じぐらい伝わって来る。
プレゼントを受け取り喜んだレオノールの表情よりも、
悔しがるアンニの表情の方が印象深かった。
「ノーラちゃん、師匠はー?」
「うん、起きてるよー。行こっ、お兄ちゃん」
カーリナの声に急かされ、小屋の外に出ると、
夕暮れの冷えた空気と、焚き火の熱が同時に肌を撫でた。
小屋の前には簡素な焚き火台が据えられ、その上に大きな鍋がかかっている。
カーリナが木杓子を握り、鍋の中をかき回していた。
振り返ったカーリナの頬も、焚き火の赤で少しだけ色づいている。
夕闇の手前の薄明かりの中で、ナヨキ東の森がゆっくりと影を濃くしていく。
「悪いな、支度を任せちゃって」
「いいえ、師匠は師匠なんですから、師匠らしくしていてください。
雑務は弟子のボクが全てやりますよ。
あっ、そうそう。明日からの階層なんですが――」
「カーリナが決めてくれちゃっていいよ。おっ、ありがとうレオノールちゃん」
スープが注がれた木の器をレオノールから受け取る。
「目的のウロボロスを落とすスネークマンショーは2階層です。
騎士団の討伐記録だと、つい先日倒されたようです。
この五日間の滞在中に発生すると思います」
「そうか、五日間ずっとヘビの相手か」
「それなんですが、どうやら近々ケイリーが復活するようなんですよ」
「ケイリーって……砂時計の? 砂時計はもう一つあってもいいけど、
以前、倒したのはアンニさんたちを入れて五人でやっとだったからな……
因みに、何階層?」
「3階層です」
「ヘビのひとつ下の階層か。よし、わかったそっちも回ろう」
攻撃が当たらず、じわじわとこちらの体力が削られ苦戦したケイリーだが、
今回は浅い階層だ、あのときほどの消耗戦にはならないだろう。
***
翌朝の探索は1階層から開始し、
二の鐘の頃には難なく3階層の中間部屋に到着した。
「お兄ちゃん、誰かいるよ」
小休止中にレオノールが耳をピクピクさせながら語った。
もちろん、中間部屋には自分たち三人以外は誰もいない。
遠くの音を聞き取ったのだろう。
「レオノールちゃん、何か聞こえるのかな?」
「うん、この先。結構、奥の方で誰かが戦ってるみたい」
「師匠、どうしましょう?」
「いやー、特に問題ないでしょ、このまま進もう」
3階層の奥エリアを進み、曲がり角をいくつか抜けた当たりで、
石を叩きつけるような低い衝撃音と、短く区切られた掛け声。
レオノールが言うように、誰かが戦っている。
こんな人里離れた場所にある小迷宮に入るだなんて奇特な人もいたもんだ。
通路の奥で全身黒づくめの男が蹴り技を放つ。
あれは、ノルデ33階層で見た魔物――カリスマだ。
そのカリスマに向き合っているのは、ふたりの冒険者だった。
前に立つのは、カーリナより頭ひとつ低い背丈の少女。
オレンジブラウンの三つ編みポニーテールを揺らしながら、
片手剣を両手で構え、カリスマの大振りな蹴りを正面から受け止めていた。
「っらあっ!」
剣と蹴りがぶつかり合った瞬間、金属音が通路に散る。
カリスマの勢いをそらすように刃を滑らせ、すぐさま横薙ぎに返す。
力任せに受け止めるのではなく、慣れている動きだ。
その少し後ろには、細身の女性が立っていた。
尖った耳と編み込んだ長いブロンドが目を引く。
両手を胸の前で組み、足元の石畳から飛び出した土塊を次々と撃ち出している。
「テラ・バレット」
落ち着いた声が響き、拳大の土の弾丸がカリスマの側面にめり込む。
バランスを崩したカリスマに前衛の剣が追い打ちをかける。
ふたりはぎりぎりのところで、
しかし要所を外さずにカリスマの動きを止めている。
何度か攻撃を受け、前衛の肩や腕には血が滲んでいたが、それでも踏み止まり、
最後は大きく踏み込んだ一撃でカリスマの頭部を叩き割った。
カリスマは黒い煙に溶け姿を消した。
「っはぁ……やった、か」
剣を引き戻した少女が、荒い息を吐きながらその場に膝をつく。
後衛の女性がすぐに駆け寄った。
「ボニー、大丈夫ですの?」
「平気平気、こんなのかすり傷だって」
少女がそう言いながらも、腕の傷口からは血が流れている。
その足元には細い小瓶に入った白い粉がひとつ転がった。
少女が拾い上げ、肩を落とす。
「なんだよ、またこれか」
「しかたありませんわね、次に期待いたしましょう。
それよりも、やはりその傷がわたくし気になりますわ。
一度手当てに地上へ戻りましょう」
あの様子だと、目的のドロップアイテムが出なかったようだ。
小さな足音が石畳を叩き、少女の前で止まる。
レオノールだ。
「あのっ、腕、怪我してるよね。薬草、使って」
レオノールがマジックバッグから薬草を取り出し差し出した。
少女は一瞬、レオノールの顔を見て目を丸くする。
「お、おお……? ありがとな」
驚きと、どこか照れくささの混じった声音だった。
レオノールの背後に自分たちがいるのを見て、
ようやく状況を飲み込んだように頷く。
「ありがとうな。ちょうど薬草を切らしたから助かったわ」
「いえ、困った時はお互い様ですから」
自分がそう返すと、ボニーは鼻を鳴らして笑った。
さっきまでカリスマの突進を受け止めていた腕はわずかに震えている。
「ウチはボニー、それとこっちはエリザヴェータ。
パーティー名は”凍てついた明日”だ。
といってもウチとリーザの二人だけのパーティーだけどな」
ボニーが手を差し出し、
エリザヴェータは、静かに頭を下げるだけで何も言わなかった。
カーリナがすかさずボニーの手を握り、会話に割り込んできた。
「こちらは”一撃の剣”です。
ボクはカーリナ、その子はノーラちゃん、それとこちらはヒデキ師匠です」
カーリナが胸を張って言うと、ボニーの視線が自分に移った。
「そこの若いのが師匠?」
「こう見えても師匠はあの騎士の鍵を――」
「いや、それよりボニーさん。
こちらは薬草に余裕があるので、もう少しお譲りしましょうか?」
カーリナの言葉を慌てて遮る。
騎士の鍵の話を広げられるのは、できるだけ避けたい。
エリザヴェータが一歩前に出て、丁寧に首を横に振った。
「ご厚意はありがたく存じますわ。
でも、これからいったん地上に戻るつもりですの。
今いただいた分だけで、十分間に合いますわ」
エリザヴェータの口調は、言葉の端まできっちり整えられたものだが、
どこか柔らかい。
ボニーが薬草へ当てながら、肩をすくめる。
「鍵が手に入らなかったから、今日はもう上がるつもりでさ。
次の小迷宮に行く準備もしないとだし」
鍵、という単語に、自分の耳が自然と反応する。
この二人もレアアイテムを狙っていることに間違いない。
そうでもなければ、わざわざこんな辺鄙な小迷宮までやってくるはずもない。
ボニーたちがどの鍵を狙っているのかまでは分からないが、
少なくともケイリーが目当てということはなさそうだ。
「そういえば、ケイリーを見かけませんでしたか?
そろそろ復活する頃だって聞いて、ボクたち、それを探してたんです」
カーリナが尋ねると、ボニーは露骨に顔をしかめた。
「ケイリー!? ウチらの目的は鍵でさ、
この階層はカリスマ目当てで何日か回ってたけど、ケイリーは見ちゃいないな。
つーか、遭遇してもウチらは全力で逃げるわ。
あんたら、まさかSランクが目的なのか?」
「まぁ、そういうことになります」
「物好きもいたもんだ」
自分が曖昧に笑って答えると、ボニーは肩をすくめて笑った。
この二人は競合相手ではないことがわかり、胸の奥で小さく息を吐く。
人里離れた小迷宮で、別の冒険者と鍵を奪い合う展開は、
できれば避けたいところだ。
そもそも、こんな場所にまで足を伸ばしている冒険者がいること自体、
少し意外だった。
冒険者の街ノルデでは、
迷宮に潜るたびに騎士団にトークンを支払う必要がある。
その点、小迷宮ならトークンなしで入れるし、
他のパーティーと鉢合わせる確率も低い。
そう考えれば、ボニーたちのように、
小迷宮を渡り歩きながら鍵を追う連中がいてもおかしくはないのだろう。
自分の頭の中で、魔物のリポップやレアアイテムドロップの感覚と、
この世界の事情が静かに線で結ばれていく。
「それじゃ、ウチらはそろそろ上がるわ。薬草、ありがとな」
ボニーがレオノールに向き直って頭を下げる。
レオノールも慌ててお辞儀を返した。
「ううん、またどこかで会えたらうれしいな」
「そうだな。またどっかの迷宮でな」
ボニーとリーザの背を見送りながら、
自分たちは階層奥の静けさを取り戻した通路に目を向ける。
「師匠、どうします? もう少しケイリーを探してみますか?」
「そうだな。少しだけ奥を回ってみて、
見当たらなければ、いったん地上で昼にしよう」
***
ケイリーに遭遇することなく、地上で昼食を済ませた。
タバコに火を点け一服、煙が鼻先を通り抜け、
さっきまで迷宮にいた感覚が少しずつ薄れていく。
その煙の向こうで、カーリナとレオノールがもめていた。
声が大きいわけでもないのに、妙に刺々しい。
珍しいなと思いながら、タバコを指に挟んだまま声をかけた。
「どうした?」
カーリナが振り返り、レオノールは唇を尖らせた。
どうやらパーティー名を何にするかでもめているらしい。
「師匠、ボクはぜぇーったい、破壊の剣士がいいと思うんです」
最初から勢いが強い。
レオノールも負けじと言い返す。
「えーやだー、ピンクうさちゃんの方がかわいいもん!」
うっ、うさちゃんか……
レオノールの瞳がうるんでいて、心が締め付けられる。
言ってる内容はアレだが、視線だけは本気だ。
カーリナは強さ、レオノールは可愛さ。
非常に分かりやすいが、問題は両者が相反するということだ。
「ピンクを残して、ピンクフラミンゴってのはどうだ」
自分が提案すると、二人がぽかんとした顔で止まった。
フラミンゴが分からなかったかな。
この世界にいるのかどうかも怪しいし、
そもそも鳥の名前を出して解決する問題でもない。
「ノーラちゃん、ピンクなんて師匠の強さが伝わらないよ。
黄金の剣士ならいいでしょ? ピンクよりも黄金の方が強そうだよ」
パーティー名に剣士はマストのようだな。
このパーティー、誰も剣士ジョブに就いていないのだが……
レオノールは腕を組んで、譲る気配がない。
「ピンクがダメなら、うさちゃんでもいいよ」
譲歩しているようで、本質は変わっていないな。
カーリナも引かない。
二人の会話は平行線をたどるばかりだ。
ここはひとつ、ピンクを残してカッコイイ名前を……
「ピンクプルトニウムなんてのは?
ほら、レオノールちゃんのピンクも入っているし、
かっこいいだろカーリナ?」
二人がちらっとこちらを見たが、ピンときていないようだ。
ダメだったかな?
「じゃあ、じゃあ。この際、色は無くして、最強の戦士!
これならいいでしょ?」
大して分かってないぞ、カーリナよ。
そんなもんでレオノールが納得するとは思えない。
それに剣士はどこいった。
「うーん、かわいくない。ピンクちゃんならいいでしょ?」
純粋なピンクにちゃん付け、そうきたか。
カーリナの眉間の皺が深くなるのが見える。
自分もタバコを持つ手が止まった。
強さと可愛さ、両方を取り込む名前は……
「ストレンジラブなら強さと愛も含んでいるから――」
あれ? 目の前で話しているのに、二人とも聞こえていないのか。
何も反応してくれない。
「太陽の戦士! これならいいでしょ」
「間を取って、太陽を盗んだ男!」
「うさちゃんピンク!」
「いっそのこと、破滅への二時間!」
「師匠! ふざけないでください」
「お兄ちゃん! まじめにやってよ」
両側から怒られると、自分の立場が急に弱くなる。
自分はタバコを短く吸い、火を揉み消した。
真面目にやっているつもりだったのだが、どうやら二人には伝わっていない。
そのとき、頬に冷たいものが当たった。
ぽつり、ぽつりと落ちてきた雨は、すぐに数を増やす。
迷う間もなく、小屋へ避難した。
木の扉を閉めると、外の雨音が少しだけ遠くなる。
――雨。
そういえば、レオノールと初めて会った時も雨が降っていたな。
濡れた髪、冷えた指先、泣きそうな顔。
その日のことが、雨音と一緒に蘇る。
自分は二人を交互に見た。
カーリナはまだ納得していない顔で、レオノールは唇を尖らせている。
だが、雨の午後の小屋の中という空気が、さっきの喧騒を少しだけ丸めている。
「雨の午後、でいいだろ」
自分が言うと、カーリナが一瞬固まり、レオノールが瞬きをした。
どちらも納得していない様子だが、反論はなかった。
言い返す前に、雨音が言葉を飲み込んだのかもしれない。
こうして、自分たちのパーティー名は『雨の午後』に決まった。
***
ナヨキ東に来て三日目、
結局、二階層を眺め回してもスネークマンショーの気配はなく、
今日も自分たちは三階層へ降りた。
砂時計がもう一つ落ちるなら、
浅い階層のケイリーが現実的だと判断したからだ。
三階層の奥へ進むと、空気がわずかにねじれる感じがした。
匂いでも温度でもない、肌の表面に薄い膜が触れていくような違和感だ。
通路の角を曲がった先、広めの空間の壁際に白い鱗粉が舞っていた。
螺旋を描きながらゆっくりと落ちていく。
来た。
翅の縁が淡く揺れ、ケイリーが横滑りするように距離を取る。
ノルデ三十三階層で戦ったときと同じだ。
近寄らせず、逃げもせず、
一定の間合いを保ったままじわじわ壁際へ追い込もうとしてくる。
だが、違う。
この階層は空気が軽い。
呼吸が楽だ。
壁も床も、魔力の重みが薄い。
鱗粉の渦も淡く、螺旋が途中でほどける。
三十三階層では、鱗粉が空間そのものを満たして、視界と感覚を奪ってきた。
ここではそれが続かない。
同じケイリーでも、迷宮の深さが違えば、まとわりつく魔力の密度が違うのか。
その差が、動きと圧の差になっている。
「師匠、来ます」
カーリナが槍を構え、足を半歩引いた。
レオノールは自分の背後に回り、マジックバッグを胸に抱えている。
戦闘の邪魔にならない位置取りが、もう身体に染みついている。
ケイリーが一度だけ、翅を震わせた。
鱗粉がふわりと散り、視界の端が甘くなる――誘惑だ。
これは前へ出てはいけない。
間合いを詰めた瞬間に、横滑りで逃げられ、
壁際へ誘導されるのは分かっている。
ならばと、逃げ道を消していく。
壁に沿って回り込み、ケイリーの横滑り先を先に押さえる。
カーリナが槍の穂先を低くし、退路を塞ぐ角度を作れば、
ケイリーがこちらの意図に気づいたように、鱗粉の渦を濃くする。
螺旋が一瞬だけ太くなるが、すぐに散った。
その隙に、カーリナが踏み込む。
槍先が翅の縁を裂き、白い粉が煙のように散る。
ケイリーは距離を取ろうと横滑りするが、
先に塞いだ壁際にぶつかり、動きが止まった。
自分が一歩だけ近づき、水弾を叩き込むと、
ケイリーの輪郭が崩れ、黒い霧となって散っていく。
床に落ちたのは砂時計――ではなく、一冊の本だった。
拾い上げると、紙の手触りが妙に生々しい。
鑑定の文字が視界に浮かぶ。
日記
ページを開くが、何も書かれていない、最初の頁から最後の頁まで白紙だ。
二つ目の砂時計取得を目論んだが、
レアアイテムはそうやすやすとはドロップしないらしい。
その翌日、自分たちは朝から晩まで二階層奥を探した。
出てくるのはヴェノモススネークばかりだ。
斬れば煙になるが、次が来る、どこまでも来る。
スネークマンショーの気配はない。
倒しても倒しても、出てくるのはBランクの蛇だけだった。
最終日も夕方まで粘ったが、結果は同じだ。
五日前後でリポップするはずではなかったのか。
落ちた蛇の毒牙を、ただひたすら集めただけの五日間。
この毒牙を持っていけば、景品交換所でウロボロスと交換してくれるだろうか。
そう考え始めた時点で、負けに寄っている気がした。
「お兄ちゃん、元気出して」
小屋へ戻る道すがら、レオノールが小さな声で言った。
「でも師匠、蛇の毒牙を沢山集められましたよ」
「すごいのは数だけだな」
カーリナも槍を肩に担いだまま、気まずそうに目を逸らした。
傷心のまま小屋の扉を押し開けた瞬間、空気が違った。
見慣れない冒険者が座っている。
鎧の合わせが騎士団仕様だ。
「お迎えに参りました。次の小迷宮へご案内します」
今日でナヨキ東は終わり、次はヴァサ西。
理解するより先に体が動く。
「カーリナ、荷物」
「はい、師匠。すぐまとめます」
「お兄ちゃん、あたしも手伝う」
小屋の中が一気に慌ただしくなる。
毒牙の袋、空の日記、食料の残り、毛布。
詰めて、縛って、背負って、見落としがないかだけ確認する。
外へ出ると、森の空気が冷たかった。
ナヨキ東の五日間は、砂時計もウロボロスも取れずに終わった。
次のヴァサ西で入手できたらよいのだが。
騎士団所属の冒険者がゲート前に立ち、
一声発すると、黒い霧の中へと入っていった。
次いで自分たちもゲートへと足を踏み入れた。




