第74話 協定
「ふうーっ。ノーラちゃん最後の一撃、すごかったね」
「ありがとうお姉ちゃん。あっ、またこん棒。これで50本目だ」
30階層のサイクロプスが徘徊する奥エリアを進んでいた。
サイクロプスは木製のこん棒を握りしめた二階建ての家ほどの背丈、
薄鈍色の全身に腰には焦げ茶色の毛皮を纏い、
巨人という種族を、これ以上ないくらい素朴に表した姿である。
カーリナが小声で告げた。
「師匠、四の鐘です」
自分には迷宮の鐘の音は聞こえないため、カーリナの言葉で時間を知る。
そろそろ休憩でもと考えながら、角を曲がると、
その先を六人組の一団が通路を塞いでいた。
彼らと会うのは今日二度目である。
最初に出会ったのは三の鐘の頃、中間部屋のことだ。
──中間部屋に足を踏み入れると、先客がいた。
「珍しいな。30階層に来る冒険者が、このノルデにいるとは」
「あっ、どうも」
革鎧の男がちらりとこちらを見てボソリと呟いたので、
反射的に軽く会釈を返した。
六人か……やはり、この階層は人数がいないと厳しいのかもしれないな。
そんなことを考えていると、ひとりの女性が歩み寄ってきた。
「あなたたち、間違ってるわよ。ここは30階層よ」
三人で来たのが信じられない、という空気が丸見えだ。
「いや、30階層であっています」
そう答えると、彼女は少し困ったような、それでいて諭すような声で続けた。
「あってるって……三十階層にたった三人で挑むっていうの?
悪いこと言わないから、パーティーメンバーを補充して出直しなさい」
「おい、行くぞ。そんな奴らほっとけって、セシル」
革鎧の男がそう言い捨てると、他の仲間も奥へ向かって歩き出す。
「ちょっと待ってよ」
セシルと呼ばれた女性は、未練がましくこちらを振り返った。
「いいこと。あなたたち、もう帰りなさいよ」
そう言い残して、小走りで仲間の後を追っていった。
──そして今、再び目の前に現れた。
「こんなところまで来て、何やってるのよ! まだ、帰ってなかったの?」
開口一番、怒られた。
答える間もなく畳み掛けられる。
「それと! こんな小さな子を三十階層に連れてくるなんて、
あなたいったい何考えてるのよ」
なんで初対面の人間に説教されなきゃいけないんだ……
と内心うんざりしていると、レオノールが口を開いた。
「ううん、違うよ。
あたしがお兄ちゃんに迷宮に連れて行ってってお願いしてるの」
だがセシルは聞いていない。
「うんうん。怖かったよね。
今、お姉さんたちが安全な場所へ連れて行ってあげるからね」
そしてキッと自分を睨み、仲間に指示を飛ばす。
「ロジャー、一旦中間部屋へ戻るわよ。
キャロライン、案内お願い。
ラルフはキャロラインの盾になって。
アガサ、この子を守って。絶対離れないでよ」
「おいおい、勝手に話を進めるなよ」
「じゃあ、ここからはロジャー、リーダーのあなたが仕切ってもいいわよ」
「そうじゃなくてだな……冒険者は自己責任だ。そいつらの好きにさせろよ。
少し痛い目にあわないとわからないんだろう」
ロジャーの言葉に、カーリナが反論しそうになるのを手で制した。
余計な説明をされるのは面倒だからである。
しかし、カーリナの代わりにセシルが反論した。
「じゃあいいわよ。あたしがひとりで連れて行くから」
「それはだめに決まってるだろ、セシル」
「なんでよ、自己責任なんでしょ?」
「口の減らない奴だな」
二人のやり取りに獣人の男が笑いながら口を挟む。
「いいんじゃねぇか、セシルならなんとかなるだろ」
「あら、ジェイムズ、たまにはいい事言うわね」
「ひとこと余計だぞ」
「馬鹿言うな! ひとりで30階層を進むなんて自殺行為だぞ」
──ひとりって……自分たちは戦力として数に入っていないのか。
獣人の男が、このセシルという女性なら大丈夫、と言っていたが、
そんなに強いのか?
鑑定スキルを使う。
セシル 人族 女 37歳 錬金術師 Lv.6
錬金術師なんてジョブがあるのか、初めて見た。
だがLv.6なら、やっぱり自殺行為だ。
セシルを助けるためか、白いローブの女性が私も付いて行くと言い出すと、
弓を背負った獣人の女性も、中間部屋は近いから案内すると続く。
「じゃあ、あたしたちはこの子を送って来るから、
ロジャーたちはここで待っててね」
「ロジャーさんマズイって、セシルさんたちが行っちゃったら、
三人でどうこうできるはずがないって。僕らも一緒に行かなきゃ。
ジェイムズさんからも説得してくださいよ。
せっかく入ったパーティーで仲間割れで全滅だなんて、ごめんだよ」
「ロジャー、ラルフの言う通りだぞ。ここは折れろ。
お前だって妹が迷宮で死ぬのは嫌だろ?」
「あーもーわかった。セシル、全員でだ。
“大過の天秤”全員で中間部屋へ向かう。これでいいんだろ」
「ロジャー、ありがとう。でももっと早く決断してよね。リーダーなんだから」
「!? こいつ」
「まあまあ、ロジャーさん落ち着いて。
セシルさんは悪気があって言ってるんじゃないから」
一悶着を経て全員で中間部屋に向かうことになった。
中間部屋へ向かう途中、セシルがふいにこちらへ顔を向けてきた。
「そういえば、名前をまだ聞いてなかったわね」
「ヒデキです」「カーリナです」「レオノールだよ」
「ふーん、ヒデキ、カーリナ、レオノールね。覚えておくわ」
セシルは何か含みのある笑みを浮かべると、歩みを再開した。
──錬金術師という上位ジョブ
ジョブレベルこそ低いが、これまで出会った人にはいなかった。
この世界でどれだけ希少な存在なのか、カーリナなら知っているはずだ。
人混みから少し離れたところで、声を潜めて尋ねる。
「カーリナ、錬金術師ってそんなに珍しいのか?」
カーリナは一瞬きょとんとした顔をしてから、小さくうなずいた。
「鑑定スキルを使ったんですね。はい。錬金術師は上級ジョブです。
転職条件が特別で派生ジョブと呼ばれています。
魔法使いと鍛冶師がそれぞれLv.30が必要なんです」
「そうか……Lv.が低いのはそういう理由か」
「ひょっとして、セシルさんが錬金術師なんですか?」
「ああ、Lv.6だけどね」
さっきのロジャーや仲間たちがセシルに強く出られないのも頷けるな。
表面上は軽口を叩いていても、扱いは明らかに一目置いているようだ。
そんな話をしているうちに、先頭を歩く獣人の女性の声が飛んできた。
「みんな、こっちの角を曲がれば中間部屋だよ」
セシルがくるりと振り返る。
「ほら、もうすぐよ。あんたたちもちゃんとついて来なさい」
……まるで保護者だな。
中間部屋に入ると、先頭のロジャーが腕を組んだまま振り返った。
それに反応したカーリナが口を開いた。
「師匠、騎士の鍵を持ってるって話、してもいいですか?」
……は? おい待て、それは――と思う間もなく、声が部屋に響いた。
「騎士の鍵だと!?」
ロジャーの目が見開かれる。
すぐそばのジェイムズも、おい嘘だろ、と呆けた顔で固まっている。
少し離れた位置にいたアガサまでもが、視線を鋭くこちらに向けてきた。
セシルが興味深そうに首を傾げる。
「その鍵、そんなすごい物なの? アガサ、あの鍵を知ってる?」
「ええ。でも見るのは初めてだから、
あれが本物かって聞かれると自信はないわ。
でもこれだけは確か、そんな荒唐無稽な嘘をわざわざつく人間はいない」
……これでやっとセシルの説教から解放されるか。
胸の奥でほっと息をつく。
だが、その安堵は一瞬だった。
「でも、それとこれとは話が別よ」
セシルの声が再び鋭くなる。
「こんな小さな子を連れて来るなんて、どうかしてるわ」
「そうよそうよ」
獣人の女性がすぐさま同調し、さらに白いローブの女性までが口を開いた。
「己の力を過信した傲慢。迷宮は甘くないわよ」
三方向から責め立てられ、背中が壁に張り付くような気分になる。
「……師匠はそんな人じゃありません!」
カーリナが一歩前に出た。
「三人で29階層のスライムガールを倒したんです」
「それだけじゃないよ」
レオノールがマジックバッグを開き、中から二つの指輪を取り出す。
「そこでスライムの指輪と、あと21階層でトロールの指輪も、
ちゃんと自分たちで手に入れたんだよ」
セシルの目が一瞬で丸くなる。
「えっ……? なんで魔物の指輪を持ってるの。
……いえ、別に持っててもいいんだけど。ちょっと待って、どういうこと?
あなたたちが手に入れたってこと?」
「そうです。ボクたち三人で倒しました」
「……あたしたちも指輪が狙いなのよ。依頼なんだけどね。
もしかして、あなたたちも依頼なのかしら」
ロジャーが低い声で割って入る。
「セシル、それ以上は言うな」
「えっ?」
「そいつらは競業者だ」
ロジャーがこちらに歩み寄り、声を落とす。
「俺たちはこれから奥に向かう。お前たちがどうしようと干渉はしない。
その代わり、俺たちが何を得ようが、それは俺たちのものだ」
指輪という言葉を慎重に避けた言い回しだが、言いたいことは十分に伝わった。
「……わかりました。それで問題ありません」
ロジャーが差し出した手を強く握り返した。
紳士協定、というやつだな。
ロジャーたちは無言のまま、奥へと続く通路へ消えていった。
中間部屋には一時の静けさが訪れ、しばし一服して時間を潰した。
「……行こうか」
短く声をかけ、荷物を整えて通路へ踏み出す。
奥へ向かう石畳は薄暗く、壁の間を冷たい空気が流れる。
湿った匂いと、時折響く水滴の音を聞きながら迷宮を進むと、
前を歩いていたレオノールがぴたりと足を止めた。
「……お兄ちゃん、なんか聞こえる」
耳を澄ますと、僅かな衣擦れと、硬い靴底が石床を踏む乾いた音。
その足取りにためらいはなく、確実にこちらへ近づいている。
薄闇の向こうで、何かがゆらりと動いた。
最初は輪郭だけ――やがて、灯りがそれを照らし出す。
葡萄染めのロングドレスが揺れ、深紅の艶を放つ布地が波打つたび、
通路の壁に淡い反射が走る。
長い髪が滑るように肩をかすめ、その顔立ちは人形のように整っていた。
だが右目には黒革の眼帯がかかり、
左目だけが迷宮の闇を切り裂くように鋭く光る。
右手には淡く脈動する光を宿す何かを握りしめていた。
肌を刺すような圧力が空気ごと押し寄せ、全身の毛穴が粟立つ。
視線がぶつかった瞬間、背筋を氷で撫でられたような感覚が走った。
――間違いない、Sランクの魔物だ。
キャラクター設定
【パーティー名:大過の天秤】
メンバー数:6名
ロジャーとセシルの兄妹が中心の冒険者パーティー。
ガド地区の東部を中心に活動。
【リーダー】
ロジャー:人族、男、冒険者(Lv.50)、革の鎧、盾、細身の剣
ベテランの冒険者。ここ数年、とある富豪の依頼で魔物の指輪を集めている。
【サブリーダー】
セシル:人族、女、錬金術師(Lv.6)、革の鎧
ロジャーの妹。会話好き。ヒデキたちに魔物の指輪を集めていることを漏らしてしまう。
ジェイムズ:獣人族(犬耳)、男、暗器使い(Lv.27)、黒の外套、複数の暗器
オリジナルメンバーのひとり。素早く隠密行動が得意。
薬(毒も)の調合や野営の知識などでパーティーを支える。
キャロライン:獣人族(犬耳)、女、弓使い(Lv.24)、深紺の外套
オリジナルメンバーのひとり。ジェイムズと親類。遠距離攻撃と索敵に長けた狩人。
機敏で視力が良く、気配察知に長けている。
ラルフ:ドワーフ、男、盾使い(Lv.19)、鉄の鎧
最近パーティーに加入した。冷静な性格。前衛として活躍。
アガサ:人族、女、神官(Lv.32)、純白のローブ、槍(分割式)
追加メンバー。ラルフよりも半年早く加入した。後衛で回復と支援を担当。
昨年、オリジナルメンバーであるフローラ(人族、女、大剣使い)とガネット(人族、女、拝み屋)が迷宮で命を落とした(死因は毒)。追加メンバーとしてアガサ、ラルフが加入。




