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第69話 バニーガール

「よし、三度目の正直、今度こそ!」


自らを鼓舞するために発した空元気な言葉が、

石壁に微かに反響すると、どこか他人事のように聞こえる。


目の前に広がるのはユヴァス南の17階層。

中間部屋を出ると、乾いた空気の中にどこか甘ったるい匂いが混じっていた。


ツノが一本生えたウサギ――スパイクヘアを倒しながら迷宮奥へと進む。


本日、三つ目にして最後の迷宮。

カーリナがまとめたノルデ周辺の小迷宮リストから、

ラビットフットをドロップするバニーガールが出現する迷宮を巡って来たが、

一つ目のナヨキ東の7階層も、二つ目のヴァサ西の2階層も、

バニーガールの姿はどこにも見当たらなかった。

バニーちゃんは一体どこにいるのやら。


それにしても――


魔物のレアアイテムドロップ率があがるラビットフットというアイテム、

そのアイテム自体がレアアイテムで、ドロップするのがSランクの魔物。

そのSランク魔物に遭遇できないでいる。

理不尽ではないのだろうが、不条理である。


なるべくなら浅い階層で済ませたかったのだが……

現実はそう甘くなく、二つとも空振りに終わった。


魔物の強さは階層に比例するのだから、

浅い階層ほど、競合する冒険者たちが挑みやすく、

目当ての魔物が既に討伐されている可能性が高い。


その結果として、こうしてユヴァス南の17階層まで、

足を運ぶ羽目になったというわけだ。

3タテだけはなんとか避けたい。


17階層では一度に出現する魔物は三体。

カーリナとレオノールとの三人では苦戦していただろう。

しかし、クリスが迷宮案内を買って出てくれたおかげで、

難なく探索が行えている。


更に、ガド騎士団所属の冒険者までもクリスが手配してくれたので、

迷宮間や階層間を楽に移動できている。

非戦闘要員のため、中間部屋で待機してもらっているが、十分である。

何とかラビットフットを入手して、このクリスの貢献に応えてあげたい。


それにはまず、バニーガールと遭遇しなければ話が始まらない。

自分はSランクの魔物を引き寄せる香料を持っているのだから、

遭遇確率が高くなっているはずである。

しかし、こうも出会えないとなると、

香料の効力が切れているのかと疑ってしまう。

見た目の色が変わるでもなく、どうやって判断したらいいものやら。


「師匠、この先で通路が二手に分かれていますが、どちらにしま……す。

 って、何をやってるんですか?」

「あっ、いや、何もしてないよ。えーっと、右にしようか」

「……わかりました」


仄かに漏れ出る香料の甘い香気を嗅いでいるところを、

地図を片手に進路選択しているカーリナに見られてしまった。

香料を収めているポマンダーを鼻に付けて隙間から必死に嗅いでいるのだ、

何もしてないことはないが、特にカーリナが質問してくることは無かった。


その代わりに、レオノールが何か言いたそうな顔つきでこちらを見つめている。

匂いを嗅ぐのって、そんなに変な事かな?


「ねえ、お兄ちゃん」

「いや、だから何もしてないって」

「ううん、違うの。さっきまでの所と違って、ここっていっぱい魔物がいるよ」

「そう……なの?」


よく見れば、レオノールの耳がぴくぴくと動いている。

周囲の音を聞き分けようとしているようだ。

そのレオノールを見て、隣でクリスが小声で囁いた。


「魔物が多い……ヒデキ殿、もしかしたら、前の二つと違って、

 ここユヴァスには冒険者が立ち入っていないのかもしれません。

 最深部の一つ前の階層なので、十分考えられます」

「そう……なんですか?」


相変わらず冷静な口調だが、力強く断言するクリスの言葉には、

何か確信めいたものがある。

その言葉を聞いて、先頭を歩くカーリナが振り返った。


「じゃあ、師匠! 今度こそ、期待できるかもしれませんね」

「そう……かもね」


ラビットフット


その名を呪文のように心の中で繰り返しながら、静かに歩を進めた。


***


通路の先にうっすらと明滅する影を捉えた瞬間、

すぐさま剣を抜いたクリスの声が迷宮内に響いた。


「前方、バニーガール! 全員、警戒態勢!」

「了解、魔物視認」


カーリナが一歩前に出て槍を構え、クリスとともに前衛を張る。

それを確認して、レオノールが矢を番え、二人の間から視線をすべり込ませた。


全員の注目の先には――あの姿。

銀髪が波打ち、呂色のサロペットがしなやかに揺れ、

頭には兎耳のカチューシャ、腰には白い尻尾、足元には高いヒール。

こちらに背を向け通路奥に佇んでいる。


背中の部分は大胆に露出し、

しなやかな背筋と肩甲骨のラインが、彫刻のように美しい。


やっと出会えた――バニーガールだ。

以前、遭遇した時も、後ろ姿だったが、

これって、バニーガールのお決まりの登場なのだろうか?


「師匠、やっぱりいました!

 気をつけてください、また、”誘惑”されないでくださいよ!」


何だか、カーリナの言い方に含みがあるな。

納得がいかないまま、ワンドを構える。

そりゃ確かに、前はバニーガールに誘惑されてしまったが、

それは、特殊攻撃による”誘惑”であって、

決して鼻の下を伸ばしてデレデレしたものではない。

多少はそういった気持ちもあったけど……あれは攻撃だったのだ。

そう、あの時も、あんなふうに小さく手招きして……


――まずい。


視界がにじみ、目の奥がじんわりと熱を帯びると、

体がふわっと軽くなる感覚と共に、思考が薄霞に包まれていく。


慌てて視線を逸らし、壁に背を預けて深呼吸をひとつ。


「誘惑攻撃だ! 正面から見るな、距離を取れ!」


自分の警告に、レオノールが音もなく壁際へと移動し、

クリスは視線を低く保ったまま一歩ずつ前進を続け、

カーリナは右から回り込み、バニーガールとの間合いを詰めていく。


バニーガールは動かない。

変わらず静かに、こちらに向かって手招きを続けている。

まずいな、あの手招きをどうにかしないと、まともに攻撃すら仕掛けられない。


次の瞬間――


シュッ!


バニーガールが床を蹴り、空中で身をひねりながら回し蹴りを放つと、

カーリナの肩先をヒールの先端がかすめ、金属の擦れるような音が鳴った。


間髪入れず、レオノールの矢がバニーガールめがけて飛んでいく。

だが、バニーガールは蹴り足を折りたたみ、矢を弾き落とすように回避。

そのまま、白い尻尾がふわりと揺れると、次の瞬間にはクリスの懐にいた。


クリスが剣を構え、ぎりぎりの距離で蹴りを受け止めると、

金属音が甲高く響き、バニーガールの体が軽やかに翻る。

その軌道は、舞うようでいて殺意に満ちていた。


「カーリナ、挟み込め! ヒデキ殿、狙えたら魔法を!」


クリスの指示に応じて、カーリナが左へ回り込み、包囲の形を取る。

バニーガールはそれを見越してか、一歩下がって体勢をずらした。

そこへクリスの突きがかかる――


だが、その刹那、バニーガールの右脚がしなるように跳ね上がり、

鋭い弧を描いた蹴りが、クリスの側頭部を正確に狙ってうねりを上げる。


「しゃがんで! アクア・バレット!」


連続で水弾を放つ。

腰を落としたクリスの頭上を越え、水弾がバニーガールに襲いかかると、

その一つがバニーガールの顔面に命中した。


鈍い音と共に水飛沫が弾けると、バニーガールの体が大きく仰け反る。

背骨が弓なりに歪んだところへ、カーリナが槍を振り下ろし、

重心を乗せた一撃で、バニーガールごと石床へ叩きつけた。


仰向けに倒れたバニーガールへクリスが追撃を仕掛ける。


だが、バニーガールは両脚を交差させ、勢いを利用して跳ね上がると、

そのまま重力を裏切るような軽やかさで体を起こし、

逆回転の蹴りでクリスの足元を刈り取った。


「クリス!」


倒れたクリスの腹部へ、バニーガールの追い打ちの足が踏み下ろされた。


「このぉぉー!!」


同時に、カーリナの槍が背後から飛ぶ。

しかし、バニーガールの踵がそれを受け止め、

槍先を石床へと打ち付け、踏み潰すように押し込む。


「くっ……!」


カーリナが槍を振り上げ、踏みつけている足を跳ね除けると、

バランスを崩したバニーガールの足も高らかに上がる。

だが、そのままカーリナの頭上に振り落とされた。


鈍い音が響くと、カーリナの体が石床へ沈んだ。


「カーリナ!」


クリス、カーリナ――両前衛が倒れた。


視線の先で、バニーガールが音もなくこちらを向くと、

銀髪を揺らし、リズムよく響くヒールの音が廊下の静寂を切り開く。

呂色のサロペットが滑るように体の輪郭をなぞる。


美貌と肉体美の全てが、静謐な圧として眼前に迫ってくる。

威圧でも敵意とも違い――ただ存在そのものが、こちらの思考を鈍らせる。

そう錯覚させるほどの完成された造形。

視線が釘づけになるのを意識的に断ち切った。


「レオノールちゃん、距離を取って援護。狙えるなら脚か顔を狙って」

「うっ、うん!」


声には動揺が現れているが、矢を番えたレオノールの横顔に迷いはなかった。


「お兄ちゃん、来るよっ!」


バニーガールが音もなく跳躍した。

一直線に殺意を包んだ身体が、弧を描き自分へ迫る。


「レオノールちゃん後退! アクア・パリエス!」


目の前に水の壁が立ち上がる。

前衛のクリスとカーリナが倒れたのだ、何としても接近戦は回避せねば。

この水壁でレオノールの後退する時間を少しでも稼いでくれればよいが。


歪んだ視界の先で、跳躍の軌道を少し逸らしたバニーガールが、

壁を蹴って空中で姿勢を立て直す姿が映る。


その足を狙い、レオノールが矢を放つ。

バニーガールは即座にヒールの爪先で矢を弾いたが、

わずかに体制が崩れたように見えた。

この機を逃す訳にはいかない。


「アクア・バレット!」


間を開けず水弾を叩き込む。

三発のうち一発が肩口に命中し、バニーガールが地面へ転がった。

だがすぐに膝をつき、鋭く跳ね起きる。


「アクア・テンペス」


ワンドを振り下ろすと同時に、床面から水流が巻き上がり、

バニーガールを呑み込むように広がった。

咄嗟に体をひねったバニーガールだったが、水の嵐からは逃れられず、

奔湍の中で白い尻尾が揺れる。


そこへ重なるようにレオノールの二射目が襲う。

今度は避けきれず、矢が脇腹を貫くと、

バニーガールの身体が弾かれ、ぐらりとよろめいた。


次の瞬間、視界の端で何かが動いた――クリスだ。


膝をつきながらも剣を支えにして立ち上がり、

その隣で、カーリナも肩で息をしながら槍を握っていた。


「師匠、すみません……!」

「今度こそ、決める! 行くよ、カーリナ!」


ふたりが、同時に駆ける。

バニーガールは再び跳躍しようとする――


「させるかっ、アクア・スパエラ」


自分が放った水球がバニーガールの後頭部に当たると、

動きに一瞬の隙が生まれた。

そこへ、クリスが突進、鋭く踏み込み、

正面からバニーガールの首元に斬撃を入れる。


剣の軌跡をバニーガールが紙一重で回避したその背後から、

カーリナの槍が唸りを上げる。


「アクア――」


足止めの追撃魔法を繰り出そうとした瞬間、レオノールの矢が放たれた。

バニーガールの肩を撃ち抜き、姿勢を崩させた。

剣が、突きが――交差する。


ひときわ鋭い金属音とともに、バニーガールの身体が大きく跳ね、

その輪郭が、黒煙へと溶けていった。


静寂が、ゆっくりと場を包み込む。

石床には、黒煙のあとに――

ひとひら、またひとひらと花びらが舞い落ちていた。


残されたのは、肩で息をする仲間たちと、その不可解な美しさだけだった。


***


微かな甘い香りと、灰の苦みが鼻腔に混じる。

くゆらせた煙草の先が、静かに朱を灯していた。


背中にもたれるのは冷えた石の壁。

18階層入口で、小さく咳き込みそうになる喉を抑えながら、

抱えていた花束を見つめた。


戦いの末に手に入れた唯一の戦利品――

淡い紫の花弁が、かすかに光を帯びて揺れている。


……違う。

違うんだよな、これじゃないんだよな……


求めていたのはラビットフット。

魔物のレアドロップアイテムで、

持ち主の幸運を引き上げるとされる兎の足のアクセサリ。


この花では、エルンストを出し抜けるとは思えない。

次に会うとき、きっと奴は涼しい顔で言うだろう。


手に入らなかったんですか? まあ、運の問題ですから、とかなんとか。

それから――買え、と言ってくるに決まってる。


……そう思うと、肩に乗った疲れがずしりと重く感じた。


「はあ……」


深く息を吐き出すと、煙が天井へと溶けていった。


視界の先では、カーリナとクリスが腰を下ろし、薬草を手当てし合っている。

前衛のふたりは激しい接近戦の直撃を受けていた。

思ったよりも動けるようで安心したが、しばらくは休んでもらった方がいい。


その傍らで、レオノールが床に座り込み、小物類を並べていた。

ドロップアイテムの整理中だ、いつも通りどこか楽しげに見える。


石の床に、スパイクヘアからの戦利品である兎の角、兎肉が並ぶ。

ふと、レオノールの前にクリスが歩み寄った。


「ん? それ……見せてもらってもいいかな?」


何気ない調子で、レオノールの手元を覗き込みながら、ひとつの物を拾い上げる。

指先でつままれたのは、何かふさふさした――小さな灰色の物体だった。


「カーリナ! ちょっと来て」


呼びかけられたカーリナが手当てを中断し、クリスの元へ歩み寄る。

その顔を見るなり、カーリナの表情がぱっと変わった。


「あっ、それって……クリス、そうだよね?」

「うん。間違いないと思う」

「ノーラちゃん、これ、どこで拾ったの?」


カーリナの声が、少しだけ大きくなる。

詰め寄るような勢いに、レオノールがたじろいだ。


「え、えっと……それ? ……死んだおじいちゃんにもらったの」

「これってノーラちゃんのおじいちゃんの形見なの?」


二人が顔を見合わせている。

何か、レアアイテムでも拾ったのだろうか?


「……ヒデキ殿、これ、ラビットフットです」


静かに告げたクリスの声が、どこか現実離れして響く。

カーリナが、こちらを振り返る。


「師匠、ノーラちゃんが持ってました」


自分の中で、何かが反転した。

探し求めていたラビットフット。

迷宮を三つ巡り、危険を冒して戦ったその果てに――

それが、最初から傍にあった?


しかも、純粋に、仲間のために頑張ってくれたレオノールが持っていた。

胸の奥で何かがざらりと擦れた。


もしかすると、自分たちが「覚醒の鍵」を入手できたのも、

レオノールが持つラビットフットの加護によるものだったのかもしれない。


あまりに皮肉で、あまりに温かくて、

思わず顔を覆いたくなるような想いが、心に渦巻いた。

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