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第62話 六人

宿屋の窓から差し込む朝の光が、まだ眠気の残る目を容赦なく刺してくる。


今日もナヨキ北の迷宮――移動には当然、例の転移ゲートを使うことになる。

あの胃が反転するような感覚を思い出しただけで、

口の中に酸っぱいものが込み上げてくる。

ゲート酔いのことを考えると……どうにも気分が晴れない。


「おはようございます、師匠」

「お兄ちゃん、おはよう」


カーリナとレオノールが朝の挨拶をしてきた。

二人共、身支度を終えているがまだ眠そうな表情である。

レオノールなどは小さくあくびまでしている。

そんな二人を見て、自分もようやく腰を上げた。


簡単に荷物の確認を済ませてから宿の階下へと降りると、

すでに朝食の支度は整っており、三人並んで食卓につく。

パンとスープ、干し果物の素朴な朝食を取りながら、

今日の予定を頭の中で改めて整理した。


今日は、ナヨキ北の迷宮へ任務に向かう騎士団のクリスたちに同行する形で、

迷宮内の各階層を巡ることになっている。

彼女たちの案内で、各階層の魔法陣を巡る予定だ。


これで迷宮内の全階層を自由に行き来できるようになれば、

下層に出現するAランクやSランクの魔物とも、

任意のタイミングで戦えるということだ。

レアアイテムを狙っての戦闘もしやすくなるし、

魔法の鍵や指輪といった有用な装備も、

今まで以上に効率的に集められるだろう。


朝食を終え三人で宿を出た。

早朝にもかかわらず、ノルデの街はすでに活気を帯び始めており、

荷車の音や商人の掛け声が通りを賑わせていた。


***


騎士団詰所の正面が見えてきたころ、ふとカーリナが歩調を緩めた。


「師匠、今日でナヨキ北を踏破ですね」

「ああ、そうだね。ところで、ナヨキ北って何階層まであるんだ?」

「確か、現在は15階層までだったはずです」


15階層か……想像よりも深いんだな。

小迷宮だからもっと浅いと思っていたが、

すべての魔法陣を踏むとなると、それなりに時間がかかりそうだ。


騎士団の詰所の前に立ち止まり、深呼吸を一つ。

さて、今日も一日、長くなりそうだ。


騎士団詰所は、黒色の石材で造られた質実剛健な建物である。

通りに面した正面扉は分厚い鉄製で、

いかにも外敵に備えた防御拠点といった佇まいをしている。

普段は開放されているのだが、

この時間帯はまだ始業前なのか、静かに閉じられていた。


正面扉の中央に鈍く黒光りする金属製のノッカーが取り付けられていた。

厚みのある輪の上部には、

騎士団のエンブレムと同じ剣とクジラを模した装飾が施されている。

軽くノックをすると、内側から応答の声が返ってきた。


カーリナが一歩前に出て、名前と用件を伝えると、

ほどなくして扉が内側へと開く。

中から現れたのは、犬耳の女性騎士――クリスだった。


「おはようございます、ヒデキ殿」

「おはようございます、クリスさん。今日はよろしくお願いします」

「こちらもご同行いただけるとあって心強いです。さあ、こちらへどうぞ」


クリスは動きやすそうな革鎧の上に、

騎士団のエンブレムが入ったケープを羽織っていた。

ケープの着用は、騎士団が正式任務中であることを示すためのものであり、

特に外部からの視察者が同行する任務では、

識別と威信を保つ目的があるのだという。

お堅いけど、それが騎士団ってやつか。


クリスの後ろから、別の耳がぴょこりと顔を出した。

猫耳を揺らしながら、明るい声が飛んできた。


「おっはよ、ヒデキ殿。今日もばっちりこなすから、安心してよね」


キャットだ。

調子のいい軽口は変わらず、猫耳もご機嫌そうにぴくぴく動いている。


「おはようございます、キャットさん。今日は頼りにしてますよ」

「任せときなって」


軽いやり取りのあと、転移ゲートを使うため詰所の裏手の小屋へと回る。


ゲートが設置されている小屋の前に、見覚えのある姿が立っていた。


「おっ、ヒデキさん。久しぶりだな」


明るい声の主は短髪の虎耳――トラヴィスの姿があった。


「トラヴィスさんもノルデに派遣となったんですか?」

「いや、オレは最初っからノルデだよ。迷宮封印任務には呼ばれなかったがな」


口の端を上げて笑うその様子は、以前と変わらず陽気で頼りがいがある。


「相変わらず元気そうで何よりです。今日は一緒に迷宮ですか?」

「そうそう、今回は案内役兼護衛ってとこだな。あっ、アイリスも来てるぜ」


その言葉と同時に、数人の見習い騎士を引き連れたアイリスが現れた。

羊耳が風に揺れ、優しい笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってくる。


「あら、ヒデキさん。おはようございます。

 この子がノーラちゃんね? 話はクリスから聞いてるわ」

「はい、今日は彼女もご一緒させていただきます」


レオノールは緊張しつつも、ぺこりと頭を下げた。


「レオノールです。みなさん、今日はよろしくお願いします」

「ふふ、カワイイ子ね。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。

 あたしはアイリス。よろしくね、ノーラちゃん」


後ろに控える見習いたちはまだ幼さが残る顔立ちで、

緊張しているのか言葉も少ない。

アイリスが軽く背中を押して、彼らを小屋の方へと導いていった。


「それではヒデキ殿、我々は迷宮の成長確認に向かいます。

 準備が整い次第、ゲートを起動しますので、どうぞこちらへ」


クリスの言葉にうなずきながら、小屋の中へと足を踏み入れる。


小屋の中は薄暗く、外の陽光が遮られた静けさが満ちていた。


「それじゃ、開けるぞ」


トラヴィスが奥の金属製の扉に手をかける。

専用の鍵を鍵穴に差し込んで回すと、カチリと小さな機械音が響いた。

扉が軋むように開かれると、その向こうには台座がひとつ据えられていた。

トラヴィスがその上に魔玉を置き、何か呪文のようなものを唱えると、

ゲートの縁がうっすらと青白く光り始め、

すぐにゲート全体がもやのような黒い霧へと変わる。

現実感を失わせる異質な景色。


ゲートは今日も、見慣れても慣れない異空間の口を開けていた。


先陣を切ったトラヴィスに続くべく、

小さく息を吐いてから覚悟を決めて一歩を踏み出す。


一瞬で感覚が反転する。

視界がひっくり返り、音が遠のき、胃が軋むように波打つ。


……気持ち悪い。


出た先で、思わず膝に手をついて足を止めた。

この不快感はやはり何度経験しても慣れるものではなかった。


「大丈夫ですか、師匠?」


背後からカーリナの心配そうな声がかけられる。


「……うん、何とか」

「なんだ、ヒデキさん。まだ慣れてないのかよ」


横でトラヴィスが苦笑する。


「慣れないですね。ハハハ……ふぅーっ」


吐き気が引くのを待ちながら、深呼吸を一つ。

目に入る風景は昨日と変わらず、木造の壁に囲まれた質素な空間。

窓から差し込む朝の淡い光が、まだ静まり返った内部をほんのり照らしていた。


扉を開けて外に出ると、朝の冷たい空気が肌を撫でた。

小屋の周囲は背の高い草と疎らな樹木に囲まれており、

見渡す限り人の気配はない。

ここが迷宮の入口に隣接するという以外、何も特別なものはない。


すでにアイリスは見習い騎士たちに指示を出していた。

掃除用の道具を手渡し、草むしりの範囲を伝えている。


「よし、じゃあ、行くか」


横にいたトラヴィスがそう声をかけ、こちらを振り返る。

手を振るアイリスに軽く頷き返し、改めて迷宮の方へ目を向けた。


***


迷宮に入ると、昨日と変わらぬ静けさが出迎えた。


「あのー、実は昨日ですね。五階層の入口までは到達済みなんですよ。

 ですので、今日は五階層の中間部屋からでお願いします」


自分がそう伝えると、クリスは静かに頷いた。


「昨日も来られていたのですね。了解しました。

 では、以降の階層を順にご案内します」

「じゃあ、五階層の中間部屋からだな」


トラヴィスに続いて自分たちも魔法陣に踏み入れると、

全身が香色の光に包まれた。



6階層、7階層、8階層……


各階層の中間部屋と入口の魔法陣をテンポよく転移していく。

転移の度に光に全身が包まれるのは仕方がない。

一回、二回なら問題はないが、こうも何度もくり返していると、

目がチカチカして、軽く眩暈を覚えた。


転移は魔法陣内に突っ立っているだけなので、贅沢は言えない。

15階層まで歩くことを考えれば、眩暈程度で弱音を吐いていられない。

目を瞑ったままでやり過ごしていると、やがて15階層の中間部屋へと到達した。


「ここから先は、我々の調査対象となります」


クリスがそう言って、腰の剣に軽く手を添えた。


「下層への階段があるかどうか……ってことですね」


自分がそう返すと、キャットが軽く頷いた。


「そう。急に迷宮が成長するなんてことはまずないけどね。

 まあ、これも騎士団の仕事だからさ」


軽く打ち合わせを終えると、自分たちは迷宮の奥へと進み始めた。

足音が吸い込まれるような静寂の中、前方に気配の歪みを感じた。


「……なんか来るよ」


レオノールが小さく呟いた直後、

暗がりから現れたのは、棍棒を構えた三体のブルーオーガだった。

青い肌に筋肉質な体躯、鋭く濁った目。

ひときわ太い唸り声をあげながら、青鬼たちは同時にこちらへ突進してくる。


「右は任せてください!」


カーリナが一体に向かって駆け出すと、

躊躇なくキャットは左の青鬼へ走り出し、

中央の一体に向かうクリスの姿を確認してから、

自分も慌てて懐からワンドを取り出した。


出遅れを取り戻すため、戦闘狂の前衛三人がたどり着く前に、

敵さん目掛け水弾を連射する。

クリスたちの間をすり抜け、水弾が青鬼たちを襲う。


クリスとキャットは、身構えながらこちらに振り返ったが、

カーリナだけがその足を止めず青鬼に一閃。

その間もクリスとキャットはまだ固まったまま、

状況を飲み込めないといった感じだ。

そりゃびっくりもするか、脇を水弾が飛んでいったんだもんな。

一言、声をかければ良かったと反省していると、


「クリス! キャット!」


カーリナが発した声で、二人が駆け出したのを確認してから、


「撃ちます!」


もう一度、青鬼たちに水弾を放つ。

あらかじめ宣言していたため、今回はクリスたちも驚かずに対応していた。

流石に15階層の魔物ということあって、水弾では簡単に倒れないが、

ダメージはあるようで、被弾する度にその足が止まる。


前衛三人と中衛からの魔法攻撃によって青鬼が一体ずつ黒い煙に変わっていく。

最後の一体を倒したところで、キャットが早足で近づいてきた。


「ヒデキ殿! なんで? 今の魔法? いつから?」

「まぁまぁ、落ち着いてください。最近、使えるようになりまして――」

「えっ!? なんで、なんで? だって冒険者だったでしょ?」


確かにキャットが言う通り、自分のジョブのひとつには冒険者がある。

しかし、自由にジョブを取っ替え引っ替えできてしまうのだ。

本当のことは言えないし、ここはジョブを変更したとでも言っておこうか。


視界に右手の水の指輪が映る――そうか!

カーリナの受け売りだが、この指輪は魔法使いジョブでなくとも、

水魔法が使えるという優れものだったはずだ。

これなら魔法使いのジョブに触れずとも説明ができる。

よし、この指輪のせいにしよう。


「えーっと、なんでと言われると、これのおかげです」

「右手……? 何それ?」

「違うってキャット! そっ、それ、水の指輪じゃないですか!」


今度はクリスが指輪に食いついてきた。


「あっ、ご存じですか?

 これを装備すると、水の属性を強化するらしいんですよ。

 と言っても、昨日手に入れたばかりなんですけどね――」

「「……」」


状況を理解するのが困難なのだろうか。

二人は何も言わなくなってしまった。

説明は逆効果だったかな?

魔法と指輪ってそんなに珍しいものなのだろうか。

ともかく、質問攻めは免れたようで一安心だ。

何故、自分がワンドを持っているのかとつっこまれたら、

二人が納得のいく言い訳を思いつかないからな。


***


その後もブルーオーガとの戦闘を何度も繰り返し、

15階層の最奥へと辿り着いた。

何もない壁に手をつき、振り向いたクリスが口を開く。


「階段はないようですね。では、戻りましょう」

「え!? それだけですか?」

「はい。階段が無いことが確認できたので、

 本日の任務はこれで一区切りですね。

 詰所に戻って、迷宮の成長は確認されずと報告すれば完了です。

 お疲れさまでした」

「あっ……そうですか……」


何だか肩すかしを食らった気分でいると、

見兼ねたキャットが声をかけていた。


「だから言ったじゃんヒデキ殿。迷宮が急に成長するないんだって」

「確かに、そう言ってましたけど、

 こうもあっさりと終わるとは思ってなかったので。

 因みにキャットさん、迷宮の成長って頻繁に起こるものなのですか?」

「んーっ、この迷宮の15階層ができたのが50年前だから……

 成長速度からいうと、5年以内に下層ができてもおかしくないかなーっ」


5年……迷宮とのお付き合いは長期スパンで考えないといけないんだな。


***


中間部屋へ引き返していたその時だった。

前方の通路に、ひときわ異質な気配が現れた。


影の中に潜んでいたその姿――輪郭だけが、わずかに闇から浮かび上がった。

帯刀した女の鬼だった。


白銀の髪が肩のあたりで揺れ、

額から前方に伸びた二本の角が、薄明かりの中で鈍く光っている。

紺色の袴の裾から覗く黒色のロングブーツ、上半身は黒の詰襟風の装束。

どこか大正時代の制服を思わせるような威厳と気品が、

その姿からにじみ出ていた。


長身で均整の取れた身体が静かにこちらを見据えている。

ただ、動いていないのに、全身の毛が逆立つような圧力がある。

空気が張り詰め、息を飲む。

あの目が、明らかにこちらを認識していると感じた。


ヤバい。

そう感じた瞬間には、すでに言葉が漏れていた。

一行の足が止まり、誰もが言葉を飲み込んでいる。

魔物の気配というより、存在そのものが異質だった。


この魔物、明らかに格が違う。

間違いなくSランク魔物だ。

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