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第58話 東の街

天幕の出入り口をそっと開けると、冷たい朝の空気が肌を刺す。

耳を澄ますと、かすかな物音が漂ってくる。

誰かが布を揺らす音、足音ともつかない微かな砂利の擦れ、

遠くで低く交わされる声。

まだ白み始めたばかりの空の下、視界には何も映らなくとも、

確かにこのキャンプの一角が目覚めつつあるのを感じることができた。


「よし、挨拶しに行くか」


そう言って振り返ると、荷物を背負ったカーリナとレオノールが静かに頷いた。

二人の間から見える天幕には、

簡素な寝台とテーブルだけが無言のままそこに佇んでいる。

それと……薔薇精油の香りだけが、まだ漂っていた。


今日からは、新しい街だ。


***


まず向かうのはボスコのところ。

彼はいつものように馬と呼吸を合わせながら、その鼻先をそっと撫でていた。


「おはようございます、ボスコさん」

「おう。もう出るのか」

「はい。今日からノルデです」

「昨日の酒は、旨かったな。いい祝賀会だった」

「ええ、喜んでもらえてよかったです」


レオノールの顔を見たボスコが頭を優しく撫でた。


「ノーラ、元気でな」


ボスコの言葉に、レオノールが笑って答える。


「また会えるよ」


その返事を聞いて、ボスコは目を細めると、

もう一度レオノールの頭を優しく撫で無言で頷いていた。


***


鍛冶師ギルド地区にあるいつもの作業場では、

ローレンツとアイノさんが並んで立っていた。

自分たちの姿を見つけると、アイノさんが駆け寄って来た。


「ノーラちゃん……元気でね……」

「うん。アイノさんもね」

「うぅ……」


アイノさんはレオノールを抱きしめ、

ぽろぽろと涙をこぼしながら鼻をすすり始めた。


「アイノさん……苦しいよ……」


それでもアイノさんは話そうとせず、余計に強く抱きしめる。

まるで、大事な宝物を二度と手放さないと誓うように。


ふと視線をずらすと、ローレンツがそっぽを向いている。

目の端が赤い……泣いているのか?


「ローレンツさん――」

「うるせぇ。ほら、餞別だ」


差し出されたのは小さな包み。

手に取ると、カサカサと軽い音がする。

……金平糖か?


「例の魔道具の、あの……ちっせー石だ。試しに作った。

 太さはバラバラだからよ、使えるやつだけ使え」


ローレンツが目を合わせずに言う。

例の魔道具とは、自分が何度説明しても火を出す魔道具としか認識しない、

オイルライターのことである。


オイルライターの構造を説明した時、

ローレンツはまるで宝物でも見つけたように目を輝かせていた。

あの時見せたフリントを似せて作ったということか。


「ありがとうございます。大事に使います」

「まあ、足りなくなったらいくらでも作ってやるから、いつでも来い。

 ノーラを連れてくるのを忘れるなよ。アイノも待ってんだからな」


後ろでレオノールをようやく放したアイノさんが、

涙をぬぐいながら手を振っていた。


「気をつけてねー!」


ローレンツは何も言わず、ただ腕を組んで自分たちを見送っている。

その顔は、やっぱりどこか寂しそうだった。


カーリナとレオノールが自分の後ろに続く気配を感じながら、

足をゲート広場へと向ける。


***


ゲートのある広場へ到着した。

そこには巨大な車輪付きのゲートが設置されていた。

近くには見張りの騎士が立っており、自分たちに気づくと敬礼をした。


「ヒデキ殿! ゲートのご利用ですか?」

「おはようございます。ノルデへの転移をお願いします」

「承知しました。少々お待ちください」


騎士は自分が差し出した『騎士の鍵』を確認すると、

慌ただしく台座横の階段を駆け上がった。


しばらくして、上から声が飛んでくる。


「お三方、こちらへ!」

「カーリナ、レオノールちゃん、行こうか」


またゲート酔いか……

憂鬱な気分で重い足取りで階段を上がる。

処刑台に向かう気分ってこんな感じなのかな……

余計な想像が脳裏をよぎる。


「準備完了です。私に続いてください」


騎士がゲートに入る。


「それじゃ、行こうか」

「はい、師匠」「うんっ」


ゲート酔いだけは勘弁してほしいと思いながら足を踏み入れた。


***


視界の歪みが元に戻ると、小屋の内部が見えた。

今回はゲート酔いもなく……うっ、

急激に胃の裏を押されるような不快感に襲われた。

やはりゲート移動は苦手だ。


ゲートを抜けた先は、扉がひとつだけある質素な木造の小屋。

ここは騎士団詰所のゲート小屋だろう。

キュメンでも同じような小屋からゲート移動したことがある。

どこも同じような作りなのだな。


うっ……


吐き気が我慢できず、小屋の外へ出ようとしたときだった。


「おつかれさまでした」


声の主は、難民キャンプから同行してきた騎士――敬礼までしてくれている。


「あっ、ありがとうございました。

 ちょっと酔ってしまったので、小屋の外で休ませてもらいます」


自分が頭を下げると、この小屋の見張りの騎士だろうか、

別の騎士が眉をひそめながらこちらを見ている。

不信に思うのも当然か。

そんな中、敬礼している騎士が小声で耳打ちした。


「(おい、お前も敬礼)」

「えっ?」


小屋の騎士が戸惑いながら訊ね返している。


「(よく見ろよ。あれだよ、あれ。騎士の鍵)」

「ん……あっ、失礼しました! 直ぐに水をお持ちします」


小屋の騎士は目を大きく見開き、短く敬礼した後、慌てて小屋の外へ出て行った。

……この鍵、本当に扱いが違うな。

団長のユーハンと副団長のラウリの二人しか持っていない鍵らしいから、

ガド騎士団の象徴であり、敬意を払う対象なのだろう。

騎士団の象徴とも言えるこの鍵を持つ以上、

団員の前では恥ずかしい姿は見せられないな。

自覚せねばならない。


小屋の外、ゲート酔いで使いものにならない恥ずかしい姿をしばらく晒した後、

ノルデの街の中央へ向かった。


刺すような日差しと喧騒が押し寄せてきた。

革の擦れる音、荷車の軋み、金属を打つ音。

焦げた香辛料と乾いた土のにおいが鼻腔を刺激する。

ノルデの街は、まさに冒険者たちの街という空気に満ちていた。


南側には教会が管理する田畑や穀倉が広がり、

東と西にも管理区が広がっているのが見える。

以前ユホから聞いた通りなら、宿は東の第2管理区に、

各ギルドや店は西の第3管理区にあるはずだ。


まず宿を取ろう。

迷宮の近くで宿が埋まってしまったら困るからな。


***


「師匠、ここなんかどうでしょう」


カーリナに案内され、小さな三階建ての宿屋に入る。

扉を開けると、木の香りがふわりと広がり、

受付には中年の女性が柔らかな笑みを浮かべていた。


カーリナの手際で交渉はすぐに終わり、三人部屋を押さえることができた。

部屋は東南向きの角部屋で、窓からは日の光が差し込んでいる。

簡素な作りながらも清潔で、旅の疲れを癒すには十分だった。


荷を置いてから、財布の中身を改める。

これから迷宮探索に本腰を入れるにあたり、物資補給が急務だな。


「よし、それじゃあ、探索は明日からとして……

 今日は買い物だ。武具も見に行こう」

「はいっ」「うん」


迷宮で金を稼ぐためには装備が要るが、その装備を買うためには金が要る。

……うん、見事な堂々巡りだ。

我ながらどうしたものか。


……いや、建前はともかく、本音は別にある。

魔法使いらしく見える装備が欲しい。


脳裏に浮かんだのは、魔法指南役ガイの姿だった。

妙な服装と奇妙な存在感。なのに、不思議と説得力があった。

第一印象って、やっぱり大事なんだよな。

だからこそ、まずは杖だ。

できれば黒くて細くて、金属の装飾が少し入ってて――


そんな理想を胸に抱きながら、武器屋が立ち並ぶ第3管理区へと足を進めた。


***


第3管理区まで足を運んだのだから、

騎士団詰所へ顔を出しておくのも悪くないだろう。

騎士の鍵を持っていれば、特に許可も要らないだろうが、

何事も事前に話を通しておくに越したことはない。

迷宮の情報も何か得られるかもしれないしな。


「カーリナ、ちょっと騎士団詰所に寄ろうか」

「はい、師匠」


騎士団詰所に入り、

窓口に向かったカーリナが受付の騎士に迷宮利用の旨を伝えると、

受付の騎士は慣れた様子で何枚かの紙を取り出した。


「この用紙に必要事項を記入してください。

 こちらは隣の窓口で、小屋の使用許可申請と一緒に提出してください。

 最後にこの書類に所属長のサインをもらって、

 再度こちらに提出をお願いします。

 申請は利用日の十日前までにお願いいたします。

 取り消しの場合は三日前までにご連絡ください」


随分と事務的な対応だな……役所とはどの世界も似たり寄ったりだ。


「師匠、よろしいでしょうか?」


カーリナの声に呼ばれて、受付に騎士の鍵を提示すると、

受付の騎士がその鍵を見て一瞬で顔色を失った。

手元に広げていた申請書を、慌ててくしゃくしゃに丸め、

素早く机の下へと押し込む。


「さ、さあ、どうぞどうぞ。すぐに係の者を呼んでまいります」

「いえ、使いたいのは明日で、まだどの迷宮に行くかも決まっていないんです」

「そうでしたか。それでしたらこちらで小迷宮のご相談をお受けいたします。

 どうぞ、あちらの椅子でお待ちください」


受付の騎士が慌ただしく地図を広げると、

カーリナがそれに付き添って相談を始める。

自分とレオノールは用意された椅子に座り、

差し出されたお茶をすすりながら様子を眺めていた。


「お茶おいしいね、お兄ちゃん」


レオノールが呑気にお茶を飲んでいる姿を見ると、何だか緊張感が薄れていく。

カーリナがいてくれて助かったな。


しばらくして、相談を終えたカーリナが戻ってきた。


「師匠、ナヨキ北の小迷宮にしました。ゲートは明日から使えます。

 明後日以降なら迷宮そばの小屋使用許可が下りたので、寝泊まりができます。

 毎回宿に戻る手間も省けますね」

「いいね。そうしようか」


騎士団詰所を後にしようと出口へ向かうと、見知った顔が二つ入ってきた。


「あれ? 何してるんですかヒデキ殿?」


馴染み深い、どこか気軽さのある口調はキャットだった。

その隣にはクリスもいる。


「小迷宮の探索準備ですよ。クリスさんたちはどうしてノルデに?」

「わたしたちは討伐活動のためです。ノルデ周辺の迷宮は封印対象外ですけど、

 定期的に討伐しないと魔物が増えてしまいますから」


クリスが穏やかに説明を加えた。


「そうだったんですか。私たちもちょうど探索先を決めたところです」

「どちらに行かれるんです?」

「ナヨキ北の小迷宮です」

「ああ、それなら明後日にちょうどわたしたちもナヨキ北へ行きますよ。

 ご案内しましょうか?

 今日、申請されてもゲートが使えるのは10日後です。

 正規の手順を踏んでおいて、

 明後日わたしたちと移動するのはいかがでしょうか?」


カーリナが小さく笑って口を挟んだ。


「クリス、そこは問題ないよ。だって、師匠は騎士の鍵を持ってるから」


その言葉を聞いた途端、クリスとキャットが揃って目を丸くした後、

互いに視線を交わし慌てて背筋を伸ばした。


……本当に、この鍵の影響力は凄いな。


そういえば、二人の姿を祝賀会で見かけなかったけど、何かあったんだろうか? 

後で聞いてみるのもいいな。


クリスは気を取り直した様子で再び口を開いた。


「ヒデキ殿は冒険者でいらっしゃいましたよね?

 いつでも移動できるように、ナヨキ北の全階層をご案内しますよ」


一度訪れた階層は魔法陣で自由に移動できるから、

その提案はまさに願ったり叶ったりだ。


「それは助かります。ぜひお願いします」


こうして、迷宮探索の計画がさらに効率よく整っていった。

キャラクター設定


エクトル

ノルデの宿屋『灰色の猫亭』の宿主

妻:ハリエット

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