第51話 新たな依頼
――まぶしい。
薄く開いたまぶたの隙間から、強い光が差し込んできた。
天幕の布越しに透ける朝日……いや、もう昼の光かもしれない。
体の奥に沈み込んだ疲労が抜けきらず、全身がどこか鈍く重たい。
筋肉の節々が軋み、腕をわずかに動かすだけでも鈍い痛みが広がった。
指先まで痺れるような疲労が残り、
関節は固まりきったようにぎこちなく、足を伸ばすだけでも違和感があった。
昨日の激戦の余韻が、まだ身体に深く染みついている。
戦いを生き延びた代償として、
この身体に残る鈍痛は、ある種の勲章のようにも思えた。
寝返りを打つと、薄い寝台が小さくきしむ。
この感触にも、もう慣れたものだ。
こちらの世界での宿泊は、ふかふかのベッドとは縁遠い。
深く息をつきながら、天幕の中を見渡すと、カーリナとレオノールの姿はない。
すでに起きて出て行ってしまったようだ。
気を使われたのだろうか、起こしてくれればいいのに。
外からは鎧の擦れる音や、低く交わされる会話の断片が聞こえ、
煮炊きの香りが鼻をくすぐった。
天幕の隙間からは涼やかな風が入り込み、かすかに湿った土の匂いが混じる。
涼やかな風が地面を撫で、
昼の陽射しがそれをじわじわと暖めていくのを感じた。
いい加減起きるか。
寝台から足を下ろし、手をついてゆっくりと上半身を起こす。
固まった関節がぎしぎしと鳴り、背筋を伸ばすと鈍い痛みが広がった。
まずは水で顔を洗って目を覚まそう。
天幕の布を払いのけようとした瞬間、外から軽い揺れとともに声がかかった。
「ヒデキさん、いますか?」
聞き覚えのある声だ。
入口の布を軽くめくると、そこには笑顔のユホが立っていた。
「あれ? ユホさんも派遣されてたんですか?」
「ええ、たった今、到着しました。
迷宮封印が完遂するまでの周辺護衛要員として参加します」
「そうでしたか」
「そうそう、キャンプに残っていたアイテムを売却しておきました」
そう言って、ユホが革袋を差し出すと、
ジャラジャラという心地よい金属音が響いた。
そういえば、回収したドロップアイテムをキャンプに置きっぱなしだったな。
あれを売ってくれたのか。
その音を聞きながら、早くもその使い道を考えていた。
貯めておいても仕方がない、
ここはぱーっと、紅灯緑酒に繰り出してだな、
いや待てよ、全てタバコに使った方が良いか、
いつまでも騎士団から報酬としてタバコが貰えるとも限らないしな。
受け取った袋の重さを確かめながら、袋の口を少し開く。
金貨と銀貨がいくつか、光を反射して揺れていた。
「結構な額になりましたよ。
これなら、装備の修繕や補充に十分充てられると思いますよ」
「なっ、なるほど……そうですね。これでみんなの装備が一新できそうですね」
ユホの言う通りだ。
散財している場合ではない、装備に使わねば。
それに、アイテムを拾い集めたのはレオノールだ。
少なくとも、レオノールのために使わなければ。
そして……余ったらタバコを買おう。
「今は、物資が不足しているので、平時に比べ買い取り額に色が付くようです」
「そうなんですか」
「それじゃ、私はこれで。
迷宮封印の警備があるので、また何かあれば声をかけてください」
「助かりました。ありがとうございます」
軽く手を挙げると、ユホは笑顔のまま、足早に人ごみの中へと消えていった。
残された革袋の重みをもう一度確かめる。
これまでの探索で手に入れた素材を売却した報酬としては悪くない額だ。
カーリナの槍や自分の防具の状態が脳裏に浮かぶ。
そろそろ装備の見直しが必要かもしれない。
あっ、会話の流れで聞きそびれてしまったが、
ユホはどこでアイテムを売ったのだろう。
場所を聞いておけば良かったな。
難民キャンプに戻ったら、商人を探してみるか……
そんな考えを巡らせながら、革袋を寝台に置き、天幕の外へと向かった。
日差しが強く、空は雲ひとつない青空が広がっていた。
***
広場の一角に目を向けると、カーリナとレオノールの姿が見えた。
二人は食事を終えたのか、そばで談笑している騎士たちの話に耳を傾けている。
「師匠!」
カーリナがこちらに気づくと、弾むような足取りで駆け寄ってきた。
後ろから、レオノールも小走りでついてくる。
「師匠、お昼まだですよね?
団長がちょうど戻ったので、『ヒデキ殿も一緒にどうだ』って言われました」
ユーハンからの誘い、これはただの食事会とは思えない。
何か話があるのは間違いないだろう。
「お兄ちゃん、お話があるってことかな?」
レオノールが小さく首を傾げながら、こちらを見上げた。
「まあ、そうだろうね」
昼をとうに過ぎた広場だが、騎士たちが簡易テーブルで食事を取っている。
一斉に食事休憩を取れないから、時間差で食事を取っているのかもしれない。
その一角に、ユーハンとラウリの姿が見えた。
「行くか」
カーリナとレオノールを連れて、ユーハンたちのいる場所へ向かう。
ユーハンの前に並べられた食事は、硬そうなパンに塩漬けの魚、
乾燥させた果物が皿に載せられ、湯気の立つスープの香りが鼻をくすぐった。
「ヒデキ殿、参られたか」
ユーハンに軽く頷くと、向かいの席を指し示した。
ラウリも静かに視線を向けるが、いつものように無表情だ。
簡単な挨拶を交わし、食事に手を伸ばす。
パンをちぎって口に入れると、想定通り固い。
スープで少しふやかしながら食べるしかなさそうだ。
塩漬けの魚はしょっぱかったが、
薄味のスープで流し込むのに、ちょうどいい味だった。
カーリナとレオノールも、黙々と食事を進めている。
二人はまだ食事を取っていなかったのか。
スープにパンを浸していると、ユーハンが口を開いた。
「迷宮封印は順調に進んでおり、現在は最終段階に入っています。
決して迷宮には近づかないようにお願いします」
「わかりました。全て終わるまであと何日かかるのですか?」
「あと六日はかかります」
「そんなにですか……大変ですね」
食事を進めながらも、会話の内容は本題に入った。
「封緘の儀が始まると、魔物が断続的に地上へ湧き出てきてしまうので、
その討伐が必要となります」
ユーハンは静かに言いながら、スープを口に運ぶ。
その表情は一見落ち着いているが、微かに眉間に皺を寄せていた。
その声には緊迫した様子はないものの、
騎士団としての警戒は怠っていないのが伝わる。
「そのため、封印が完了するまで、迷宮入口の警戒を続けます」
「ええ、そのようですね。先程ユホさんと会いました」
「そうでしたか……つまり、この迷宮に関わる人員が増えるわけです。
そうなると、必然的に他の防衛に割く人員が減ります。
その補填をどうするか、という話になってくるわけです」
なにやら雲行きが怪しくなってきた。
回りくどい話をしているが、これはひょっとして――
「そこで、ヒデキ殿! 周辺集落の警らを依頼したい」
ユーハンの言葉に、レオノールが一瞬目を瞬かせた。
カーリナは、すでにやる気満々の様子で頷いている。
「こちらが、担当をお願いしたい集落です」
ラウリが口を挟み、
懐から小さな地図を取り出し目の前に広げ、三か所に印を付けた。
地図を指差しながらユーハンの話は続く。
「これら集落を巡回し、
魔物の不審な動きがないかを確認するのが依頼内容です」
「これ……結構離れていますね。
んー、馬車を出してもらえば、三か所を見回る程度なら――」
「ヒデキ殿! 人員不足なので」
「馬車は出せないと……なるほど。
んー、距離はありますが一日かけてなら――」
「ヒデキ殿! 封印が完了するまでの警らを依頼したい」
「……!? つまり、巡回は六日間ですか?」
「そういうことです」
ユーハンの力強い返答に、つい天を仰いでしまった。
封印作業が完了するまでの間、
迷宮から湧き出る魔物に備え、騎士団の大半が迷宮に張り付く。
その間、周辺の防衛を担う戦力が不足するのは、当然の流れだ。
「お兄ちゃん、それって危なくないかな……?」
自分の内省を代弁したレオノールが少し不安そうにこちらを見上げた。
レオノールの言う通りだ。
それに小さなレオノールを連れだって巡回だなんて、無理だろう。
「大丈夫だよ。もし何かあっても、ボクたちで対処できるし!」
カーリナは自信に満ちた笑みを浮かべ、拳を軽く握りしめている。
その姿は、まるでこの依頼を待っていたかのようだった。
カーリナの言葉に、レオノールは少し安心したような表情を見せた。
おいおい、カーリナよ、何を勝手にしてくれているのだ。
しかし、騎士団長の直々の依頼、これは断ることはできないだろう。
「騎士団の人手が足りないんですね、わかりました。引き受けましょう」
「おお、引き受けてくれますか!」
ユーハンは短く頷くと、ラウリも静かに地図を畳み手渡してきた。
「では、ヒデキ殿には一度キャンプに戻って頂き、
そこで細かな調整を行ってください。
迎えを送りますので、それまで天幕でお待ちください」
そう言い残し、ユーハンとラウリは席を離れた。
昼食会を終えた後、簡易テーブルの片付けを手伝い、
それから自分たちの天幕へ戻った。
***
ラウリから受け取った地図を寝台に広げ、
改めて巡回する集落の位置を確認する。
地図に示された三か所は、線で結ぶと三角形を描くような配置になっていた。
「師匠、この三つの集落を回ればいいんですね」
カーリナが地図を覗き込みながら言う。
直線距離なら大したことはないが、
実際に歩くとなると、一日で回りきるのは難しそうだ。
道の状態も分からないし、地形の情報が少なすぎる。
「そうだな。まずは最も近いところから行こう……
ってか、まずこれはどこなんだ?」
「えーっとですね……あっ、これ難民キャンプの近くですよ。
この太い線が、ここまで来た馬車が通った道です」
「そうか、見回りはこの周辺じゃないのか。
どっちにしても、難民キャンプに戻るから、
詳しいことはその時に聞けばいいか」
「そうですね」
カーリナの返事に合わせ、レオノールも静かに頷いた。
しかし、表情にはまだ不安が残っている。
視線が地図の上をさまよい、リュックの紐をぎゅっと握りしめていた。
この巡回にレオノールを連れて行くべきなのか……
六日間の徒歩巡回は、彼女には負担が大きすぎる。
迷宮のような閉鎖空間ならまだしも、
長距離の移動と不測の戦闘がある巡回では、リスクが高すぎる。
レオノールを誰かに預けるのが最善だろうが、
こちらの世界に親戚がいるわけでもなく、知り合いも多くはない。
まして、難民キャンプにいる顔見知りといえばローレンツぐらいだ。
一度、相談してみるか。
この機会に、装備の確認をしておこう。
警らとはいえ、何が起こるかわからないからな。
必要だったら難民キャンプで手配しなければ。
「カーリナ、武器の状態は?」
「ボクの槍は問題ありません。でも、もっと戦いやすい槍が欲しいなって……」
カーリナが槍を軽く回しながら言う――ローレンツから貰った鋼鉄の槍だ。
「もう少し軽くて、振り回しやすい槍があれば、
もっと戦いやすい気がするんです」
タダで貰っておいて贅沢なことを言うヤツだな。
まあ、かくいう自分もタダで鋼鉄の剣を貰ったのだが……
更に、アイノさんに研いでもらって至れり尽くせりである。
そのおかげもあって、しばらくはこの剣で十分だろう。
これもまたローレンツに相談だな。
「レオノールちゃんは?」
「あたしはこのナイフがあるから……
あっ、もっと大きなリュックが欲しいかな……」
レオノールは控えめに言いながら、リュックの肩紐を指でなぞっている。
今のリュックだって、彼女の体には十分すぎるほど大きい。
それでも、まだ大きなリュックが欲しいのか。
一体どれだけのものを持ち歩くつもりなんだ。
「よし、全部ローレンツさんに相談してみよう」
「そうですね……アイノさんにも会えますしね」
「お姉ちゃん、誰それ?」
レオノールの問に頬を膨らませながらカーリナが説明を始めた。
なんだカーリナはアイノさんにヤキモチを焼いているのか?
アイノさんか……研ぎ師でローレンツの娘。
ローレンツは彼女を自分に嫁がせたがっていたから、
会えばまたローレンツの圧力がありそうだな……
またタダで武器が貰えるかもしれないと淡い期待を抱きながら、
出発の準備を始めた。