第46話 作戦
薄明かりが天幕の隙間から差し込み、外の騒がしさが耳に届く。
何かが始まった気配がするが、自分はまだ起きたくない。
声は断続的に聞こえてくるが、どうにも眠気が勝って動けない。
もう少し……せめてカーリナが起こしにくるまでは……
「師匠、起きてください! もう朝ですよ!」
「……」
カーリナの声が耳に飛び込んできた。
そして、自分の肩を軽く揺さぶる感覚がする。
「……もう少しだけ……」
そう呟いて、掛け布団代わりの薄い布を頭まで引っ張り上げた。
これでしばらくは静かに過ごせるはずだ。
「ダメですよ、師匠! ノーラちゃんも手伝って!」
「うん、わかった!」
今度は小さな手が自分の両腕を引っ張り始めた。
レオノールも加勢したのだ。
さすがにこれ以上の抵抗は厳しい。
「わかった、わかったから……!」
しぶしぶ布を捲ると、目の前に二人の顔が覗き込んでいた。
カーリナの眉はキリッと上がっていて、すでに戦闘態勢の顔だ。
一方、レオノールは楽しそうにこちらを見ている。
どちらにしても、もう寝ていられる雰囲気ではない。
「おはよう。外が騒がしいけど、何かあったのか?」
上半身を起こしながら、カーリナに問いかけた。
「何かって、凄いですよ!
皆がせわしなく動いていて、馬車もいっぱいです!」
「馬車?」
「はい、しかも大勢の部隊が準備しています!」
部隊と馬車、これだけの情報で、
何が起きているかはすぐに理解できた――討伐隊の編成だ。
昨晩のクリスとキャットの会話から、
迷宮オタラを封印する話が進行していたはずだ。
どうやら、あれが本格的に動き始めたようだ。
「なるほどな……」
今度は天幕の出入り口がめくれ、誰かが入ってきた。
明るい日差しが一瞬差し込む中、見覚えのある赤髪が目に入る――ユホだった。
「おはようございます、ヒデキさん。団長がお呼びです」
「ユホさん……わかりました。すぐに準備します」
あくびをかみ殺しながら、立ち上がった。
どうやら、今日は休む暇はなさそうだ。
***
ユーハン団長の天幕前は、
立派な甲冑を身にまとった大勢の騎士でごったがえしていた。
人をかき分け天幕の中に入ると、
外とは打って変わって、薄暗く静寂が保たれている。
簡素な木製の机といくつかの折りたたみ椅子が並べられ、
必要最低限の執務空間と言った感じだ。
机の上には地図やメモが散らばり、忙しさがそのまま残されていた。
ただ一人ユーハンは、腕を組んだまま机の上の地図をじっと見下ろしている。
天幕の布が捲れた音に気づいたのか、顔を上げて、こちらに視線を向けた。
疲れた顔をしていたが、眼光は鋭く、気を抜いていないのが分かる。
「団長、お待たせしました」
自分が一言かけると、ユーハンは短く頷き、椅子に腰を下ろした。
目の下にはクマが見え、昨日からほとんど寝ていないのがうかがえる。
「先に一つ確認しておきたいことが――」
「団長、全員揃いました」
レオノールの処遇について話を切り出そうとした途端、
騎士の一人が勢いよく幕を捲り、ユーハンに声をかけてきた。
ユーハンは手を上げて合図を送り、机の地図を手に取ると、
しばし静止した後、重い腰を上げて出口へ向かった。
「ヒデキ殿もご参加ください」
それだけを言い残し天幕から出て行った。
なんとなく重苦しい空気に何故とは聞き返せなかった。
レオノールの処遇について、ユーハンと話がしたいのだが……
「師匠! 見ました? あれボクが描いた地図でしたよ!」
空気が読めないカーリナは放っておこう。
天幕から出ると、
先程までの喧騒とした雰囲気が嘘のように、大勢の騎士が整列していた。
ユーハンが全員の顔を確かめるかのようにゆっくりと視線を向けた後、
声を発した。
「本日、オタラを封印する! 作戦は三の鐘より開始!」
その低く重い声に、騎士たちの空気が一瞬で張り詰めた。
「作戦内容の詳細は副団長ラウリより報告!」
見覚えのある男が列から出て、騎士たちの方へ振り返る。
あのラウリという男、やはり副団長だったのか。
キュメンで出会った時、自己紹介をしてこなかったので、
ただの無愛想な男だと思っていたが、
副団長なら、いちいち名乗る必要なんてないんだろうな。
「諸君らには前線部隊として小迷宮オタラに向かってもらう。
昨夜、オタラの成長が報告された。現在の最深層は14階層である。
そして、奇形な魔物部屋も確認されている。
20日前の定期探索では13階層までだったため、
シェリーがこの魔物部屋にいると予想される」
シェリー……? Sランクの魔物のことだろうか?
Sランクといえば、あのカウガールが思い浮かぶ。
あの時は投げ縄で一瞬の隙を突かれ、反撃の手が止まった。
今でもあの感覚が背筋に残っている。
無理に動こうとすれば、あの縄に絡め取られてしまうのだ。
もし、シェリーがあのクラスの魔物だとしたら……魔物部屋にいるとしたら……
昨日の退避は正解だったな。
「これより、具体的な指示を行う――」
ラウリが伝えた作戦内容はこうだ。
10個の六人分隊、計60名が前線部隊としてこの作戦に参加する。
魔物部屋には7隊が突入、討伐対象はSランクの魔物シェリー。
残りの3隊は、14階層の魔物部屋外の周辺の魔物を討伐する。
団長と副団長もそれぞれの隊を率いて、突入部隊として参加するそうだ。
中継地点は14階層の中間部屋に設置。
昨晩派遣された先発部隊により、物資は搬入済みとのこと。
60名の後方支援部隊が地上と中間部屋に待機し、騎士団の行動を支援する。
総勢120名が参加する作戦か……
クリスが率いた捜索部隊が20名程度だったことを考えると、
今回の作戦は相当な規模だな。
それに、これだけの人数が動く以上、
指揮系統の統一がどれほど重要かは言うまでもない。
しかし、先発部隊というのは、クリスたちのことだろうな。
昨日からずっと捜索に動きっぱなしだ。
これがいわゆる超過労働ってやつか……異世界でも労働環境は変わらないのか。
それにしても、作戦内容は魔物討伐だとわかったが、
迷宮の封印とはどうするのだろう。
まさか、迷宮入り口に衝立でも設置するのだろうか。
少し興味があるが、今質問するような雰囲気ではない。
誰か知っていそうな……
あっ、ユホなら知っているかもしれない。
団長の息子だしな、後で聞いてみよう。
「あのー、質問宜しいでしょうか?」
ユホが手を挙げ、その場にいた全員の視線を浴びている。
ユーハンだけが額に手を当て、ため息をついている。
ラウリが厳しい視線を送りユホに発言を許す。
「ユホか……許可する、言ってみろ!」
「はい! 副団長の作戦は魔物討伐だと認識しました。
しかし、封印はどのように行うのでしょうか?」
「そんなことも――」
ラウリの怒りを制するようにユーハンが説明を始めた。
「あー、この中には、迷宮封印を知らない者もいるかもしれん。
補足すると、封印には三つの段階がある。
第一段階は最深層のSランクの魔物討伐、
そして第二段階は封印の魔法陣の設置と移動用魔法陣の消去、
最後の第三段階は封印が完了までの地上へ出現する魔物の討伐だ。
諸君らには、第一段階の作戦の成功後、休息を挟み、
第三段階の作戦にも参加してもらう。
全員、その腹づもりで、心しておくように」
三つの工程を一度に実行するのは並大抵のことではないだろうな。
最深層のSランクを倒し、魔法陣を作ったり、消したりして、
最後には沢山の魔物を討伐とは、騎士団は大変だな。
「ここまでが作戦の全体像だ。質問はあるか?」
冷静な声が響くと同時に、全員の視線がユーハンに集まる。
騎士たちは一人ひとり無言でうなずき、その表情には決意が見て取れた。
しばしの間、沈黙が場を支配し、風のざわめきだけが耳をかすめる。
その静寂の中、全員の心臓の鼓動さえも聞こえてきそうだった。
「よし! 全員準備にかかれ!」
その一言が静寂を破り、地を蹴る音が一斉に響き渡った。
騎士たちの足音はまるで地面を殴りつけるような力強さで、
胸の奥にまで響いた。
戦いへの期待と緊張が、空気を震わせている。
***
冷たい朝の空気が、心地よく肌を刺す。
薄暗い空の下、難民キャンプの広場には騎士たちの気配が満ちていた。
金属の鎧が鈍い音を立て、馬の静かな鼻息が白く立ちのぼり、
そして人々の小さな声が雑多に混じり合う。
作戦説明に参加させてもらったついでだ、
世話になったユーハンの見送りでもと、広場に向かっていると——
「ヒデキ殿!」
名前を呼ばれ、振り返るとユーハンが立っていた。
「私と同じ馬車にお乗りください。分隊長も同乗します。
移動の間に魔物討伐内容について調整してください。
既に分隊長にはヒデキ殿のことは通達済みです」
一瞬、言っている意味が理解できず、何も返す言葉が思いつかなかった。
ただ、ユーハンを見つめ、頭の中で言葉を反芻する。
ひょっとして……自分も魔物討伐に参加するの?
……そうか、ユーハンが言っていた参加とは、そっちだったか。
いや、作戦説明にも参加したし、どっちもか……
納得するのが早いのは、これまでの経験があるからだろうか。
冷静を装いながらも、内心ではやや不満が残る。
だが、言い返す暇もなく、別の方向から元気な声が飛び込んできた。
「師匠! ボク、準備万端です!」
カーリナが槍を肩に担ぎ、満面の笑みを浮かべている。
その無邪気な笑顔が、やけに眩しい。
まったく、どうしていつもこんなにやる気なんだか……
呆れ半分、感心半分で、嘆息したが、カーリナの勢いを止める理由もない。
やる気のある味方は心強いのだ。
だが、そんな雰囲気が続くわけもなく、ユーハンが真面目な声で切り出した。
「ヒデキ殿、あの子の処遇についてですが……」
ユーハンは言葉を選ぶように一呼吸置いてから話し始めた。
「あの子はランペの教会に預けるのが一番安全でしょう。
すぐにとはいかないので、
少なくともここに数日間はいてもらう形になるでしょう」
ここでレオノールを置いていけば、安全にはなる。
けど、本当にそれでいいのか——
ちらりと見ると、レオノールは近くの荷物のそばに座り込み、
小さな手でリボンをいじっていた。
だが、その動きはどこか所在なさげだ。
自分の居場所を探しているようにも見える。
ランペの教会に預けられた先で、どうなるのか、それは誰にも分からない。
「……面倒は私が見ます」
口にした途端、自分でもその重みを実感するが、すぐに続ける。
「オタラにも連れて行きます。それを認めてくれるなら、討伐を引き受けます」
その言葉を聞いて、ユーハンの表情が険しくなった。
「馬鹿なことを!」
低いがはっきりした怒声が、周囲の空気を揺らした。
元気に槍を構えていたカーリナの動きが止まる程だ。
だが、自分は微動だにしなかった。
心の中で予想していた通りの反応だったからだ。
予想通りの反論だが、ここで折れるわけにはいかない。
「彼女の名はレオノール。
すでに私と一緒に魔物部屋に入った経験があります。
しかも、運搬人のジョブも獲得済みです」
「あの子供が魔物部屋に入っただと!?」
ユーハンは目を見開いたが、それがすぐに納得の表情に変わった。
自分のステータス調整の能力が背景にあることを理解したのだろう。
「……カーリナ」
ユーハンは、今度はカーリナに視線を向けた。
カーリナは、特に言うこともないようで静かに頷くだけだ。
その無言のうなずきが、誰よりも強い同意の意思表示であり、
それが一番の援護だ。
声に出して言葉を並べるよりも、行動で示す方がずっと強い。
視線が重なったが、言葉は不要だった。
「ヒデキ殿の近くが……一番安全か……」
ユーハンはため息をつくように言い、レオノールを連れて行くことを了承した。
「これで決まりだ」
レオノールを見て、はっきりと言葉にした。
レオノールの方に歩み寄り、短く声をかけると、小さな声で言った。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
思わず少し視線をそらしてしまった。
何だか妙に照れくさい気分だ。
レオノールの瞳はわずかにうるんでいたが、その奥には覚悟の光が見えた。
彼女が誰かの後ろに隠れているだけの子供ではなくなってきている。
***
騎士たちが荷物をまとめ、馬車の列が次第に形を成していく。
十台以上の馬車が準備を終え、ゆっくりと動き出した。
その列の一角に立って、出発の気配を感じながら馬車に乗り込んだ。
しかし、勢いで討伐に参加すると言ってはみたものの、
また迷宮で戦闘になるとは。
だが、魔物部屋に入るわけではないからまだましか。
ここは前向きに考えよう、
そもそもユーハンからの魔物討伐依頼は当初6日間の予定だったのだ。
それが魔物部屋を発見したために、5日で終わってしまった。
一日討伐に駆り出されても、本来の日数分働いたと思えばいい。
今回の討伐依頼って……一日で終わるよな?
荷台に腰を下ろし、背もたれに寄りかかると小さく息を吐く。
遠くから聞こえるのは、騎士たちが駆け回る音、
そして馬の蹄の音がリズムを刻むように続いていた。
【迷宮封印の通達】
各部隊長は隊員に内容を理解させ、一丸となって作戦に臨むこと
■第一段階:最深層のSランク魔物討伐
任務内容:Sランク魔物討伐
・通常の魔物とは一線を画す強敵である
・討伐に失敗した場合、次の段階に進むことは不可能となる
・討伐が作戦成功の鍵を握る
■第二段階:封印の魔法陣の設置と移動用魔法陣の消去
任務内容:儀式を挙行する呪術師の護衛
十分な備えをして臨め。魔物の襲撃に備えよ
・封印の魔法陣を設置:調伏の儀
・下層への階段が現れる場所まで呪術師を護送せよ
・呪術師の調伏の儀完遂まで周囲を警護せよ
・封印の魔法陣が不完全な場合、任務失敗となる
・迷宮内の移動用魔法陣を全て消去:寂滅の儀
・迷宮内の移動は封じられる。行動は迅速に。最短経路を通過せよ
■第三段階:地上へ出現する魔物討伐
任務内容:地上へ出現する魔物制圧
・迷宮入口の封印:封緘の儀
・封緘の儀が始まり、迷宮入口からあふれでる魔物を迎撃せよ
・儀式完遂までの6日間、魔物討伐と呪術師を護衛せよ
・周辺集落への避難勧告を促せ
以上が迷宮封印の一連の流れである。
ガド騎士団長 ユーハン・ストールベリ




