第45話 帰還
壁に背中を預けていたクリスが、額の汗を拭いながら立ち上がった。
疲労感が見えるが、膝に手を当て、深く息をつきながら、
気力を振り絞って疲れた体を支えていた。
「クリスティーナさん……大丈夫ですか? もう少し休みましょう」
「いいえ、のんびりはしていられません。直ぐに難民キャンプへ戻って、
団長に魔物部屋の存在を報告しなければなりません。
さぁ、キャット立って!」
クリスの表情は険しく、気合が感じられる。
クリスに急かされたキャットも渋々立ち上がった。
気持ちは十分に理解できる――もちろん、キャットの気持ちの方だ。
「そうですか……じゃあ、我々も行くかな。レオノールちゃんは大丈夫?」
「うん、あたし平気だよ」
レオノールを理由にもう少し休みたかったが、無理だった。
レオノールが元気アピールでその場で跳ね飛び、
リュックいっぱいに入ったアイテムがガシャンガシャンと音を立てる。
カーリナも槍に体を預けながら立ち上がった。
この場で唯一座っている自分に皆の視線が集中している。
熱視線に耐えきれず、仕方なく立ち上がる。
「カーリナ、レオノールちゃん、準備はいいか?」
「はい、師匠」「うん、お兄ちゃん」
カーリナは槍の柄で床にポンと突き、
レオノールはリュックを背負直し、胸を張るように返事をした。
二人の元気過ぎる返事に、少し気後れしてしまう。
「では、参りましょう」
振り返ると、クリスとキャットは既に魔法陣に立っていた。
全員が魔法陣の中心に集まったのを確認し、
クリスが視線を巡らせている。
「それでは、行きましょう。ヒデキ殿お願いします」
「ん? えっ! ああそうか」
クリスもキャットも騎士だから魔法陣の操作ができないのだな。
「トランスポート」
スキル名を唱えると目の前に行先を表示する画面が浮かび上る。
1階層入り口を選択すると、香色の光が一気に広がり、視界を覆う。
明るさに目をつむると、
浮遊感と重力が一気に消えるような感覚が体を駆け抜ける。
何度もこの転移を経験しているが、
この体が消える感覚にはどうしても慣れないな。
一瞬の暗転。
すぐに瞼の裏が明るくなり、冷たい石の感触が足元に伝わってきた。
目を開けると、1階層入口の風景が映った。
「では、小屋に向かいましょう」
地上へ続く階段を、クリスとキャットが先頭に立って上がり、
その後ろをレオノールとカーリナが続く。
レオノールのリュックはアイテムでパンパンに膨れ上がっており、
階段を上がるたびにガシャガシャと音を立てている。
その様子を見て、いつの間にか強張っていた肩の力が抜けていくのを感じた。
やっぱり転移はなれないな……
軽く頭を振り、体の感覚を取り戻すように足踏みをした。
地上に出ると、既に日はすっかり落ちていた。
迷宮の中では日の光が差し込まないので、時間の感覚が狂いやすい。
迷宮の鐘の音も聞こえないため、さらに時間の流れがわからない。
小屋の前にはいくつもの松明が灯されていて、
暗闇の中に小屋が浮かび上がっている。
その周囲には、忙しく動き回る騎士団の姿が見える。
鎧がぶつかる音や、指示を飛ばす声が絶えない。
「ご無事でしたか。必要な物があればおっしゃってください。」
声をかけてきたのはデカ耳の一人……名前は……なんだっけ。
このデカ耳が書置きを回収したんだな。
出しっぱなしにしていた自分も悪いが、
こいつが騎士団に報告しなければ、魔物部屋に行かなくて済んだものの……
「ああ、ありがとうございます。今のところ大丈夫です。
あっ、水を貰えますか?」
「水ですね、少々お待ちください」
デカ耳が去っていった、名前は……思い出せないままだ。
クリスが張り上げた声が聞こえた。
「これより難民キャンプへ向かう!」
「了解!」
暗闇から一斉に返事が返ってきた。
声の数は、10、いや20人はいるな。
小屋の後ろから馬車が動き、周囲の騎士たちが慌ただしくなった。
……もしかしたら事が大きくなっているかも、
と思ってたが、まさかここまでとはな。
魔物部屋があったと報告しておいて良かった……
書置きを出しっぱなしにしていただけだなんで、
言い訳は聞いてくれなかっただろう。
心の中で安堵し、静かに息をつく。
水はたぶん貰えそうにないな……
デカ耳の案内で幌付きの馬車に乗り込むと、
クリスとキャットも続いて乗り込んできた。
「よし、出してくれ!」
「承知しました! 出発します」
クリスの一声を受け、馬車がゆっくりと動き出した。
幌無しの馬車に乗らずに正解だったかもしれない。
幌のせいで外の景色は見えないが、風を防いでくれる。
しかし、外の風は感じないが、
車輪が地面を軋ませながら転がり、振動が車内全体に伝わる。
そんな揺れる車内だというのに、カーリナは地図の清書を始めた。
揺れで線が歪むたびに『むぅ』と声を上げている。
そりゃそうなるだろ、ただでさえ揺れるのに、手元が暗いのだから。
「カーリナ、無理に今描かなくても、
難民キャンプに着いてから清書し直せばいいだろ」
「いえ、直ぐに必要になると思うので、
今のうちに完成させないと――あっ、また線が!」
特に、馬車ですることもないから、本人が好きなようさせればよいか。
それに、地図が完成すれば手当てがでるのだ、
カーリナにとっては死活問題なのだろう。
「ヒデキ殿のLv.をお聞きしてもいいですか?」
暇そうにしていたキャットが質問してきた。
「どのジョブですか?」
「どのって、今ついているジョブですよ。冒険者ですよね」
「ああ、そ、そうそう、冒険者。えーっと、今はLv.14ですね」
「Lv.14!? どうすればメタルゴーレムを一撃で倒せるのですか?
確か、ナイトメアもブルーピーコックも一撃でしたよね」
キャットが自分のセンシティブ部分に踏み込んできた。
どう答えたら良いか迷っているところに、
手を止めたカーリナが勢いよく顔を上げた。
その表情は意味深だ。
「フフフ……キャットもとうとう気付いたようだね」
「えっ、何か秘密でもあるの!? 教えてカーリナ!」
「しょうがないな、師匠は凄いんだよ。それはそれは凄いんだよ!」
「うん、うん」
「魔物が来ても、ガッてなって、そこでドシャッてなって、
シュッとしながらも、最後にはバーンって――」
カーリナの擬音だらけの説明が続く。
こんな説明でキャットが納得するわけが……
ん? 意外にもキャットは真剣な表情で聞いているな……
これならいいか。
もしもステータスの調整の話をすれば、
クリスやキャットから根掘り葉掘り質問されるに違いない。
だが、カーリナがこの調子で話してくれれば、
きっと誰も詳しいことは気にしないだろう。
クリスは御者に細かく指示を出しているので、こちらの会話には参加していない。
レオノールはパンパンに膨らんだリュックを大事そうに抱え、
笑みを浮かべながら中のアイテムを眺めている。
抱えきれなかったアイテムはデカ耳にもらった麻袋に詰めている。
レオノールが戦利品を楽しんでいる姿は、なかなか微笑ましい。
その横で、カーリナが立ち上がり、熱を込めて演説のように語り続けていた。
――ガタッ!
馬車が大きく跳ね、その揺れに耐えきれず、
カーリナがレオノールの荷物に倒れ込んだ。
「きゃっ!?」
レオノールは驚いて声を上げたが、小さな笑い声を漏らした。
「ノーラちゃん、ごめんね。大丈夫だった?」
「うん、大丈夫、大丈夫!」
カーリナは手をバタつかせながら体勢を立て直したが、
リュックがずり落ちかけ、あわてて二人で荷物を押さえる羽目になった。
「大丈夫か、二人とも?」
「「大丈夫!」」
自分が声をかけると、二人は互いに見合わせて即答した。
レオノールの耳がピンと立ち、カーリナの頬がほんのり赤くなっている。
馬車の揺れに振り回される二人の様子は、まるで子供が遊んでいるようだった。
***
夜の静寂の中、馬車は舗装されていない道をゆっくりと進んでいく。
車輪が地面を捉えるたびに、振動が体にじんわりと響いてくる。
「そろそろ、キャンプに到着します!」
御者の声が前方から聞こえた。
ようやく到着か、どれくらい乗っていただろう。
気づけばカーリナの力説も終わっており、皆静かに眠っている。
カーリナがうとうとしながら、頭をガクンとさせた。
軽くカーリナの肩をつつくと、
ハッと目を覚まし、少し恥ずかしそうにこちらを見る。
「あっ、はい! 起きてます!」
どう見ても寝てたろ、いや、別に寝ててもいいのだが。
難民キャンプに入り、御者が馬車を止めようとすると、
隙のない表情で前を見据えていたクリスが指示を出した。
「このまま団長の天幕まで進む」
「承知しました!」
一度止まりかけた馬車は、再び速度を上げキャンプ内を進む。
一つの天幕の前で馬車が止まると、すぐさまクリスは馬車から降り立った。
「ヒデキ殿、団長がお待ちです」
そう言うと、天幕の方へ歩き出してしまった。
えー、今日はもう夜遅いから、明日でも良くないか……
その提案をする暇もなく、クリスはすでに天幕の前に立ち、
「団長、ヒデキ殿をお連れしました」
と声を張った後、中に入っていってしまった。
仕方なく自分たちも続く。
天幕の中は、ランプの明かりで薄暗く照らされ、
重々しい空気が張り詰めていた。
中央には簡素な木製の机があり、
ランプの灯りが机の上に広げられた地図を照らされている。
その地図を囲むように団長ユーハンと数人の騎士が立ち、
何やら議論している最中であった。
夜遅いのに、まだ働いているのか、団長は大変だな……
机の向こう側に立つユーハンが、
自分たちが入ってきたのを確認すると、声をかけてきた。
「おお、ヒデキ殿……ご足労感謝します」
そう言うと、ユーハンが指示を出し、
数人の騎士たちは手早く地図を片付け、頭を下げながら天幕を出ていった。
「どうぞ、座ってください」
ユーハンの合図で、
キャットが隅に置いていた椅子を二つ、机の前に並べてくれた。
自分とレオノールが腰を下ろしたが、
カーリナ、クリス、キャットの3人は立ったまま話を聞くようだ。
「早速ですが……魔物部屋を発見した……と報告を受けています」
ユーハンは慎重に言葉を選んでいるようだ。
「はい、これは小迷宮14階層の地図なのですが、ここが魔物部屋です」
カーリナが作成した地図を机に広げ、指先で魔物部屋がある空白を説明した。
しかし、カーリナが予想していた通り、早速地図を使うことになるとは……
これは手当てに色が付くんじゃないか?
馬車で清書を急いだかいがあったというものだ。
少しの沈黙を挟み、ユーハンが尋ねてきた。
「……14階層に成長、さらには魔物部屋……
ヒデキ殿、この空白部分が魔物部屋だと断言できますか?」
「はい、それは確かです。実際、中に入って魔物と戦いました。」
すかさずクリスが補足する。
「団長、私も確認しました。魔物部屋があるのは確実です。
さらに特殊な形状でして――」
「特殊な形状だと?」
ユーハンの眉が動いた。
「はい、部屋の奥に通路があり、そこから魔物が次々と出てきました」
「ふむ……確かに特殊だな。そんな魔物部屋は聞いたことがない……」
一瞬考え込んだユーハンだが、低く唸った後、クリスに目を向け尋ねた。
「14階層に成長したとのことだが、確認は済んでいるか?」
「いえ、確認できているのは魔物部屋の存在だけです」
「団長、よろしいでしょうか? この14階層の地図を作成する際、
15階層への階段がないことはカーリナと一緒に確認しました」
自分の言葉にユーハンは短く頷くも、
「ありがとうございます。ただ一応、確認のため調査させます」
そう言うと、クリスに目配せをし、クリスも頷いた。
ユーハンは慎重な性格だな……15階層への階段はないって言ってるのに。
それに、クリスは戻ってきたばかりだが、また小迷宮オタラに向かうのか?
騎士団って大変だな。
ともかく、重要なことを確認し、とっとと帰らせてもらおう。
「団長、本来の依頼は6日間でしたが、もうこれで――」
そう言いかけたところで、ユーハンが笑みを浮かべながら言った。
「ええ、もう依頼は完了です。ご苦労様でした」
ユーハンの一言に、報告も終わり、これでひと段落ついたのだと安堵する。
「それと……この子が書置きにあった子か?」
ユーハンの視線が向けられると、
レオノールは一瞬ビクッと肩をすくめ、怯えたようにこちらを見上げた。
「ヒデキ殿、今日は遅いので、この子の処遇については明朝話しましょう。
こちらで準備した天幕で一晩お過ごしください。
クリス! 来賓用天幕へヒデキ殿をご案内するように」
ユーハンがクリスに目配せを送った。
「ではヒデキ殿、こちらへ」
クリスが天幕から出て行き、団長に頭を下げ、天幕を後にした。
夜の静けさが、いつの間にか活気に変わっていた。
天幕の隙間から漏れるランプの灯りが、
難民キャンプ全体をぼんやりと照らしている。
キャンプ内には人々の話し声や、どこかで鳴り響く金属音が微かに聞こえる。
「こちらです、ヒデキ殿」
クリスに案内されて、
自分はカーリナ、レオノールと共に今夜泊まる天幕へと足を踏み入れた。
ランプの明かりで照らされた天幕には、
ベッドが三つ、隅には小さな机が一つ置かれていた。
「今夜はこちらでお休みください。
食事の準備ができていますので、荷物を置いて行きましょう」
クリスの言葉を受け、
レオノールはリュックと麻の袋をドスンとベッドに置いた。
アイテムが詰め込まれた袋が揺れ、金属同士がぶつかる音がした。
重たい荷物を不満を一言も口にせず、よく持ったものだ。
これがジョブ運搬人のスキルなのだろうか。
自分もリュックを置き、クリスの後に続く。
天幕を出て、広場へと向かうと、
いくつもの机と椅子が並べられ、青空食堂のような空間が広がっていた。
近くには、食事を作るための天幕があり、魚を焼く匂いが漂ってくる。
自分とレオノールが机に座って待っていると、
カーリナとキャットが食事を持ってやってきた。
焼き魚、サラダ、魚のスープ、大きなパン、酒。
こちらの世界の食事は正直言って口に合わないが、
腹が減っているから気にする余裕もない。
レオノールが大きな目を丸くしながら、
テーブルに並べられた食事を見つめている。
「こんなに食べていいの?」
「お代わりもあるから、好きなだけ食べて。
お風呂もあるから後で行こうね。さあ、食べましょう!」
キャットが笑いながら言うと、レオノールは嬉しそうにパンに手を伸ばした。
キャットもパンに手を伸ばそうとした時、
どこかに行っていたクリスが戻ってきた。
すぐさま、キャットに向けて声を張る。
「キャット、行くよ!これからオタラに戻る!」
「えーっ!?」
キャットの驚きがテーブル全体に響く。
大きなパンを手に持ったまま、キャットはクリスに不満の声を上げた。
「カーリナの地図があるんだからいいでしょ! なんで今から行くのよ!」
「副団長が到着して、これから作戦会議が始まるの。
明日、迷宮封印を行うから、私たちは今のうちに探索を進めるのよ」
封印? 迷宮を?
一体何をするかわからないが、食事もとらずにオタラへとんぼ返りとは、
ご愁傷さまです。
キャットは後ろ髪を引かれるような表情を浮かべつつ、
パンを一口大きくかじり、肩を落とした。
「カーリナ、あたしの分、食べていいよ」
キャットが立ち上がり、クリスと共に天幕の方へ向かっていった。
***
食事を終えた後、蒸し風呂へ向かった。
蒸し風呂に入った瞬間、体がじんわりと温まり、
疲れが汗と共に流れ落ちる感覚になった。
蒸気が立ち込めた小さな天幕の中で、汗がじんわりと滲む。
蒸気が体を包み込み、体の芯から温まる感覚があった。
十分に温まったので外に出て、冷えた夜風が肌を冷やす。
体が一気に整う感覚が……あーこれこれ!
視界の隅に甲冑姿の人々が次々と集まっていくのが映った。
クリスが言っていた作戦会議がこれから始まるのだろう。
確か、迷宮を封印するんだったな。
その内容が気にはなるが、ここにいても会議の様子がわかるでもなく、
体が冷えて来たので、自分の天幕へ向かった。
天幕の中では、レオノールはベッドの上にアイテムを並べ、
数を数えている最中だった。
リュックの中から取り出されたのは、
大量の鉄くず、蹄鉄、向精神薬、鶏肉、羽ペン。
こんなに拾っていたのか。
拾わなくていいと伝えたはずの鉄鉱石までもが、しっかりと並べられている。
一つのベッドに収まりきるわけもなく、
アイテムが三つのベッドを埋め尽くしていた。
ベッドの端に腰を下ろし、レオノールがアイテムを数える姿を眺めた。
早く寝たいんだが……




