第43話 14階層
朝の小屋には、昨日の疲れが静けさとなって漂っていた。
だが、その中で唯一、カーリナだけが目を輝かせて張り切っている。
昨日の探索で14階層への階段を発見したことが、
カーリナの心を燃え立たせているのだろう。
「師匠、ついに14階層ですね!ボク、今日は地図を完成させてみせます!」
焚き火のそばで湯気を立てる鍋をかき混ぜながら、
カーリナが笑顔で声をかけてきた。
隣ではレオノールが小さな手で布を広げ、準備を手伝っている。
「地図って……それ、カーリナが描くのか?」
疑問を口にすると、カーリナは手を止め、胸を張って自信満々に答えた。
「はい!ガド騎士団では迷宮の地図作成に力を入れています。
新しい階層の地図を作成すると、手当が支給されるんです!」
手当てか……カーリナが妙に張り切っている理由が少しだけ見えた気がする。
「でも、荷物を持ったままじゃ、地図を描きづらいだろ?」
「そ、それは、そうですね……」
少し戸惑うカーリナを見て、隣のレオノールが勢いよく手を挙げた。
「あたしが持つよ、お姉ちゃん!そしたら、地図が描けるんでしょ?」
「えっ、いいの?ノーラちゃん、ありがとう!助かるよ!」
リュックを持ち上げたレオノールは、得意げな笑みを浮かべている。
だが、その姿はまるでリュックが歩いているようにしか見えない。
「いやいや、小さな子に全部持たせるのはちょっとな……」
「お兄ちゃん、あたし平気だよ!頑張る!」
無邪気に笑うレオノールに何も言えなくなり、結局、頷くしかなかった。
カーリナもほっとした表情を見せ、準備は万端だ。
***
未知の14階層に足を踏み入れると、
迷宮の空気がずしりと胸にのしかかるようだった。
どの階層も同じ作り、見た目は変わらないのに、どこか不気味だ。
これが深層特有の感覚なのだろうか。
これまで以上に慎重に進もうと、視線でカーリナとレオノールに合図を送り、
足音を抑えて歩き始める。
「なんか……雰囲気が違いますね」
カーリナも何かを感じたのか、白紙の地図を広げながら周囲を警戒している。
隣を歩くレオノールも壁に目を向け、何かを感じ取ろうとしているようだ。
何が出てきてもおかしくない感じだ。
後ろを歩くレオノールが、小さな声で囁いた。
「お兄ちゃん……あっち……なんか、いるような気がする」
指差す先は薄暗い通路だ。
「何も見えないけど……なんかいるのか?
まあ、どっちに進むか決めてないし、行ってみるか」
レオノールの直感に従う形で進むと、
ほどなくして視界の先に巨大な石の塊が現れた。
ただの岩……のはずもなく、目鼻の形が確認でき、ゆっくりと動いている。
ロックゴーレムだ――それも三体。
思わず唇を引き結び、剣を構える。
「師匠!」
カーリナが槍を構え、一歩前に出る。
「カーリナ、一体目を頼む」
「はい、任せてください!」
「レオノールちゃん、後ろに下がって安全な場所で待機!」
「うん、わかった!」
こちらの気配を察知し、
ロックゴーレムの巨体がゆっくりと向きを変える。
鈍重だが、やつの一撃の威力はとんでもなく強力だ。
カーリナが一体目に突撃し、槍を振るう。
岩の巨体に一撃が突き刺さるも、完全に崩れるには至らない。
「……硬い」
痺れた手を振りながら愚痴を漏らすと、
再度、カーリナが一撃を放つ。
槍先がゴーレムに触れた瞬間、大きく揺れて崩れ、黒い煙に変わった。
「よし、次だ!自分が右のゴーレムをやる!」
二体目に向かい、自分は剣を振りかざして突き進む。
巨体から繰り出される鈍重な一撃をかわし、剣を振り抜く。
その刃が硬い岩肌に食い込むと、表面に亀裂が走り、
ひび割れから黒い煙を吹き出しながらゴーレムは静かに消えた。
「あと一体!カーリナ、任せた!」
「はい!」
槍を握りしめたカーリナが三体目へ突き進んだ。
冷静に動きを見極めながら、二撃目で仕留めると、
巨体が煙となって迷宮に溶けていき、静寂だけが残った。
「ご苦労さん、カーリナ」
軽く頷いたカーリナだったが、
ゴーレムが残した大きな石を見つめ、困ったように呟いた。
「これ……回収しないといけないんですけど……でも持てないしな」
「そんなの、通路に置いたままにすればいいだろう。
まさか持ち歩くだなんて言い出さないでくれよ」
カーリナは少し苦笑しながら頷いた。
「はい……ても、管理部に怒られるかな……」
「管理部……?」
「ええ、ガド騎士団の迷宮管理を行う部門です。
中間部屋の物資補給とか、ドロップアイテムを回収しています」
「だったら、丁度いいじゃない。その部署に回収してもらえば」
「それはそうなんですけど……」
軽く肩をすくめながら答えると、カーリナはなんとも歯切れの悪い回答。
そんなやり取りを見ていたレオノールが、無邪気に笑みを浮かべ言い放つ。
「でもこれで迷わなくなるよ!
目印になるし、お姉ちゃんも地図描きやすくなるんじゃない?」
その明るい声に、少し場が和らいだ。
カーリナにも笑顔がみられたが、
次の瞬間、カーリナは通路を四方八方見渡すと、白紙の地図にペンを走らせた。
その手には、正確な地図を描きたいという熱意が滲んでいる。
そんなにまでして……手当てが欲しいのか。
***
その後もゴーレムを倒しながら迷宮を進んだ。
地図を描くため隅々まで歩き、突き当りまで行っては来た道を戻り、
何度も同じところを通る羽目になった。
ゴーレムのドロップアイテムが目印になり、
順調に迷宮探索、いや、地図作成が進んでいった。
中間部屋に到着する前に三の鐘が鳴ったと、レオノールが教えてくれた。
自分には聞こえない、自分だけが聞こえない迷宮で鳴る鐘の音。
レオノールのような少女にも聞こえるというのに、
いつになったら自分にも聞こえるのだろうか。
そして、いつになったら地図作成が完了するのだろうか。
ふと、レオノールに視線をやると、意識を集中させ通路奥を見ている。
そういえば、先程からやたらとレオノールの勘が冴えている。
レオノールが指し示した先では、必ずゴーレムと遭遇した。
ひょっとして……いや、そんなスキルがあるわけない。たまたまだ。
とはいえ、この偶然が続くのは気になる。
何か特別な理由があるのかもしれない。
晴れないもやもやを抱えたまま迷宮を進むと、中間部屋に到着した。
***
中間部屋から小屋に戻ると、硬いパンと野菜スープがいつものように並ぶ。
迷宮探索で三食頂けるのはありがたいが、
欲を言えば昼寝も付けて欲しいものだ。
ガド騎士団に寝床を提供され、
食費も出してもらっているのだから贅沢は言えないか。
スープを口に含むと思わず眉間にシワが寄る。
味が薄いな……タバコで口直しでもしないと、
内心でつぶやきながらパンをちぎると、
隣でレオノールがスープを慎重にすすっている。
もしかして猫舌なのかな?
「午後の探索も長くなりそうですね」
カーリナが硬いパンに頬張りながら呟く。
「そうだな……単純に考えると、午前と同じ時間がかかるだろうな。
それに次は、あの金属のやつ……メタルゴーレムか。油断はできないな」
うんうんと頷きながらスープを飲み干すと、
カーリナはすぐに白紙の地図を広げ、ペンを手に取った。
ここからでも、迷宮に書き込んでいたものに比べ上質な紙だとわかる。
清書だろう。
「師匠、ここって右に曲がりましたっけ?それとも左?」
「ん?どれどれ」
昼食を終えたと思ったら、もう地図の清書に取り掛かるとは、
いつものことながらカーリナの熱心さには感心する。
だが、その感心も長くは続かなかった。
手が止まるたびにカーリナから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「ここは行き止まりでしたよね?」
「……違う。そこは突き当たりを右だった」
何度も確認され、食事どころではない。
スープの最後の一口を飲むタイミングすら失い、
さすがに内心ぼやかずにはいられない。
食事を取らせてくれよ……
そんな中、レオノールがカーリナの隣にちょこんと腰を下ろした。
「お姉ちゃん、あたしも手伝う!」
元気いっぱいの声に、カーリナが一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。
「んーっと……ノーラちゃん、気持ちは嬉しいけど、これはボクの役目だから」
「えー、やってみたいのに!お願い!いいでしょ?お姉ちゃん、お願い!」
しつこく食い下がるレオノールに困り果てたカーリナが、
助けを求めるように視線を向けて来た。
仕方がない、弟子の窮地を師匠が救ってやるか。
「カーリナ、要らない紙ってあるか?下書きの裏でもいいや」
不思議そうな顔のカーリナから、書き損じた紙を一枚受け取った。
「レオノールちゃん、カーリナの地図はお仕事なんだ。
でも、レオノールちゃんが上手に描けたら、
絶対にカーリナも手伝って欲しいはずだ。
だから、まずは練習。これ使ってさ、覚えていること書いてみてよ」
「いいの?お兄ちゃん、ありがとう」
レオノールが嬉しそうに紙とペンを握りしめ、
カーリナもほっとした様子で地図清書を再開した。
レオノールの描いた地図は曲がりくねった線が目立ち、
明らかに頼りないものだったが、本人は満足そうだ。
その様子を微笑ましく見守りながら、午後の探索に思いを巡らせた。
メタルゴーレムか……衝撃波で攻撃してくるやつだったな。
三体同時に出てくるだろうから、衝撃波を発生させる前に、
果たして先手を取れるだろうか。
隣では、カーリナとレオノールが何かを言い合っている声が聞こえる。
地図記号がどうだこうだと、楽しそうだ。
***
未知の14階層奥へ進むと、通路の向こうから低い轟音が聞こえた。
金属同士がぶつかり合うような鈍い音。嫌な予感がする。
「師匠、音が近いです!」
カーリナが周囲を警戒しながら、小声で知らせてくる。
その言葉に頷きつつ剣を抜いた。
通路の向こうからゆっくりと姿を現したのは、
銀色に輝く巨体――メタルゴーレムだ。
その巨体は、ロックゴーレムとは比較にならないほどの威圧感を放っていた。
金属の体が鈍い光を反射しながら、ひときわ重い足取りでこちらに迫ってくる。
やがてその後ろにも二体のゴーレムが姿を現し、
三体が揃ってじりじりと近づいてきた。
先頭のゴーレムが腕を振り上げるのが見えた。
「カーリナ!レオノールちゃんを庇え!」
ゴーレムが地面を叩きつけると衝撃波が飛んできた。
足元に砂が巻き上がる。
反射的に身を低くしたおかげで、風圧をなんとかやり過ごす。
これは短期決戦で片付けるしかない。
「二人はそこで待機!」
叫びながら剣を構えゴーレムに向かって走り出した。
予想外に戦闘は短く終わった。
剣を一振りするだけで巨体が崩れ、鈍い音を立てながら消えていったのだ。
メタルゴーレムは、一撃でその巨体を崩し地に伏した。
二体目、三体目も同じ手順で倒し、
あっという間に三体を片付けることができた。
剣を握り直し、額の汗を拭いながら後ろを振り返った。
だが、そこにはレオノールしかいない。
「あれ?カーリナは……?」
「お姉ちゃんなら、あっち」
指さす方を見ると、カーリナが屈み込んで地図にペンを走らせている。
「おい、カーリナ……!」
声をかけても、地図を描くのに夢中でろくに反応を示さない。
「ちょっと待ってください!ここをこう描いて……」
「レオノールちゃん、あれっていつから?」
「お兄ちゃんが走り出した後ぐらい」
戦闘を忘れたように地図に没頭するカーリナを見て、
思わず深いため息をついてしまった。
その後、中間部屋を拠点に、14階層の隅々まで探索を進めた。
何度も通った通路を丁寧に埋め、探索の痕跡を地図に記すカーリナ。
その根気には感服するが、道を戻るたびに溜息が漏れる。
「師匠、次はあっちです!」
「そこ、さっき通ったところだろ」
地図を片手に指差すカーリナ。
その先には、どこか見覚えのある分岐路が広がっていた。
「いえいえ、行き止まりの先をまだ書いていないんです!戻りましょう!」
内心で嘆息しながらも、カーリナの指示に従う。
通路の隅に置きっぱなしになったドロップアイテムの石が、
どこを通ったかの目印になっているのは皮肉な話だ。
15階層への階段は見つからなかった、現時点でこの14階層が最深階層だ。
ようやく探索を終え、
中間部屋に足を踏み入れた途端、張り詰めた緊張がほどける。
この部屋には魔物が立ち入れない安全な場所だ。
しかしそんな聖域にも関わらず、
険しい顔でカーリナがペンを片手に広げた地図をじっと見つめていた。
「……師匠、ちょっと見てください」
地図は詳細な部分まで書き込まれ、探索の成果が反映されたものだった。
そりゃ時間がかかるわけだ。
しかし、地図の中にぽっかりと空白があった。
「師匠、ここに広い空間があるみたいなんです」
「確かに……結構な空白だな。何で気付かなかったんだろう」
「そうなんですよね……」
「……」
「ここに空間があるんですよね……」
「……」
「これだと地図が完成しないんですよね……」
「……」
「地図が――」
「ああ、わかった。じゃあ、もう一回行ってみるか」
「はい!ノーラちゃん行くよ」
二人に遅れて中間部屋を後にした。
地図の空白部分に到着すると、何度も通ったはずの場所だった。
見覚えの石が転がっている。
「ここって、何度も通らなかったか?間違ってない?」
「いいえ。地図を見る限り、ここに空間があるはずです!」
何度も歩いた通路を進んでいくと、途中でレオノールが足を止め、
耳をピクピクさせながら、通路の奥を見つめている。
「お兄ちゃん……あっちになんかありそう」
レオノールが指差したのは通路の行き止まりだ。
「そこは、行き止まりでしょ?なあ、カーリナ行き止まりを確認したよな」
「はい……あれ?んー、そうですね……」
カーリナの歯切れの悪い返事に、
試しに進んでみると、横に繋がる通路を発見した。
行き止まりではなく、突き当たりで曲がり角が隠れていたらしい。
通路はクランク形状になっており、その先には広い空間が広がっていた。
部屋の中を覗くと、魔物たちがひしめき合っていた。
多数のメタルゴーレムが巨体をゆっくり揺らしながら歩き回り、
金属が擦れる音が響いている。
その足元では小さな白いものが地面をついばんでいる――ブルーピーコックだ。
さらに、壁際では黒い靄を纏うナイトメアが、不気味な影を漂わせていた。
その異様な光景に、思わず冷や汗が背筋を伝う。
「……師匠、これって……」
「ああ、魔物部屋だ」