第41話 アンモナイトライダー
小迷宮オタラ11階層の奥。
ひんやりとした空気が肌にまとわりつく中、
ふと前を行くカーリナが立ち止まり、控えめに振り返った。
「師匠、五の鐘です。それに、もう少しで12階層への階段が見えてくるかと」
「五の鐘か……なるほど、ありがとね」
言葉にした途端、張り詰めていた緊張がふっと緩んだ気がして、
いつの間にか息を詰めていたことに気付く。
「じゃあ、地図通りに12階層まで進んで、今日の探索を終わりにしようか。
夜の迷宮は無闇に進むものじゃないからね」
手元の地図に目を落とし、カーリナが小さく頷く。
11階層の広さにさすがに足も限界だが、ようやく12階層か。
無理に夜遅くまで探索する必要もなかろう。
実のところ、もう足がパンパンなのだ、
早く帰って寝たいというのが正直なところである。
それにしても、レオノールが先に音を上げてくれると思っていたが、
よくここまで付いて来られたものだ。
前方で慎重に歩を進める小さな背中に声をかける。
「レオノールちゃん、まだ大丈夫か?」
「うん、こんなの全然平気だよ、お兄ちゃん」
「えっ、ああ、そう……でも、魔物が出てきたら無茶をしないで、
すぐにカーリナの後ろに下がるんだよ」
レオノールは一瞬こちらを見つめ、それから小さくうなずいた。
その表情に少し安堵する一方で、どこか胸の内に引っかかりを感じる。
無茶をさせるつもりはなかったのだが、
今やレオノールも戦いに加わるようになってしまっている。
いや、そもそもジョブについていない子供に、
戦わせるべきじゃないはずだが……
一度足を止め、レオノールをじっと見つめる。
軽装の体に背負ったナイフが少し大きく見える姿に、
わずかな不安が過ぎった。
「……レオノールちゃん、少し見せてくれるかな?」
「え?あたし、何か付いてる?」
レオノールが振り返り、少し不安げに自身の体を見渡している。
「いや、そうじゃないんだ。大丈夫、何も付いてないよ。
レオノールちゃんのステータスを確認しておきたいだけだから」
レオノールがこくりと頷いたが、
実際に何をされるのかはわからないのだろう、目を閉じて両手を広げている。
その様子が何とも可愛らしく、思わず微笑んでしまう。
そんなレオノールに軽く苦笑しつつ、鑑定スキルを発動させた。
レオノール 獣人族/兎耳 女 13歳 村人 Lv.5
おお、またLv.が上がっているじゃないか。
ステータス調整で獲得経験値UPを3倍にしているとは言え、
初めて迷宮に入ったというのに、もうLv.5に達しているとは。
カーリナも目を輝かせてこちらに寄り、興味津々と尋ねてきた。
「師匠、ノーラちゃんのステータス、どうなっているんですか?」
「いや、村人がLv5まで上がってるよ。
あっ、もういいよレオノールちゃん、ありがとね――」
「えっ、ほんとですか!?じゃあ、もう少しでLv.6じゃないですか!
すごいね、ノーラちゃん!」
「え、え、えっ、あたし何かしたの?」
カーリナの驚きように、レオノールが少し引いている。
そりゃ5の次は6なのだが、何をカーリナははしゃいでいるのだろう。
「師匠、村人Lv.6になれば、他のジョブに就けます。
普通は成人してからじゃないと、
ジョブ変更を神殿で受け付けてくれないのですが、
そこは、師匠のスキルを使って頂いて、
ボクみたいにジョブを付け替えてしまえばよいと思います。
できますよね、師匠」
「あ、ああ、それはステータス画面からできるよ」
なるほど、他のジョブの獲得条件として村人Lv.6が必要なのだな。
そう言えば、自分が戦士ジョブを獲得したのも、
村人Lv.6になったタイミングだったはずだ。
それに、カーリナのジョブは、自分が勝手にセットしている。
カーリナの言葉を聞いて、思わず視線が自然とレオノールの小さな姿へ戻る。
この調子なら、レオノールも間もなく戦士ジョブに就けるだろう。
そうなれば、武器が銅のナイフのままという訳にもいかないか……
レオノールの体格に合った剣を見繕ってあげないといけないな。
カーリナが笑みを浮かべながら言う。
「このまま順調に進めば、明日にはノーラちゃんはジョブに就けるし、
迷宮も踏破できますね、師匠」
「えっ、そうなの?」
「はい、ノーラちゃんはLv.5です。5の次は6なので――」
「そっちじゃなくて、迷宮踏破の方だよ」
「あ、そっちでしたか。ボク、言ってませんでしたっけ?
オタラは13階層までです。なので、明日には到達すると思いますよ」
いや、聞いてねぇーし。それに5の次は6って……
図らずも仕返しされた気分だ。
「とりあえず、12階層まで進んで、今日のところは切り上げようか」
レオノールとカーリナがそれぞれ頷き、
再び自分たちは通路の奥へと足を進めた。
12階層への階段が近づくにつれ、迷宮の空気がさらに冷たく、
背後で感じる冷気はまるで、何かが潜んでいるかのようだ。
手元の地図を見つめるカーリナの隣で、
レオノールも少し緊張した様子で周囲に視線を走らせている。
「師匠、あの角を曲がれば12階層への階段です」
「よし、あともう少しだな。……気を抜かずに進もう」
レオノールが小さな手でそっと前を指差し、視線を送って来た。
「お兄ちゃん、あそこに……変な形の岩があるよ」
「ん?どれどれ?」
レオノールの指差す方向に目を凝らす。
確かに、通路の中央にどっしりとした岩のようなものがあるのが見えたが、
ゆっくりと動いているように見える――岩じゃないな。
「……どうやらただの岩じゃなさそうだな。カーリナ、準備を」
「了解です、師匠!」
すでに戦闘態勢に入ったカーリナが、素早く槍を構えた。
自分も身を低くし、敵の正体を見極めるべく、鑑定スキルを発動させた。
アンモナイトライダー Lv.21
やはり、岩ではなくAランクの魔物、それもアンモナイト……
まさか生きて動くアンモナイトに会う日が来るとは。
目の前に迫る異様な魔物の姿に驚きと戦慄が混じる。
殻に包まれた円形の身体からは、
無数の触手がゆっくりと這い出し、うごめいている。
生き物とは思えない異様な動きで、
地面を滑るように進んでくるその様子はどこか不気味だった。
しかし、ライダーってのは?
そう思いながらライダー要素を探していると、
殻の上にいる小さな人影が目に入った。
その人影は金属製の鎧に身を包み、小さな手で手綱を握りしめ、
姿勢よくこちらを見据えている。
おお、ナイトがライダーだったか。
「カーリナ、距離を取りながら攻撃だ!
レオノールちゃんは後ろで待機するように」
「了解です、師匠!」「うん、わかった」
カーリナが槍を握り直し、
慎重に距離を取りながらアンモナイトライダーに近づいていく。
その一方で、殻から伸びた触手が地面を這い、
獲物を狙うように素早く迫ってくる。
触手は絡み合うことなく複雑に動き、
迷路のような動きで前進するアンモナイトライダーの姿は、
不気味さを際立たせていた。
それにしても……うにゃうにゃと動いて気持ち悪いな。
その上で小人の騎士は必死に手綱を握り、
まるで乗り物を操るかのように動き回っている。
アンモナイトライダーが、自分とカーリナの間を突進してきたが、
カーリナはすかさず体を躱し、すれ違いざまのアンモナイトに槍を繰り出した。
しかし、その一撃は硬い殻に跳ね返され、
わずかに傷を付けただけにとどまった。
「師匠、あの殻、硬すぎます!」
「無理に殻は狙うな。まず触手を叩いて、動きを止めるんだ」
アンモナイトライダーが方向転換し、再びこちらに向かって来た。
今度はアンモナイトが触手を大きく振り上げている、
あれで攻撃を仕掛けるつもりだろう。
だが、標的にして下さいといっている様なものだ。
自分はアンモナイトライダーの側面へ回り込み、触手を一閃する。
一撃を受けると、アンモナイトが体を痙攣させ、甲高い鳴き声を上げた。
ピーピーピーッ!
ビープ音を思わせる鳴き声が迷宮内に響く。
巨躯に似合わず、随分とかわいらしい鳴き声だ。
「今だ、カーリナ!」
「はい!」
カーリナは隙を逃さず、触手の根元に鋭い突きを繰り出すと、
攻撃が効いたのだろう、アンモナイトが左右に大きく体を揺らし始めた。
すると、上に乗った小さな騎士は、体勢を立て直そうと必死に手綱を引き、
こちらを睨みつけている。
兜で表情はわからないが、これ、絶対に怒っているだろうな。
「怒って、いや、効いてるぞ!一気に畳みかけろ、カーリナ!」
カーリナが追撃を仕掛けようとした瞬間、
小さな騎士が何かを叫びながら手綱を強く引いた。
すると、アンモナイトは素早く後退しながら、方向転換を始めた。
巨躯にも関わらず、バックも小回りもできるのかと感心していると、
好機とみたカーリナが逃げるアンモナイトを追いかける。
だが、小さな騎士が再び合図を出すと、
アンモナイトがカーリナを押しつぶすように覆いかぶさった。
重い衝撃が迷宮を震わせた直後、レオノールの鋭い声が響く。
「お姉ちゃん!」
自分の位置からは、カーリナの姿が見えない。
冷静を保ちながら、声をかける。
「カーリナ!無事か?」
しかし、返答はない。
自分の声に反応した小さな騎士がこちらを一瞥した後、
アンモナイトの背で小さく手を振り上げ、鋭く叫ぶと、
無数の触手が即座にうごめき始めた。
触手が迷宮の床を叩き、重々しい音を響かせながら、
器用にその巨躯を持ち上げた。
カーリナの無事は不明。
一人でレオノールを守りつつ、この魔物を相手にできるのか……
手汗をズボンで拭き、剣を握り直した。
小さく息を整え、アンモナイトライダーに剣を構える。
「師匠!ここは一度引きましょう」
「えっ、えっ、えっ!?」
声の方を向くと、レオノールの手を引いて走り出すカーリナが見えた。
おい、カーリナ、無事なら返事をしてくれよ……
慌てて二人に続いて走り出す。
背後ではアンモナイトの触手が地面を這う不気味な音が響く。
振り返ると、アンモナイトの姿は……見えない。
妙な気配だけが漂う中、カーリナが警戒の声をあげた。
「師匠、壁です!」
壁?視線を向けると、アンモナイトが壁に張り付き、小さな騎士がその背で、
今度は手綱を引きながら剣を振り上げ、再び何かを命じている。
触手が壁に絡みつき、アンモナイトがまるで獲物を逃がさないように、
迷宮の壁を這うその姿は異様だ。
突如、アンモナイトが壁を蹴って頭上に跳躍してきた。
巨大な体が真上から降ってくる。
とっさに脇へ飛びのくと、重い着地の衝撃が迷宮を震わせた。
「師匠!」
「無事だ!」
無事なのはいいが、あれが直撃したら……まずい。
アンモナイトがまた壁へと這い上がり、再び跳躍の構えを見せる。
逃げる暇はなさそうだ。
「師匠!」「お兄ちゃん」
二人の叫び声が聞こえる中、目の前にはアンモナイトが迫る。
触手が無防備に露わになった底面が見えた。
剣を握りしめ、一か八かで全力で触手の森に突き刺すと、
アンモナイトは激しく痙攣すると、ビープ音と共に黒い煙となって消えさった。
「やりました、師匠!さすがです!」
カーリナはほっとした表情を浮かべ、槍を下ろした。
一時は退避を考えたが、無事倒せてよかった。
だが、どこか腑に落ちない感覚が残り、ふと周囲を見回す。
「そうか……ドロップアイテムが見当たらないのか」
「そんなことは……ほんとですね。どこかな?」
カーリナとドロップアイテムを探していると、
背後からレオノールが呼ぶ声が聞こえた。
「お兄ちゃん!」
振り向くと、レオノールのすぐ目の前に小さな騎士が立ち、
剣を鋭く突きつけている。
兜で顔は隠れているが、その動きからは決して引く気配が感じられない。
「レオノールちゃん、落ち着いて。
まずは魔物を刺激しないようにゆっくりと下がるんだ!
……カーリナ、少しずつ回り込むぞ!」
「はっ、はい、師匠」
「あたしに任せて、お兄ちゃん」
レオノールは一瞬こちらに目を向けると、
手にした銅のナイフを強く握りしめ、
素早く小さな騎士へ鋭い一閃を見舞った。
ピピーッ!
小さな断末魔と共に、騎士は短躯をひねりながら崩れると、
小さな黒い煙と化し、跡形もなく消えていった。
レオノールが小さな騎士を倒し、手にしたナイフをそっと見つめていた。
自分のしたことが信じられないような、けれど少し誇らしげな表情が浮かぶ。
「……や、やった!お兄ちゃん、見てた?」
そう言って、こちらを見上げる顔は緊張から解放された安堵と、
ほんの少しの自信が混じっている。
普段の無邪気な笑顔も見せつつ、今までより少し大人びたように感じられた。
すると、カーリナが微笑みながらレオノールに声をかける。
「ノーラちゃん、すごく頑張ったね!
初めての迷宮なのに、こんなに堂々と戦えるなんて」
レオノールは少し照れくさそうに笑い、でも嬉しそうに頷いた。
「うん、あたし……ちょっとだけ、強くなった気がする!
お兄ちゃん、はい、これ」
レオノールはドロップアイテムを大切そうにこちらに差し出すと、
得意げに微笑んだ。
手にした『殻の欠片』が、彼女の小さな戦いの証のように感じられる。
***
12階層入口の魔法陣から地上に戻り、
疲れ切った体に鞭を打ちながら三人で夕飯の準備を始めると、
余程、疲労で顔色が悪かったのだろうか、
見兼ねたカーリナがそっと話しかけてきた。
「師匠は休んでいてください、準備はボクとノーラちゃんがするので」
「いや、そうはいかない。カーリナはともかく、
レオノールちゃんまで手を動かしているのに、
自分だけが休むわけにはいかないよ」
「それでしたら――」
結局、自分は11階層の中間部屋に置き忘れた石化した盾を回収に行くことに。
まぁ、自分の役目ってところだな。
小屋に戻ると、夕飯の支度が整っていた。
香ばしい匂いが空腹に染み渡り、疲れも少しずつ和らいでいく。
食事が進むうちに、自然と明日の計画の話になった。
「師匠、明日は12階層からの探索開始です。
そして、いよいよ最深部の13階層に到達できるはずです」
カーリナが地図を広げ、次の階層について説明を始める。
「師匠、オタラ迷宮の12階層はウマが現れるらしいです。
13階層はトリだと書いています」
「トリか……」
ふと、漁村で戦ったニワトリ――ブルーピーコックの姿が脳裏に浮かぶ。
青白く光った後に自爆する厄介な魔物だった。
自爆されると経験値もアイテムも得られないことを思い出し、
思わず口元に苦笑が浮かぶ。
「前に戦ったニワトリもまた出てくるのかな?」
「ニワトリ……あっ!ブルーピーコックですか?そう言えば師匠、
前にボクの警告も聞かずに、漁村の人達と一緒になって戦ってましたよね」
「えぇー、そんなことしたら危ないよ、お兄ちゃん」
「ん?あ、う、うん」
「ブルーピーコックはBランクの魔物なので、13階層の奥にいます。
師匠なら、あのニワトリもなんとかしてくれますよね!」
「そう……だね」
「今度はボクもいるので心配ないですよ。
それに、ノーラちゃんも頑張ろうね!」
「うん、あたしも頑張るよ」
無邪気に頷くレオノールを見て、改めて気を引き締めた。
レオノールがいるのだ、あのニワトリに自爆なんかさせるわけにはいかない。
明日も決して油断できないと改めて気を引き締めると同時に、
明日も決して楽勝ではないと改めて気が引けた。
ともかく、安全に探索を進め、無事に帰ってくることを願いつつ、
夜が深まり、明日への気持ちが引き締まったまま眠りについた。
魔物設定
アンモナイトライダー/ ammonite rider
系統:海生 種類:頭足類 ランク:A
弱点:火 耐性:水 特殊:石化
攻撃:触手攻撃(石化)、突進
特徴:高速で移動する巨大なアンモナイトと、
その背に手綱を握る小人の姿が印象的な魔物。
アンモナイトは触手を素早く動かして地面を滑るように移動し、
直線だけでなく急転回やドラフトも自在に行う。
小人はその動きを巧みに操りつつも、
時折スピードが出過ぎて振り落とされそうになることもある。
冒険者たちの間ではアンモナイトの名前はキット、
小人の名前はザ・ホフと呼ばれている
ドロップアイテム:殻の欠片、軟化の鍵
デビルフィッシュレディ/ devilfish lady
系統:海生 種類:頭足類 ランク:S
弱点:火 耐性:水 特殊:石化
攻撃:銛による突き攻撃(石化)
特徴:全身白ずくめの色白の女性人型魔物、銛を持っている。
ドロップアイテム:武器レア/聖槍、宝石/魚眼石




