第39話 イカゲソ
中間部屋に戻ると、レオノールが笑顔で出迎え、
素早く水筒から水を注ぐと、コップを手渡してくれた。
ありがとうとお礼を言うと、レオノールは満面の笑みで頷き、
カーリナにもコップを渡している。
「レオノールちゃん、特に問題はなかった?」
「うん、何もなかったよ、お兄ちゃん。
お兄ちゃんたちも何もなくてよかったね」
一瞬、ハチの大群に襲われていたカーリナの姿が頭をよぎった。
何もなくはなかったのだが、
まあ、レオノールの元に無事に戻ってこれたんだから、それで十分だ。
「ノーラちゃん、少し手伝ってくれる?」
ドロップアイテムを木箱に詰めているカーリナに声をかけられると、
駆け寄るレオノールが少し嬉しそうに見えた。
それにしても……
レオノールの愛称ってノーラなのか、
安直にレオちゃんやレニーが愛称と考えるが、違うのだな。
壁にもたれ一服していると、
収納を終えたカーリナがレオノールを連れてやって来た。
「あの……」
レオノールが何か言いたげに、少し戸惑いを見せている。
「おっ、お兄ちゃん!あたしも次の階層に付いて行ってもいいかな?」
「!?」
レオノールからまさかの申し出があり、思わず言葉を失った。
てっきり、もう地上へ戻りたいと言い出すのかと思ったが、
その逆、一緒に付いて行きたいだと?
魔物を恐れていたのではないのか?
「ダメダメ、魔物がいるんだから。レオノールちゃんも魔物怖いでしょ?」
「うん……でも……」
「カーリナか?」
何か言ったのかと疑いの目を向けると、カーリナが首を横に振りながら答えた。
「師匠、ボクからもお願いします。
ノーラちゃん、強くなりたいって言ってたよね」
「あたし、強くないから……だから、おばさんを……助けられなかったの」
「いや、それは違う。レオノールちゃんは絶対に悪くない。悪いのは魔物だ。」
そうか……魔物に村を襲われ、おばさんが犠牲になったことを、
レオノールはずっと気にしていたんだな。
てっきり戦闘狂のカーリナの悪影響かと思っていたが、
レオノール自身の気持ちだったのか、だが……
どう返答しようか迷っているところで、カーリナが口を開いた。
「師匠、ボクが必ずノーラちゃんを守ります。命を懸けても、絶対に守ります。
だから、ノーラちゃんも一緒に連れて行ってください。お願いします。」
「お願い、お兄ちゃん。ううん、師匠、お願いします」
レオノールまでも師匠とは、カーリナの悪影響だな。
「わかった、わかった。連れて行くよ。
でも、カーリナ、絶対にレオノールちゃんを守るんだぞ。
それが騎士としての大事な役目だ。だが、命を投げ出す必要はない。
危険だと思ったら、レオノールちゃんを連れてすぐ逃げるんだ、いいな?」
「はい、師匠!」
「それとレオノールちゃん……師匠って言うのをやめてもらえるかな」
「えっ、でもお姉ちゃんは――」
「この人はちょっと変なんだ。だからやさしく接してあげて」
「ちょっ、師匠!ノーラちゃんに変なことを吹き込まないでくださいよ。
いい、ノーラちゃん。師匠は弟子を一人しかとらないの、
だからノーラちゃんはこれまで通り、お兄ちゃんでいいよ」
「……うん。そうする」
やっぱり、カーリナはどこか変わっているな。
どうやら、レオノールも気付いたようだ。
さて、連れて行くとは言ってみたものの、
戦闘未経験のレオノールを護衛しながら進むのは気が重い。
レオノールに向かって鑑定スキルを発動。
レオノール 獣人族/兎耳 女 13歳 村人 Lv.4
えっ、Lv.4!?ちょっと高くない?
レオノールに戦闘経験を尋ねると、勿論ないとのこと。
まさかと思い、自分のステータス画面を開くと、
いつの間にやらレオノールがパーティーに入っていた――これが理由か。
あのハチの大群を倒したから、急成長を遂げたのだな。
しかし、いくらLv.が高いからと言っても、装備がなければいけない。
帯同を許可する条件として、
カーリナが持つ解毒の鍵をレオノールに渡すことを提示した。
レオノールを連れて行くと言った手前、カーリナに拒否権はない。
不満げな顔で、カーリナは渋々レオノールに鍵を手渡した。
これでレオノールの毒耐性は確保できたな。
あとは武器と防具なのだが、
一応、自分が護身用として渡した銅のナイフと、
カーリナが勝手に渡した木の盾がある。
レオノールに戦わせるつもりはないので、これでも十分だとは思うが……
念のため、補給物資から手頃な武器を探してみるか。
中間部屋には、ガド騎士団が定期的に補給している物資が置かれている。
最低限の薬草や毒消し草に加えて、予備の武器までもある。
しかし、武器と言っても、騎士団から支給される銅の剣のみ、
それも、今は騎士団の管理が行き届いていないためか、剣は錆びついていた。
一本取り出してレオノールに持たせてみたが、大きすぎて扱いにくそうだ。
これでは持たせても意味がない、
戦闘には参加させないつもりだから、ナイフで十分だ。
魔物に遭遇しても絶対に戦闘に加わらないよう、レオノールに強く念を押し、
もしものことがあればレオノールを連れて逃げるようにとカーリナに指示し、
魔法陣から11階層入口へと移動した。
***
迷宮を進みながら、カーリナが11階層の説明を始めた。
「師匠、11階層から迷宮が更に広くなります」
「おお、確かに、10階層に比べると通路が広いな」
「通路だけでなく、階層全体が大きくなっています。
それと、一度に出てくる魔物が三匹になります」
カーリナの説明を聞いて、急に11階層の探索が億劫になってきた。
地図があるので最短距離で探索できるが、広い階層を歩くはめになる。
それに一撃で魔物を倒せるからと言っても、
三匹同時に相手するともなると、戦闘時間が長引くだろうな。
はぁー、こんな広い場所を歩き回って、
今日中に次の12階層に到達するのは無理かもしれないな。
足も痛くなりそうだし……
自分よりも先にレオノールが音を上げてくれることを密かに願う。
しかし、レオノールがいる手前、ここで弱音を吐くわけにはならない。
レオノールは自分を信頼してくれているのだ……たぶん。
カッコいいお兄ちゃん像を死守するため、
平然とした表情を作って『わかった』とカーリナに返事をしたが、
内心は不安でいっぱいだ。
カーリナの地図ナビを頼りに自分が先頭を進む。
後方にレオノールを配置し、その前をカーリナが守るように歩く。
レオノールは不安そうだが、怯えはなく、緊張した表情を見せつつも、
勇気を振り絞って、必死に自分たちに付いて来ているようだ。
この編成ならば、突然魔物と遭遇したとしても、
レオノールが魔物から攻撃を受けることはない。
そう、自分が三匹の魔物から攻撃されるだけだ……
師匠だし、お兄ちゃんだから我慢するしかないな。
警戒しながら迷宮を進んでいると、
巨大なイカが宙に浮かんでいるのを目撃した。
大きい……いや、大きすぎる。
体長は6、7メートルくらいか。
あれ?イカの体長って、腕の先まで含むんだっけ?
それとも、タコの方だったか?
それにしても、こんな広い迷宮でも、あのイカが三匹も集まると窮屈そうだ。
足が30本……よく絡まないものだ。
確か、長い2本が特徴で、それがタコと違うところだったな。
あの掲げている腕がそれかな?
次の瞬間、イカがその長い腕を勢いよく振り下ろしてきた。
勢いよく振り下ろされた腕を間一髪のところで避けると、
腕は地面を大きくえぐり、土煙を上げていた。
ひえぇー、あんなの喰らったら尻餅ついちゃうな。
「師匠、あれはジャイアントスクウィッドです。
Cランクの魔物で、長い2本の触腕で攻撃してきます!」
カーリナの声が耳に入り、視線をイカに戻すと、
これですと言わんばかりに、2本の長い触腕を高く掲げていた。
再び振り下ろされた触腕をすんでのところで避け、すかさず剣を振り、
近くの腕に一撃を加えると、剣を介して確かな感触があった。
次の瞬間、腕は地面に落ちて黒い煙となって消えた。
おお、巨大イカも攻撃一回で倒せ……ていない。
「師匠!短い触腕に攻撃しても意味がありません。それは防御用ですから。」
「えっ!!防御用!?」
気を取られた隙を突かれ、再び迫ってきた長い触腕に反応が遅れてしまい、
盾が間に合わず強烈な一撃を胴に喰らってしまった。
早く言ってよ、カーリナ……
2、3歩後退りした後、尻餅をついた。
「師匠、援護します!」
「いやっ、カーリナはレオノールちゃんを守るのに徹してくれ」
カーリナの助太刀を断り、改めてイカの配置を確認する。
手前に二匹、そして少し離れた奥にもう一匹……
巨大な体同士、どうやら動きが制限されるらしく、
三匹が同時に攻撃してくることはなさそうだ。
なら、まずは手前の二匹に集中すれば良いだろう。
手前の一匹に狙いを定め、剣を構えて距離を詰めた瞬間、
もう一匹の長い触腕が目の前の地面を叩きつけた。
ならばと、狙いを変えようとした途端、
最初に睨んでいたイカが隙を狙って再度攻撃してきた。
くそっ、交互に来るとは……
カーリナからの助太刀申請はまだ有効かな……
イカの巨大な触腕が再び振り下ろされ、反射的に横へと飛んでかわす。
しかし、距離を取ろうと下がったつもりが、すぐ背後に硬い壁の感触を感じた。
しまった、いつの間にか壁際へ追い詰められている……
これ以上後退できない状況に、僅かに焦りが募る。
一方、別のイカがカーリナたちを襲い、
音を立てて触腕が振り下ろされるのが見えた。
「カーリナ、絶対にレオノールちゃんを守れ!」
内心、こっちを助けてくれたら楽なのにな、
という思いが頭をよぎったが口には出せなかった。
鋭い声で返事をしたカーリナを横目で見ると、
イカの触腕をかわし、槍を構え直して応戦している。
槍先が正確にイカの動きを追っているが、
常に動き続ける触腕に阻まれ、なかなか効果的な一撃には至らない様子だ。
レオノールを守りながらの立ち回りには、まだ少しの余裕が感じられるが、
早く目の前のイカを倒し、カーリナたちに加勢しなければ……ん?
ふと、奇妙な違和感が頭をよぎった。
戦闘が始まって以来、手前のイカ二匹に集中していたが……
確か、もう一匹いたはずだ。
イカの触腕が目の前でうねるのをなんとか避けながら、
わずかに隙を見出そうとしていたその時。
「ノーラちゃん!」
カーリナの叫び声が耳に届き、
鈍い打撃音と共に、レオノールの短い悲鳴が上がった。
視界を塞ぐイカの触腕の隙間から、
地面に無防備に倒れ込んでいるレオノールの姿が見えた。
腹の底で焦りが募りながら攻撃の隙を探る。
イカの目がわずかに動き、こちらを鋭く見据えたように感じた。
その瞳は、冷たい水底のように深い色をしている。
触腕が難しいなら、この目を……
イカが触腕を振りかざそうとするその一瞬の隙を狙い、
距離を詰め、力を込めて剣を突き出す。
巨大な目にしっかりと剣先が刺さると、
一瞬の静寂に包まれたかのように動きを止めたイカだったが、
墨の代わりに、黒い煙を吹きながら消えていった。
イカが黒い煙に変わったのを確認するや否や、
すぐさまレオノールの救出に向けて駆け出した。
急がなければ、レオノールが危ない。
「カーリナ、もう少しだけ耐えてくれ!」
イカに立ち向かうカーリナの横をすり抜けながら声をかけると、
返事が力強く背後から響く。
その声に一瞬安心しながら、さらに足を速めてレオノールの方へ向かう。
倒れ込んだレオノールの前方で、イカがその長い触腕を振りかざしていた。
今にも追撃しようとするその動きを見て、反射的に剣を握りしめ、
背後から側面へと素早く回り込み、
イカの目がこちらをとらえる前に、一気に剣を突き出した。
「レオノールちゃん、大丈夫か?」
黒い煙に包まれて消えていくイカを横目に、無事を祈るように声をかけると、
レオノールの表情には多少の不安が見えるが、小さく頷いた。
手を差し出して支えると、無事に立ち上がったレオノールだったが、
視線を落としたまま、申し訳なさそうに口を開いた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「謝ることなんて何もないよ。ごめんね、魔物の攻撃は怖かったでしょ?」
「ううん、違うの。お姉ちゃんがくれた盾が変になっちゃった」
レオノールが両手で抱える木の盾を見ると、表面が灰色に変色している。
まるで石みたいだ……石化?
もしかして、イカの触腕に触れると石化するのか?
急いでレオノールと自分の体に異変がないか確認したが、石化の兆候はない。
一安心し、心配そうな表情のレオノールに優しく声をかけた。
「盾なんて消耗品だから、気にすることないよ。
それよりも、レオノールちゃんが無事で何よりだ。
……それに、その盾、防御力が上がったんじゃない?」
「えっ、そうかもしれないけど、重くてあたし持てないよ」
「ああ……そうか……たしかに……」
石化した木の盾の代わりに、自分の木の盾をレオノールに差し出した。
レオノールは一瞬驚いたようにこちらを見上げたが、
すぐにほっとしたような微笑を浮かべ、盾を受け取ってくれた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
これでカッコイイお兄ちゃん像は守れた。
次はカッコイイ師匠としての番だが……
カーリナを見ると、まだ戦闘が続いていた。
カーリナが慎重に間合いを測り対峙しているイカは、
巨体を左右に揺らしながら宙に浮いているが、随分とスリムになっている。
短い触腕はすべてなく、残っているのは攻撃用の長い触腕だけの状態だ。
「カーリナ!そいつの弱点は目だ!目を狙うんだ!」
声を張り上げると、
カーリナが視線をイカに向けたまま小さく頷き、
一歩踏み込んで鋭く槍を構えた。
それと同時に、イカが触腕を振り上げ、最後の抵抗とばかりに叩きつける。
しかし、カーリナは巧みにかわし、すかさずイカの目を狙って一突き放った。
槍先が見事にイカの目を捉えた瞬間、
イカは大きく揺れ、その場に黒い煙を残して消えていった。
イカが黒い煙に変わって消えるのを見届け、
慌ててカーリナに駆け寄った。
「カーリナ、怪我は?石化もしてないか?」
「はい、大丈夫ですけど……石化ですか?」
「ああ、レオノールちゃんが石化攻撃を受けたんだ」
「えぇ!?」
「心配しなくていい、盾のおかげで助かったよ」
「やっぱり、ボクが木の盾を渡して正解でしたね」
どこか得意げな表情を見せるカーリナに、
内心呆れつつレオノールの方を見ると、
ちょうどドロップアイテムを拾い集めていた。
「お兄ちゃん、はいこれ。落ちてたよ」
「ありがとう。これはなんだ?」
白く紐状のアイテムに鑑定スキルを使うと、『イカゲソ』と表示された。
「見て、あっちにもある!あたしが拾ってくる!」
「レオノールちゃん、ありがとうな」
レオノールは嬉しそうに駆けていく。
ドロップアイテムを拾い終えたレオノールが、
石化してしまった木の盾に目を向け、尋ねてきた。
「お兄ちゃん、この盾って……どうしたらいいかな?」
「それかー、重いし、捨てちゃおうか?」
「いいの?」
「ああ、また必要になったら手に入れればいいさ」
納得したようにレオノールが笑顔を見せていると、
カーリナが気になる様子で近寄ってきた。
「師匠、それってもしかして……」
カーリナが石化した盾に気づいた瞬間、
先程まで得意げだった表情がみるみる青ざめていくのが見えた。
カーリナがレオノールに渡した木の盾はガド騎士団の支給品なのだが、
損傷や紛失した際には始末書を提出しなければならないらしい。
場合によっては減給もあるそうだ――ご愁傷さまです。
***
ようやっと、中間部屋に足を踏み入れた瞬間、
緊張の糸が少しずつ解けていくのがわかる。
ほっと安堵の息をつきながら、
「いやー……あの巨大イカを何匹も相手するなんて、
流石に骨が折れたよ。もう体の節々がきしむよ」
呟くように言うと、隣のカーリナがうなずきながら苦笑する。
「はい、しかも時々、キラーアントまで出てきましたし……
結構使っちゃったので、毒消し草を補充しておきますね」
「ああ、お願いするよ。
それと、レオノールちゃんに『解毒の鍵』を装備させておいて正解だったな」
木の盾のお返しとばかりに、自分も得意げな顔をして見せたが、
カーリナはこちらを見ることなくアイテムの整理を始めてしまった。
レオノールも安心したのか、カーリナを手伝いながら笑顔を見せた。
「これで少し休めるね、お兄ちゃん」
レオノールの言葉に頷き、肩の力を抜く。
アイテムを整理しているカーリナだったが、
先程から石化した木の盾をちらちら見ながらため息をついている。
騎士団の支給品を損傷した場合は始末書だけでなく、
損傷した支給品も一緒に提出するとのことで、わざわざ律儀に持ってきたのだ。
使えない盾など迷宮で捨てればいいものの、厄介な規則だな。
「カーリナ!一緒に事情を説明してあげるからさ、元気出しなよ」
「あっ、いや、ははは。ありがとうございます」
心情を見透かされたのが照れくさいのか、カーリナが笑って答えた。
「カーリナ、次の魔物の情報を教えてくれないかな」
「えーっと、11階層奥は……クラーケンです」
北欧の神話に出てくる巨大イカか……
さらに大きいのが出てくるのか、これまた骨が折れそうだな。
でも通路に収まるのかな?さすがに通路を塞ぐほどの大きさではないと思うが。
むしろ、一度に相手するのが一匹になれば、戦いが楽になるかもしれないな。
少しの休息を経て、中間部屋を後にした。
魔物設定
ジャイアントスクウィッド/ giant squid
系統:海生 種:頭足類 ランクC
弱点:火 耐性:水 特殊:石化
攻撃:触手攻撃(低確率による石化)
特徴:宙に浮かぶ巨大なイカ(ダイオウイカ)。
長い触腕で叩きつける攻撃を仕掛けてくる。
短い触腕は防御用であり、切り落としたとして倒せない。
低確率で石化が発生する。
ドロップ:食材/イカゲソ、アイテム/インク、アイテムレア/波動石