第1話 転生
気が付くと仰向けになっていた、辺りは薄暗い。
なんだっけ……寝ちゃったのか……夕方?……んっ!やばい!!
Web会議中だったはずだ。
慌てて起き上がるが、目の前に何もないことに気付く。
辺りも見回すが、パソコンも机も椅子も何もない。
ここは自宅ではない……なんで、どうして?ええっと……。
少し混乱状態だと自覚しながら、思考を巡らせる。
今日は、在宅ワーク中だったはずだ、これは間違いない。
今年の猛暑に伴う電力需要拡大に、電力会社から節電要請を受け、
可能な社員は在宅ワークをするようにとの業務命令が出たのが、昨日のことだ。
そして、今日は国内外の工場との終日Web会議予定だったので、
在宅勤務に切り替えたのだ。
記憶を辿り、少し落着きを取り戻した。
Web会議は、工場からの取り留めがなくつまらない報告を長々と聞かされていた。
スマホゲームをしながら適当に聞いていたから、報告内容は全く覚えていない。
でも、Web会議していたのは確かだ。
そして会議はまだ終わっていない、それだけはちゃんと覚えている。
Web会議の途中だったことを完全に思い出したが故に、
理解できないこの状況に再び混乱した。
いったい……ここは……どこだ?
自分の部屋ではないのは確定、誰かに連れ出され、ここに放置されたのか?
屋外……いや、風がないから屋内か。
急に不安になって、自分の体を確認する。
靴は履いていない、眼鏡はある、
着ているものはいつもの部屋着のグレーのスウェット上下、
Web会議中の服装のままだ――乱暴はされてないようだ。
ポケットに手を入れ、タバコとライターがあることには一安心したが、
ライフラインのスマホがない。
薄暗い中、足元を念入りに確認したがスマホは落ちていなかった。
機種変したばかりなのに……どうしよう。
改めて周りを見渡すが、薄暗くて何も見え……。
先程は気づかなかったのか、小さな光の点が見えた。
どのくらい距離があるかわからないが、とりあえず光に向かって進んでみるか。
***
暫く歩いたが、遠くの光以外なにもない。
熱くも寒くもなく、只々、広い何もない空間を進んで行く。
本当に前に進めているのか、そもそも自分は歩けているのか……と疑念が湧く。
足を一歩踏み出す毎に、その疑念が強い不安へ変わっていった。
「やばい、やばい、やばい」
たまらず声が出て、恐怖で足が進まなくなった。
心を落ち着かせようと、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
残りは18本……ライターは今朝オイルを補充したばかりだ。
20年愛用しているオイルライターを見ながらタバコを吸う。
チン……カチッ、チン……カチッ。
何も考えずライターの蓋を開閉させ、その音だけに集中する。
もし夕方なら……そろそろ……ゲームイベント発生の……時間なのだが……。
心を無にするのは難しかった。
タバコを吸い終えると多少だが気が楽になったので、再び歩き始める。
***
先ほどよりも、光が大きくなったように感じる。
光自体が動いていたらどうしようと思ったが、ちゃんと近づけているようだ。
何かの音が聞こえる。
(ちゃぷちゃぷ……ちゃぷちゃぷ……)
「水の音か?」
その音だけに集中しながら歩き続ける。
夕方のイベントは……諦めよう……。
音だけに集中するのも難しかった。
***
夕方のイベントを諦め、歩き続けていると船着き場のような所に行き着いた。
船を舫っている杭の傍らに人を見つけ少し驚いたが、
それと同時に人に出会えたことに安堵した。
近づき過ぎないように距離を取って話かける。
「あの~すみません。ここはどこでしょうか?」
薄暗いため見えにくいが、その人物は白いローブを纏い、
手にはランタンのような物を持っている。
あの光はこれだったか。
深くフードを被り口元しか見えないが、女性のような細い体格だ。
あるいは引きこもりのニート男子かもしれない。
返事がないので再び声をかけようとしたら、向こうから挨拶してきた。
「こんにちは」
「あっ、こんにちは。ここはどこでしょうか?」
優しい声だ、顔はよく見えないが女性のようだ。
「私は案内人です。思ったより遅かったですね」
「えっ、あっ、そうですか。すみません……あのーここはどこでしょうか」
思わず誤ってしまったが、こちらの質問には答えてほしい。
「案内人の責務として、私はここで10日間待っていました」
「10日!えーっと、ここはどこなのでしょうか」
この女、わざと質問に答えないのか?まず、ここはどこなのか教えてくれよ!
それに10日間待ったってなんだよ!?
「あなたは、もうお亡くなりになっています。
これから案内しますので、私について来てください」
「え?ちょっと待って。ナニナニナニ?誰が死んだって」
「ご自身の死を自覚されている方は多くありません。
事故でお亡くなりになられた方はなおさらです。
では今お見せしますね。ヒデキさん」
こいつ今、自分の名前を呼んだぞ。
そんでもって、お前はもう死んでいるだと。
何を見せる気だ、死亡届か。
一瞬にして周りが明るくなり、映像が頭に飛び込んできた。
映像と共に、女の声が聞こえる。
「10日前、あなたはこの世界に召喚されました。
その際、転移時に発生する高濃度の魔力に耐えきれず、
あなたはここで亡くなったのです」
部屋の俯瞰映像が見える。
床には模様のようなものが円状に描かれ、それが青白い光を発している。
その円中央に上下グレーの服を着た人物が横たわっていた。
その人物の周りを囲んでいる人々が次々に倒れ、口から泡を吹き痙攣し始めた。
全身金属製の鎧に覆われ手に剣を持っている、まるで中世騎士といった恰好だ。
その光景を目の当たりにして、
腰を抜かす者、理解できない言葉で泣き叫んでいる者が見える。
まさに阿鼻叫喚といった状況の中、
ひときわ立派な鎧を付けた人物だけが怒号を発している。
直ぐに大勢の人がその部屋から逃げるように出て行った。
そこで映像が消え、再び辺りが薄暗くなった。
先ほどの女が目の前に立っている。
本当のことか?にわかに信じがたい。
信じがたいが、確かに横たわっていたのは自分だ。
今着ているのと同じ服装だった、そして……床にスマホが落ちていた。
スマホに見覚えのあるゲーム画面が映っていて、
射幸心を煽るようにイベント発生中の文字が点滅していた――自分のスマホだ。
「ヒデキさんはある領主の命を受けた召喚術師の手によって、
こちらの世界に呼び出されました。
召喚術は巨大な魔力を必要とし、大変危険を伴うものです。
今回も魔力災害を引き起こしてしまいました」
「あのー、あそこで倒れていたのは私なのでしょうか?今ここにいるのは……」
「ご自身の死を受け入れるというのは、皆さん難しいようです。
特に今回は珍しい事例ですので、信じがたいのも無理もありません」
「失礼ですが、あなたは神様なのでしょうか」
「いいえ、とんでもないことでございます。私は魂の案内人です」
そういえば、この女はさっきから案内人だと言っていた。
てっきり『とんでもねぇ、あたしゃ神様だよ』と言ってくれると思ったのに。
「案内人さん!私を元の……元の世界に戻してもらえないでしょうか」
「私は案内人であり、傍観者です。
残念ながら、ヒデキさんがいた元の世界に干渉することはできません」
案内人の女が自身の胸に両手を当てた。
少しの沈黙の後、こちらに近づきながら優しい声で言う。
「私ができることは、ここに来られる魂に亡くなったことを
ご納得いただけるまで説明をすること。
そして魂を無事にあの世に送り届けることです。では参りましょう」
えっ!説明は今のでお終い?まだ納得してないけど。
腕を掴もうとする案内人の女を避けながら質問する。
「ちょっ、ちょっと待ってください、百歩譲って、死んだのは理解しました。
じゃあ、こちらの世界で生き返ることはできないのでしょうか」
「こちらの世界でしたら、ヒデキさんを戻すことはできます。ですが、
魂を新しい器に入れ替えない限り、高濃度の魔力を浴びたその器では、
また直ぐお亡くなりになります。では参りましょう、こちらへどうぞ」
えっ!?今戻せるって言ったぞ。
サラッと言ったが、それって生き返るってことじゃないの?
異世界で生き返られる希望が見えてきた。
知らない世界だけどこの好機を逃してなるものか。
腕を掴もうとするのをやめない案内人の女に更に質問する。
「こちらの世界でなら、生き返る可能性があるってことですか」
「はい、ヒデキさんは器ごとここにこられているので、
こちらの世界でしたら直ぐに戻すことが可能です」
「だったら……また死んでしまうかどうかを、試す価値はあると思うのですが」
「一度試したのですが、直ぐお亡くなりになりました」
えっ、既に試したの?
知らぬ間に今日2回死んでいた。
「確認のため、その日のうちに更に2回連続で試したのですが、
高濃度の魔力に耐え切れませんでした。その後、1日開けてから1回、
次に3日開けての試行を2回繰り返したのですが、結果は同じでした」
「……」
「直ぐに亡くなられたので、覚えていらっしゃらないのは無理もありません。
他に私ができることは、この世界に転生させることしかありませんが、
肝心な魂の器がありません。では参りましょう、船にお乗りください」
おいおい、知らないところで7回死んでいたようだ。
その内6回はこの案内人の女によって間接的に殺されていた。
10日間待ったと言っていたがこの女の自業自得じゃないか。
どうしても船に乗せたいのか、強引に引っ張る案内人の女の腕を振り払い、
質問を続ける。
「この通り、その魔力というのに耐えられているようです。
もう魔力がなくなったのではないでしょうか」
「ここは魔力の干渉を受けません。
そして、一度浴びた魔力は長い年月を経ることで少しずつ減少しますが、
寿命内でなくなることはまずありません、高濃度の魔力ですとなおさらです。
魔力を別の何かに使用するか、直接取り除く以外で、
その器からなくなることはありません」
「では、体から魔力を取り除いてください、お願いします」
頭を下げ頼み込むと、引っ張るのを諦めたのか、
案内人の女が舫いを解きながら答える。
「その器にある魔力は、ヒデキさんの持ち物です。
取り除くこと自体は可能ですが、ヒデキさんから魔力を奪うことになります。
私にはそのようなことはできかねます。
たとえ取り除いたとしても、魔力を置いておく場所がここにはありません」
解き終わった舫いをクルクルと回しながら、
早く納得してくれないかなーという感じでこちらを窺っている。
何かを持っているという自覚はないが、魔力って持ち物なのか。
エネルギーのように仕事をする能力の総称が魔力だと思うのだが。
それに置いておく場所がないって、まるで放射性物質……と一緒だ。
自分の中に大量のプルトニウムがあると考えたら、
案内人の女の説明が腑に落ち、それと同時に気分も落ちた。
三途の川の手前で絶望していると、
舫いを回している案内人の女の手が止まり、何かを思いついたのか話し出す。
「ではこうしましょう。ヒデキさんの魔力を使って新しい器を作るのです。
魔力だけでは不足するかもしれないので、今の器を基にしましょう。
ではさっそく取り掛かりましょう。こちらへどうぞ」
そう言うと、案内人の女が船着き場とは逆方向に歩き始めた。
心なしか嬉しそうに見える。
暫く歩いたところで手招きしているので、やはり嬉しいのだろう。
今から何をされるのか理解できていないが、
とにかく生き返らせてくれると信じ、女の後に付いて行った。
それにしても、器っていう表現がさっきから鼻につく。
急に立ち止まった案内人の女が振り返りながら言う。
「では、ヒデキさんの持ち物である魔力の使用許可をお願いします」
「あっはい……どうぞ」
「使用許可をお願いします」
「えっだから、はい」
「許可をお願いします」
「……き、許可します」
「では、始めます」
そう言い終わると、案内人の女は被っているフードを取った。
中から長く美しいブロンドが現れ、女の顔があらわになる。
真っ白い肌に透き通る青い目、なんとも神秘的な美しさだ。
美しさに見とれていると、案内人の女は両手を前に突き出し掌を上にしていた。
お前も出すんだよといった感じで顎をクイクイと動かしている。
恐る恐る自分も両手を前に突き出した。
「ヒデキさんは動かないでください」
注意された、さっきの顎クイはなんだったんだよ。
案内人の女がなにかブツブツと唱え始めた。
暫くすると、女の体が金色に光り始めたので思わず驚嘆の声を発した。
「ヒデキさんは喋らないでください」
また注意された。
金色に光っている案内人の女が尋ねる。
「あなたは、こちらの世界での新生を望まれるか」
「しんせい?……あっ、はい。お願いします」
何かの役に入ったように、先程までの丁寧だった口調が変わった。
さっきまでは転生と言っていたのに、新生って言い変えたらわからないだろっ!
心の中で案内人の女への文句をブツブツ言う。
案内人の女のブツブツも続く。
「いかような新生を望まれる。新生児、はたまた希望の齢があれば申してみよ」
40歳も超え、今更赤ん坊から人生をやり直すなんてまどろっこしい。
肉体的、社会的に自由がある成人としてやり直せばいいだろう。
「成人でお願いします」
暫くの間、案内人の女のブツブツが続く。
ただ、何もせず待っているのも暇なので、
成人として生まれかわった後について考えてみるか。
案内人の女に見せてもらった映像では、騎士のような人物がいた。
これから行く世界は文明的に中世ぐらいかもしれない、
これが終わったら後で聞いてみよう。
中世だったら、お姫様がいて、それを助けて、王子になって……。
逆玉の輿を妄想していると案内人の女が声をかけて来た。
「では、こちらの世界での成人として新しい人生をやり直すがよい」
そう言い終わると案内人の女から光が消え、自分の体が金色に光始めた。
「あっちょっまっ、聞きたいことが……待って……」
***
「ご苦労様でしたヒデキさん。
手続きは以上になります。後は細かな説明をさせてもらいます」
驚かせるなよ、知らない世界にいきなり放り出されるかと思い、
少しビビったじゃないか。
「では、ヒデキさんがこれから新たな人生を送られる世界について、
説明を致します」
***
<案内人の女から受けた説明のまとめ>
世界と歴史
これから行く世界は元の世界とよく似ている(差し当たり地球と考えてよい)。
但し、人族を含む6種族が暮らす剣と魔法いわゆるファンタジー世界である。
転生(新生?)先は、もともと自分が召喚された近く、
ランタニア大陸の西側に位置するボア・ボードラン公国。
(因みに、ランタニア大陸はユーラシア大陸より一回り小さい)
約560年前
ランタニア大陸に突如として迷宮が1つ出現、人々が魔物に襲われ始める。
種族を越え構成された勇者一行が迷宮を踏破し、地上から魔物と迷宮が消えた。
迷宮踏破から約10年後
初めの迷宮跡地を中心に、螺旋を描くように大陸各地に6つの迷宮が現れた。
勇者一行は別れ各地へ赴いたが、6つの迷宮が踏破されることはなかった。
それから約50年後に新たな迷宮が28現れ、
更に約100年後には500近い迷宮が出現した。
そして今より約100年前から新たな迷宮が出現し始めているが、
正確な数はわかっていない。
出現後も成長し続ける迷宮を、
人々はその出現時期と成長度合いから5つに分類している。
6つの『最大迷宮』、28の『大迷宮』、500近い数の『迷宮』、
そして近年出現した無数の『小迷宮』。
初めに出現した迷宮は勇者一行により踏破され現存しないが、
分類上『原初の迷宮』と呼ばれる。
人々と迷宮の関係
迷宮内の魔物がドロップするアイテムが資源となっている。
そのため魔物討伐で生計を立てている者、冒険者が存在する。
但し魔物は脅威であることに変わりなく、
国によって迷宮に対する考え方はそれぞれあり、大きく3つに分類される。
【討伐派】
迷宮を攻略し魔物を地上から一掃する考えを持った国(最小派閥)
【資源派】
魔物が落とすアイテムを資源と捉え迷宮と共存する考え、
副次的に冒険者が落とす金にも恩恵を受けるため、
領地内に迷宮がある国の殆んどがこの政策を取っている(最大派閥)
【中立派】
討伐、資源のどちらでもない考えの国、主に迷宮を持たない国や地域がこの派閥
魔力禍
魔力集中が原因、
一定量を越えた魔力により引き起こされる1つの事象と3大災害の総称。
召喚術によって約500年前に一度発生。
召喚場所が中心となり魔力禍が広がっていった。
1つの事象
別の地域から人や動物が転移、約500年前の発生時には1万人が転移した。
3大災害
1.伝染病、2.地震、3.魔物が地上に出現
(魔力禍中心から1、2、3の順に広がる)
伝染病は致死率が高いため感染者は少ない。
地震によって津波が発生、沿岸部では地形が変形。
海洋生態系への影響もあり、物理的な被害と経済的な被害を引き起こす。
迷宮から地上に出現した魔物は魔力禍中心へ進み続ける、
その行動原理の詳細は不明。
キャラクター設定
主人公:トモナガ・ヒデキ
名前の由来:日本人ノーベル物理学賞受賞者
案内人の女
白いローブを纏った女、此岸と彼岸を分ける川の船頭
ランタンを右手に持ち、腰にまとめたロープをぶら下げていることから、
転生先の世界では「火と生命の女神」、「狩りの女神」と間違って祀られている。