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呪い子 オア  作者: ジャミゴンズ
神か、悪魔か
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.04 神か、悪魔か




      04. 神か、悪魔か




 それはもう誰が見ても生きてはいなかった。絶望的だ。死が誰よりも身近であったオアにも理解していた。

目鼻口耳はない。呼気もない。手足はねじ曲がり皮膚は失われた。臓物はとうの昔に剥がれ落ちている。

その為の器官は映し世にも存在しなかった。老人が言ったアクルアムの命の石は二つ共に完全に割れている。オアは欠片を拾い集め繋げようとしたが、決してくっつく事は無かった。

アクルアムは骸と変わらなかった。

アクルアムは死んだ。

だが、老人と違うのはアクルアムの遺骸は溶けず、映し世に残ったことだ。

それはオアにとってはショックな事であったが、遺骸が残ったことは悪いことだとは思わなかった。

ある種の安堵を抱いていたかもしれない。

命の石を決して繋げ合わせることが出来ないと分かった時、オアは懐かしさを覚えながら笑みを浮かべ、やがて口に出して笑った。

胸が苦しい感じがした。

見ても身体に外傷はなく異常は認められなかったが、確かに締め付けるような重い感覚が走った。

だから笑う事にしたのだ。

人間は苦しいと思った時ほど笑うのだと、アクルアムに教えてもらったからだ。



この世界に至ったという老人が、どうして意識を保ったままオア達と同じように居たのかは分からない。

そもそも、オアとアクルアム。そして老人との違いは何なのかすらオアには理解ができなかった。この世界。アクルアムは夢の世界であると認識した。老人は石の意味を短い期間で命を示す物と理解していた。

オアは気付く事すら、いや、考えることすらも出来なかった。

その発想は呪い子になったことから失ったものだとオアは思った。人間ではない証拠のようにも思えた。

夢とは何かを知らぬし、石が命を顕すことも知らなかった。分からなかった。

オアは遺骸を引っ張って歩く。神の下に返す為に。これはアクルアムとかつて話した約束であった。映し世でアクルアムが死した時に神クガへと返す事がオアの唯一の目的となったからである。



 やがて。

アクルアムの遺骸を抱いて歩くオアの視界に、黒い境界線と赤の大地が広がった。

その大地は今までの映し世と違うことがあった。景観は変わらない。大地が原色に塗られている事もそうだ。天地は線で区切られているだけ。どこも彼処も同じであったが、唯一の違いは大地に置かれている石だ。

命を示す石だった。縦横斜めに無尽蔵に続いている。視界の遥か先まで馬鹿らしい程の空間が突き抜けて延々と、等間隔に並べられた命の石が視界の全てを埋め尽くすように広がっていた。

見覚えはある。

ここはアクルアムと出合った場所だった。この境界線を跨げば、オアの領域だった。戻ってこれたのだ。戻ってきたのだ。

どれだけの時間を歩いてきたのか、オアにはまったく分からないが、長い旅を経て映し世を踏破したのである。

アクルアムと出合ったのは間違いない。この場所だった。此処はアクルアムの領域ではないが近いはずだ。近くにアクルアムの領域があるはずだ。この場所で出会ったのだから。


 自然と速足でオアは境界線を跨いだ。

一歩、右足が己の領域に踏み込んだ時にオアは視界の全てが揺れた気がした。眩暈というものに似ている。

映し世において意味はあまりないが、前後左右を失ったような感覚だった。

平衡感覚を取り戻すように、オアは己の身体を抱いた。

骨がぶつかるような音を鳴らした。


「な、なぜ……!?」


 アクルアムの遺骸が、溶けだしていた。

ここはアクルアムの持つ個人の領域ではなく、オアの領域のはず。並べられた石を見る。この無限とも思える大地に置かれた石は命の石。

ただの一つも割れる事無く、むしろ命を主張するように輝かしく鈍い光を放っている。オアの命の石は無数にあって、そのどれも傷つかずに真新しかった。

アクルアムの遺骸は溶けだして、腕の中から骨が大地に落ちようとしていた。オアは必死にアクルアムの残った遺骸を掴もうとしたが、手からは滑り落ちて行ってしまう。


溶けだした遺骸は。それはオアの勘違いなのかもしれないが、薄い膜が空中で浮いているようにして、白い霧となって動いていた。

オアの胸元に埋め込まれた。命の石とは違う、オアの始まりを告げた家印石へと向かって霧が吸い込まれていく。


「や、やめてくれ。アクルアムが神クガの下に還れなくなってしまう」


 家印石はアクルアムを吸う事を止めなかった。両の手で抑えても、身体を丸めても、遺骸はどんどんと溶けだして霧となり、それをオアの胸元に向かって吸い込んでしまった。

霧から逃げるように駆けだしても、アクルアムだったはずの霧は追いかけてきた。オアよりも早く。家印石は吸い込んだ。

何事も無かったように、最初からそうであるように、全てのアクルアムだった霧はオアの家印石に収まって。そして遺骸は消え去った。アクルアムである物は何も無くなったのである。


「……は、はは。はっはっは」


 オアは笑った。何一つとして事象を理解することは出来なかったが、アクルアムが神の下に戻る事が出来なくなったことだけは分かった。

呪い子であるオアは、悪魔の玩具だ。グン大老の授けてくれた家の証明を示す石すら、弄んでいたのだろう。

思い至った時にオアは笑い、そして胸元を抑えた。

生きていてはいけない存在だ。呪い子であるオアは自分の事をそう思った。激烈な感情が駆け巡りながら、必死に笑う。人間性を保つ為に、笑えなくなりそうだが、笑えなくなってはいけないからだ。


大地に並ぶ石を掴み、オアは手を砕くように地面にたたきつけてみた。痛みはない。何も起こらなかった。

アクルアムがそうしたように、命の石を自らの頭部に叩きつけた。痛みはない。何も起こらない。

爪で己を引っかいた。頭から石にぶつけてみた。痛みはない。何も起こらない。

大切な家印石を引き抜くことに抵抗はあったが、オアは己の心の臓と癒着していることを知っていたから身体の外に放り出すことにした。痛みはない。


 瞬きをする間に胸元に家印石は何事もなく収まっていた。

再び己を殴打した。

この場所で思いつける自傷行為を全てオアは試した。そして笑っていた。

それは常軌を逸したものであり、人間では出来ないことだった。


命の石は割れず、どれだけ身体を引き裂こうと瞬く間に健常な状態へと戻ってしまった。

オアは笑いながらそれを続けていたが、最後には笑う事をしなくなった。

笑いを収めると、手も止まった。

大地に膝をついて、荒く吐き出した息も整うと、顔を手で覆う。

そして音が聞こえた。

乾いた音で、何かを叩く音が規則的な調子で響いたのである。

両の手を少し開けて、オアはその音の正体を見た。



『ああ、残ったのはお前なのだな。もしかしたらと思ったが』


 それは幾つもある指を鳴らしていた。両の手を広げ、そして合わせて。無数の手指から鳴らした乾いた音は、悪魔の手で打ち鳴らした物だった。

光の失われた瞳に、憤怒の灯火が宿る。懐かしささえ覚える激情が熱を持つ。

オアの乾いた心は急激に燃え盛った。

悪魔はオアの物だろう骸の山の上に座っていた。最初からそうだったように、数多のオアの遺骸の上で称えるように拍手をしていた。

言葉は理解できないが、最初から話を聞くという考えにオアは至らなかった。

悪魔の声が降る。


『もう少し必要なようだ』


 誰が違えよう。


原初の風景をオアは忘れた事は無い。

どれだけの陽が大地の水平線から登ろうと。幾億の星が闇夜を切り照らし地平線へ堕ちようと。

荒唐無稽な夢の中で灼熱の苦しみに藻搔こうとも。

生き永らえ続けている限り、忘れる事はないであろう。


 悪魔。

 悪魔め。


「―――――」


 声にならない声。いや、声だろうか。オアは自分の口から爆発的に飛び出した音を自分で聞き取ることができなかった。

だが、そんなものはどうでも良い事だ。

人ではない異形へと、火の玉となって突き進む。

それは感情ですらも無かった。滅するという意思一つだけでの行動だ。それだけで己の骸の山を弾き飛ばし、まっすぐに狂奔する。


 悪魔め!悪魔め!

 よくも家族を滅ぼしてくれた

 よくも私を玩具にしてくれた

 よくも印を穢してくれた

 よくも生き永らえさせてくれた

 悪魔め!悪魔め!

 私の手には何も残らない

 私の命は何も為さない

 私の心は満ちる事が無い

 私にはただの一つも証が無い

 悪魔め!悪魔め!



 悪魔め!悪魔め!悪魔め!悪魔め!悪魔め!悪魔め!悪魔め!



『知性のかけらもない獣と変わらんな。駑馬を掴んだものよ』



骸を掻き分け突き進む。憎き悪魔の顔が歪んでいた。己の亡骸が足を掴んだ。腕を拘束する。なんと愚かな、死して悪魔に降るとは。

オアは憤怒のまま己の骸を粉砕した。波を掻き分けるように、悪魔にひたすらに猪突する。

その距離はどこまでも縮まらなかった。確実に存在しているのに悪魔に至る道が無いのである。己の骸はどこまで行っても続いていた。

遺骸に座している悪魔にまったく近づかない。触れる事が許されていないかのように、距離は縮まらない。

まだ足らないのだ。

悪魔はまだオアを弄ぶことに飽きていないのだ。

だから玩具を扱うように、必死になって骸の海を藻搔いているオアを嘲笑っている。

理解の出来ない声をかけ、それを高みから見下ろして。


 

 壊してやる!潰してやる!叩き壊して引き裂いて摩り下ろして砕いて飲みこんで!

 壊滅して!撃滅して!潰滅して!損壊して!破砕して!打ち壊して!焼き殺して!

 穿ち貫き解体し、打開し決潰させ崩潰させ倒潰させ崩壊させてやる!

 あらゆる苦痛を。あらゆる手段を。あらゆる破壊を。考え得る全てを用いて引き裂いてやる!


 殺してやるぞ! 悪魔め! 殺してやる! 殺してやる―――!



 オアの視界がゆがむ。

悪魔の顔を睨みつけたまま。その距離が一ミリたりとも近づかないまま。

膜につつまれるような浮遊感と、泡の様に中空を浮く感覚を残して。

 オアの視界がゆがむ。

あらゆる感情の発露から、その瞳は潤んで雫を垂らして。


 悪魔の姿が歪んだ視界に遮られて見えなくなると、オアの激烈な意思もまた寸断されるように消え去った。






「ガ"ア"ア"ア"っアアアアアアアっアアア"ア"ア"ア"アアアッッ"ッ"ッ!」


 突き進んだ先は、暗闇であった。

身体を起こし、何かにぶつかった感覚が全身を駆け巡る。

水のような液体の音が鳴り、それは暗闇の中で反響した。

力んだ筋肉が緊張から解き放たれて弛緩する。オアは己が暗闇の中で叫び、うねり、暴れていた事に気が付いた。


 悪魔、オアが滅するべき、復讐するべき悪魔がいた。それはオアはハッキリと覚えている。

求めていた悪魔とまみえたからか。家族の顔が鮮烈に思い出せた。グン大老はもとより、自分の故郷の家族の顔が、今なら仔細に全て話すことができるだろう。

感情が駆け巡り、また身体が勝手に暴れだした。ここは狭い空間の中で闇に覆われているのだろう、暴れた手足には懐かしい鈍い痛みが駆け巡った。

液体に浸かっているせいで、動くたびに顔を覆う粘土の高い水が絡みつく。これもまた懐かしい、鉄と血の匂いだった。

暴れまわるオアの膂力に押されたのか。頭上を覆う闇が晴れた。

それは隙間から光が差し込んでいて、幾分かオアに落ち着きを齎せた。



荒い息を吐き出しながら、オアは暗闇を作る物に手を添えた。どうやら鉤の無い板のようだった。重く、硬かったがオアはそれを押し出すことは可能だった。

鈍重な音を響かせて少しずつ板をずらす。その度に光の領域は広がっていってオアの視界に場所を映していく。


 オアが収まっていたのは端的に言えば棺であった。

血液と思われる赤い水に浸され、人の頭部と思われる幾つかの骸骨が共に入れられている。

赤い血で作られた水面に、見慣れぬ青の蓮の華びらが浮いており揺蕩っていた。

棺を飾るのは銅で作られた円形のボトルが並べられていて、それらは突き出すように等間隔だった。棺として被さっていた板には把手となる部分に青銅が用いられている。

石膏で作られた像が室内には並んでいた。草花から塗料を得たのだろうか。淡い匂いを残して像は赤白で塗られておりオアの棺へと向かうように円状にならんでいた。

オアはゆっくりと身を起こす。

棺の中に入れられていた事に気が付くと、室内を見回した。

埃が立っており、高さはかなりあるが、室内は狭かった。何かを模した壁画が描かれている。天井は罅が割れている物の崩れ落ちたような形跡は無かった。

光が差し込んでいる窓は一つ存在して、それは植物が伸びてきたのか、弦のようなものがカーテンのようにしな垂れ落ちている。

棺の淵をそっとなぞれば、黒い粉末が指先に残った。これは接着に用いられた形跡だったが、オアはそれを知らなかった。


「……私は、映し世から帰って来たのか」


 口に出して、腹の奥が煮えるようであった。滅するべき悪魔が居た。オアの生きる唯一の理由となった忌むべき存在が。

現世ではなく、映し世に居た。

間違いのないことだ。だが、それはもしかしたらオアが見た『夢』というものなのかも知れない。

映し世に至る方法は知らない。老人の話をもっと聞いておくべきだった。映し世にさえ行ければ、また悪魔と邂逅することができるはずだからだ。

殺してやる。その時が来たら、映し世へ至る方法を得たら、必ず。

胸の奥が灼けて、爛れ落ちそうだった。

苦しみを覚え、オアは家印石を抑えた。アクルアムを吸い込んだものだ。己の心臓と繋がっているものだ。オアのたった一つの大切な、家の印だ。それさえも悪魔は弄んでいた。

石を引き裂いてしまいたい情動に狩られるが、これはグン大老がオアに残してくれた家族の唯一の証である。捨てることなど出来るはずがない。家族を託してくれたグン大老の遺志に叛く訳にはいかなかった。

もし叛いてしまえば、オアに残された人としての残滓は失われてしまう。


「悪魔め……っ!うううぅ……くっく、はっはっはっは」


 オアは笑った。苦しくて、苦しくて、吐き出す物を選ぶことは出来なかった。

胃の奥から、意の奥から零れ落ちそうなのは全て破滅的な物になりそうだった。人間として全てを捨て去った唾棄すべき呪詛だけしか思い浮かばなかった。

だからオアはアクルアムにそうあれと教えられた通り、苦しい時にこそ笑うことを人間として在る最後の砦に定めたのだ。

無理やり顔を歪ませて口に出す。笑うということがこんなにも辛く苦しい物だとは思っていなかった。


苦渋に満ちた顔に、笑みで震えた水の揺らめきによってオアの指先に骸骨が触れた。

苦しみに喘ぎ瞑っていた瞼をそっと開けば、頭蓋骨はオアの顔の正面にぷっかりと浮かんでいる。視線が合う。それは知っていた。映し世にて連れ立って、最終的には彼を自分の領域にまで運び込んだ顔だ。


「あぁ……アクルアム……これは、アクルアムだ」


 オアは血に浸されて共に棺の中に沈んでいたのが、アクルアムであることに気が付いた。

この頭の形、目鼻の形、口の形、そして細部に至る造詣に。見間違う事は無いだろう。やはり現実でアクルアムは死んでしまっていた。しかし、オアはアクルアムの頭蓋骨とはいえ彼と再会できたことに喜んだ。

神・クガの下に還す約束はまだ、果たせるかもしれない、と。


オアはアクルアムの頭蓋を抱え棺の上から立ち上がった。

現実で最後に見たウチゴウの姿は見えなかった。この部屋には出入口も無かった。だが、窓の位置から考えれば、この部屋は地下に埋まっているようである。

幸い、石造りの壁はところどころに突起が出ていて、登る事は容易に思えた。



 オアはゆっくりと血を滴らせ、棺を出た。






 映し世から戻ったオアが最初にしたことは、ウチゴウを探すことだった。

アクルアムの頭蓋を抱え、彼が信奉していたという神『クガ』を探す為には情報が必要だったからだ。幸いというべきか。オアが棺の間から出た場所はウチゴウの集落が見える場所であった。

棺の間は山の頂付近に設けられた、ある種の民族的な風習に則って建築されたと思われる神殿であった。

そこからオアの記憶にある山々と、見覚えのある稜線、その形。山頂からちょうウチゴウが発展させたと思わせる集落が眺望できている。ただ一つ、見覚えのない景観が存在した。

オアはウチゴウの集落に身を寄せていた期間こそ短いが、周辺には幾つかの川だけしか水源が無かった事を覚えている。

だが、この神殿から見渡せるウチゴウの集落のちょうど西側に、巨大な水溜まりが形成されていた。



水平線の奥まで続いている事から、それは海だった。オアは長く彷徨った経験がある為、それが海という巨大な水の塊であることを理解できた。


 オアはウチゴウの集落へとまず足を運んだ。しかし、集落の殆どの建造物は破壊されており、健常な状態を保持していなかった。

少なくともオアが見渡した限りでまともな状態であった物は一つもない。風化しているのか一部の壁や床は素材に使われた木材や銅などの金属は腐食していて崩れていた。

当然、食物は無かった。人は居ない、とオアが判断を下し集落から去ろうかと踵を返した時、彼は幼子を見つけることになった。


「子供がいるのか」


 建物と殆ど同じ色彩の布を覆っていた為、発見できたことは偶然であった。子供は3人居た。一人はオアと同じくらいの体格だった。

二人目はさらに少し小さく、三人目は生まれたばかりなのだろう。赤子と変わらなかった。

三人の子供の手には例外なく、骨が握られていた。それは人の骨のようで、先端は齧った跡がある。この子供たちは飢えを凌ぐのに、骨をかじっていたのだろう。

子供たちは眠っているようで、呼気はしているものの起きる事も無く安らかに眠っていた。周囲をオアは見回した。子供がいるのならば大人が居るはずである。

少しばかり時間を割いたが、大人は見つからなかった。代わりに動物の皮を鞣し乾かした物に言語と思われる文字が書かれていた。

だが、オアは文字を読むことが出来なかったので、解読することを早々に諦め、子供たちが起きた時の事を考える事に思考を回す。


 まずは食事が必要だろう、と考えた。

オアは山の中に戻り、神殿へ戻る途中に見かけた小動物を狩ることにした。

弓矢は無かったが、石を投擲することで動物を殺害することはできる。息を潜めればオアはごくごく自然に動植物と同じような存在に近づき、動物たちは無警戒で草木の合間で欠伸をかみ殺していた。

そっと小石を握る。この時にオアは以前に狩りをした時よりも、圧倒的な全能感に包まれていた。


視界は冴えわたり、狩りの対象の獲物である動物が次にどう動くのかさえ知覚できるように思えたのだ。

握り込んだ石は必ず当たるような、不思議な確信もある。どう投げれば良いのか、どうすれば殺傷できるか。手に取る様に分かった。

苦しまぬようにと力を籠め、石を投じれば寸分違わずに命中する。動物の行動すら先読みした見事な一投だった。

投げた石は思った以上に威力があった。

動物の頭蓋を砕くだけのつもりだったが、投擲した石は貫通し、その奥の岩肌に突き刺さってなお穴を穿ってようやく石は止まった。

オアは自分の膂力と身体能力が異常なほど向上している事に気が付く。これだけはオアの想定の範囲外であった。およそオアの体格では身に着く事のない筋力だったろう。

地に置いた頭蓋骨に目をやる。アクルアムは力強い男だった。胸元に手を置いて息を吐く。


「君が力を貸してくれているのか」


 心強いと思えた。

オアは獲物を首尾よく捉えると、集落に戻った。すると子供たちは目を覚ましていたのだろう。

人間の骨と思われるものを二人で齧り咀嚼し、一番大きな子供はもう一方の手で赤ん坊へ骨を分け与えていた。

子供であっても、現実で人と触れ合う機会が極端に無かったオアは緊張を滲ませた。何度も声をかけるのを躊躇い、しばらく骨を分け合う子供たちを遠くから観察することしか出来なかった。

彼らが骨を完食した頃になってようやく、閃きのような言葉が舞い降りてくる。アクルアムが教えてくれた言葉が通じるかは分からなかったが、このまま留まっていても埒が明かぬとオアは腹を決めて森から顔を出した。


「骨だけでは美味しくないだろう。獲物を獲ってきたから食べないか。肉だぞ」


 子供たちの注目が集まった頃を見計らって、動物を掲げてオアはそう言った。

二人の子供は驚いたのだろう。僅かに動きを止めたが、やがて弾けるようにオアの下へと駆け寄った。それは無警戒であり無邪気であった。


「オア様!」

「オア様!」


 駆け寄る子供たちに面食らったのはオアの方だった。言葉が通じた事に安堵を覚えたのもつかの間。

教えても居ない名を呼ばれ、あろうことか気圧されるように一歩後ろに後退る。


「わ、私を知っているのか、幼子よ」

「はい、オア様。戴きました。ありがとうございます」

「ありがとうございます」

「美味しかったです」

「うん?」


 手土産に渡した獣を受け取った子供は、感想を述べたがオアは何を言われたのか分からなかった。調理を行った訳でもない、ただの動物の死骸を受け渡しただけである。

まだ子供だからなのか、言葉の扱いが慣れていないのだろう。オアはさほど気にする事も無く、嬉々として動物を受け取って家屋へ戻る子供たちの背をゆっくりと追った。

子供の一人、最も成長しているのはスヴェログという。どの位の歳月を生きてきたのかというオアの問いに、スヴェログは13だと答えた。

子供たちの中で最も年長者であるスヴェログはある程度、自分たちの置かれている状況というものを理解している。

集落が失われたのは30年以上前のことだった。その時、スヴェログ達は今と同じようにこうして隠れていて無事に生き延びられたと言った。ある種の違和感にオアは尋ねた。


「君はスヴェログと言ったな」

「はい、オア様。スヴェログです」

「30年以上前の事なのに、その時にスヴェログは村の事を見ていたのか?君は自分で今、13歳と言ったのに、どうやって?」

「インガサモと一緒だったからです。インガサモと一緒に居ると、すぐにアイツらは消えるんです」

「インガサモ。それは君か」

「はい、オア様。僕はインガサモと言います」

「君たちは私の名前を知っていた。オア、と。何故知っていたんだ」

「神様だからです」

「僕たちの神様は、オア様だからです」

「……神」


 30年と言う月日。それは彼ら幼子にとっては13年ほどの出来事だった。

己が神と呼ばれている事も理解することは困難だったが、今は特に気にせずに話を聞くべきだとオアは判断した。一つだけ、自分の事を神と呼ばせるのだけは禁止にした。


まず彼らの名前。聞き覚えのある名前だった。オアがウチゴウにその身を捧げた時、聞こえてきた名前だ。

スヴェログ、インガサモ。そしてまだ言葉を話せないみたいだが、2歳になったばかりという幼児のメトゥ。

彼らの説明は要領を得ない事が多く、その多くの会話は混乱するばかりであったが、ウチゴウの名を知っていること。そしてこの場所がやはり、オアが意識を失う前に過ごしていたウチゴウの作り上げた集落であることは間違いが無いようだった。

動物の遺骸はそのまま子供たちの胃の中に収まった。子供たちは生のまま肉と内臓を貪り、骨を齧ったがオアは別に奇異なことだとは思わない。栄養分の摂取という意味で、オアも子供たちと同様に調理せずに食することは多かったからである。

オアの質問の殆どは、曖昧なままで返されて理解することは難しかったが、子供たちはオアに対してまったく素直であった。

質問が難しくとも必死に答えてくれたし、褒めると大袈裟なくらいに喜んだ。


 オアは子供たちの扱いにほとほと困り、アクルアムの頭蓋骨を抱えたまま彼らの面倒を自然に見る事を選んでしまった。

気持ちの上ではアクルアムの為に神・クガを捜索する旅に出たかったが、廃墟で暮らしている子供たちを放り出してしまうことに気が引けた。

彼らが成長し、おのおのが独り立ちするまで見守るのに、そう大した時間が必要なわけではない。

オアは自分をそう納得し、神クガの捜索をいったんは棚に置いて子供たちの面倒を見ることにしたのである。

長い年月を歩み続けてきたオアにとって、子育てと言う旅路は初めての試みであった。


それは大きな苦難を伴ったが、オアにとって貴重な学びの機会ともなったのである。






 子供たちとの廃墟での暮らしが始まってしばし、彼らの異常性に気付くことになる。


 スヴェログは石を持っていた。彼は一つの石を懐に忍ばせていた。その全貌を見てオアは声を上げてしまいたくなるほどの衝撃を受けた。

オアの胸元に埋まっている家印石と同じ形をしていたのだ。すなわち、人の心臓と同じ形状である。

そしてその石は、何かの鼓動と連動して震えていた。文様は刻まれていない。石が同形であるということだけだ。

偶然だったのかもしれない。しかし、オアにはスヴェログと何かしらの関係性があるのではないかと疑うことになった。この石は何かがある。


 インガサモと一緒に居ると、スヴェログは襲撃者は消えたと証言した。

それはきっと正しい事だった。インガサモは突如として消えることが在った。それは本当に真実、消え去っているとしか表現できないものである。

オアはインガサモが消えてから驚いて彼を探したし、何回か太陽が浮き、夜の月が覗いた時に、気付けばインガサモは何事も無かったかのようにオアの傍に現れた。

逆もある。オアがインガサモと太陽が出ている時に行動を共にしている時、目の前の景色が急に消えたと思ったら、夜になっていた。本来流れているべき時間の流れを飛び越してしまったのである。

意識を失っていたとか死んでしまったとかではない事だけは、オアにはハッキリと分かった。


 まだ自立して歩くことも出来ないメトゥに異常性は見つからなかった。月日が経った時、この子はどうなるのだろうか、とオアは考えることが多くなった。



 はて、しかしだ。

すでに数十年という年月が過ぎて、未だに子供たちが大人に成らないということに、子育てを経験したことのないオアは疑問を持てなかった。

一つ分かっている事は、殆ど確信に近い形で、子供たちはオアと深い繋がりを持っていると思っていたことだった。



 そして、子供たちと暮らして14年の月日が経った頃。

 オアは山頂に子供たちを連れてゆき、およそ標高1100mの崖を覗いた。

 谷底は岩盤が剥き出しとなっていた。山肌に木々は無く、ほぼ直下となる。



 オアはスヴェログを呼び、スヴェログはオアに頭を下げた。

 オアは崖下へとスヴェログを突き落とした。


 つぎにインガサモを呼び、インガサモも同じようにオアへと頭を下げた。

 インガサモは背中を押され、突き落とされた。


 最後に赤ん坊のメトゥを抱きかかえ何かを言うと、オアは崖下に放り投げた。



 三人の子供は、崖下に岩盤に赤い華を咲かせた。


 そしてオアは下山し、即座に目の前で確認した。息絶えた事を確認し、子供たちとの別れに、黙祷を捧げたのである。


 突き抜けるような青い空だった。




 オアはウチゴウの廃墟に戻り、一つの廃屋の最も高い場所で山々を眺めていた。物事を考える時、オアは一人でこの場所に来る事が常だった。お気に入りの場所ともいうだろう。

アクルアムの頭蓋骨を持ち、彼と共に夜空と山の頂を見上げていた。恐ろしい、あんまりな事実が判明したからである。

オアは震えていた。

取り返しがつかないことだった。

オアは震えている。

人の命を呪い子が裁量で捌くなど、と。

オアは震えてしまう。

私は、どうすればいいのだろう、と。



 オアは、ウチゴウの集落が滅ぼされたのは、人間では持ち得ないはずの異常性の獲得が関係していると思っていた。

スヴェログもインガサモも、そして当然ながら赤子のメトゥも、集落の生き残りである。ウチゴウの下にあった一族なのだ。共通点は一つ。


「呪い子である私を食らったというのが、その元なのであろう」


 それはつまり呪いだ。悪魔の子を食らい、人々は変容した。

スヴェログに訊けば、村の者たちはその全てとは言わないが、殆どが人間ではありえない異常性を発露していたという。

一つは人間が本来持ち得ないほどの長寿。

そしてもう一つが異常性の獲得である。

このウチゴウの集落に気付いた人々が、ウチゴウとその一族を排斥したのは人間ではなく悪魔、或いはその眷属と認識して存在を滅することに決めたからなのだろう。

ここでオアは同じ事を考えることになった。

悪魔に弄ばれ、呪い子と落ちたオアを食らう集落となったウチゴウたちの一族が滅ぼされたのは、オアにとっては良い事の様に思えてしまう。ウチゴウの一族は滅ぼすべきだったのだ。

そもそも、オアがあの時にウチゴウの一族を。あの時は確かにウチゴウは人間であったが、殺して居れば悪魔に成り、集落が滅びを迎える事は無かったのだ。違う。オアが問題を先送りにしただけでオア自身が己の手で餓死寸前だった彼らとの決着をつけるべきだった。


「ならば、子供たちは私が責任を持たなければならない。私は愚鈍だ。こんなことはもっと早くに気付くべきだった。何故気付かなかった。私は、なんという愚かな者なのだろう」


 今度こそ間違えてはならない。

スヴェログ、インガサモ、メトゥ。オアの死肉と骨を食らい、生き延びていた子供たちはウチゴウと同じ悪魔と変わらない。

気付いた時、今度こそ責任を全うしようと思った。

殺そうと思った。

だから殺した。

子供たちと一緒に居た時間が長かったせいで、覚悟を決めるのに時間が経ってしまった。愚図だ。オアはなんと卑怯な存在なのだろう。

オアは考えたのだ。子供たちを放逐することも。だが、それはそう長くない時を経て、人々から迫害されよう。彼らとの関係を持ってしまったオアにとっては、子供たちを苦しめるだけ。

呪い子であるオアと共に行動するというのはどうか。それを強要すれば、同じく悪魔としての扱いを受けるだろう。何よりオアは悪魔を滅する為の歩みを止める訳にはいかない。それに付き合わせるなど余りに過酷だ。

だから、殺そうと思ったのだ。いっそ慈悲深いと偽った。果てなく己の無能をオアは呪った。


スヴェログも、インガサモも、余りに無垢でオアへの無条件な敬意が故だろう、盲目だった。

オアはちゃんと伝える事にしたのである。それはオアの責任であると思ったからだ。


迷い惑いながらもオアは子供たちを集めて告げた。言葉を理解できないメトゥにも。


 生きていてはならない君たちを殺す、と。


普通は命ある者は抵抗するはずだ。敵と見做しても良い発言だ。だが、スヴェログは分かりました、殺してください、オア様、と即座に応えた。インガサモも疑問すら持ち得ず同意した。

オアは子供たちが壊れている事を知った。人間であることをとっくの昔に辞めている事に気付いた。人であるならば生殺与奪を他人に任せていることなどない。

生きる事を止める者はいない。生きる為に死を避けようとするべきだ。それが人間であるからだ。何をもっても、何をしても、生きる為に全力であるべきだからだ。


 この子供たちは、オアと同じく死んでしまって居た。



 雨が降ってきた。いつもならこの廃屋の天辺から降りて風雨を避けただろう。

しかし、オアはそうはしなかった。ただただ恐怖を誤魔化すように。ただの頭蓋骨に救いを求めるようにじっと眺め、首を振った。


 オアの全身が震えていた。

雨に全身を濡らし、山を眺めているオアはアクルアムの頭蓋骨に触れる。

この集落にむかって。勘違いとも思った。人影がこの山の中で動くことなど無かったからだ。

だが、それは見間違いでは無かった。とはいえ、やはりか、という思いもあった。

子供たちは戻ってきた。

ただ只管に、オアに向かって申し訳なさそうに。死ねなかった事に恐れていたのかもしれない。


「オア様、申し訳ございません。僕たちは死ねませんでした」

「オア様、申し訳ございません。今度はちゃんと死のうと思います」


 スヴェログとインガサモはメトゥを抱えて、オアの前で同時に頭を下げた。死に到達できなかった悔恨を強く抱いて。


 そして子供たちは困ったように尋ねたのだ。


「今度はどうやって、僕たちを殺しますか」


 スヴェログとインガサモの声が重なる。メトゥが意味のない幼い声を一言だけあげた。


 オアは顔を覆った。覆った両手に雨が打ち付けるのをただ感じて。頭を下げる子供たちの前で、決して顔を見せない様に。

 そして腹から声を出して笑った。

 苦しい時こそ、笑うのだ。



 そうだ。


 子供たちは、新たな 『呪い子』 となってしまったのである。



 オアにとってそれは筆舌にし難い―――絶望であった。


 



 こうしてオアは映し世に入り込んで213万日。

 現世においてウチゴウの集落にて首を斬られてから、680年の月日を経て3人の呪い子を拾った。

 





 オアは言葉は学んだが、文字が読めない。映し世では必要なかったから学ばなかったし、学ぼうという発想も持たなかった。


だからこの山の頂に在る神殿と言える棺の間、その壁画に描かれた詩文には気付かなかった。

それには称えるものや崇めるものが幾つか文章として書かれており、壁を用いた碑文でもあった。



そして最後の一文に締めくくりとして、オアの事が指し示されており、記した者の名が掘られている。




  ―――真なる不死の神『オア』の下へ。 

          悪魔『クガ』の心臓を捧げよ―――      アクルアム




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