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呪い子 オア  作者: ジャミゴンズ
神か、悪魔か
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.01 アクルアム




      .01 アクルアム




 私が最後に見た光景は、ウチゴウとその下に集った人々が飢え果て、悪魔の呪い子である自身を食らおうとしたその時である。

明滅して浮き沈みする意識の中で、私は命とは何か。という物を心の奥底で考えていた。

泥の中で蠢くような混濁した意識が、ふとした瞬間に明瞭になる。

身体が動くことはない。そもそも身体が存在しているかどうかも不明であった。

瞼の裏の瞳が在るのか。四肢の感覚はあれど、それが本当に繋がっていて意思によって動くのか、それすらも曖昧である。

だが、不思議と意識だけは浮かび上がる時があるのだ。

何も感じず、何も無い中で。私がオアであり、私が私という存在として世界とつながっている事が自然と理解できている。

何も出来ない世界の中で、意識だけはハッキリと浮かび上がる時、命とは何か。生きるとは何かを私は考えていた。


 それしか出来ないと言えばそうだ。浮かび上がった意識を得ると、やがて何かに断ち切られるように。

ある瞬間から真っ逆さまに暗闇の中に落ちてしまう感覚は意識が浮上する度に経験する。意識が切れる、という表現が適切かどうかは分からないが、少なくとも私にはそうとしか言えない体験だった。

時間は私にとっては無価値なものだ。

呪い子となった時、私は私ではなくなったのだから、あの時に。私はオアという名をグン大老から授かった時には、既に命ある者ではなくなったのだろう。

死人にとって時間など、必要のない物だ。

時と共に腐り、やがて風化し、土に還る。ただそれだけのことなのだ。

そう在る事が命ある者の証左であり、呪い子である私はただそれだけの事象に羨望すら抱いてしまうのを自覚している。


 私は、死にたいのか。


かつて何度も命の事について考えるたびに、答えは堂々と巡っていたが、ウチゴウと出会った時に一つの答えに辿り着いていた。


 私は、人として死にたいのだ。


この答えを得た時、私は憧れに灼かれ焦がれた。

『生きる』という物だけに支配されたウチゴウ達の心の炉は、私の芯を融解させて溶かしてしまったのだ。


 そして次……次と言うべきなのか。私の意識はまたゆっくりと、粘土の高い液体から藻搔くように浮かび上がっていく。


 浮かび上がった先は、私の見た事のない世界が広がっていた。




 荒唐無稽な景色とは、今この場所に立って居るという私の見る世界の事だ。

黒く染まった大地の輪郭線だけが視認できており、平面の上に乱雑に描かれて放り出しただけの図形のようである。

線は緩やかに昇り、降りて他の輪郭線にぶつかって起伏を作っていた。


「ここは……なんだ……?」



 ハッキリと認識した見慣れぬ場所の中で立ち上がる。私にはしっかりと四股が繋がっており、その感覚は鋭敏であった。

両の掌を開いて、握る。その手で顔を覆い、目鼻口と指先で輪郭をなぞっていった。開いた視界に再び、何も無い境界線だけの世界が広がっていく。

心身に異常がまるで無い状態で意識が目覚める事は稀であった。だから、私にとってもこの時は自分自身が現実ではない場所に迷い込んだのではないかと猜疑の想いが胸の内を占めていた。


一歩、脚を踏み出すと大地は見えないものの、しっかりと地に足をついた感覚が肌を通して主張している。

膝立ちに屈みこんで足の爪先が触れている場所を手でなぞる。砂とも砂利とも、土とも違う。感覚の全てが現実であるものとは違う物と告げていた。

此処は何処か。今までにない景色が視界に飛び込んできて、私は少しばかり浮足立っている事を自覚する。


「ここはどこだ」


 胸の家印石をそっと撫で、私は境界線の端まで歩き出した。視界に映る特異な物、目印になるようなものはそれしか無かったからだ。

近いのか遠いのかすらも分からない。しかし歩み初めてから暫くすると境界線はまた一つ、二つと遠くの空間から現れて、一番最初に目指した線は間近にあることが分かった。

高低差があったのだろう。稜線から覗くように線がいくつかに別れて増えていく中、その狭間には色彩の濃い緑色の大地が境界線に区切られて現れた。

そして殆ど同時に、雁が音が耳朶を打つ。不思議な現象であった。私は草木なく木々も土も無い、自然物の存在しない場所で囀りを耳にする事象を経験したことが無かったからだ。

鳥が居るのか、と眼を凝らして周囲を見渡しても、視界に見えるのは原色にほど近い色の大地が広がるのみだ。

この境界線を越える事は躊躇われた。理由は分からない。

脚に触れた感触は、今までに私が歩いてきた場所と変わらず、この大地の緑はまるで一色に塗られただけの様に思えた。


意を決して緑の大地へと線を跨いで踏み入れると、私が歩いてきた大地は境界線と共に掻き消えた。何かを置き去りにしてしまったかのように感じられた。

鳥の甲高い鳴き声が響く。


 緑の大地を区切る境界線の先は、赤、青、黄とまた線一つで区切られた大地が広がっていた。



「私はどこに迷い込んでしまったのだ」


 現実とは思えない場所で、五里霧中であった。 

私はとにかく、今までそうであったように、色で区切られた大地をひたすらに進んだ。現実と同じく、行く当てもなく彷徨っていたと言える。

視界の効かない黒の大地とその境界線を跨いだ時、変化があった。

私はその時に深く安堵した。ある種の解放感を得たとも言う。物の存在しない大地。いや果たして大地と呼んで良いか。それは不気味であり、お世辞にも気分が良いものだとは言えなかった。

訪れた変化は、音でもあった。

時折、鳥の鳴き声と思われる甲高い音が聞こえてくる以外は、何も音が聞こえない世界であったが、開ける視界と共に蘇る様に音が響いていた。

それは山間の中で聞こえてくる大地の鳴動に似ていた。

大小問わずに地を滑りゆく数多の石が、高所から落下してくるものと近似している音であった。

経験から私は空を仰ぎ見たが、やはり視界に殆ど変容はなかった。あったのはこの色付いた無の大地、見上げた先に原色に覆われて境界を示す線が一本。そして初めて、私以外の生物と思わしき存在を確認できたことだ。


 その生き物は私の居る場所からは遠いのか、ハッキリとした輪郭が見えなかった。

だが、何か石のような小さなものを道具を用いて押している様に見えた。


 丘のような高所に陣取り、石を押し続けている生き物。私はこの場所がどういう所なのかを知る為に、再び境界線の大地を歩き始めた。


 近づいていくと分かってきたのは、その生物は人間とはまるで違う、異様であったことだ。

道具を押している腕は4つもあり、その腕は人の物ではなかった。

腹と思われる場所には大きな口のようなものが開いており、それは唾液とも思える液体を垂れ流していた。

この生物が押し込んでいるのは石ではなかった。石の様に異音を立てて転がしていたのは、人と思われる骸であった。



「悪魔…!」


 口にするまでも無かったが、改めて私は口にしてその存在を認識したことで、腹の奥が猛烈に煮え滾った。

この焼き付く腸の豪熱は、私に生を実感させる。瞬間、此処が何処であろうかなど些末な問題に成り下がった。滅するべき敵が目の前に居る。ただそれだけの意識に染まった。

薄い青色の大地で高所から人の骸を落としていた悪魔に対して、私は息を潜めて近づいていくと躊躇いなく背後から腕を振るって奇襲した。

そして手応えなく、私の振り下ろした骨でその悪魔の首は捥げたのである。

首を失った悪魔は私の攻撃を、まるで知らぬとばかりに、首から下の身体は頭蓋骨や手足の骨を押し続けていた。

そして敵対者であるはずの私を無視して骨を運ぶ。

構えるでもなく、叫ぶでもなく、抗うのでもなく。

ただそう在るだけの者とでも言うかのように、骨の塊を崖下に落としていく。

恐怖すら抱きそうになる私の背後から、声が聞こえた。


悪魔の声だ。


「定められた命という籠から篩に落とされたら、その数は無限となるか」

「なに? お前は一体……ここは何だ? なぜ人の遺骸を落としている」


 理解できる言葉で話しかけられたことにも、命に対しての問答も、私にとってはあまりに衝撃的なことだった。

滅すべき悪魔の声に応じるつもりなど一欠けらも胸中には無かったのに、その声は私の意識に染み入った。

振り返り骨の山に顔をだけを埋めている悪魔に対して、私は気付けば叫ぶような声をあげてしまっていた。


「ここは使い捨てられた命が集う場所だ。理もなく天地もない。ただ映しの世である」


 私の問いに淡々と、重く響く声で告げる悪魔へと近づいて、私は悪魔の首を持ち上げた。

顔はなかった。黒ずんだ渦が顔面と思われる場所に存在して、ぐるりと廻っている。

表面は動物の様に硬い毛質で覆われており、頭部からは4本の触覚が生えて大地に垂れさがっていた。

顔を覗いた私は渦の模様に目が眩んだ。不規則に歪む渦の螺旋は直視を続けることができない、異様な模様で回転していたからだ。


悪魔の声は続く。


「かつて空白のみが広がっていたが、区切る必要ができてしまった。亡骸を落とす必要も無かった。だが、単一ではなく、集合となっていった。埋まる前に必要な事だ。始まりはただ一つの白で、それは同じものだった」

「……?」

「区切りが出来てから必要になった事だ。ここは狭すぎるから打ち捨てられた命を戻している。或いは、追い出している。それは今もまた振って沸く命に対してしなくてはならない事」

「くっ……何を、言っているんだ、悪魔め!訳の分からない事を言うな!」


 私はふらついた身体を誤魔化すように、悪魔に弱みを見せない様に、悪魔の首を数えきれないほどの骸の中へと全力で投げつけた。

悪魔の言っている事は何一つとして理解できないものだった。使い捨てられた命が集う場所とは何なのか。映しの世とは。

命を戻している、追い出しているとは何のことを言っているのか。

だが、私はこの何も存在しない、不規則な色に塗られた大地と歪んだ境界線だけしない世界に恐れをなした。


「映し世に遺棄された骸を数えてみるかい」


 油断をしていたわけでは無かったが、私は背後から平面に広がる道具を持って骸を押し出している悪魔の身体に、声が掛かるまで気付くことができなかった。

凄まじい重量に押され、なす術もなく転倒し、数多の遺骸と共に私は悪魔に押し込まれていった。

上下左右すら分からぬほどの揺れと共に、薄青に塗られた無為の大地を転がされ、抵抗することも出来ずに境界線の崖から落とされた。


 落下と言える浮遊感を五感で理解しながら、悪魔を見上げる私の視界には、溶け落ちて行く世界が見えた。

それは色が落ちて混ざり、灰色の世界を形成して視界を埋め尽くす。


「ま、まて……!」


 崖の上から見下ろす、悪魔の顔は、再生したのか。

身体にしっかりと繋がれており、落下していく私を渦巻く瞳でずっと見つめ続けていた。



 悪魔の姿が消えて、灰色に瞳の中が塗りつぶされてから、時という感覚が消え去った。

どれだけの高所だったのだ。

何時の間にか私は衝撃も感じずに、落下を終えていたことにふと気付いた。


 それを理解した私は、慌てて身を起こす。

急いていたからか、立った瞬間に足下から音がなった。あの悪魔が落とした骸の大地の上に私は立って居る。

見上げても落ちてきた場所は見えず、この世界では唯一の目印だろう境界線すらも隠れていた。周囲を見回す。私の傍にある物はモノ言わぬ亡骸だけで遥か遠方にかろうじて、線の一部と思わしきものが見えた。

線が描いている物に私は見覚えがあった。あれは、大老から授けられた家印石の文様である。長き時を経て、私の胸元に埋め込まれた家印石の模様は変化してしまったが、初めて授けられた時の紋を私はハッキリと覚えているから、すぐに理解できた。

当然、私は近くにある亡骸よりも、遠くに見える大地の境界線が描いた『家印石』と同じ紋へと注目してしまう。

その全体の輪郭を追っていると、胸元が揺れ始めた。


 皮膚の中に埋め込まれていた私の胸元から、振動が起きてゆっくりと家印石が震えた。

それはだんだんと強くなり、何かに引っ張られていくように身体が前へと泳ぎだす。私は焦燥を感じて両の掌で石を身体の中に戻そうと抵抗した。しかし、それは無意味な事だった。

家印石は震えたまま、私の薄膜の皮膚を千切り去り、それと繋がっていた臓物も一緒に引きずり出していた。

鼓動が消えて、それを移し替えたかのように、石が拍動していた。

私は両腕ごと力を込めていたが、家印石はまるで意に介さずに中空へと引っ張られていく。

その時、私の目端の視界は両端に大量の亡骸。中央に家印石とそれと癒着している胸の臓。そしてその遠方に、乱雑な線となって大地を区切る文様が映しだされていた。


 抵抗をしたからか、私は切り立った崖の壁に背を打ち付けた。

私と同じ大きさの骸の一体が、首を落とす。引き離された家印石と、遠方の境界の文様を収め、私は一つの事実に気付いた。



 私の心の臓と、あの遠くに描かれた文様は、まったく同じ形を成していることに。

 それはつまり、家印石は人間の。 心の臓を模している物だったということだ。


そこまでが私の認識できたこと。

瞳の奥が自然と裏返り、何もかもが消え去っていくように五感は失われ、きっと地に伏したのだろう。





「まいったな。どうも特別な事じゃ無かったみたいだ。手がかりが全く失われてしまった」


 聞いた事のない言葉と、声が聞こえた。

私は死に至り、意識を失っていたのだろう。だが、不思議と意識なくともこの目の前の人が私の傍に居る事を認知していた。

だから、意識が戻った時に私が慌てることはなかった。ただ、人が私に近づいてきていたと理解していたからだ。それは面妖な感覚だ。

ゆっくりと瞼を開き、私は上半身を起こす。すると男は驚いたように目を見開いて、警戒する様に身を引き私と相対した。

敵対されるかと思ったが、男はしばし私の身をじっくりと見回すと、遠慮がちに声をかけてきた。


「あー、なんだ、大丈夫かい……」

「……」


 私は声で答えず、ただ頷いた。彼の発した言葉が分からなかったからだ。

分かったのはこの男が私と同じく、意味の分からない『映し世』に居る事と、同じ人間であること。

引き千切られ身体から失われたはずの家印石。そして心臓が、また私の胸元の中に幻覚であったかのよう収まっていること。


そして……この世界は一度死んだくらいでは、抜け出せないという事実であった。


「そうか。いや、まったく分からないんだが。ただ、俺が手掛かりだと思って持って来たコイツは、ここじゃ特段物珍しくもないものだったんだと思って落胆しただけさ」


 身振りで私の背後を指さす男の手には、石が握られていた。それは二つあり、指先に沿って私は視線を動かすと、私の背後には整然と。

遥か彼方、見通すのも馬鹿らしいほどに突き抜けた空間が広がっており、その地面には男が持っていた石と同じような物が、延々と等間隔で並んでいる光景だった。


「俺のところには2つだけだったんだ。それ以外に、この世界に物質は存在しなかったから、手掛かりかと思って持って歩いていたんだ。だけど、ハハ、君のところにはこんなにある。手掛かりでも何でもなかったみたいだよ」


 何を言っているのかはわからない。

だが、この人は私と同じく、映し世と呼ばれるこの場所に迷い込んだ同胞なのだと。

ただそれだけは理解することができた。



 この男はアクルアムと名乗った。私が言葉を話せない事にほどなく察したのだろう。それでも名だけは教えてもらい、私はそれに気付くことができた。

だから、私も返した。私自身を示す、大老より授かった誇りある自らの名を。


「オア。それが君の名か?ううん、良い名前だな……ああ、好きになれそうだ、ええい、まったく。今日はオアと出合えた良き日だ、なぁ?」


 アクルアムは短くそう言って顔を歪めた。今の私には、何を言っているのかは分からないが。同じように私も彼を真似て、口元を緩めた。





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