.03 導手
.03 導手
ゆっくりと意識が持ち上がり、オアは目を覚ました。やたらと低い場所に木板の天井があり、人肌の温もりが近くにあることを認識すると身体を起こす。
子供たちが静かに寝息をたてており、オアは自らの額に手を当てた。矢に脳天を突き刺されたところまでは覚えているが、その後にどうなったのか。
ゆっくりと周囲を見回せば、目を閉じて足を組んで座っている見慣れない男の姿があった。
オアは少しだけ驚いた。彼は土砂によって密室となった部屋の中、闇を切り裂いて姿を現した男だったからだ。自分を射抜くように命令し、殺害した者である。
そこで疑問が浮かんで来た。理由は分からないが、オアと子供たちを放置せずに連行しているのは何故だろう。
「どうやら本当に生き返ったようだな。間違いなく脳を破壊して死んでいた筈なのに、面妖な事だ」
「……何故、私を連れてきた」
「なんだ?あそこで閉じ込められたままで居たかったのか?」
「それは……その方が良いと、思った」
ガタリと振動し、オアは座っている場所から尻が浮き立った。驚いて周囲を見回すと、アハートも同じように態勢を崩したのか、壁に手をついて踏ん張っていた。
そして笑った。
「まだまだ試作品、快適性を増すには改良が必要だな」
「そういえば、ここは一体」
「馬車と名付けた。ほら、そこから顔を出してみろ。馬が居るだろう」
言われた通りに窓の様になっている隙間から顔を覗かせば、大型の動物が足を進ませていた。
どうやら建物ごと、動物たちに曳かせて移動しているようであった。オアは驚きに目を瞬かせる。人間が存在する建物ごと移動するという発想もそうだが、動物を意のままに操る事に衝撃を受けたのだ。
いたずらが成功したように、アハートはくつくつと笑っていた。
「俺が考えたのさ。馬に乗る事も可能なら、馬に曳かせる事もできるだろうとな」
「驚いた。動物を操る事ができる能力があるのか、貴方は」
「そんな能力などない。生きている者には意思が宿る。意思あるものは生きる為に必要な物を見定める、ということだ。馬が生きる為に人と寄り添う事を選んだ。それは生物としての本能なのだろう。共生という奴だな」
「……貴方の言っていることは難しい」
身体を向き直して、率直にオアは思っている事を言葉にした。
「この上なく単純な理屈だと思うが、まぁいい。俺はアハートだ」
「アハート……私は」
「オアだろう?不死の神、などと大それた冠をと思ったが……ふはは、中々どうして」
薄く笑いながらオアを見つめるアハートに、思わず目を逸らしてしまう。
覗き込まれるような赤色の力強い双眸に無意識に臆してしまった。どうも彼、アハートから立ち昇る気炎は激しすぎるとオアは胸中で唸る。
そんなオアに、アハートは肩を竦める。
「理由を聞いていたな。どうして俺がお前を連れまわしているのか、と。俺が気になっていたのは幾つかあってな」
アハートは指を立てて教えてくれた。
一つは不死性の証明。オアという存在がどうして神聖視されるのか、どのようにして生き返るのか。
一つはアクルアムの頭蓋骨との関係性。人の精神を乗っ取るように作用する異常性はどうして付随されたのか。
一つは有用性。アハートにとって役に立つのかどうかという勘案だった。
「貴様に着いて回っているそこらのガキが、呪い子等と言っていたな。故に気になったというわけだ」
「あなたは不死を望むのか?」
「死を繰り返す者よ。何か勘違いしているようだが、俺はまさしく人である。不死などというものは正しく忌避するものだ」
「……?」
「難しかったか?神と言うよりも、まるで物を知らぬ幼子だな。簡単に言えば、俺は不死というものに興味がないということだ。それより、お前の話の方が聞きたい」
それからアハートはなるべくオアにも理解が出来るように、簡単な言葉で話すようになった。
まず不死性についてだが、これはアハートにとっても理解の範疇を越えていた。生物である以上は、その死が終端でなければならないはずだったからだ。
しかし、その例外が出てきてしまった。オアは確実に人体にとって致命的な一撃を加えても、目の前で再生し、復活したことを見てしまえば認めない訳にもいかない。
アハートに恐怖はなかった。そしてこれが普遍な現象であるとも思わなかった。
オアの特殊性を得た経緯の方こそ、アハートは興味を持ったのである。
オアは少しの間躊躇っていたが、やがてアハートの視線に根負けするように訥々(とつとつ)と口を開いた。
悪魔、自分が呪い子とされたこと。そして滅びた故郷と、ウチゴウの集落。映し世で体験したこと。スヴェログやインガサモの子供たち。
そしてアクルアムの頭蓋骨と、異常性の発覚―――それに伴った人として生きる事の絶望。
床を眺めながらオアはゆっくりと話していき、それを聞いていたアハートは窓から外の山々の流れる景色を眺めていた。
一頻り、オアの言葉が途切れてしばしの沈黙。
何も返答が返ってこない事に気付いてオアが顔を上げると、アハートの視線とぶつかった。
「途方もない時間を過ごしたのだな。これは神というのも馬鹿には出来んか」
「私は、神などでは……」
「それはそうだろう。神などというものは存在しない。だが、それに近似した者が居ることはお前の存在によって証明はされているという事だ。世の中は不可思議に満ちて退屈しないな。まぁ、今はそれは良い。オアだけの事に関して言えば、貴様は子供のまま時が止まった存在だと言える。俺の見解では死人と変わらん。今はな」
「今は?なんだそれは……一体どういう。死んでいるのか、私は」
「逆に聞かせてもらうが、貴様、生きているのか?」
「……」
「分からないのであれば、オア。俺の言う事にとりあえず納得しておけば良い。貴様は死んでいる」
「私は……」
「世界で最も、不幸な者かもしれんな。しかし、そんな事は今を生きる者たちにとって何ら関係のない話でもある。オア、貴様が死するも生きるも、結局はお前次第という物に過ぎないんだ。死人であると指摘したのが、そんなにショックか?」
オアは黙した。アハートの言葉が心臓に突き刺さるようだった。自然と胸元の家印石に手が伸びていた。
「人間ならば、生きる」
「生きる?」
「そう。今を生きる。貴様の在り様は今の今まで死が身近にありすぎて、死を泰然と受け入れているんだ。それは生物として破綻していると理解しなければならない」
「今を、生きる」
「そうだ。そうすればお前は死人ではない、生きた者となるだろう」
例えば。そう言ってアハートはオアに尋ねた。
もしもオアが武器を持っていて、アハートに襲い掛かったら彼は生存の為の考え得る全ての行動を試そうとするだろう。
次にアハートは馬車を引っ張っている動物を指さした。あの馬も、自らの命に係わる危険が迫れば、人間の指示など知った事ではないと生き延びる為に必死の逃走をする。
生物として、今を生きる為に最大限の足掻きを見せるのが当たり前の事なのである。
「翻って、お前は全ての行動が死を前提にしているのだ。困難に直面した時に死することがまず最初に来るのではないか?」
アハートは一つずつ指摘していった。餓死を繰り返した日々。悪魔の沼魚との戦い。牛頭の時、ウチゴウに喰われる時。
他にも、オアの始めた行動はまず最初に自分が死ぬことから始まっていた。だが、オアはアハートの言葉にすぐに頷く事は出来なかった。
そうしなければ、悪魔には届かない。
死ななければ、悪魔に到達することは不可能だった。
「悪魔を追う為には、そして滅ぼす為には、私は死ななければならなかった……っ!」
オアは自らの感情が昂っていることを自覚した。アハートを睨みつけ、激情が身体を動かして言葉を吐き出していた。
何時の間に取り出したのか、アハートは指揮棒を手で弄びながら冷静だった。
「ふふ、良い顔をするじゃないか。憎悪している時の方がよほど生きているぞ、オア。お前の命の原動力はそこか」
「何故笑う……私には、グン大老から授かった始まりの名と、家印石に誓って家族の証を遺さなければならないんだ!だから、死ぬしかなかったんだ!私には、私には何もないから、悪魔の呪いであっても、それを利用しなければ!」
「ほう、名と、家族か。そして復讐心……本当の事だろうな、それは。……さて、別に責めている訳ではない。落ち着くと良い。俺が手ずからくれてやろう」
馬車の中には飲み水用の容器があった。少し大きめの保管用の器の中に、水がたっぷりと入っている。
そこからアハートは器用に小さなコップへと満たし、オアの目の前に差し出した。
肩で息をしていたオアは、思わずと言った様子でコップを受け取る。
知らず白熱していたオアは気勢を削がれ、水を胃の中に流し込んだ。不思議とすっと頭が冷えて行くような気がした。
「うまいか?」
アハートの声に、オアは素直に頷いた。
「この水はとある集落を落とした時に、在りもしない神を有難がっていた連中が命の水と称して崇めていたものだ。実際に、この器に満たした液体は時と共に満ちていく性質を持っている……連中に言わせれば、神秘性の塊のような存在だ。水だけではなく、油なども同様に満たす事もできる。雨の降らぬ土地であったから、より彼らにとっては神秘性を帯びた物になったのだろう」
「……そんなものが、この世に存在するとは……それは、とても便利そうな凄い物だ。その集落は?」
「滅ぼした」
「……」
「だが、この道具はオアが言うように便利だ。なので俺が徴収して使っているのだ」
「奪ったのか」
「ああ、まったく有用な道具だろ。これも理屈は分からず原理が不明な代物の一つである。そうだな、その点でいえばあの精神に干渉する頭蓋骨、オアのような不死人と大差ない性質を備えていると言えるだろう」
「私と、アクルアムの頭蓋骨と、その器が同じ?まるで違うように思う」
「俺の理解が及ばない、理屈に合わない現象を起こすという一点で私にとっては変わらない。重要なのは、コレ等の不明な絡繰りで出来ている物が俺にとって有用であるかどうか、ということだ」
言いたい事が、分かるか、と問いかけるような話し方であった。
アハートにとってオアは興味深い対象の一つである。ほとんどの物理法則や自然に起こる現象など、おおよその事象はアハートにとって理解が容易いものであった。
だが、それでも時折、目の前に存在しているのに意味が分からないモノが現れた。オアや、アクルアムの頭蓋骨、そして、この水の器の様に。
彼らが持つ特異性そのものには、アハートは興味を持てない。興味があるのは、存在や現象そのものではなく、アハートという人間にとってどれだけ役に立つのか、という一点である。
頭蓋骨は論外だ。人の精神を脅かし概念を植え付けてくる。
アレは危険な物質として、アハートは地中深くに頭蓋骨を砕いて土砂で埋めた。
水が満ちる器はハッキリと有用な拾得物であった。
では、オアは。
「俺は、国を作る」
「国とは?」
「オア、貴様が滅ぼされた家族達は、集落だったな?」
「そうだ」
「国というのは、集落が集まって出来るものだ。そしてその版図は大きい物となる。この世界で人が、人として力を持つための形となろう。その為の礎を築かなければ、人間という物は生物として長く停滞することだろうな」
アハートの話はオアにとって難しかった。尋ねて、答えてくれてるのにまるでイメージが固まらない。
国とは一体なんの事なのだろう。
少し前、オアの話を聞きながら質問もされたが、オアには答えられない事が殆どだった。
そして今も、彼が目指している夢のような物も、オアには想像すらできなかったのである。
オアはアハートの言ってる事の半分も理解することが出来ない。
人間として知識、発想、他にも様々な面で理解の及ばない範疇に居る。
「アハート、あなたは、凄い人なんだな」
「まだ何もしていない俺を凄いなどと言う物ではないが、オアの評価はそれはそれとして受け取っておこう。まぁ、今は集落を滅ぼしまわっている蛮族と何ら変わらん。少なくとも、厄災の一つとして噂されている位か」
「貴方と一緒に居れば、私は人間として死ねるだろうか」
「ふん、まるで分かっていないな、お前」
やれやれ、と指示棒で肩を叩くアハートは、少しばかり呆れの混じった溜息を吐いた。
オアの目的はやはり全てが死を前提に立っている。
人間として死にたいなどと口では言っているが、既に死人と変わらない願いだと気付いていないのだろう。
アハートにとってそれは面白くの無い不快な冗談と同じであった。
なぜこんなにも理解しやすく話して居るのに、解せないのだろうとアハートは思う。
それはオア以外の人間にも等しく思っていることで、常の事ではあったがアハートはそれが時折我慢ならない衝動を生み出す事を知っていた。
まぁ、何にせよ、とアハートは区切るように水を含み、喉を潤した。
傾いてきた西日に照らされながら喉を鳴らすアハートを、オアはじっと見つめていた。
アハートは神秘的なものと形容したが、オアにとってはアハートの方こそ人外染みた、神のような視点を持つ者だと思った。
しばしの沈黙が再び訪れ、やがてアハートが決心したように頷いた。
「よし、決めたぞ」
「……?」
「オア、貴様は俺が導いてやる」
オアはこの沈黙に彼が何を考えていたのかは分からなかったが、笑顔を向けられ差し伸べられたアハートの手をそのままに取った。
彼の続く言葉に、オアは救いの手をようやく手に入れたのだと、やっと気付いたいのである。
「俺についてこい。さすれば、貴様にも『家族』とやらが出来るだろう」
握られたアハートの手は、ひどく冷たかった。