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吾輩は猫である

第三者視点です。

 吾輩は猫である。


 なんとなく「名前はまだない」と続けたくなるが、生憎と名前はたくさんある。

 しかし気に入ったものはない。


 一番よい感じがするのは宿屋の娘が呼ぶ『フレディ』なのだが、どうも決め手に欠ける。

 何かこう、心にビビッと光るものが欲しい。


 騎士団の詰め所の奴らがいう『タロ』なんてイモ臭い名前は問題外だ。

 イモ臭い、なぜ芋?


 寝床はないが宿なしではない。


 美しく強いオスだから多くのメスから求愛されている。

 眠くなると「うちに泊まっていったら?」と誘われるため、自分の寝床など必要ない。


 何ものにも縛られず気の向くままに生きることは猫にとって最高の憧れ。

 寝床どころか名前も持たない俺は、若いオスたちの憧れの視線を独り占めしている。


 モテないオスたちは酒場の外で残飯を漁って生きるしかないが、俺は常にメスが新鮮なエサを貢いでくれる。


 ん?

 ヒモみたい?


 ヒモ……ああ、人間のメスに経済的に依存して生きる人間のオスのことだな。

 ときどき王都の下町を巡回していると見かけるが、あのようなオスたちは顔はそこそこ整っているもののスマートさに欠けるな。


 この前みたヒモは刃物を持つメスに追いかけられていた。

 あの人間のメス、よくあんな棒のついた靴で走れるものだ、猫でも人間でも強い者が好きだ。




「ダーリン、そろそろ時間よ」


 昨夜寝床を提供してくれたメスが俺を呼びに来た。

 今日は猫たちの肝試しの日だ。


 肝試し。


 人間のように墓場を巡ったり、廃屋を探検したりするものではない。

 猫の肝試しは、文字通り「肝のすわった猫かどうか試してみよう」という趣旨の、伝統的な大会だ。


 昨年は「チキンレースするニワトリ共を追いかけられるか」という内容だった。


 チキンレースも俺たちの肝試しと同じで、「チキン(=弱虫)ではないこと」を証明するレースで、近づいてきている馬車の前にギリギリで飛び出すのだ。

 ニワトリ共ですらギリギリなところに、さらにギリギリで飛び込むことになるのだから本当に勇気がいる。


 今年はさらに難易度が高い。


 今年のルールは「ソニック邸に行き、貴婦人のリボンを獲ってこい」なのだが……なぜ、よりにもよってソニック邸なんだ!!

 城のほうが何百倍もマシだ!!


 三年ほど前の大会、同じ内容で会場は城だった。

 あそこにいる令嬢たちはチョロい。


 きゃあきゃあ騒がれる“イケメン”と言われる騎士と一緒に俺が姿を現せば「や~ん、可愛い」といってしゃがみこみ、可愛がろうとする。

 俺の知猫メスによると、『猫を可愛がる私は可愛いでしょ』という人間のオスたちへのアピールなのだそうだ。

 こうなったら楽勝だ。


 しかし、なぜ人間の女は『可愛い』や『頼りない』アピールをするのだろう。


 俺のメスたちはみんな強い。

 美しくて頼りがいのあるメスたちばかりだ。


 そういう意味では、ソニック邸にいる人間のメスはスゴイ。


 俺が屋敷の傍を通っても基本的には無関心、たまに猫好きと思われる奴らが俺を見かけてはちょいちょい可愛がってくれる。


 そいつらのマッサージの技術はスゴイ。

 可愛いでしょアピールではなく、俺を気持ちよくさせようという真摯な態度が好ましい。


 ただし、これは全てソニック邸の門の外での話。


 門扉の隙間からアリが侵入しているのを見たから「アリの子一匹」とまではいかないようだが、オス猫の俺がソニック邸内に入り込むことは許されていない。


 メス猫ならば裏口を出入りすることが許され、寝床を提供されたり、エサをもらえたりするらしい。

 このメス猫に対する厚待遇が嘘のように、オス猫の俺たちには厳しい。


 可愛げの問題なのかと守衛の前で十八番の悩殺ポーズをとってもみたが、首根っこを掴まれて道を挟んだ向こう側の歩道にそっと降ろされるに終わった。


 そっと降ろされたのだ。

 投げられるよりはいいという奴らからしてみたら配慮なのかもしれないが、挑んだ者として情けをかけられると屈辱でしかない。


 そんなソニック邸にオス猫の俺が入り込むには、開門を待つ間の馬車につかまって忍び込むほかない。


 狙いは男たちの乗った馬車。

 女が乗った馬車は待ち時間が超短い、どうやら秒で中に入れないと『ダンナサマ』に怒られるらしいのだ。


 ソニック邸の『ダンナサマ』は城では『サイショー』と呼ばれている。

 若かりし頃、極上のエサを求めて城に行ったときに何度か見かけたが、あの男は全くスキがない。


 そしてあの男の番、いまはソニック邸の『オクサマ』も怖い。


 あの女も虫も殺せなそうな優雅な容姿をしているのに、穏やかに微笑む表情の中で目は全く笑っていないことがあるのだ。

 あれはマジで怖い。


 しかし、俺のメスがいい情報を持ってきた。

 一年ほど前に『ダンナサマ』の息子、ロークとか呼ばれていた子どもが嫁をもらったらしい。


 まあ、嫁をもらうような年齢だからもう子どもではないだろう。

 その証拠にいまでは『ワカダンナサマ』と呼ばれていらしい。


 俺のメスによると、『ワカダンナサマ』の嫁は、元はあの城にいる『オージ』の妻になる予定だったが、なんかあって結婚できなかったから『ワカダンナサマ』の嫁になったらしい。


 俺のターゲットはその『ワカダンナサマ』の妻という女だ。


 きっと『ワカダンナサマ』に媚びを売るため、城にいる人間の女たちのように可愛いと誉めそやすことだろう。


 ひらひらとリボンで飾り立てているに違いない。

 ふっ、勝てる!


 今年も王都の猫社会は俺のものだ!!




 ―――何がどうしてこうなった?


 いま俺は周りをぐるりと人間に囲まれている。

 絶体絶命のこの状況を天国のように感じられるのは、俺を抱いている人間のメスが女神のように美しいから。


 姿かたちだけが美しいのではなく、魂も美しい。

 『ルシール』という名前も美しい。


 俺の番になってくれないものかな。


 普段はピンッとしている背筋が“ふにゃ~ん”と腰砕けそうに……痛っ。


 目の前の黒髪の男からバシバシと殺気が飛んでくるのだ。

 この覚えのある殺気、『ダンナサマ』と呼ばれる男と同じ殺気をこの男も向けてくる。


 この男、あのとき『ローク』と呼ばれていた小童か。


「ルシール、その猫を離しなさい」


 何を言う、この女性は俺の番に……


「猫、ルシールにそれ以上不埒な思いを抱いたら叩き切る」


 え、なに、この男。

 『ダンナサマ』とその番の子、めちゃこわい。


「でも、迷い猫のようですわ」

「騙されてはいけない、その猫は妙に殿下を彷彿とさせる。こう、殿下のように怠け者特有の、ヒモ感が出ている」


 ヒッ、また睨まれたぞ。


「まあ、それではこの猫がいま下町で評判になっているオス猫の『フレディ』かもしれませんわ。詰所の騎士たちは、以前は『タロ』と呼んでいたそうですが、最近改名したとか」

「ああ、あちこちのメス猫の寝床で見かけるヒモ猫のタロか……ははは、そうか、フレディか」


 男の視線に、俺の背中にジワッと嫌な汗が浮き出る。


「なお許せん、人間だけでなく猫までルシールに寄生しようとは……ルシール、早くこちらに渡しなさい。侵入経路を聞き出すのは無理だが、もう二度と君に近づけさせないようにするから」


 その言葉にルシールがちょっと戸惑うような仕草をみせた。


 ふふふ、バカめ。

 悪者を退治する英雄のつもりで格好いい台詞を吐いたつもりだろうが、『愛くるしい猫』相手にその台詞は下策。

 

 ルシールは俺を必死になって庇ってくれるはず……ん゙?

 俺を見下ろすルシールの目が超冷たい!


「なるほど……己の責務を忘れて怠けるヒモ猫、確かにフレディですわね、彼の方に未練はありませんが、あの堕落した性格を矯正できなかったのが私の唯一の心残りです」


「ニャン?」


 ビビっているのは俺だけではない。


「ル、ルシール?」


 目の前の男から先ほどの英雄然としたたたずまいが消えて、ほんの少しだが後退しているではないか!


 ほれ、しゃきっとせい!


「まあ、いままさにローク様に何かを押しつけたような気配がしましたわ」


「に゙ゃ!?」

「え、そうなの!?」


「見れば見るほど殿下によく似て……殿下ときたらまた『無理』とか『難しい』とか泣き言を言って政務をさぼっておられるとか。おかげでローク様が城に泊まり込む日が続いて私は寂しかったのですのに……殿下のせいで」


 痛い!

 俺の体を抱き上げる腕は優しいのに、一言一言の重みで押しつぶされそうになる!


 男、お前の番だろう、どうにかせいって……おい!!


 何でお前は頬を赤く染めているんだ!

 男のそんな顔、気持ち悪い!!


「ルシール……俺がいなくて寂しがってくれたのか?」

「当り前です」


 拗ねた声と同時に圧はなくなったが……何を見せられているのだろう。

 しかし、いまがチャンスだ。


 お互いに夢中なうちに逃げ……痛い、痛い!!


 圧が復活!?


「あらあら、都合が悪くなると逃げだそうとするところもそっくり」



 ***



 吾輩は猫である。

 名前はいまご主人様が考え中だ。


 フレディ?


 ふっ……そう呼ばれていた時期もあったな。

 しかし、いまの俺は名無しの権兵衛、ソニック邸で修行中のただの猫だ。


 私の仕事はソニック邸の見守りだ。


 食糧庫を漁るネズミを捕獲し、庭の球根を齧るモグラを駆除する毎日。

 メスたちに養ってもらっていたときに比べると、毎日の絶え間ない運動のおかげで体がシュッとしまり、すっかり健康体になった。


 だからそろそろ、メタボ改善用の味気ないエサから普通のエサに替えてもらえないだろうか。


 ソニック邸は広く、ときどき金網の向こうに馴染みのメスを見かけることもある。

 少し前ならウッヒョ~という感じで浮かれたが、いまはスンッと完璧にスルーできる。


 あちらは俺に婀娜っぽい視線を送ってくるが、女神が全てを睥睨するようなあの目を見たときに感じた『ゾックウ』とする感覚……ふふふ、少々クセになる。



「お前、またルシールに不埒なことを考えただろう」


 もう、本当にヤダ。

 この男、どうして俺の考えていることが分かる?


「しかしルシールの『やればできる子育成プログラム』はスゴイな」

「おそれいります」


「俺もこれを見本にして殿下を再教育してみようかな」

「まあ、それでしたらもっと厳しくないと。殿下は『できるけどやらない子』ですからね。それにこの子は猫なのでお昼寝の時間を設けていますが、殿下ならば三徹、いえ四轍は大丈夫でしょう」


 そう言ってルシールは笑って俺を見るのだが、俺の背はゾックウと例の感覚が駆けていく。


「さあ、お昼寝が終わったらそろそろ仕事の時間ですよ」


 ルシールの言葉に、猫の矜持ともいえる猫背がピッと伸びそうになる。

 今夜は西の倉庫の番だったな。


 ポトッと芝生に軽い者が落ちる音と同時に、かぐわしい魚のニオイ。

 高級煮干しだ、それも三本!!


 誰がこれを、と思って周りを見れば俺を見ているのはロークだった。

 その瞳には同情と労い……ふっ、その心遣いに感謝する。


「ローク様、甘やかしてはいけませんわ」

「努力にはご褒美で報いるべきだろう?」


 煮干しを咥えて立ち去る俺の背にルシールの楽しそうな笑い声が響く。



「確かにそうですわね。ローク様との政略結婚できたのですもの、頑張って本当によかったですわ」

番外編は不定期に更新します。

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