婚約破棄は構いませんが……本当によろしいのですか?
「ルシール、お前との婚約をここで破棄する」
婚約者でありこの国の第一王子であるフレデリック様が私との婚約破棄を計画していることは知っていました。
でも本当に婚約破棄をするかは半信半疑。
卒業を祝うパーティー会場で宣言するなどほとんど信じていませんでした。
それなのに本当にやってしまうとは。
とりあえず、扇を開いて溜め息を隠します。
私の周りでもご令嬢たちが扇の花を咲かせていきます。
感情は隠すのが貴族の嗜み、令嬢は扇で隠せます。
「理由は……」
「存じております」
フレデリック様の発言を遮ってしまったけれど……仕方ないかと。
若干引いていらっしゃる様子ですけれど、私もこの事態にかなり引いております。
それにしてもフレデリック様の教育不足がこんなところで露見していますわ。
王族なのですから感情を一切見せずに、常に微笑みを絶やさずにいなければいけませんのに。
それに「理由」はこの場にいる誰もが存じております。
……もしかしてフレデリック様は秘密にできていると思っていらっしゃったのかしら。
いえ、まさか。
それならいまフレデリック様の後ろでその理由様がうろうろしているのはおかしいですものね。
「フレディ、まだあ?」
その理由様は隠れる気もないようです。
堂々とフレデリック様に話しかけますし、フレデリック様も「もう少し」と答えていらっしゃいます。
フレデリック様の肩に手を触れてひょこっと顔を出されるなど不敬。
秘密様の頭を愛おしそうにポンポンと叩いて宥めるのは……不貞、かしら?
不貞でしょうね。
一応まだ婚約者は私ですから。
つまり婚約者の前で堂々と不誠実な態度を取られているのがフレデリック様で、国が決めた婚約と私の生まれた侯爵家をお二人は愚弄なさっている。
……「ふふん」と満足げな声が聞こえてきそうな理由様の笑顔。
これが世に言う「どや顔」?
「ルシール、何か言いたいことはないか?」
ありますわ、色々と。
どうして私が言わないといけないのかと理不尽に感じるくらい、いまのフレデリック様に言わなければいけないことが沢山あります。
「フレデリック様、貴方様の婚約者は私です。男爵令嬢とは適切な距離をお取りください」
正直言えばこんな忠告は今さらです。
フレデリック様がこの秘密様、サフィア男爵令嬢ティファニー様と大変親密であることは公然に秘密。
お二人は学園のあちこちで人目を憚らずくっつき合っていらっしゃいました。
それを見て見ぬ振りをしなければいけなかったこちらの気持ちなど、お分かりではないのでしょうね。
ティファニー様は王家が侯爵家に打診した婚約を木っ端微塵になさっています。
これは「諫めなかった」どころか「諫めたものの失敗した」でも責任を問われてしまうのです。
フレデリック様の性格を御存知の方は、彼が諫言を聞く耳をお持ちではないことも知っています。
だから見て見ぬ振り一択になるのです。
正直言えば私も見て見ぬ振りをしたかったですわ。
でも私の立場でそれは許されないのです。
「あなたがしっかりしないから」と言われる虚しさがフレデリック様にお分かりですか?
そしてこの事態……まだ婚約者だから止めなければいけないという理不尽さに憤りたくなる気持ちを必死に抑えます。
「ふんっ、まだ婚約者ズラするとは!」
「お言葉ですが私はまだ殿下の婚約者です」
なぜ分からないのです?
こんな場で宣言しても何の意味もないのです。
私たちに限らず貴族の婚約は両家の当主によって結ばれるもの。
私たちの婚約は国王陛下とカールトン侯爵のお二方が了承して初めて解消となるのです。
つまりフレデリック様は公共の場を騒がせているだけ。
醜聞をまき散らしているだけなのです。
「何を言う、私の婚約者はもうティファニーだ。私たちは真実の愛で結ばれている」
ですから、殿下が何を言っても無駄だと―――。
「皆の者、喜べ。いまティファニーのお腹には私の子がいる、国の未来はこれで安泰だ」
なんですって!?
確かに新たな王族の誕生は国を挙げて祝う慶事。
それが次期国王である王太子のフレデリック様の嫡子ならば確かに喜ばしいですが、不貞の証である庶子など国のトラブルの元でしかありません。
……これはもう駄目ですわ。
先ほどまでならば「若さに駆られて先走ってしまった」ですませられるかもしれないが子どもとなればそんな言い訳など通じません。
私たちの婚約は白紙にはならず、フレデリック殿下有責で破棄となります。
私たちの婚約は後ろ盾のない王太子であるフレデリック殿下のために結ばれたもの。
そのために王家がカールトン侯爵家に無理矢理承諾させたことはそれなりに有名な話ですから、その婚約を勝手に破棄した殿下の後ろ盾になろうとする貴族は今後現れないだろう。
「やだ、ルシール様が睨んでる! 怖いっ」
ティファニー様がフレデリック殿下にしがみつき、そんな彼女を守る様にフレデリック殿下は腕の中に囲んで私を睨んできます。
「ルシール! お前はまたそうやってティフィを怖がらせて!」
睨んではいませんが、睨まれたで怖がっていたら王子妃さえも務まりませんよ?
王子妃は貴族女性の厳しい目を浴びる立場、さらに王太子妃となればその厳しさは普通の王子妃の比ではありません。
でもこれを教えてさしあげるほどの義理も情も御二人にはないので黙っておきます。
文句を言われるのも面倒ですし。
「ティフィに嫉妬するのもいい加減にしろ、ルシール!」
「嫉妬など全くもしておりませんわ」
フレデリック殿下が驚いた表情で「え?」と呟きましたが、なぜそんな見当違いなことを?
「殿下、私たちの婚約は政略でしたわ。国益のための婚約でございます。愛だの恋だのではありません」
「国益? お前は国益で婚約をするのか?」
え?
「私は貴族ですもの。王家との婚約だったので国益ですが、他の政略で縁を結んだ方々も何かしらの利益に基づいて婚約なさったはずですわ」
「利益だと? そんなものが真実の愛より大事なのか?」
「殿下の仰る真実の愛で幸せになれるのはお二人だけではありませんか?」
実際は二人も幸せになれるかは分かりませんけれど。
それは元婚約者とはいえ一侯爵令嬢が考えることではありませんわね。
「子の幸せを喜ばない親がどこにいる!」
「そうですわね。陛下が喜ばれるならば私が言うことは何もございません」
子の幸せを喜ばない親はいない。
その台詞を殿下に言われるとは思いませんでしたわ。
お父様はこの婚約を結んだあと私によく謝るのです。
苦労を押しつける形になってすまないと。
私にも、私を愛してくれる両親がいるのですわ。
その両親が、今回の殿下の仕打ちを「なかったこと」にするとは思いませんの。
「誰が何と言おうと、ティフィを私の妃とする」
「フレディ様ぁ」
キラキラとした瞳で見つめ合う御二人。
恋の花畑の住人に何を言って無駄なのでしょうね、無駄は嫌いです。
もういいですわよね。