失踪
その日の結果も、午後三時に出た。
医師達に説明を受けると、皆一様に悪かった所は改善されていて、これ以上できることはないという。
颯が、言った。
「皆さん、大変に頑張ってくださいました。全ての結果に目を通しましたが、全員が改善されてすぐに治療が必要な箇所が残っている方は居りません。ただ、もう一日様子を見ることにしましたので、本日は全員こちらの公民館の二階三階の部屋に分かれて宿泊して頂いて、私達の目が届く場所に居てください。」
俊三は、言った。
「では、それで治療は終わり?」
颯は、頷く。
「はい。あくまでも念のためですので。今入れてる点滴が最後です。一日様子を見て何もなければ、我々は引き揚げます。あちこち放置していて悪くなっている方々も居たので、出来たら半年に一度ぐらいは町の病院で検査を受ける習慣を。それで健康寿命が伸びるのですよ。ご自分のお体のことですから、皆さん大切になさってくださいね。」
憲子が言う。
「でも…あの、こうして若くなるお薬は?」皆が憲子を見る。憲子は続けた。「町でそんなお薬はくれないでしょう。」
颯は、微笑んで答えた。
「それは経口薬は処方しておきましょう。一日一錠で。ですが、急激に細胞を活性化し続けると無理が掛かります。細胞自体が若返っているのではなく、あくまでも元気になっているだけなので。無理は禁物です。一時的なものだと思って頂いた方がいいですね。老いに逆らうのは、まだ今の医学では難しいことですので。」
とはいえ、こうして若返っている。
俊三は思ったが、確かに無理は禁物だ。
颯の話だと、見た目に若くても内情は老いた細胞ということだからだ。
憲子はまだ釈然としないようだったが、医師達に言われるままに、初日に付けられた番号順に部屋へと入り、その日は休むことにしたのだった。
次の日の朝、目が覚めていつもと違うのに驚いた俊三だったが、公民館に泊まったのだった、と体を起こした。
腕に付けられた腕輪の時計を見ると、朝6時だ。
カーテンを開けて外の景色を見ようとすると、何やら靄がかかっていて全く外が見えなかった。
…霧が出ているのか。
それでもこんなに濃い霧は初めてだった。
急いで着替えて廊下へ出て、持ってきた髭剃りを手に共同の洗面所へと向かう。
すると、洗面所では、先に誰かが来て顔を洗っていた。
「おう、おはよう。」
すると、相手は水を止めて顔を上げた。
「…え、その声、俊三か?」
俊三は、その顔に見覚えがあった。
だが、相手はどう見ても三十代ぐらいにしか見えなかった。
「え…まさか貞吉か?!」と、長い鏡に映る、自分の顔を見て仰天した。「え、オレ?!」
鏡の向こうで同じように驚いた顔をしているのは、間違いなく遥か昔にずっと見ていた、三十代の頃の自分の顔だった。
「なんだこれは?!」俊三は、鏡に手を付いてマジマジと見つめた。「めちゃくちゃ若い!」
貞吉は、神妙な顔で頷いた。
「だろ?オレ、目が覚めてびっくりして…カミさんの部屋に駆け込んだら、若い女が寝てて仰天したよ。別人だったらまずいから、起こさずにここへ来たけど…もしかしたら、全員こうなのかも。」
一気に薬が効いたのか。
「…先生に聞かないと。」俊三は、言った。「いくらなんでもこんな…効き過ぎじゃないか?無理が掛かるとか言ってなかったか。」
だが、詳しく思いだそうとしても、なぜか頭に霞がかかっているようで、全く思い出せない。
先生と言ったが、その医師の顔もハッキリ出て来なかった。
「…あれ。先生…誰だったか。」
貞吉は、タオルを首にかけながら、顔をしかめた。
「やっぱりお前もか?オレも、なんか思い出せなくてな。夢かと思ったが、手首に腕輪はあるし、そうじゃない。名前も思い出せなくて。」
言われてみたらそうだ。
俊三は、担当医師の顔と名前が出て来ないのに戸惑った。
結構親しく話した気がするのに。
「…みんなを起こそう。」俊三は、言った。「なんか分からんがおかしい。カフェに集まって話し合おう。誰か覚えてるかもしれないだろう。」
貞吉は、頷いた。
「そうだな。オレ達だけかもしれないしな。なんか個人差があるとか言ってたし。とにかく、三階の奴らを頼む。オレは二階の奴らを起こして来るよ。」
そうして、二人は手分けして皆を起こして回ることにした。
結論から言うと、全員が三十代ぐらいの見た目になっていた。
個人差があるとしても数年だろう。
女性は特に激変していて、男性達は戸惑った。
別人のようで対応に困るのだ。
カフェへと入って来ると、若い頃は美人だったと聞いている、美智子が確かに美しい顔で言った。
「外が真っ白で怖いわ。」カフェの大きな窓からも、何も見えない。「ここから出たら戻って来れなくなりそうよ。」
確かに尋常ではない霧だ。
しかし、皆はそれより正面に置かれた、ホワイトボードに目が釘付けになった。
いつも人狼ゲームをしている時に使っていたものだが、そこにこう書かれてあったのだ。
『人狼ゲーム
この村には、人狼3人、狂人1人、占い師1人、霊能者1人、狩人1人、共有者2人、狐1人、村人9人居ます。
役職は部屋のテレビ台の引き出しの中のカードを見てください。
毎日夕方6時にカフェに集まってその日追放する人を決めてください。
追放された人は、ゲームから脱落となります。
ルールは、置いてあるしおりを参照してください。
ルール違反の方も追放となりますので気を付けてください。
村役職の方は、毎日夜8時に腕輪の数字キーでその人の番号を入力してください。
人狼の方は毎日夜10時にその日襲撃する先を入力してください。
人狼同士の話し合いは、お部屋の電話でできます。
詳しくはしおりをご覧ください。
それでは、若さを掛けて人狼ゲームをお楽しみください。』
若さを掛けて?!
俊三は、急いで下に積まれてあるしおりを手に取った。
全員が、しばらく呆然とホワイトボードを見つめていたが、俊三が動いたのでそれに倣う。
しおりには、ホワイトボードに書いてあるのと同じ事が書かれてあり、その他ルールには夜9時には必ず番号の部屋に入ること、朝の6時までは部屋から出ないこと、他者を傷付けないこと、必ず誰かに投票すること、必ず襲撃することなどが書かれてあり、食料はカフェの冷蔵庫にあることも知らせてあった。
「…どういうことだ?」俊三は呟くように言った。「若さを掛けてってなんだ?追放されたら元に戻るってことか…?」
先生が来ない。
俊三は、思った。
昨夜は村人達に部屋を譲って外の大きなマイクロバスに分かれて寝ているはずだった。
「…話を聞きに行きましょう。」憲子が、ガタガタ震えながら言った。「せっかく若くなったのに…追放されたら元に戻るなんて…。」
俊三も確かに若い体は魅力的だったが、そこまで執着はない。
それでも、確かにこれは話を聞いて来た方が良さそうだった。
「行こう。」忠司が言った。「理由を聞かないとな。確かに顔も覚えていないが、どうしてこんなことをするのか聞きたい。」
皆は頷いて、カフェの窓の外は真っ白だったので、中から順当に公民館の玄関はと向かい、そこから外へと出た。
しかし、公民館の外は1メートル先も見えないほどの霧で、駐車場はこっちかと、手探りで進むよりなかった。
戻って来られないかもしれないと、女性は公民館の入り口に残して、男性ばかりで駐車場の方へと進んだ。
「…この辺りのはずなのに。」
政由が言う。
俊三も、首を傾げた。
「確かに。でも何も無いな。」
忠司が、あちこち手を振り回して進みながら、首を振った。
「…ない。ここにはマイクロバスはないぞ。」
「昨夜のうちに帰ったのか?」貞吉が不安そうな声で言った。「でも…だったらなんでこんなことを。」
「娯楽室は?」忠司が言う。「あそこに山ほど機材を入れてただろう。あれを全部引き揚げるなんて無理じゃないか。昨夜は何の音もしなかったと思うが。」
言われて確かに、と思った。
運び込む時にもかなりドッタンバッタンやっていたのだ。
「見て来よう。」
俊三が言うと、貞吉が声を上げた。
「おーい!声を出してくれ!どっちだ?」
女性達の声が口々に応えた。
「こっちよ!」
その声を頼りに、男性達はまた公民館の方へと戻って行った。