トレーニング
それから、毎日のようにあちこちで組になって、五人、六人、七人と人数を増やしたゲームに興じた。
慣れて来ると案外に面白くて、人数が増えて来るとまた役も増えて、村人が知る情報も増えて行って複雑になって行き、確かに物凄く頭を使う。
そのうちに、腕輪から投票して役職行動するという、簡単な方法も教えてもらえて、結果がタブレットに出るので、格段にやりやすく楽しめた。
医師達は毎日皆に点滴をして治療しながら、そんな老人達の相手をよくしてくれた。
嫌な顔一つせずに、人狼ゲームのゲームマスターをしてくれて、俊三も何やら段々に頭がハッキリしてくるような気がしていた。
驚いたことに、忠司も英語を聞かなくても、正気で居ることが増えて来て、気がつくと元通りではないか、というほどしっかりしていた。
昔のように冗談も口にして、医師達には流暢な英語で話し掛けて、楽しげにしていた。
そんな毎日を過ごして三週間、今日も公民館に行こう、と髭を剃るために鏡の前に立った俊三は、ハッとした。
…なんだろう、若返ったような。
目尻のシワが、目に見えて減っている。
白かった髭も、最近では黒々としているような気がする。
肌の色艶は前の比ではないほどで、昨日まで気付かなかったのが不思議なほどだ。
…脳トレしてるから?
俊三は首を傾げた。
脳が若返ったら体も若返るのだろうか。
とはいえ、気のせいかもしれないので、みんなの意見も聞いて来ようと、急いで髭を剃って身なりを整えると、俊三は家を飛び出して公民館へと向かった。
すると、見慣れない若い女性が公民館の扉の前に立っていた。
若いと言っても俊三から見たら若いというだけで、恐らく四十代ぐらいだろうか。
「…あれ。」俊三は、言った。「どうかしましたか?道に迷ったとか。」
相手は、急いで俊三に駆け寄って来た。
「違うの!私よ、憲子。」俊三がびっくりした顔をすると、憲子だという女性は続けた。「もう、驚いちゃって。お父さんだって最初は分からなかったみたいで。昨日までもね、なんだか肌の調子が良いなあって思ってたけど、こんなに若く見えるほどじゃなかったのよ。なのに、朝起きたらこれで。見て、生え際も真っ黒で、白髪染めしないでいけそうなぐらい。」
俊三は、驚いて自分も髭を触った。
現役時代は悩まされた剛毛だったが、今も指先に触れるのは何やらゴツゴツとした剃り跡だった。
ここ最近では、心もとない感じの毛質だったはずなのだ。
「…先生達は?」
憲子に言うと、憲子は頷いた。
「聞いてみようと思って、お父さんより先に来たんだけど。まだ先生達は出て来てらっしゃらないみたい。」
医師たちは、上の階の部屋に分かれて入っているはずだった。
もう9時だし、そろそろ出て来るはずなのだ。
「…いつもこの時間には降りて来るはずだから、そろそろじゃないかな。とにかく、カフェで待っていよう。」
憲子は頷いて、中へと歩いて入って行った。
その後ろ姿も背筋が伸びていて軽やかに動いていて、とても歳が近いとは思えない。
と、思ったが、自分も何やらスイスイと足が動くのを感じていた。
いつものようにカフェへと入って行くと、まだ誰も来ていなかった。
そこで座って皆が来るのを待っていると、ぞろぞろと村の皆が入って来た。
だが、改めて見てみると、確かに皆の動きにキレがある。
そして、それぞれ個人差はあるものの、確かに姿が若々しくなっていた。
「全員か?」俊三が、言った。「憲子さんだけじゃないみたいだな。」
喜美子が、すらりとした姿で頷く。
「そうなの。うちの人だって、こんなに目元にキレがなかったのに。なんだか落ちくぼんで来てたはずよ。なのに、ほら、こんな感じ。」
見ると、確かに茂男も五十代ぐらいにしか見えない。
「茂男もか。というか、みんなちょっとずつ若いよな。憲子さんだけがちょっと極端に若く見える感じか。」
昭三が、顔をしかめた。
「若い頃のカミさんがオレを起こして来た時の衝撃が分かるか?オレ、いよいよ死んだのかと思った。そしたら、お父さんお父さん言うから、あ、現実かって。若い頃は名前で呼んでたしなあ。」
憲子は、息をついた。
「でも、すごく体が楽だわ。腰も痛くないし、坂道だってあれだけつらかったのにスイスイ登って来れたのよ。」
皆が頷いていると、そこへ医師たちがぞろぞろと入って来た。
俊三が、急いで言った。
「ああ、先生!見てくれ、みんなちょっと若くて。憲子さんなんか、あんな感じでとてもじゃないが70代に見えない。」
颯が、そんな俊三に笑ってまあまあ、と手を抑えるように動かした。
「皆さんが少しでも楽に生活できるようにと、治療と一緒に細胞を活性化させるお薬を処方していまして。もちろん個人差はありますが、それに伴ってお肌の張りとか出て来るかもしれませんね。今日いきなりなったのではなくて、少し前から少しずつ変わっていましたけど、お気付きになっていなかったのですか?」
言われてみたらそうかもしれない。
俊三は思った。
最初の日から、体も軽かったし結構若い頃のように脂っこいものでもスルスルと食べることができた。
目立った変化がなかっただけで、もしかしたらどんどんと変わっていたのかもしれない。
今日になって、顕著になっただけで。
皆が黙ってそんなことを考えているので、颯は言った。
「では、本日は再検査をさせていただきます。初日に見つけた箇所が治っているのか調べる必要がありますので。改めて一人一人、担当医師の指示に従ってください。不安な事などがあれば、その際に聞いて頂けば結構です。」
俊三は、頷いた。
だったら、ジョアンにいろいろ聞いたらいいか。
何しろ、体の調子がかつてないほどいい。
この医師たちの治療が、とてもうまく行っているのは自分の体感で分かった。
詳しい事は、この検査の時に聞けばいいのだ。
そう思ってジョアンが歩いて来るのを見て待っていると、視界の端に、俊三の記憶の中よりずっと若い姿の、忠司がそれはスッキリとした姿で立ち、自分の担当の医師ときびきびと話す姿が過ぎった。
背筋が伸びてすらりとした立ち姿は、デキる男のイメージそのままで、忠司がそうやって現役時代に働いていただろうことは、容易に想像できた。
じっと座って虚空を見ていたイメージは、もうそこにはなかった。
俊三は、ジョアンと共に椅子に座って言った。
「ジョアン先生、どういうことだ?オレもそうだがみんながみんな、なんだってこんなに若く。」
ジョアンは、タブレットを手に言った。
「さっきハリス…颯が説明したように、細胞を元気にするお薬を処方していたんですよ。肌の張り艶はやっぱり見た目の年齢に大きく影響しますからね。そのお薬の効き具合で、個人差は出ていますが全員少しずつお体が楽になっていらっしゃるかと。」と、タブレットを置いて、注射器を手にした。「採血からしましょうか。その様子では、臀部の痛みももうありませんか?」
俊三は、素直に服の袖をまくり揚げて腕を出しながら、頷いた。
「もう、最初の日からそれは全く。なんか、頭もハッキリしているし、物忘れもほとんど無くなったんですよ。」
ジョアンは、笑った。
「それは良かった。毎日脳トレに励んでいるからではないですか?」
確かに、人狼ゲームは毎日やっている。
頭がクリアになるにつれ、段々に複雑なゲームをしたくなり、今では19人全員で多くの役職を入れたゲームに興じてもきっちり考えることができていた。
「…さあ、いいですよ。次はレントゲンとCTを外の車で撮りましょう。お話しながらで大丈夫ですからね。」
採血された跡にパッチを貼って見ると、腕も滑らかであれだけたるんでいた皮膚が嘘のようだ。
俊三は、夢を見ているような気になりながら、ジョアンについて外へと向かったのだった。