エピローグ
忠司は、夜も更けて来てやっと皆を見送って、ホッと一息ついていた。
やはり、薬はよく効いているようだ。
最後に腕輪から投入した薬は、徐々に記憶を遠くする薬だった。
覚えてはいるが、遠くなって思い出せないようになっていくはずだった。
腕輪を投入した箱を持ち上げて、裏山へと向かおうかと思っていると、そこへジョンと、そのジョンにそっくりの息子の新が共に入って来た。
その後ろから、紫貴も歩いて来ている。
この三人は親子なのだが、どう見ても兄弟にしか見えない。
ジョンが言うには、新より若くなってしまうとそれこそ親子逆転してしまうので、少しでも年上の見た目で止まるようにと指示をしているらしい。
なので、ジョンは三十代後半ぐらいの見た目なのだろうと忠司は思っていた。
ちなみに、ジョンは偽名だ。
忠司自身も、ずっとクリスという偽名を自分の名前として働いていた。
退職してそれを捨てて来たのに、長年生きて来た記憶は強い。
ここへ来て、クリスが本当の自分で、忠司はずっと過去に捨てた自分だったのだと、今回の事で悟った。
「ジョン。」
忠司が言うと、ジョンは懐かしい様でクックと笑った。
「だから彰でもいいのだぞ?まあ、皆未だにその名で呼ぶのだがな。」
新が、言った。
「クリス、お疲れ様でした。腕輪を回収できましたね。」
忠司は、箱を差し出した。
「ええ。全員の分を回収できました。私はここで、四カ月皆の様子を見て元に戻るのを確認します。何か不調があれば対処できますしね。」
新は、頷いて大きなブリーフケースを忠司に渡した。
「薬品と注射器などです。何があってもこれで対処できるでしょう。」
忠司は、頷いて確認のためにそれを床に置いて開いて見た。
中には、一般には出回っていないものも多い薬品の瓶が、多く並んでいた。
もう二十年ほど、見ていなかった物だった。
「…懐かしい。」忠司は、その瓶達のラベルを指先でなぞった。「加奈子の時も、これがあればと思ったのを思い出します。でも、私的に連絡することは禁じられているので、最後までできなかった。もう助からないのは分かっていましたが、苦痛だけでも和らげられたのにと、退所していたことをあれほど悔やんだのは初めてです。」
ジョンは、顔をしかめた。
「…私に言えば、何とかしたものを。今の私なら、君の気持ちが理解できたはずだ。もしも紫貴だったらと思うと、君に同情せずにはいられないよ。」
忠司は、ケースを閉じて、ジョンを見上げた。
「あなたに連絡することも考えたのですが、私は研究員の一人でしかありませんでした。おこがましい気持ちになってしまって、とてもできませんでした。」
ジョンは、苦笑して言った。
「そう思われても仕方がないが、今の私は部下であった皆を大切に思っているよ。紫貴と共にこうして居ると、君達が私が何をしようと助けてくれていた事が、当然のことではなくて君達の好意でもあったと理解できるようになった。なので感謝しているのだ。私がやり遂げることができたのも、君達の助けの上でのことだったと分かったからだ。これからは、助けが必要な時は遠慮なく言ってほしいと思う。」
相変わらず、分かりやすいハッキリとした物言いだ。
それがまた懐かしくて、忠司は込み上げて来るものを我慢できずに、涙を流した。
「クリスさん…。」
紫貴が、後ろから労わるように言う。
ジョンは、その肩を抱いて微笑むと、言った。
「…では、君が皆をここに足止めしておいてくれたので、あちらの建物の片付けはもう終わった。プレハブも片付け終わっているし、我々は撤収するよ。ヘリは音がうるさいので車で山を下りるつもりだ。君は、四カ月後には私の屋敷へ来るのか?」
忠司は、涙を拭いて笑った。
「いえ、近くのマンションを買い取ろうかと思っています。長男には妻が子育て中住んでいた家を贈与してるんですが、長女には無いのでそのマンションを私の死後譲れるかと思いましてね。ここは、別荘として子供達が使ってくれるでしょう。売ろうにも、こんな場所を…安く見積もっても1億五千万ぐらいになるんですよ。買い取る人もなかなかいないでしょうし。」
ジョンは、心配そうに言った。
「私が買おうか?本宅の方で不動産の管理をさせているので、私なら賃貸に出すルートもあるしな。相続しても子達が固定資産税に困るだろう。何なら家具ごと買うがね。2億ぐらいか。」
言って新を見ると、新が頷いた。
「ならば、間下に連絡しておきましょう。」
忠司は、慌てて手を振った。
「そこまでお世話になるわけには。私達の道楽で建ててしまいましたのに。」
確かに、もう少し山の中を車で行けば温泉も出る場所だが、ここを借りようと思う人が居るだろうか。
忠司が案じて言うと、ジョンは笑って言った。
「良いのだ。別に固定して住んでもらわなくても、これだけ広ければ小さな会社の慰安旅行とか、会社のセミナーやらなんやらで使いたい者達が居るのだよ。私の洋館もあちこちにあるが、テレビの撮影やらで使ったりしているしな。そういうのに貸し出すだけでも、収入にはなる。」
紫貴が、頷いて微笑んだ。
「この前は、連続ドラマの撮影で三カ月借り切ってましたわ。それから、それを見ていた会社の慰労会とかに問い合わせがあったり、使い勝手はありますの。ここなら綺麗に使っていらっしゃるし、私もまた来てみたいと思うし。」
ジョンは、微笑んで紫貴を見た。
「君がそう言うのなら一緒に来よう。実験にもまた使えそうだしな。まあ、回りに家が多いから野次馬が困るか。」
忠司は、子供達の事も考えた。
加奈子を看取ったこの家で、自分も最後を迎えようと思っていた。
だが、認知症から復活すると、自分はまだ生きている。
もうこれ以上、亡き妻に囚われて生きて行くのは、生きている自分に対してあまりにも失礼な気がした。
残りの人生を新しく生きて行くなら、この家はあまりにも孤立し過ぎているような気がする。
遺して行けば、この大きな家は税金だけでも子達に重くのしかかる。
ならば、ここでジョンの好意に甘えて、有効活用してもらう方が良いのかもしれない。
忠司は、頷いて立ち上がった。
「ジョン。」ジョンと紫貴は、忠司を見た。忠司は頭を下げた。「よろしくお願いします。家具は、子達が欲しい物があったら持って帰ってもらいますし、家の値段だけでいいです。急いで引っ越し先を探します。」
ジョンは、頷いた。
「まあ、私がやるのではないしな。部下が勝手にやる。」と、新を見た。「間下にうちの近くに良い物件が無いか聞いてやってくれないか。後は直接、クリスに連絡させるようにしてくれ。」
新は、頷いた。
「はい、お父さん。」
忠司は、やはりこの人達の側に戻るのが、一番自分の人生に彩りが戻るのだと、ここから始まる未来に、久しぶりにワクワクした気持ちになったのだった。
それから、四カ月が経過した。
聞いていた通り、最初にひと月で一気に歳を取ったような感じになって、そこからはなだらかに、若々しい老人、ぐらいの見た目で毎日を過ごして、今があった。
俊三達は、毎日昼間から忠司に教えてもらったゲーミングパソコンでオンラインゲームをしたりしながら、楽しく過ごしていた。
幾つになっても、新しい事はワクワクして楽しいものだ。
毎日が充実している気持ちになった。
変わった事と言えば、忠司が家を売ってここを出る、と言い出したことだ。
こんな場所のあんな家が売れるのかと驚いたが、どうやら不動産会社が買い取ると言っているらしい。
持っていても将来子達が困るし、町の新築のマンションを紹介されてそこを買って引っ越すことにしたのだそうだ。
娘に譲渡することが前提なので、6LDKの大きな物件を選んだらしいが、何でも娘夫婦がそれなら同居しようと言い出したらしく、共に住むことになったそうだ。
源太と明子は、まだ緊張感の漂う状態だ。
直後はまだ明子が薬の影響で若かったので、すぐにここを出て行くこともできず、荷物を整理しながらも家に居たのだが、ひと月経って姿が落ち着いて来ると、娘に連絡してさっさと迎えに来てもらい、ここを去って行った。
源太は後を追って行ったが、しばらくして戻って来て、どうやらあちらの家に入れてもらえない状態らしい。
まだ離婚はしていないらしいが、時間の問題なのではないかと公民館で会った喜美子が言っていた。
昭三と憲子は、あっさりと離婚して昭三の方が突然、町の方へと出て行った。
俊三が町へ行く用事のあった時に昭三に会ったのだが、今は町のジムに通って毎日充実しているそうだ。
寂しくないのかと聞いたら、ジムの友達も居るし、家に戻ればオンラインゲームで村のみんなとも話すので、特に問題はないと言う。
もう70代で見た目は年相応になっているのだが、すっかり行動が若返っていた。
なので、動きがかくしゃくとしていて、それだけでかなり若々しく見えた。
村に残って静かに生きる、憲子とは全く違った様子になっていた。
憲子の方が若さに固執していたのに、皮肉な結果だった。
そんなこんなで、今日は忠司が引っ越して行く日だった。
忠司だけは、認知症が治ったせいか、背筋がスッと伸びて、あのゲームの前よりずっと若く見える。
そんな忠司は、家具も全て子供達に分け与えてしまい、自分が持って行くのは洋服ぐらいのもので、それを大きな高級ワゴン車に乗せ終えて、出発しようとしていた。
家の中はガランとしてしまい、あれだけ行き来したのに寂しい気持ちだ。
皆で見送りに坂の下まで降りて行くと、忠司はそこでワゴン車を止めて、降りて来てくれた。
「忠司、また遊びに来いよ。あの家、良い人が住んでくれたらいいけど。」
忠司は、笑った。
「オレの知ってる不動産会社の人だから、大丈夫だ。恐らく週末別荘みたいな感じで、時々借りて泊まる程度だと思うけどな。あの家は防音も完璧に建ててあるから、多分迷惑はかけないと思うけど。煩かったら不動産会社に言うから、オレに連絡くれてもいい。」
俊三は、苦笑した。
「問題ないって。お前の所は敷地が広いから建物が奥へ入ってるから、普段でも全く音が聴こえないからな。中でゲームしててもシンとしてたじゃないか。もう、みんなで集まってゲームできないのは寂しい気がするけど。」
忠司は、俊三の背を叩いた。
「また遊びに来るよ。」と、皆の顔を見た。「みんなも。見送りありがとう。またあっちにも遊びに来てくれ。」
喜美子が、涙ぐんで花束を渡した。
「うちの庭で育てた花だけど。また絶対遊びに来てね。年取ってからのお別れは寂しいわ。お互いに…これが最後な気がして。」
茂男が、そんな喜美子に自分も涙ぐむのを隠すようにわざと怒って言った。
「こら!縁起でもない。オンラインでもいつでも会えるし。」
忠司は、頷いた。
「そうだぞ。以前の職場の友達が隠居している傍だから、いろいろ忙しくなるし時々しかできないかもしれないが、またゲームでもしよう。それから、もし具合が悪くなったら連絡をくれ。医者に友達が居るから、すぐに来るよ。」
政由が、言った。
「ありがとう。今のところみんな、あの時の健康診断で元気だし、心配するな。オレも、ここは別荘扱いにして、元の家に一度戻って来るかなとか思ってるんだ。ちょうど、オレのマンションを借りてくれてた人が転勤で出て行ったし、行ったり来たりしながら過ごすのもいいかなって。」
それを聞いて、昌雄がえ、と政由を見た。
「え、お前も?」
政由が、昌雄を見た。
「ってことは、お前もか?」
昌雄は、渋い顔で頷いた。
「そう。嫁が死んでから数年経ったし、ここで一人ってのも退屈だしな。オンラインゲームができるようになったし、孫の近くに戻るかって思ってたとこだ。ここは、また時々戻って来るのでいいかなと思い始めていて。」
俊三は、焦った。
みんな、出て行く準備をし始めているのか。
かく言う俊三も、確かにどうしようかと思ってはいた。
昭三を訪ねた時、とても楽しそうだったし、心が前向きになったせいか、新しい事がしたくて仕方がなかった。
最近は孫とオンラインゲームの話で盛り上がるし、娘より孫と仲良く遊べている。
課金のできない孫に代わって、自分が武器を調達してやったりして、孫から喜ばれていた。
こうなって来ると、嫁も居なくなった今、娘や孫が居る近くへ戻るかと思ってしまうのだ。
「みんな出て行くのね…。」
美智子が、皆の空気を察したのか、寂し気に言った。
貞吉が、それを慰めるように言った。
「みんな、残りの時間を考えたら好きな事をするんだよ。オレ達だって、引っ越しこそしないが毎月旅行に行くことにしたじゃないか。賞金もらったしさ。それぞれ、まだまだできるって考えて、行動してるんだ。尊重しなきゃな。」
美智子が頷くのを見て、忠司は言った。
「そろそろ行くよ。」と、皆に微笑み掛けた。「またな。」
俊三は、慌てて言った。
「またメールするよ!電話も。」
忠司は頷いて、車に乗り込んだ。
そして助手席に花を置くと、皆に手を振ってから、エンジンをかけてゆっくりと進み出した。
その後ろ姿を、残っていた住民達みんなで見送った。
それは、明日は自分かもしれない姿だった。
だが、悪い意味ではなく、ただ希望しかないような未来に見えた。
お疲れ様でございます。
次の人狼ゲームは、実はしばらく間を空けようと思っていたのですが、楽しみに読んでくださっている方が例え一人でも居ると思うと、それが自分だった時の事を考えると、居ても立っても居られず、また書き始めてしまいました。筋が完全に決まっていない中で書いているので、杜撰になるかもしれませんが、次のお話は明日から、続けて進めて行きます。
あちらとこちらの狭間にてhttps://ncode.syosetu.com/n7243hr/
またよろしくお願い致します。6/19




