来訪者
村人総出で二階十室、三階十室の部屋を掃除し、布団を干して来客に備えた。
布団は、この公民館が出来て以来全く使われないままだったので、まだ布団袋に入ったままの状態だったが、外気に触れてふんわりといい具合に膨らんで、今すぐに昼寝でもしたいほどだった。
この村には、12世帯19人が住んでいる。
最初はそれぞれの連れ合いが居て24人だったが、男性に比べて女性は我慢強いのもあってか、五人の女性がここへ来てから病に倒れ、亡くなってしまっていた。
なので、俊三だけが特別なのではなくて、男やもめはこの村には珍しいものではなく、俊三を含めて五人が一人暮らしをしていた。
それでも、この公民館の閉鎖されたカフェへとやってくれば、誰かしらが居て話し相手になった。
なので、俊三は話し相手には困っておらず、大きな家族のような意識でいた。
それは、皆も同じようだった。
ここには、公民館までの上りのうねうねとした道沿いに、ぽつんぽつんとおしゃれな建築様式の家が12軒建っていて、その道をずっと歩けば全員の家を訪ねることができた。
その道を自分の家から降り切ってしまうと、長閑な景色が広がっており、俊三はその道をぐるりと一時間ほどかけて歩くのが日課になっている。
元は田んぼであったらしい場所は広々としていて見通しが良いが、それでも草が生い茂って来るので、毎年夏になると自治会で購入した草刈り機を使って、皆で草を刈る。
そうでなくても、気が付いたらどうせ暇だからと誰かが草を刈るので、そこはいつでも綺麗に保たれていた。
ここに居る誰の土地でもないのだが、そこが鬱蒼としてしまうと廃村のようになってしまうので、誰が言うともなく続けている手入れだった。
買い物は、週に一度町から移動販売の車が来てくれて、それで大体事足りた。
高齢化に伴い自治会から役所へ申し入れたら、町のスーパーがそうしてやって来てくれるようになったからだった。
足りない物があれば、車を所有している誰かが出掛ける時に皆に御用聞きしてくれて、まとめて買って来てくれるので車が無い住民でもそう不便なく暮らしていた。
だが、やはり山の中なので大した娯楽もない。
もちろん飲み屋もないので、時々酒を持ち寄って公民館で飲み会をするのが唯一の楽しみと言えた。
…若い頃にここへ来ていたら、もっと何かできたんだろうか。
俊三は、時々そんなことを思った。
そうやってまた、いつもの日常を過ごしていると、ボランティアの医師団がやって来る日になった。
その日は俊三も日課の散歩を取り止めて、公民館の窓を開けて換気をし、朝早くから医師達を迎えるための準備をした。
俊三の家は坂道の一番上で公民館に一番近く、公民館の鍵は俊三が預かることになっている。
なので、こんな時はそういう準備は俊三の仕事だった。
俊三がのんびりと外にあるカフェの椅子に腰かけて待っていると、坂道を歩いて続々と皆が登ってやって来た。
貞吉が、手を振って言った。
「おう、俊三。開けておいてくれたんだな。家に寄ったら居ないから、そうだろうなってみんなで言ってたんだ。まさか散歩じゃないだろうなって、車を取りに行くかって話してたぐらいだ。」
俊三は、苦笑した。
「こんな日に散歩なんかしてねぇよ。まだ来ない。多分町からここまで一時間は掛かるしまだ待たなきゃならないだろうな。」
「まだ9時だ。」後ろから来た茂夫が言う。「まだ掛かるだろ。」
憲子がハアハアいいながら上がって来て、言った。
「うちのお父さんったら車で登って来ようって言ったのに、先生に歩けって言われるとか言って。私、カフェの機械でコーヒーでも作っとこうと思ったのに、疲れてちょっと休憩してからだわ。」
すると、後ろから来た憲子の夫の昭三が苦笑しながら言った。
「ちょっとの距離なのに、ちっとは歩けよ。コーヒーったって、あの機械は毎日使ってるんだから同じようにセットしたらいいんだろ?」
憲子は、怒ったように昭三を見た。
「もっと綺麗に洗い直してからにしようって思ってるの。もう、せっかく先生方が来てくださるのに。」と、憲子はサッサと公民館の中へと足を進めた。「先、行くからね。」
憲子は、答えを待たずに入って行った。
「元気じゃねぇか。」
昭三が、ため息をついてその後ろをついて行こうとするのに、貞吉が言った。
「なあ、あんまり喧嘩すんなよ。めんどくせぇぞ?」
昭三は、肩をすくめた。
「いいんだよ、いっつもあんな感じだしな。」
ぞろぞろと歩いて入って行くその背を見つめながら、俊三はその背が、すっかり老人のそれなのに気付いて、ハッとした。
…自分も、端から見たらああなのだ。
昔は、若くてかくしゃくとしていて、誰にも負けない気になった。
ここへ来た時も、同じ年代の者達の中でも、自分は元気で見た目が若い方だと自負していた。
だが、公民館のガラス戸に映る自分の姿は、皆とそう変わらない姿だ。
すらりと高い背が自慢だったが、こうしてみると縮んだ気がする。
いつの間にか、こうなった。
俊三は、何やら寂しい気になって、客が来るというウキウキとした気持ちは、すっかり消え失せてしまっていたのだった。
それから、全員がカフェの思い思いの場所に座って時間を過ごしていると、村民しか使わないはずのあの坂道から、車のエンジンが唸る音が聴こえて来た。
…来た!
俊三は、思わず立ち上がった。
同じように皆が皆立ち上がって、子供のようにカフェの掃き出し窓から外へと飛び出すと、大きなマイクロバスが二台、何とか上がって来るのが見えた。
「…急たからなあ。」貞吉が、それをみて言った。「あれじゃあ重いしやっと登ってる感じだな。」
あの中には、恐らく医療機器が山ほど入っているのだろう。
登り切れば広い敷地があるので、バスはどこでも停め放題だが、確かに苦労しているようだった。
やっとのことで登り切ったバスは、それぞれ分かれて広い駐車場へと停車した。
そして、降りて来たのはそれは若い、男だった。
「こんにちは。医療法人若緑会から来ました、立花颯と申します。颯と呼んでください。」と、胸に吊り下げた、不自然に大きな名札を皆に見せた。そこには大きく颯と書かれてあって、上にひらがなでルビがふってある。「これから一ヶ月、皆さんのお世話をさせて頂きます。」
ハッキリハキハキとした言葉で、物凄く聞き取りやすい。
どうやら老人相手は慣れているような感じだった。
俊三は、一応自治会長なので、進み出て言った。
「こんな山奥までご苦労様です。私は山瀬俊三。ここの今の自治会長をしています。」
颯は、微笑んで手を差し出した。
「よろしくお願いします。俊三さんとお呼びしてよろしいですか?」
満面の笑顔に戸惑いながら、何とかその手を握ると、颯は握り返して来た。
俊三は、頷いた。
「いいですよ。」
颯は、手を放して頷いた。
「堅苦しい事はなしにしましょう。私達は、病院の暗い雰囲気の中で治療するのではなくて、こういった明るい場所で楽しく医療に携わることを目指していまして。」と、わらわらと降りて来る、背後のバスの方を見た。「早速ですが、検査機器を降ろしていいでしょうか。なるべく早く検査を始めたいので。」
俊三は、慌てて言った。
「もちろんです。」と、公民館の入り口を指した。「そっちから入れます。どれぐらいの広さが必要ですか?」
颯は、答えた。
「先に役所から教えて頂いたこちらの見取り図を見て、カフェ跡の部屋が一番いいかと思うのですが。」
すると、後ろから憲子が言った。
「じゃあ、ここですわ。」と、カフェの掃き出し窓を指した。「ここから入るのが近道です。」
颯は頷いた。
「ありがとうございます。では、機器のセッティングが終わってからスタッフ達の自己紹介と検査のご説明をしますね。」
颯は、踵を返して向こうでバスから降りて待っていた、皆に話しに言った。
俊三は、その若々しい動きを懐かしく見ながら、スタッフ達がきびきびと準備を進めるのを見守った。