第111話 全力を出しました
『次の試合は、アリサ・ハン・テスペルクとナトリ・ル・ランドルトの2人です』
そうアナウンスが告げると、会場は大きな拍手に包まれます。私、有名になってしまったみたいです。少し緊張は感じていましたが、いつも通りふわりと浮遊しながら、グラウンドの中央へ進みます。ナトリは私よりもっと緊張している様子でしたが、それでも私の後を追いかけて、ドラゴンを従えて走ってきます。
「‥本当に遠慮しないよ」
「分かってるのだ。いつでも来い」
ナトリは臨戦態勢で構えます。
昨日言われたことを、私は頭の中で繰り返します。今日ナトリが負けたら、私に勝つことを諦める。全力でナトリを負かせて欲しい。反撃すら考えられなくなるような、清々しいくらいの敗北。
私は軽く息を吸って、自分の周りに結界を作ります。
「やれ!!!」
私が結界を作るのを合図に、ナトリは使い魔に命令します。まだ幼いドラゴンが、炎のブレスを私に吐きますが、私の結界が硬すぎて全く効きません。ナトリは速攻で呪文を詠唱して鋭い氷の槍をぶつけますが、私の結界には傷もつきません。
私は呪文を詠唱するために、ふわりと少しずつ浮き上がります。
「ル・ダガ・オハギュル・ノウェム・ミ・ルダジャハンジャム」
長い呪文を、糸を紡ぐように唱えます。
ナトリも長めの呪文の詠唱を開始して、ドラゴンのブレスとあわせて強力になった火炎砲を私の結界にぶつけます。が、私の結界はびくとも動きません。
「これも効かないのか!?なら、ナトリの最終奥義を出すのだ!」
ナトリはそう叫んで、呪文の詠唱を開始します。ナトリの周辺に、ライトグリーンの魔法陣が出現します。呪文を早口で詠唱します。
私の結界の周りに風の魔法があらわれ、竜巻があらわれます。強力な竜巻に、ドラゴンが「ブオオオオオア!!!」と身いっぱいの炎を吹きかけると、一瞬にして火の竜巻に変化します。
『おおっ‥‥!』
会場がどよめき立ちます。巨大な火の竜巻が、障壁の頂点まで伸びています。ごごご、という強い地鳴りがけたたましく響き、会場に緊張を走らせます。
「アリサ‥‥!」
昨日と同じような壁近くの席を選んで座っていたメイは、思わず立ち上がります。
隣に座っているラジカは、落ち着き払った様子で言います。
「心配ない。アリサ様はそこまで弱くはない」
実際、私は火の竜巻の中で、結界に入りながら呪文詠唱を続けていました。
ナトリの激しい攻撃で結界を大きな炎が包み、気温が上がっていきます。私の額から、汗がにじみ出ます。
結界は気温までは防御できず、暑さには別の魔法を使って対処する必要があります。しかし呪文詠唱に集中している時に別の魔法を使う余裕はありません。このままだと、呪文が長ければ長いほど、不利になります。ナトリは結界を直接破るのは無理だと早くから悟って、この作戦に出たようです。
私の呪文を唱えるスピードが少しずつ速くなります。呪文の言い間違いは魔法の威力を下げます。ナトリとの約束を守るため、私は必死で詠唱を続けます。
私の全身から汗が吹き出るのを感じます。ドラゴンが必死で炎を吹いているのでしょうか、ナトリが必死で竜巻を強くして炎の循環をよくしているのでしょうか、結界を包む炎は少しずつ温度を上げて、私の結界を襲います。最初は無傷だった結界も、高温で少しずつもろくなってきているように感じます。結界の弱化といっても魔力の高い私が張る結界ですからほんのちょっとだけですが、じりじりと私にプレッシャーを与えていきます。
ごごごと、グラウンド全体に響くような大きな轟音が竜巻から発生します。ナトリにこれだけの力があったのでしょうか。私は焦りを感じますが、それでも呪文の詠唱を間違えるわけには行きません。
「‥ハル・ド・オラゲド・ニャヌ・クィンタルト・ゾヌ・ヴ・カロキャルボード・オ・モノホール‥‥」
ようやく詠唱の終わりです。私は大きく目を見開いて、片腕を大きく振り上げます。
「ヘイル・ウィンド」
グラウンド全体に、青白い巨大な魔法陣が展開されます。たいていの魔法は詠唱中に魔法陣が出てくるのですが、詠唱に時間がかかる魔法では、魔法陣に描かれるロジックから内容を推測され対策される可能性があるため、詠唱を終わらせて初めて魔法陣を表出させる場合があります。もちろんそれによって魔法の威力は8割程度に落ちるのですが、敵対する相手がいる環境ではやむを得ないというのが魔法学会の共通見解であり、私にとって最強の魔法の使い方でもあります。
私の最後の詠唱とともに魔法陣から、ナトリが作った火の竜巻をかき消すほどに激しい、障壁全体を満たすような大きく、音速に近い竜巻が発生します。それだけでなく、野球ボール大の雹が音速に近いスピードで荒れ狂い、けたたましい轟音を響かせます。
雹のなだれが次々と、ナトリの体を殴るように襲います。
「ああああああ!?」
ナトリの体は竜巻とともに障壁の中を猛スピードで飛ばされ続け、障壁のあちこちに体をぶつけ、雹で全身をめちゃくちゃにぶたれます。
ナトリの断末魔の悲鳴もそこまで、後頭部をやられたのか、気を失ってただ音速の竜巻に身を任せ、グラウンド中をくるくる回っているのみでした。
私はそんなナトリを心配そうに見ていましたが、ナトリは私の魔法の前には、まったくの無抵抗でした。体や首がありえない方向に曲がっているのが見えました。これは人間ではありません。ただの塵です。人の体が、まるでおもちゃのように、ゴミのように、グラウンドをくるくる回っているのです。
私はそれに気づいて恐怖を感じます。全身が震え上がります。暑さによる汗はもう消えていて、今私の顔をびっしょり濡らしているのは冷や汗でした。
「な‥ナトリちゃん?」
これでもまだ全力を出したわけではない‥‥そう思いつつも、私はさすがにまずいと思って、急いで竜巻を止めます。全力を出すというナトリとの約束を守るかどうか以前の問題です。雹入りの竜巻をいきなりぴたりと止めるわけにもいかないので、少しずつスピードを落とします。
雹が次々と地面に積み上げられ、竜巻は直径を少しずつ小さくします。グラウンドの端に行くほど高く積み上がる大量の雹に囲まれて、ナトリとドラゴンの体が、グラウンドの中央へふわりと降ろされます。
私は結界を解いて、ナトリのほうへ浮遊の魔法で猛スピードで進み、そしてナトリの横まで行って、浮遊の魔法を使うのをやめて、そこにぺったり座ります。
「な‥ナトリちゃん?」
ナトリの体は見るにも無残でした。全身から血を流し、痣のない場所はありませんでした。骨折までしているようで、右腕も左腕も、両脚も、ありえない方向に折れ曲がっています。そして、首さえも。
心臓の音も聞こえません。私は震える手で、ナトリの胸を触ります。
しかし、手に全く感触がありません。
ナトリの心臓は動いていません。
「そ‥んな‥」
私は涙を流します。まだ頭の中の整理ができていません。まだ目の前の現実を受け入れられません。それでも、なぜか涙だけが先に出ます。
昨日、メイは私に全力を出すなと何回も怒鳴ってきました。私はそれを守らず、ナトリの言うとおりに、全力で挑みました。
「あっ‥あ‥ああああああああああああ!!!!!!」
次に私が出したのは、ありったけの悲鳴でした。
空を見上げ、激しい後悔の念から大きく目を見開いて、大粒の涙を流して、体中を震わせて、私はひたすら泣き続けました。




