第101話 障壁を張りました(1)
「それで、ドラゴンをここに連れてきて何するの?」
私の質問に、ナトリはよくそ聞いたというようににかっと笑い、ドラゴンを手で持ち上げます。
「このドラゴンを闘技場に連れて行って腕鳴らしするのだ。午後からは大会の設営で使用禁止になるからな」
「わあ、すごーい!私も行っていい?」
純粋に、ドラゴンがどんな炎を吐くか興味があったのです。しかしナトリは眉をひそめて言います。
「お前は言語学校があるだろう」
わあ、そういえばそうでした。残念です。
「アタシが休みの連絡入れようか?」
ラジカがそう言ってくれますが、私は首を横に振ります。
「えへへ、仕方ないけど早く魔族語を習得してまおーちゃんと一緒に仕事したいな!」
◆ ◆ ◆
その日の夕方。私はまおーちゃんから呼ばれて、闘技場に入ります。正面の入り口から入りましたが、ロビーなどはすでに設営がされていて、すっかり本番仕様になっています。「第767回決闘大会 決闘大会開催委員会主催」という大きな看板も張られています。ロビーの中には何人もの、緑の蛍光色をしたベスト状のゼッケンをつけたスタッフが掃除をしたり、什器の位置を変えたり、書類を照合したり、各調整をしていました。
私はそれらを素通りして、ザルの置かれた棚の並ぶ控室を通って、トンネルを通って闘技場のグラウンドに入ります。この前ハギスと決闘するときにも来たのですが、改めて見ると広大です。エスティク魔法学校の第2運動場が、2つは入りそうな大きさです。まおーちゃんが第2運動場のことを「大人のドラゴン5匹が入る」と言っていたので、闘技場には10匹が入る計算でしょうか。いや、もっと入るかもしれません。
グラウンドから見られる観客席も大きく広く、大量の観衆を収容できるようです。緑のゼッケンをつけたスタッフが何人かいて、掃除や点検をしています。
「貴様、遅かったな。こっちだ、こっち」
グラウンドの中央付近に、スタッフ2人とまおーちゃんのあわせて3人が立っています。まおーちゃんが私に手を振ります。
「ごめーん!言語学校終わったとこ!」
私もそちらへ走っていきます。
「それで、手伝いって何?」
「決闘試合中の魔法が観客へ及ばないよう、グラウンドに障壁を張るのだ」
障壁とは結界から派生した魔法で、ほぼ全ての魔法を硬く防ぐことができる代わりに詠唱に時間がかかり定期的なメンテナンスも必要になるため、通常の戦いではあまり用いられません。戦争などで用いられるくらいでしょうか、歴史の本を見てもそういう記録がたくさん出てきます。結界と同様、詠唱者の魔力の強さで障壁の強さが決まりますが、一般に通常の結界よりも強く、術者の魔力を超えた魔法ですら防げることがあります。
「いつもは妾が1人でやっていたのだがな、今回は貴様も出るのだ」
「私が、うん」
「妾と貴様の戦いは激しいものになるだろう。妾1人の魔力だと障壁が破れる可能性もあるから、貴様に手伝ってほしいのだ」
「ええ、そんなに激しい試合はないかなと思う。まおーちゃんのほうが強いと思うけど‥‥」
そんな私を見て、まおーちゃんはスタッフに聞こえないよう、こそっと私に耳打ちします。
「貴様、妾を使い魔として召喚したくせに何を言う。貴様の魔力は妾以上ということだ」
私の耳から口を離して、さらに言います。
「実戦ではまだ妾のほうが強いかもしれんが、貴様は全力を出せばおそらく妾を凌駕する」
『魔王様が、そこまで評価なさるのですか‥‥』
まおーちゃんの言葉にスタッフもさすがに驚いた様子です。このスタッフは人間の言葉も少し分かるみたいです。
『うむ。妾はこやつを推薦して個人戦のシード枠に入れてもらったのだが、妾も無闇に推薦したわけではない。貴様らも肝に銘じろ。あさっての決勝戦は大会史上最も激しい戦いになる』
まおーちゃんはスタッフに対して魔族語で話します。その内容のすべてが分かるわけではありませんが、まおーちゃんが自分を褒めていることはなんとなく分かります。なんだか私が評価されるのは嬉しいのですが、過大に評価されて逆にプレッシャーになりそうな感じがします。
「えっと、まおーちゃん、気持ちは嬉しいけど、私そこまで‥‥」
「さて、手伝いを始めるか」
私の言葉を遮るように、まおーちゃんは動きます。
「障壁はここを中心にしてドーム状に張る。闘技場全体が軽い楕円形になっているのを忘れぬようにな。障壁は二重構造にする。まず妾が張り、次に貴様が外側の障壁を強化したあと、内側の障壁を張る。妾は内側の障壁をさらに強化する。それでよいか?」
「う、うん、分かったよ。私、頑張るね」
「うむ。それでは貴様ら、グラウンドから出ろ」
私たちが入り口のトンネルまで戻ったのを確認すると、まおーちゃんはしゃがんで、地面に手を置きます。
「ネルダドン」
深紅色の大きな魔法陣が現れ、一瞬にしてグラウンド全体を包みます。
「うわあ‥」
黄土色だったグラウンドが一気に紅色に染められるその見た目は壮観で、その光はまおーちゃんの体も濃い薔薇の色に包みます。
下からの風を受けて、まおーちゃんのマントがはためきます。
「ホル・ニュゲダーク・ネルダドン・ウィ・ラフラ・ナデシリア・ホゼ・マラトン・コンコモローナ」
詠唱には時間がかかります。まおーちゃんの呪文が長く続きます。
次第に光が強くなってきて、まおーちゃんは目をつむりながら唱え続けます。
大きな強く冷たい風が入り口にも入り込みます。少し寒いです。
その風が収まった頃には魔法陣も消えて、グラウンドの中央にはまおーちゃん1人だけが残っていました。
「まおーちゃん、すごいねー!」
私はグラウンドの中央へ駆け出していきます。
「うむ、交代だ」
まおーちゃんは立ち上がって、私とハイタッチします。
「交代しちゃった」
「妾が張った障壁は見えるか?」
障壁は透明で通常の人には見えませんが、自身の体に魔力をまとわせながら見ると、わずかに日光を緑色に反射しているのが見えるようになります。
「確かに、このグラウンド全体を覆ってるね」
「次は貴様の番だ。何をするか言ってみろ」
「まおーちゃんの障壁を強化して、その内側にもう1つ障壁を作るんだよね」
「うむ。内側の障壁は、できるだけ外側と肉薄するよう作ってほしい。それでは頼んだぞ」
まおーちゃんは私の肩をぽんと叩いて、行ってしまいます。
「頼まれちゃった」
やるしかありませんね。私もまおーちゃん同様しゃがみ、地面に手を置いて、呪文を唱え始めます。まずは障壁を強化する魔法からです。黄緑色の魔法陣がグラウンドを包みます。
長い呪文を2分くらい続けてまおーちゃんの障壁を強化した後、再びその姿勢で新しい呪文を唱え始めます。まおーちゃんとは異なる、夏の海の鮮やかな青色をした魔法陣が現れます。
「うん?」
グラウンドの入り口からそれを眺めていたまおーちゃんは、その色を見て不審に思います。
『貴様らはここで待て、すぐ戻る』
まおーちゃんはスタッフたちにそう言った後、走って控室から廊下に出た後、観客席へ向かう階段を駆け上ります。




