第97話 ナトリが帰ってきました
それと時を同じくして、私がまおーちゃんの部屋から自分の部屋へ戻ると、見慣れた薄い緑色の髪をした獣人の後ろ姿がありました。出発した時の作業着を着たままですが、服には少し砂がついていて汚れています。
「ナトリちゃん!」
ナトリは振り向きます。ちょうど、メイやラジカと話をしているところでした。私はふわーっとナトリの前まで移動して、わあああっとナトリの頬を手で包みます。
「ナトリちゃん、帰ってたんだね、おかえり!」
「ただいまなのだ。今夜帰ったばかりなのだ」
ナトリも私に頬をいじられて嬉しそうにしています。ナトリはまおーちゃんの極秘任務のために、1ヶ月ほど魔王城をあけていました。
「ナトリちゃんが行ったの、なんとかグラート国だっけ?」
「グルポンダグラード国なのだ」
「それそれ!どうだった?楽しかった?」
私が聞くと、ナトリはははっと笑います。
「ナトリは荷物持ちだったのだ。魔法で軽量化したとはいえ、なかなか大変だったのだ」
話しながら、手で自分の肩を叩きます。相当大変だったのでしょう。私はナトリの後ろに回って、肩を揉んであげます。
「ナトリちゃん服も汚れているし、せっかくだからみんなでお風呂行こう!あれ、お姉様もう入りましたっけ?」
「あたしはもう入ったわよ。3人で行ってちょうだい」
「はーい」
というわけで、私、ナトリ、ラジカはお風呂へ向かいます。
◆ ◆ ◆
魔王城のお風呂には2つのタイプがあります。使用人のための風呂、魔王や貴族のための風呂です。私はまおーちゃんと同じ風呂に入っているのですが、まおーちゃんはいつも夜遅くまで起きているので、鉢合わせしたことがありません。
中は貴族も貴族、それも魔族の中で一番大きな国の王族向けに作られているだけあって広大で立派です。4つの湯船があり、大きなライオン?モンスター?みたいな作り物の口からお湯が注がれています。壁も飾り物も、みな黒い石が使われていて、妖しく光ります。
浴場はこれだけ広いのに、毎日入るような人は数えるしかいないんですよね。たまに遅くまで城内で仕事をした貴族が利用するほか、他国からの使者をもてなす場所の1つでもあるらしいのですが、普段は1つの湯船を除いて他には湯が張られていません。水がもったいないという理由です。これはまおーちゃんが決めたわけではなく、ずっと昔の王様が決めたのだそうです。
私たちは体を洗い終わって、湯船につかります。今度はラジカが、ナトリの肩を揉んでいます。
「こうしてしばらく会わないと寂しくなるものだな。テスペルクと荷物運び競走をしたかったのだ」
ナトリは気持ちよくなったのか、頬が緩んでいます。
私はこれまでナトリの話を聞いていましたが、どこか頭の中に引っかかるものがあったので聞いてみます。
「‥でも荷物持ちって、普通は平民の仕事だよね?ナトリちゃん、まおーちゃんの家臣になったと思ってたけど」
「うむ、それには理由があるが、言えぬのだ」
「えーっ」
「ナトリが知っててテスペルクには知らないことがあると優越感に浸れるのだ」
そう言ってナトリはにやりと笑います。
「ナトリちゃんのいじわるー!」
「ふふ。入浴が終わったら魔王に報告しに行くのだ」
「あれ、ナトリちゃんって使者の代表ではないんだよね?荷物持ちだから」
「あ、いや、これは使者の本来の任務とは別に、魔王から直々に来た依頼なのだ。ナトリ1人だけでやったのだ。とても難しい任務だったのだ」
「むーっ!ますます気になるー!」
「本来ならこれ自体も秘密だけどな。テスペルクより重要な任務をこなしたという優越感に浸りたいのだ」
私は「ぷーっ!」と声に出して、ナトリのほっぺたをお餅みたいにひっぱります。
「心地いいのだ。もっとするのだ」
「ナトリちゃんのいじわるー!」
「全部聞こえておるぞ」
ドアが開き、タオルで身を包んだ魔族――まおーちゃんが浴室に入ってきます。
え、ええっ!?まおーちゃん、この時間帯は入浴しないんだったのではないでしょうか!?私は恥ずかしくなって、上半身を腕で隠します。
「貴様、エスティクの寮の風呂ではむしろ妾に抱きつこうとしたのに、今はなぜ体を隠すのだ?いささか寂しいではないか」
「だ、だ、だって、恥ずかしいし‥‥まおーちゃんこそ、なぜこんな時間に風呂入るの‥?」
「うむ、今日は仕事が早く一段落したのでな」
そう言って、まおーちゃんは体を洗いに行きます。使う人が少ないので、洗い場も普段は半分くらい照明が落とされています。もう半分の中から適当な席を選んで座ります。
私はそそくさと、まおーちゃんに背を向けます。
「テスペルク、なぜ恥ずかしがるのだ?」
事情を知らないナトリが尋ねます。ラジカは「ふふっ」と小さく不気味に笑います。
「え、えっと、お風呂入ったし、私はもうあがろうかな、って‥」
そう言って私は湯船の外へ向かおうとしますが、「おい待て」と、洗髪を中断したまおーちゃんに呼び止められます。
「この城に来てから貴様と入浴する機会がなかった。せっかくだから妾と一緒に入らんか」
「え、で、でも、このままだと私がのぼせちゃうんじゃないかなって‥‥」
「アリサ様もさっき入ったばかり」
ラジカがさすがに呆れて、横から攻撃してきます。
「入ったばかりなら問題はないな」
まおーちゃんはそう言って、洗髪を再開します。
ナトリのほうも。
「テスペルク、魔王と喧嘩したのだ?」
こう聞いてくるので、逃げ場のなくなった私は「ぷーっ‥‥」と頬を膨らまして、ナトリたちのいるところへ戻ります。でも、まおーちゃんに体を見られないように、体育座りをして背中を丸めて、中が見られないよう隠します。
「魔王とテスペルクの間に何があったのだ?」
ナトリは、次はラジカに聞きます。
「いろいろ。アリサ様、自分で説明して」
「え、ええっ、それは恥ずかしいよ!」
「テスペルク、教えるのだ」
ナトリが私へ迫ってきます。ナトリのしっぽも、興味津々そうにぶんぶんと揺れています。まるで主に駄々をこねる犬みたいに、ハッハッと荒い息をついています。
「教えるのだ!テスペルク、ナトリに隠し事をするとはいい度胸なのだ」
「ううっ、ナトリちゃんも任務内容教えてくれなかったんでしょー!」
「ナトリのは国家機密だから仕方ないのだ。テスペルクのは機密ではないから教えろ」
「ええっ、なにそれひどいよー、私の秘密もある意味で機密なんだけど!」
そうやってわーわーやりあっているのを聞いたまおーちゃんは、ちょうど洗髪が終わりスポンジに石鹸をつけたばかりのタイミングだったので、立ち上がって私に声をかけます。
「口外厳禁だが、ここにいる人であれば別に知られても構わないだろう。任務のことはここで話してやる。まずは貴様の秘密をナトリに教えろ」
そう言って、体をスポンジで洗い始めます。まおーちゃん自身も関わる秘密なのに、自分はまるで気にしていないとでも言うかのように平然としています。
そんなまおーちゃんの体を見て、私は一層恥ずかしくなります。だって恋人の裸ですよ。エスティクの寮で何度かまおーちゃんの裸を見ましたが、そのときにはなかった興奮があります。まおーちゃんの体から目をそらす自分は、やはりまおーちゃんを前よりも意識していて、まおーちゃんのことが好きなんだと自覚せずにはいられません。
「魔王からお許しが出たのだ。テスペルクはさっさと教えてくれ」
ナトリが耳をびくびく動かして、興奮気味に私の肩とひざを触ります。ううっ。やっぱり、教えるしかないのでしょうか。私は半分涙目で、唇を噛みます。




