第96話 魔王へのお願いを書きました
その頃、私たちは言語学校から帰るところでした。
「うーん、どうしようどうしよう」
私は腕を組みながら一生懸命に、何かを考えています。
「考えながら歩くと危ないわよ」
メイが注意しますが、決まらないものは決まらないのです。歩いているんじゃなくて浮きながら進んでるんですけどね‥‥。
今日の夕食までに、まおーちゃんとのデートでしてもらうことを考えて紙に書かなくちゃいけないのです。私とまおーちゃんが決闘大会の決勝まで進めば、初めてのまおーちゃんとの2人きりのデートです。でも、私はまおーちゃんに何をされたら嬉しいのでしょうか。
「キス‥‥は恥ずかしいし」
「そこを恥ずかしがってたらいつまでたっても関係は進展しないわよ。どうせ最後は体の関係になるんだから」
「お姉様、身も蓋もないです‥‥うーん」
そうやってうーんうーん悩みながら進みます。
まおーちゃんお手製のお菓子が食べたいと言ったらどうなるでしょうか。まおーちゃん料理できるのでしょうか。下手でもいいから愛のこもったクッキーを作ってもらって、あーんしてもらって‥‥普通に手であーんしてもらってもつまらないので、まおーちゃんに口でクッキーの端をくわえてもらって、それを私が食べ進めて最後には‥‥いやいや、私は何を考えているんでしょう。首を振ります。
買い物に行くのもいいでしょう。2人で買い物デートって王道じゃないですか。いろいろなものを買って疲れた時にまおーちゃんに私を膝枕してもらって、いっぱい頭をなでてもらって‥‥寝入ってしまった私にまおーちゃんがちゅー‥‥。
「ちっがーう!キスばっか考えないでよ私!!!」
私は頭を抱えて、町中で叫んでしまいます。道を歩いている通行人たちが驚いて、私に視線を集中させます。メイは呆れて一呼吸した後、私の頬を思いっきりつねります。
「い、いたた!」
「ほら、帰るわよ、アリサ」
「は、はひ、おにぇえさま‥‥」
私は頬をつねられたまま、メイに引っ張られて城まで戻ります。
部屋まで戻って、私は空中にふわふわ浮きながら真っ白な紙を広げてため息をつきます。
「はぁ、どうしよう‥‥」
「もう結論は出てるでしょ?キス以外ありえないし」
ベッドに座って言語学校でもらったテキストを読んでいるメイが、苛立ちながら言います。
「キスしか考えられないなら、キスでいいんじゃない」
ラジカまで同調します。ええー。
「で、でも、キスってその‥」
私は頬を少し赤らめて首を振りますが、メイはついにイライラが頂点に達したのか、ベッドの上で立ち上がってジャンプして、宙を浮いている私から紙を奪います。
「ああっ!?」
「アリサは素直じゃないのよ!」
メイはペンで紙に書き殴り、私に投げるようによこします。
その紙に大きく書いてあったのは。
”ディープキス”
私はこれでもかというほど顔を真っ赤にします。頭からぽんと湯気が爆発するように出ます。
あ、あのね、ねねね、ねねね、キスすらしてないのに、いきなりこれはないんじゃないでしょうか!?
「お、お、お姉様、せ、せめて普通のキスを先にしたいです‥‥」
「じゃあ素直にキスにすればいいじゃない。ディープ消して」
「あ、あの、そのキスも‥‥」
「ああもう、しれったいわね。事実、アリサはさっきからキスのことばかり考えてたじゃない。アリサが素直じゃないだけよ!アリサの願いはキス、決定!」
「あう、あうう‥‥」
私は目をくるくるさせて、もう何も考えられずにあたあたと混乱します。
「あううじゃない、気が変わらないうちにさっさと封をする!」
「うう‥っ。せめて、ディープは消させてください‥‥」
私は、メイが投げてよこしたペンを受け取って、「ディープ」のところを読みづらくなるまで何重もの線を引いて打ち消します。
キス。キス。キス‥‥。
「キスの前に、抱くっていう段階があるんじゃない。アタシなら、安易なキスよりもしっかり抱きしめてもらったほうが嬉しい」
ラジカがそうつぶやきます。
「ら、ラジカちゃんが恋の話をするって珍しいな‥‥」
「アタシはアリサ様とデートする場面を想像しただけ」
うーん‥‥でも確かに、キスすることを目的にしていたら意味がないかもしれませんね。
「大切なのはキスよりもムードってことかな」
「そういうこと」
例えば知らない人にいきなりキスされても嫌だけど、その人と仲良くなって、ある程度のムードがあればいいんじゃないでしょうか。
「‥‥うん、そーだね、キスのことばかり考えて視野が狭くなってたかも。修正するね」
そう言って私は、「キス」のところにも何重もの線を引きます。
メイが「ディープキス」を紙に大きく書いて結構な面積をもっていってしまったので、紙の下の隙間に小さく「しっかり抱きしめる」と書いておきます。うーん、紙を見ると第一印象で何重もの打ち消し線が目に飛び込んできますが、下の文字が目に入らないということはないですね。
抱きしめるのはキスよりもマイルドで、それでいて私の心にほどよく響く感じです。今の私とまおーちゃんの関係なら、キスは早すぎて、抱くくらいがちょうどいい関係ということでしょうね。
私はその紙を折り曲げて、封の魔法をかけます。紙がぼうっと光って、封筒の形に変形します。この封には魔法がかかっていて、私にしか開けられません。あとはこれをまおーちゃんの封筒と交換すればおしまいです。
そうだ、ちゃんとお礼を言っておきましょう。
「ラジカちゃん、ありがとう」
「どうも。頑張って」
ラジカも控えめの笑顔を返します。
◆ ◆ ◆
その日の夜、私はまおーちゃんの部屋へ行って、まおーちゃんと封筒を交換します。
「まおーちゃん、何を書いたのかな」
私はまおーちゃんから受け取った封筒を見て、少しドキドキします。自分の経緯が経緯ですから、もしかしたらまおーちゃんの封筒には、自分も想像つかない過激なことが書いてあるかもしれません。いやそんなの、今の私たちにはまだ早すぎるんじゃないでしょうか。もし本当に過激なのだったらどうしましょうか、断ることはできるのでしょうか。
「こじ開けるな、勝負が終わるまでのお楽しみだ」
まおーちゃんはそう言いつつも、私の封筒を机の上に置いて、手でなでています。
「ただ‥言っておくが魔族は過激なのが好きでな、妾が何を書いたかは言えぬが、貴様の貞操は保証できないかもしれんぞ?それでもいいか?」
まおーちゃんが私の封筒の上に耳をくっつけつつ、にやりといたずらっぽい笑顔で私を見ます。
「う、うう、あ、あまりやりすぎるのはなしで‥‥私たち、付き合ったばかりだし‥‥」
「ふふ。当日まで想像するがいい」
そう言ってまおーちゃんは頭を上げて、私の封筒を引き出しに入れます。
◆ ◆ ◆
私がまおーちゃんに交換してもらった封筒と絵本を持ってまおーちゃんの部屋を出ると同時に、1人の兵士が廊下を走ってきて、まおーちゃんの部屋のドアを強く叩きます。私はびっくりして思わず走るようにふわーっと浮いて離れていきます。
「魔王様、大変です」
「どうした、まずは部屋に入れ」
「ははっ」
兵士は部屋に入り、まおーちゃんに注進します。
「申し上げます。ウィスタリア王国の使者が死にました」
「なに!?」
「毒をあおっての自殺と思われます」
「‥‥‥‥わかった。対応は明日協議する。今は下がって良い」
「ははっ」
ぱたんと部屋のドアが閉められた後、まおーちゃんは手を組み、考えます。
大変なことになりました。こうなってはたとえハールメント王国がいくら説明しても、ウィスタリア王国はハールメント王国が使者を殺したと言いがかりをつけ、いつでも戦争を始められるようになります。
もともとハールメント王国は戦争するつもりで軍備を進めていたのですが、ケルベロスが言った通り、本格的な遠征が今すぐできるとは言い難いです。そして、周りの同盟国との軍事作戦についての調整もまだ始まったばかりです。このような状態のまま、ウィスタリア王国に先手を取られるようなことがあったら。
「‥‥長期戦は覚悟せねばならぬな」
まおーちゃんはうつむいて、目をつむり、真剣な顔をして今後の対応について悩み始めます。




