第95話 ウィスタリア王国からの使者
それを聞いて、私は顔を真っ赤にして固まりました。
「うん、貴様どうした、簡単だろう?」
「か、か、簡単だけど、キスとか、その、軽々しく言わないで欲しい‥‥」
「‥すまん、言い過ぎた」
私の言葉を受けてまおーちゃんもまた恥ずかしくなったらしく、頬がピンク色に染まっているのがすぐ分かります。それを隠すようにまおーちゃんは少しうつむいて、すーはーと深呼吸してから、紙を私に渡します。
「ここに書いて封をして、明日持ってこい。妾も明日までに用意する」
紙は少し分厚い洋紙ですが、普通の紙と違って、何やら魔力がこもっているように見えました。封が自分や意中の人以外に開けられないようにするための保護魔法でしょうか。密書とかでこういう紙を使うと聞いたことがあります。
「分かった。私、頑張るね」
私は紙と絵本を持って、部屋を出ます。
◆ ◆ ◆
「ふーん‥‥決勝までいかないと別れるのね」
部屋に戻ってメイに事情を説明すると、メイは眉をひそめてきます。
「そうなんです!あ、あ、あの、交際って、こんな軽いものでいいんじゃないかなって、ダメでしょう?」
「はぁ‥アリサは自分を見くびりすぎよ」
「それ、彼女にも言われました‥‥」
お風呂帰りのメイの体からは、いいにおいがします。ドライヤーというものはこの世界にはあるにはあるのですが高級品で、しかも消耗品です。自分の家のものはともかく、他人の家のものを借りるには忍びないのです。メイは、ドライヤーの代わりにラジカに火と風の魔法を組み合わせて頭を乾かしてもらいながら続けます。
「その約束はあってないようなものよ、安心しなさい。彼女もそれを分かってて言ったはずよ。落ち着いてやれば、ヘマせずに決勝までいけるはずよ。それより問題は、紙に何を書くかのほうじゃない?」
「ううっ‥そうなんでしょうか‥」
「別れる別れないはいったん置いといて、アリサは彼女に何をしてほしいの?」
「うう‥」
私はメイから顔を背けます。うわあああ、どうしましょう。私はまおーちゃんとずっと一緒にいられればそれで十分だと思っていました。それが、いきなりキスだなんて‥‥。一体まおーちゃんはどれくらい恥ずかしいことを考えているんでしょう。
「ね、ねえ、ラジカちゃん、彼女の部屋にカメレオンまだいる?彼女は何を書いたのかな?」
「ク○ニ」
「ク○ニってなにー?」
「それはね‥‥」
ラジカは私にこそっと耳打ちします。
「え、えええええええ!!!!!!!!!」
私は目をくるくるさせて、頭を抱えながらしぼむ風船のようにやかましく部屋中を動き回ります。天井にガンとぶつかったり、床や壁にゴンとぶつかったり。
「アリサ落ち着きなさい。ラジカも、それはさすがに冗談でしょ!?」
メイが怒鳴ります。
「‥‥ごめん、冗談。でもアリサ様、ズルはダメ。アタシは何も教えない。当日までのお楽しみ」
「ラジカちゃんのいじわる‥‥」
にっこり笑うラジカを恨めしそうに見て、私はぷーっと頬を膨らませます。
◆ ◆ ◆
翌朝、まおーちゃんは大広間で、ウィスタリア王国からの使者を通していました。
「して、用件は何だ?」
「はい。紛争の終結と、我が国で指名手配されている重罪人の送還をお願いしに来ました」
「その重罪人とは誰だ?」
「アリサ・ハン・テスペルクでございます」
「ふふ、そうか。それでは、その前に妾から話がある」
まおーちゃんは、ちらと家臣たちのほうを見ます。
「そこの貴様、この使者の顔で合ってるか?」
「はい」
家臣の1人が答えます。
「この使者が、私に金銀財宝を渡そうといたしました。私は固辞いたしました」
「うむ。それでは、そこの貴様は?」
「はい、確かにこの使者で間違いありません。私のところにも来ました」
「貴様は?」
「はい、私のところにも来ました」
何人かの家臣に確認をとった後、まおーちゃんは顔を青ざめている使者の方をもう一度見ます。
「‥‥貴様の国では、外交の前に賄賂を送るのが習わしなのか?もしそれが人間の間の慣習ならば、否定するだけ野暮だと思うのだが‥‥どうだ?」
使者はこの事態まで想定していなかったのでしょうか、回答に窮します。
この使者、任務に失敗すれば殺されると思い、決死の覚悟で来ていたのです。しかし、それが裏目に出てしまいました。まおーちゃんの家臣は、どれも忠臣だったのです。
主導権を得たまおーちゃんは、続けます。
「アリサ・ハン・テスペルクは貴様の国では犯罪人のようだが、我が国ではしっかり働いてもらっている。わざわざ妾たちが罰する義理もないだろう。そして紛争の件は、そもそもウィスタリア王国が勝手に我が国へ攻めてきているのだ。貴様らが兵を返せば、使者を出さずとも解決できる問題だと思うが?むしろ、貴様の国はなぜ使者をよこしたのだ?それが不可解なのだが」
「恐れ入りながら申し上げます。あそこで争っている都市は、我が国の王様が、臣下である魔王様に命して召し上げようとしたものです。しかし魔王様はそれに従いませんでした。兵を引くのは魔王様でございます」
「我が国が貴様の国の臣下になった覚えはない。もしそのような記録が貴様の国にあるとしたら、それは戯れだ。ごっこ遊びを貴様らが勝手に真に受けただけではないのか」
「‥‥‥‥」
賄賂を贈ろうとして失敗し、しかもそれをまおーちゃんの前で暴露され、ここに自分の味方をしてくれる人はいません。まおーちゃんも、領土を守るために兵を引く気はありません。むしろここで国境の都市を明け渡せば、ウィスタリア王国がなし崩し的に次の都市を要求してくるのは明らかです。承諾を得るのは困難です。ここは、最後の手段に打って出るしかないのでしょうか。
「王様の命令に反することは、我が国と戦争を行うということでしょうか?」
「妾は貴様の国の臣下になった覚えはない。貴様らが戦争を起こすのであれば、それは貴様らによる侵略戦争だ」
ウィスタリア王国による侵略戦争ということは、ハールメント王国に大義名分ができてしまうということです。大義名分ができるとハールメント王国のほうが正義ということになり、そちらに同情し味方する国民が出てきてもおかしくありません。後世にも、ウィスタリア王国の卑劣な行いとして語り継がれるでしょう。それは不名誉なことです。
まおーちゃんは以前ウィスタリア王国に囚われた時、王国の臣下になることを条件に解放してもらいました(第2章参照)。それが王国から逃げるための方便であったことは誰の目から見ても明らかでしたが、使者はあくまで自分に大義があると主張しなければいけません。
「いいえ、あくまで魔王様は我が国の臣下でございます。王様の命令に従わなかった以上、こちらの行動が正しいです」
「ほう、貴様らは妄想でものを語るのか」
「‥‥っ、事実を妄想と語るのでしょうか!」
「とにかく、妾が貴様の臣下になった覚えはない。下がれ」
もうこれ以上言っても無駄でしょう。使者はそう判断したのか、「ははーっ」と頭を下げて引き下がります。
しかし、これで使者は送還交渉、和平交渉の双方に失敗したことになります。ウィスタリア王国の刑罰は最近厳しくなり、功なき家臣は死罪という法律までできました。このまま何の功績もあげられずに国に帰ると、クァッチ3世による残酷な処刑が待っています。自分は死ぬ運命なのです。亡命という選択肢もありましたが、ウィスタリア王国に残した家族が全員殺されます。どうせ自分が死ぬのなら、意味のある死に方をしたいと使者は考えました。
仮に自分がここで殺されたとしたら、ハールメント王国は使者を殺す野蛮な国として非難を受けます。そうすれば、大義名分はウィスタリア王国のほうにできるでしょう。
使者は宿舎に戻って、一杯のコーヒーを所望したあと、それに毒を入れて呷り死にました。




