第90話 観覧車に乗りました(2)
まおーちゃんは天井を見上げながら続けます。
「妾は人に恋をしたことがない。お見合い相手を決める話もあったが、どの顔を見ても、妾と政治的な考え方が一致するかという目でしか見ていなかった。だからつまらなかった」
え、えっと、突然何を話し出すんでしょうか?
「エスティクの寮で別れるときも言ったな‥‥貴様は、妾のことを等身大の人としてみてくれる。貴様とともにいる時は本当に楽しかった。貴様には感謝しておる」
ええと、そ、それはごちそうさまです。
「貴様も何か言え」
ゴンドラは頂点に近付いたのか、高度がなかなか上がらなくなっていました。代わりに景色が横に動き始めます。
「‥う、うん。私はその、まおーちゃんが私を大切にしてくれて嬉しいっていうか‥‥」
「ふふ」
まおーちゃんは、私にさらに寄ってきます。まおーちゃんの匂いが、香りが、もっと濃くなってきます。もう全身がドキドキしていて、今にも倒れそうです。
「貴様に頼みがある」
「ふぇえ‥」
「妾と付き合って欲しい」
しーんと、少しの間の沈黙がそのゴンドラを包みます。
ちょうどその時、観覧車の頂点近くまで来たようで、ゴンドラが上に上がるのをやめました。
「結婚しろとは言ってない。だが、貴様と一緒にいると楽しいと思えるし、心臓の高鳴りもするのだ。この正体を教えて欲しい。貴様の他にもナトリ、ラジカ、メイといった友がおるはずだが、なぜか貴様だけは‥‥、貴様のことを考えるだけで特別な気持ちになる。ここは一回貴様と関係を作って、この正体を確かめたいのだ」
そして、まおーちゃんはうつむくのをやめて、私と顔を合わせます。まおーちゃんの頬は、さっきより赤くなっていました。
「もう一度言う。妾と付き合って欲しい」
「ん‥‥」
私はドキドキしていて、まともな声も出せません。これが限界でした。
まおーちゃんはそれから、目を伏せて、声のトーンを落として続けます。
「貴様の気持ちが本意でないのなら、断ってもいいのだが‥‥」
ゴンドラは少しずつ下へ下がっていきます。
私は何度も荒い息をしてしまいます。
心臓の鼓動が速くなって、頭がくるくる回って、自分が何を考えているかも分からないくらい。
「わ、分かりました‥私でよければ‥‥」
精一杯の声を絞り出して、私は返事します。
「ありがとう」
そのまおーちゃんの笑顔だけで、私はもう天に登ってしまいそうな、ふわふわした気持ちでした。
まおーちゃんはできるだけ平然に振る舞っていたつもりでしたが、さすがに耐えきれなくなったのか、私から少し距離をとって座ります。
「ただ‥貴様にもう一度頼みがあるのだが。妾と貴様の関係が他の人にばれないようにしてくれ」
「‥えっ?」
「妾には魔王としての矜持があるのだ。色恋沙汰を安易に公にすると政局にも関わってくる。女同士であるのも理由だ。誰も知らないうちに付き合い、誰も知らないうちに別れる、結婚するならその時に初めて公表する。それくらいの関係でいるのが妾の限界なのだ」
「‥分かったよ。ハギスちゃんも騒ぎそうだしね」
私は溜まっていた息を一度に吐き出します。
「‥ところで貴様」
「ん?」
「妾は次に何をしたらいい?」
まおーちゃんが、上目遣いで私を見つめます。その瞳はどことなく輝いていて、私の目をじっと捉えます。
私は思わず目をそらして、こう返します。
「そ、それって、どういう意味?」
「2人きりの時間は残り4分くらいだ。この4分で、何ができる?恋人らしいことをしなくちゃいけないのか?それは何だ?」
「え、ええっと‥‥何もしなくていいんじゃないかな?」
「え?」
「無理に‥無理に何かしなくても、やりたい時に自然にそういう気持ちになるから、その時にやったほうがいいかなって‥‥」
「そうか」
まおーちゃんはさらに私から距離をとって、反対側の窓の外を見ます。私も窓の外を見ます。地面が見えてきました。
「貴様」
「どーしたの?」
「妾のほうを向かないで聞いてくれるか」
「うん、いいよ」
「今、妾は恥ずかしい」
「私もだよ」
私たちはそのまま、ゴンドラから下りるまでずっとそれぞれ反対側の窓の外だけを見ていました。
◆ ◆ ◆
ちなみに私とまおーちゃんの様子は、ラジカがしっかりとカメレオンを放って全部聞いていました。
こちらはまおーちゃんと私の次のゴンドラに乗ったラジカ、メイ、ハギスです。ちょうどゴンドラが頂点にあがって、まおーちゃんが私に頼み始めた頃です。
「どうせカメレオン放ってるんでしょ?」
ラジカの隣に座るメイが、冷めた顔で窓の外を見ます。
ハギスが尋ねます。
「カメレオンって何なの?」
「あー‥アタシの使い魔。好きなところに放てば、アタシの第3の目や耳になってくれる。今、魔王とアリサ様のいるゴンドラに放ってるから、話の内容とか丸見え」
「それは便利なの。なの‥‥」
ラジカの説明を受けたハギスは一瞬元気いっぱいに答えますが、それからまた力なくうつむきます。
そんなハギスのトーンダウンに気付いて、メイは心配して振り向きます。
「‥ハギスは頑張ってると思うわ。あの2人が付き合っても、ハギスには変わらず接してくれるわよ。魔王にとってハギスも大切な人だもの」
「うん‥‥」
メイはそう慰めるように言ってから、ラジカを向きます。
「ねえラジカ、あの2人って今どうなの?」
「‥‥魔王が、この話は誰にも知られたくないと言ってる」
「はぁ、やっぱりといえばやっぱりね、王族ってめんどくさい」
そう言って、再び窓の外に視線を落とします。
◆ ◆ ◆
帰りのバスで、私たちはまた一番うしろの長椅子を選びます。
「すやあ‥‥」
すっかり疲れたのか、ハギスと私とメイがお互いにもたれるように眠っています。端っこに座っているまおーちゃんが、反対側の端っこに座るラジカに静かに声をかけます。
「ラジカ」
「何?」
「貴様、聞いていただろう。カメレオンで」
「ああ」
ラジカは何事もなかったように、ぷいっと窓の外を見ます。
「大丈夫、友達の秘密は守る」
「ありがとう。それとハギスはどんな様子だった?」
「え、普通にしてたけど」
ラジカの返事を聞いてまおーちゃんは安心したのか、隣で私ともたれあうように眠っているハギスの頭をなでてあげます。
「大丈夫だ、妾は貴様のことも好きだからな」
ハギスの父の姉として、まおーちゃんは優しい手つきでなでます。
(‥デグルの占いに抵抗したい気持ちもあるが、いつまでも自分の気持ちに嘘はつけぬ。特に戦争が近付いておるからな‥‥占いが本当なら、戦争が終わるまで絶対に結婚しないほうがいいだろう‥‥)
まおーちゃんは何かを決意したように手をぐっと握って、池や森のある自然から、少しずつ民家が増えていく外の風景をずっと眺めていました。
◆ ◆ ◆
その日の夜、私、メイ、ラジカとハギスの4人は、私たちの部屋に集まって、ラジカのカメレオンが現象した写真を見ていました。
「わあ、すっごい!空中ブランコでハギスちゃんがこんな顔してる!」
「お前はそれ以上見るななの!」
ハギスが私の持っている写真を取り上げようとします。メイとラジカも、それぞれの写真を見ています。
「ふふっ、ゴーカートでハギスが連れて行かれるところもぱっちり撮ってるのね」
「あっ、お前もそれ以上見るななの!」
ハギスが今度はメイにかぶりつきます。
「‥今日一日楽しかったな」
ラジカは写真を見ながら、ひざの上に乗るカメレオンをなでます。
私は写真を次々と手にとって見ます。
「‥‥こんな幸せな時間がいつまでも続けばいいなあ」
「そうね。あたしも怖いのは苦手たけど、楽しかったわ」
「ウチも楽しかったなの!」
「同じく」
私たち4人みんな、楽しかったようです。まおーちゃんもきっと楽しかったのでしょう。
「今度はナトリちゃんも誘って、6人で行こうね!ふふっ」
◆ ◆ ◆
「それは本当か!?」
ウィスタリア王国の王都カ・バサ。王城の大広間で、クァッチ3世は斥候からの報告を聞くと玉座から飛び降りるように立ちます。
「はい。先日脱走したアリサ・ハン・テスペルクが魔王直々に登用されたと、確かに複数の人から確認をとったとのことです」
大広間がざわめきます。家臣たちが次々と進言します。
「エスティク魔法学校の校長は、テスペルクの実力を、魔王がもう1人いるようなものと評していました。魔王は1人でも十分に強力ですが、それがもう1人となると‥我が国未曾有の危機に繋がりかねません」
「想定しうる限り最悪の事態になりました。今すぐ遠征の準備を」
「お待ち下さい。まだテスペルクの脱走の件についてハラス様に早馬を出しましたが、その返事が届いていません。それを待ってからでも遅くないのでは」
「いいえ、ハラス様にもう一度早馬を出しましょう。急ぎで対応を協議すべきです」
その時、大広間のドアが勢いよく開きます。
「王様!はぁ、はぁ‥‥」
馬を降りてからここまで走ってきたのか、その兵士は息を切らしています。
「わ、私は先日ハラス様へお使いに行った早馬で、ございます、こ、この手紙をお読みください‥‥」
「おい、誰かそれを読み上げろ」
3世の命令で、家臣の1人がその手紙を受け取って、読み上げます。
「‥‥ハラス様は戦争だけは避けたいとのことです。むやみに殺し合いをすべきではございません。あらゆる外交ルートを全て使い切ってでも、このアリサ・ハン・テスペルクという者を我が国へ送還してもらうべきです。それがかなわぬ場合は、ハールメント王国との紛争を今すぐ終わらせ、我々への敵意がないことを確認しなさい。ただし、それもかなわぬ場合は、我が国からの先制攻撃もやむなしとのことです」
ハールメント王国とウィスタリア王国は現在も国境近くで紛争を続けており、どちらも戦争の大義名分を得ている状態でした。
3世はしばらく悩んでから、話し始めます。
「‥‥‥‥送還交渉、和平交渉の適任者は?」
「はっ、私めが」
1人の家臣が名乗りを上げます。
「それではお前、全権をやるから行って来い。わしはもうシズカと寝る」
「ははっ」
クァッチ3世は、礼をする家臣たちに挟まれた赤い絨毯の道を通り、大広間を出ます。




