第89話 観覧車に乗りました(1)
メルヘンカップが終わった後、私たちは午後の休憩をしようということで売店でグレープを買って、近くのベンチで並んで座っていました。
といっても、売店近くのベンチは他の魔族も座っていて完全に空いているベンチがなかったので、相席です。
「3人分のスペースしかないじゃない」
メイの言う通り、一番空いているスペースには3人分しか入りません。他の2人は、それぞれ1人ずつばらばらに別のベンチに座る必要があります。
「遠くに行ってもグレープ冷めるし、ここで食べるしかないんじゃね」
ラジカの一言で、3人分のスペースに座る人を決めることになりました。まずメイがラジカにくっつきます。
「‥あの2人が同席するのはもう仕方ないだろう。3人目は誰にする?」
まおーちゃんが尋ねると、ハギスがなぜかうつむいて、こそっと手を挙げます。でもハギスも魔族だし、メイが怖がるんじゃないでしょうか。
「‥‥ハギス、来なさい」
珍しくメイがそう答えます。それにはみんな「えっ?」と驚きます。思わず私が尋ねます。
「怖くないんですか、お姉様」
「そりゃ、魔族だから怖いわよ。でも、ハギスなんだか浮かない顔をしているし、1人にすると心配だもの」
「分かりました。それじゃまおーちゃん、私は向こうの席に座っているね」
そう言って私たちは3つに分かれてベンチに座ります。
ハギスは座った後もうつむいて、グレープをちびちび食べています。
「どうしたの?落ち込んでるけど」
横に座ったメイが尋ねます。ハギスはメイを見上げます。今にも泣き出しそうなくらい、瞳が潤んでいます。
「ウチ、気付いたなの‥」
「何に?」
「姉さんは、テスペルクと話しているときだけ特別に楽しそうな顔をするなの。ウチにはそんな表情を見せてくれなかったなの。さっきメルヘンカップで座ったときにも頑張ってみたけど、ダメだったなの‥‥」
「そんなこと、あたしたちはもう気付いてるわよ。ねえ、ラジカ」
グレープを食べながら2人の会話を聞いていたラジカはうなずきます。
「いい?魔王にとってはアリサもハギスも同じくらい大切なの。大切な理由が違うだけ。きっと、魔王はハギスにしか見せない顔もあるはずよ」
「うん、分かってるの。ウチはそれを知ってて、姉さんを独り占めしようとしてたの‥‥知らない間に姉さんに迷惑をかけていたなの」
「突然どうしたの?」
メイが少し引き気味に尋ねます。
「ハギスらしくない」
ラジカも小さい声でぼそっとつぶやきます。
「姉さんの全部をウチだけのものにしたかったの。でもさっきメルヘンカップで頑張って話してて、それは無理だと悟ったの。‥‥テスペルクとはビリヤードの時に話したけど、テスペルクになら姉さんの半分をちょっとだけ貸してやってもいいと思ったなの。ちょっとだけなの。あと、もう半分はウチだけのものなの」
ハギスは、何人かの魔族を挟んで向こうに座ってしまったまおーちゃんを遠巻きに眺めます。
「‥本当にちょっとだけ貸してみる?」
ラジカがそう言って、またグレープを口に入れます。メイはふうっと息をつきます。
「‥‥どうしようかしらね。ハギスがやりたいって言うなら、あたしも相談に乗った手前手伝うけど、ハギスはどうしたいの?」
「ウチは‥ウチは‥‥」
ハギスはうつむいて、ぎゅっと震える手でグレープを掴みます。
◆ ◆ ◆
グレープも食べて、いくつかのアトラクションで遊びました。
空はもう夕焼けで赤くなっています。
「バスの時間もある。そろそろ最後にしたい」
5人で集まっている時に、まおーちゃんが言います。
「夜にフェスティバルってないのかな?パンフレットにはそれらしい写真載ってるけど」
「季節限定イベントだ。今日はない」
「じゃあ、次で最後だね」
私はそう言って、まおーちゃんと一緒に、背後にある巨大な観覧車を眺めます。
観覧車には、全体に赤い塗装がされていますが、ゴンドラにはそれぞれ別々の色が塗装されていて、虹のようです。あれだけ巨大なものを動かすのに、どれだけの魔力が必要なのでしょうか。
私たちは観覧車のところへ行き、列に並びます。看板によると、1周12分だそうです。
「みんなで一緒のゴンドラに乗ろうね」
「うむ。最後だからな」
「他のみんなも、トイレは大丈夫?」
私が尋ねると、メイやラジカは不自然ににこにこ笑いながらうなずきます。ハギスはどこか不満げにうなずきます。
「‥‥あれ、みんなどーしたの、様子おかしいけど?」
「ぐだぐだ言ってないで、早く乗りなさい、順番来てるでしょ」
「あ、はい」
メイに言われたので、まず先頭にいる私とまおーちゃんがゴンドラに乗ります。
「お姉様もみんなも早く‥‥あれ?」
他の3人は立ち止まって、ゴンドラに乗ろうとしません。
「あれ、ねえ、みんな早く!」
私が叫ぶのも虚しく、スタッフがそのままドアを魔法で閉めてしまいます。
3人が次のゴンドラに乗るのが見えます。私は慌ててゴンドラの壁を叩きます。
「えっ、えっ?」
「静かにしろ、揺れる」
後ろからまおーちゃんの声がします。
「‥えっ?」
私は気付きました。
私の心臓の鼓動が速くなります。
体温が急激に上がるのを感じます。
私は体が石のように動かなくて、観覧車の回る騒音もどこかに消え失せて、ドクンドクンと自分の鼓動だけが自分の耳に入ってきます。
今、この観覧車の中には、私とまおーちゃんの2人だけが乗っているのです。
まおーちゃんは向かいの椅子の隅に座っています。私は斜め反対側の隅に身をずらします。
それを見たまおーちゃんは壁で頬杖をついて、面倒そうに尋ねます。
「‥‥貴様、奥手なのだな」
「えっ、えっと‥」
「威勢はどうした、ほれ、いつも通り妾に抱きついてみろ」
「そ、それは、あの、えーっと‥‥」
まおーちゃんは不敵な笑みで私を挑発します。でも、そんな表情を見せられると見せられるほど、私の顔が自然とそっぽを向いてしまうのです。
「えっと‥‥」
ゴンドラのガラスに自分の顔が映ります。頬は、夕焼けのせいなのか、真っ赤に見えていました。
「結婚しろなどと言っておる癖に、いざという時は弱いのだな」
まおーちゃんはふうっとため息をついて、外を眺めます。
「安心しろ、今のは少しからかっただけだ」
ゴンドラは少しずつ、少しずつ、空高くあがっていきます。
一周12分と書いてありましたが、私にとっては1分が無限にも思えてきます。
まおーちゃんが、フードを外します。フードの中にこもっていたまおーちゃんのにおいが解放されていきます。
(い、いいにおい‥‥)
私は必死で窓の外だけを見ているようにしました。できるだけゴンドラの壁に鼻をくっつけて、壁のにおいをかこうとします。でも、それすらもまおーちゃんの甘い匂いにかき消されてしまいます。
王族らしく上品な香水を使った、薔薇のような匂いです。外の景色を見ているはずでしたが、なぜか頭の中はまおーちゃんの顔でいっぱいです。まおーちゃんのことが頭にこびりついていて、とれません。
「妾は貴様といる時、特別に楽しかった」
すぐ後ろから声がしたので、私はぴくんと振り返ります。いつの間にか、まおーちゃんが私の隣に座っていました。
第4章の最初のところに登場人物紹介を追加しました(ネタバレ注意です)




