第80話 ナトリが国家機密の任務につくようです
その次の日の夜。ナトリの公務も2日目です。
「ナトリ、仕事はどうなの?」
魔王城の中にある私たちの部屋で、メイが尋ねます。私はラジカと一緒に言語学校から持って帰ってきた紙を読んで必死に魔族語の勉強をしていましたが、メイの声を聞くと私はぶんばとナトリを振り向きます。
「ナトリちゃん、まおーちゃん‥私のことなんか言ってたかな?」
「特に何も言ってないのだ。仕事は‥政治学を嗜んでいたから全く分からないことはないが、実践となると難しいことが多いな」
ナトリは、たった2日仕事したというのに城から支給された立派な黒衣に身を包み、すっかりりりしくなっています。
「う〜っ、ナトリちゃん、まおーちゃんと一緒に仕事できてうらやましい‥‥」
私が両腕にぐっと力を入れて悔しそうに言うと、ラジカがくいっと私の頬に、プリントを丸めたものを突っ込んできます。
「アリサ様も魔族語を習得すればじきに一緒になれる」
「うー、それもそーだねラジカちゃん、勉強に戻ろう」
その時、部屋のノックがします。ドアを開けて入ってきたのはまおーちゃんでした。
「わあい、まおーちゃん!」
さっきまでまおーちゃんの話をしていた私は思わず駆け込んで抱きつきます。
「こら抱くな、離れろ、離れんか!‥‥ったく」
「ねーねーまおーちゃん、私も明日から大広間で一緒に働けるかな?」
「貴様がたった2日で魔族語を習得できるはずもなかろう。それよりナトリは来い、話がある」
というわけで、ナトリはまおーちゃんと一緒に部屋を出ていってしまいました。
「くうううっ、ナトリちゃん‥‥私を差し置いてまおーちゃんと仲良くして‥‥まおーちゃん、私よりもナトリちゃんのほうが好きなんだ‥‥」
私はドアにしかみついてめそめそします。
「まあ、アリサは学校でろくに勉強しなかったらしいし、自業自得じゃないの」
ベッドに座ったメイが、魔族語のテキストを眺めながらきつい口調で言います。ううっ。
そうしてラジカと一緒に魔族語の勉強をしているところへ、ナトリが戻ってきます。
「ああっナトリちゃん、まおーちゃんと‥その、愛を深めたの?」
「テスペルクは妄想が激しすぎるのだ。それに‥ナトリもテスペルクと勝負はしたいのだが、レズ相手の奪い合いはさすがに無理なのだ。ナトリはレズではない」
ナトリは少し困った顔をしながら黒衣を脱いで、下着姿になります。それから、ハンガーラックから、いかにも下っ端らしい地味で安っぽそうな服を選びます。とても貴族の着る服ではありませんが、それでもナトリは真剣そうに、自分の体に合うサイズか、何度も自分の体に服をあてたり、鏡を見たりして確認しています。大広間に勤めるナトリが魔王城の中で、そんな服をわざわざ選ぶシチュエーションが思いつきません。
「ナトリちゃん、どーしたの?」
「‥‥ナトリは明日から、グルポンダグラード国への使者に行くことになったのだ」
「えっ、それってゲルテ同盟の盟主だっけ?ナトリちゃん獣人だもんね」
ゲルテ同盟とは、ウィスタリア王国の南の方にある、獣人による国同士が集まって組んだ同盟です。ハールメント王国はウィスタリア王国の北にあるので、ハールメント王国とゲルテ同盟でウィスタリア王国の西側を挟むような形になります。
グルポンダグラード国はそのゲルテ同盟の中でも最大の国です。
「それでどーして急にそんなところへ行くの?」
「国家機密なのだ。それからこの服は明日ナトリが使うから置いてくれなのだ」
「言われなくても着ないわよ、そんな馬車行列の下っ端が着そうな服」
いつも馬車に乗る身分だったメイはあっさり切り捨てますが、その時に嫉妬で肩を震わせている私に気付いて声をかけてきます。
「どうしたの、アリサ?」
私は耐えられなくなって、ナトリのほうへ走っていって体をぽかぽか殴ります。
「ナトリちゃん、ひどいよ‥まおーちゃんと懇ろになっただけじゃなく、国家機密って‥まおーちゃんとナトリちゃんだけの秘密ってこと?いいなあいいなあ、ひどいなあ、うらやましい‥‥」
「確かに働き始めて2日目のナトリに国家機密を預けるのも変な話だが、それだけナトリはこの任務に適任で、信頼されているということだな」
「うう〜っ、ナトリちゃん見ててね!私、いつかまおーちゃんをベタ惚れさせてやるんだからっ!」
「あ、ああ‥」
ナトリはさすがにやる気なさそうに返してから、「そっちか‥‥」とぼやきます。一度とった服をラックに戻してから、パジャマを着てベッドに入ります。
「そういうわけでナトリは明日からしばらく不在になるのだ」
「ううっ、分かったよ!ナトリちゃんがいない間に、まおーちゃんとらぶらぶになるんだからっ!ぷーんだっ!」
私は頬を膨らませながら、魔族語の勉強の続きをすべく、ラジカのところへ戻ります。
「ここからグルポンダグラード国までは片道10日だから、用事も含めると往復で25日だな‥決闘大会にはギリギリ間に合うか」
「約一ヶ月よね、大変じゃん」
「まあな」
メイとナトリの話し声が聞こえてくるたび、私はうらめしそうに頬をすぼませます。
◆ ◆ ◆
ナトリがいなくなってから数日後の夜、私は食事の時にまおーちゃんに尋ねてみます。
「ねえ、まおーちゃん‥‥」
「どうした?」
「まおーちゃんは、ナトリちゃんのことが好きなの‥?」
まおーちゃんはそれを聞くとふふっと笑って、ナプキンで口を拭ってから聞き返します。
「どうせ貴様のことだからろくなことは考えてないだろうが、なぜそう思った?」
「だって‥ナトリちゃんとまおーちゃんが同じところで働いてるし、ナトリちゃんが働き始めてから2日目で国家機密の任務を与えるし、‥‥」
「貴様は独占欲が強すぎるぞ」
まおーちゃんはステーキにフォークをつけて、ナイフで切りながら言います。
「むしろ、妾が奴に任務を与えてこの地から遠ざけたという見方もできると思うのだが?」
「私、不安なの‥だってだって、だって‥‥」
私がそこまで言うと、私の口のところに、まおーちゃんがステーキの肉片を刺したフォークを差し出します。
「‥食え」
「うん‥」
私は肩を落とすように言って、それから肉片の先を歯で挟み、フォークから引きちぎるように引っ張って、口に入れます。
「フォークこと口に入れんか」
「‥えっ?」
頭の中がナトリのことでいっぱいで、まおーちゃんの言っている意味がわからなくて私は戸惑ってしまいます。まおーちゃんはため息をついてフォークを自分の元へ戻してから、続けます。
「‥貴様のレズは飾りか?妾は貴様を慰めようと思ったんだけどな。別に妾が貴様のことを好きというわけではないが」
「えっ、えっ?」
私は慌てて周りを見回します。メイもラジカも、じど〜っとした白い目で私を見ます。一方のハギスはというと、ハギスも意味がわからなかったようで首を傾げています。
「‥間接キス」
ラジカが短く言います。
「えっ?‥‥ああ!!」
それで私も意味が分かりました。すぐに元気よくまおーちゃんを向いて、リテイクを要求します。
「ねえねえまおーちゃん、今のもう一回!今度はフォークを口の中に入れるから!」
「もう遅い」
まおーちゃんは、肉を刺したフォークを自分の口に入れます。
「まおーちゃん、さっきやってくれたでしょ?ひっどいよー!」
「貴様ももう元気が出てるからいいではないか」
「そんなー、まおーちゃんひどいよー!」
私は腕をぷんぷん振り回してまおーちゃんに抵抗していました。
◆ ◆ ◆
まおーちゃんは自分の部屋に戻ると、机に座って、頭を抱えます。机の隅っこには、あのブレスレットが室内の明かりを反射して、自己を主張するように輝いています。
まおーちゃんの頭の中は、さっき私に対してやった間接キスといういたずらのことでいっぱいです。もっとも、結果的に私は元気になったので良かったかもしれませんが。
(なぜだ‥なぜ妾はあんなことをしたのだ‥‥まさか妾は本当にあやつが‥‥いや、それはありえない‥‥)
まおーちゃんは何度もブレスレットをチラ見しながら、そうやってしばらく「うーんうーん」と考え込んでいました。




