第71話 魔王の求める人材と婚期と占い
私が川で釣りをしている2日ほど前。私たちが自給自足生活を始めたのと同じ頃の話です。
ハールメント王国の王都・ウェンギスにある魔王城では、大広間の玉座に座っているまおーちゃんがいくつかの書類を見ながら、ため息をついています。
「どうかされましたか、魔王様」
人の姿をしていて、灰色と青色が混じった皮膚をし、左目に眼帯をつけている男がまおーちゃんに尋ねます。
「ああ‥ケルベロスか。なかなか有能な人材が来ないと思ってな」
「魔王様、またでございますか。下っ端の役人の履歴書をいちいち読んでも、時間の無駄でしょう」
まおーちゃんはウィスタリア王国との国境における紛争が始まって以来、魔王城や各地の役所に仕えてきた新人たちの書類に片っ端から目を通すようになっていたのです。うち何十人かは大広間に召し出して面会したのですが、どれもしっくりきません。
「そもそもなぜ、そのような書類を読もうと思われたのですか?」
ケルベロスが今更ながら尋ねます。
「うむ‥‥ウィスタリア王国は日々弱体化してきているとはいえ、まだハラスがおる。ハラスが守っている限り、我々魔族は気安くウィスタリア王国へ攻め込めない。ハラスに対抗できる人材を探しているのだ。何としても、あの国には復讐しないと‥‥」
「魔王様も変わりましたな‥昔は平和を愛していたのに、今は復讐で軍を動かそうとなさる。わたくしは争いが好きですから一向に構いませんが」
「妾が平和を愛しておるのは今もだ。だが、あの国だけはどうしても許せぬ、なぜだかよく分からないが、私怨だけではない何かが妾を駆り立てておるのだ‥‥はぁ」
まおーちゃんは書類を肘置きに置いて、ため息をつきます。
「優秀な人材なら、ここにいるではありませんか!」
ケルベロスの向かいに立っている、武装した男が親指で自分を指差します。
「‥ああ、マシュー将軍か」
マシューはもとはウィスタリア王国に仕える人間でしたが、2・3年前に亡命してきたのです。クロウ国連合との戦争で武勇を轟かせ、ウィスタリア王国で一番の将軍と言われていましたが、ちょっとしたきっかけで家族の連座で死刑にされそうになり、逃げてきました。まおーちゃんはその才能を買って、亡命するやいなや大将軍に任命し、家臣の反対を押し切って帯刀を許して魔王城の大広間に配置してしまったのです。
「マシュー将軍も有能だが、まだまだ足りないのだ。ハラスを何とか‥‥いや、あの国に復讐するための人材が‥‥」
「魔王様、毎日のように履歴書を見てお疲れではありませんか?」
「うむ‥‥」
まおーちゃんは書類をまとめて上へ持ち上げます。秘書のコウモリがとんできて、書類を足でつかんでどこかへいってしまいます。
ケルベロスが言います。
「マシュー将軍のおっしゃる通り、魔王様はお疲れです。ここは息抜きに別の書類を見てみませんか?」
「‥‥うむ、そうしよう」
そうしてケルベロスが渡した書類は。
「‥‥これは何だ?男の写真が並んでいるのだが」
「お見合いの資料でございます。魔王様はもうすぐ400歳、結婚適齢期にございます。そろそろ結婚相手を作って、後継ぎを作ってほしくございます」
「後継ぎか‥‥」
まおーちゃんはその書類を眺めます。自分はまだ若いのですが、現時点で自分の後継ぎといえば、今はなき弟のハクの遺した長女のハギスくらいしかいません。姪よりも、自分の子供がいたほうが都合いいでしょう。
書類には、顔立ちのいい男子、あとは身分の高い重臣の長男などの顔写真が挙げられています。まおーちゃんは、その顔や経歴をひとつひとつ確認します。
「顔もいいが、性格も知りたい」
「それでは、その中のいくらかと面会の機会を設けましょう。まずはご希望の男性をお選びください」
「うむ、そうしよう」
そう言ってまおーちゃんは書類を眺めています。魔族には血の気の多い人もいて、平和を愛する魔族は自分も含めて実は少数派です。自分の政策を次代の魔王にも継承させるには、まず子供を父母で協力してしっかり教育しなければいけません。そのためには、夫にも平和主義者を選ぶのが手でしょう。特に財務大臣の長男は人格者として評判です。この人も、この人も、自分と考え方は似ています。
自分の夫になる人物を探します‥‥探しますが、何か物足りないような気がするのは気のせいでしょうか。どうしても、数日前までエスティクで過ごした思い出が頭をよぎるのです。
(いいや、アリサは女であり結婚相手として論外だ。こんな時に何を考えておるのだ、妾は‥確かにあの女のことは心配だが‥‥しっかり逃げられているかのう‥‥)
まおーちゃんがそう考えながら書類を読んでいる途中で、大広間に兵士が慌てて入ります。
「申し上げます、魔王様。城門でデグルと名乗る老爺が、魔王様に会いたいと言って騒ぎを起こしております!」
「‥なんと、デグルか。あやつのことは妾もよく知っておる。ここに通せ」
「ははっ」
兵士はそう言って、大広間から出ます。ほどなくして、白髪で白い服を身にまとい、身長くらいの大きな杖を持った老人が大広間に入ります。この人が城に来るのは、まおーちゃんがウィスタリア王国を訪問する時以来です。
「デグルよ、部下が失礼した。次からはデグルを黙ってここに通すよう言ってやろう」
「魔王、お気遣いくださりありがとうございます。こんなしがない老人には過ぎた配慮でございます」
「それで、今日は何の用だ」
「今日占いをしておりましたら、あなたに関係する結果が出ました。それをお伝えしようと思います」
「ほう」
まおーちゃんは興味深そうに、手に持っていた書類を畳みます。
「これより2日後、ヌヒビエのホマランという川で釣りをしている人がいます。その人を重臣として重く用いてください」
「ほう、そいつはどれほど有能なんだ?」
「はい、その人こそがあなたの長年求めていた人材です。まさに天下の大臣でございます」
「天下の大臣!?」
まおーちゃんは思わず、玉座から身を乗り出します。
「そやつがいれば‥ハラスに対抗できるのだな?」
「むしろ、それ以上の目的を達成することも不可能ではありません」
ケルベロスは、まおーちゃんの頬が一気に緩んでいるのに気付きます。まさか、こんな怪しげな老人の占いを本気にしているのでしょうか、後で臣として止めねばならぬと決心します。
「‥それから、もう1つ」
デグルは、さも重要なことを言うかのように、間を置きます。
「あの釣り人こそがあなたの求めている人材であり、あなたの将来の結婚相手でもあります」
「なに!?」
まおーちゃんは、玉座から立ち上がります。肘置きに置いてあったお見合いの書類が、椅子の下へ滑り落ちます。
「それでは、占いの結果はここまでです。採用するもしないも魔王次第です。いい結果をお待ちしていますよ」
デグルはフォッフォッと笑って、大広間を後にします。まおーちゃんはしばらく嬉しそうに身を震わせてから、家臣たちに向けて叫びます。
「あさってと言ってたな?明日にも出立だ!ヌヒビエへ向かう!」
「魔王様、お待ち下さい!」
ケルベロスが、まおーちゃんに負けない音量で呼び止めます。
「あんな得体のしれない老人の占いを真に受けるというのですか?仮に釣り人がいるとしても凡人だった場合、その人を重用したらこの国の将来はどうなるのですか?安易に重く用いるべきではないと考えます」
「釣り人があの老人と手を組んでこの国を滅ぼすウィスタリア王国のスパイだった場合、どうするのですか?」
マシュー将軍も助太刀します。それらをまおーちゃんは否定します。
「いいや、あのデグルという老人は妾もよく知っておる。決して嘘をつかない、信頼できる人物だ。その人がわざわざここまで来て占いを奏上したからには、重大なことが起きる兆しだ。信じるしかないだろう」
そう言うまおーちゃんは、明らかに浮足立っています。
「落ち着いてください。あの老人が信頼できるという客観的な証拠もございません。魔王様は、有能な人材という響きに弱すぎます!」
「私はウィスタリア王国で国王の暴政を見てきました。今、この国の王が暴走されるのであれば、私には命をとして止める義務があります!」
そう言ってくるケルベロスやマシュー将軍をまおーちゃんは一晩かけて説き伏せ、なんとかヌヒビエで釣り人と実際に会ってから考えてもらうことにしました。




