第61話 ナトリが仲間になりました
一方、部屋に残された私たち。
ナトリの父は、席から立って私たちのところへ来ると、地面にひざと手をついて、頭を下げます。
「テスペルクさん。そのお付きの皆さん。どうか、ナトリのことをよろしく頼みます」
私は体を動かしづらい気分でした。
メイやラジカも同様です。自分が殺されるのかと思いきや、逆にこんな状況になってしまったのです。声を出せないのも無理はありません。
「‥‥あの、土下座はみっともないと思います」
私が何分も考えて絞り出した言葉がこれでした。私も席を立って、ナトリの父の前でしゃがみます。
「ナトリちゃんは私の大切な友達です。何があっても、私たちが一緒にいてあげます。頭を上げてください、お父様」
「‥‥すまない」
父は涙を隠したいのか、顔を手で覆いながら立ち上がります。
結局、そのあとの食事は最後まで気まずい雰囲気で進みます。ナトリが部屋から駆け出すまでは食べることを躊躇していたメイやラジカも、手を止めることなくもくもく食べ続けています。味はいいのに、もったいないです。
◆ ◆ ◆
食事が終わった後、私はナトリの部屋だというところへ入りました。関所の建物らしく、さっきの部屋の半分の広さしかありませんでしたが、部屋に明かりはついていて、ミルクと黄色の混ざったきれいな壁がそれを反射していました。
ナトリは、ブラとパンツ以外全部脱いで、全身をうつすスタンドミラーの前に立っていました。深緑のしっぽがむき出しになっています。
「‥ナトリちゃん、何してるの?」
「うるさい。犯罪者に話すことはない」
そう言ってナトリは、鏡に向かってお尻を突き出してみます。次には体の向きを変えて胸を鏡にくいっと近づけ、ブラを引っ張って谷間を覗かせてみます。何をしているのかはすぐ分かりました。
「ナトリちゃん。国に命令されたから娼婦になるとか、そんな悲しいことはやめようよ」
「うるさい。犯罪者がナトリに指図するな。ナトリは‥ナトリは、周りに負けない立派な娼婦になる‥なるんだ‥‥」
叫びたいかと思うくらいの声でした。目からはすでに何滴もの液体が滴り落ちています。
「ナトリは‥誰よりも強いんだ。誰よりもすごいんだ。誰よりも立派なんだ。お国のために尽くしてやるんだ。この世界で一番の娼婦になってやる、なってやるんだ‥‥」
そう言った後、「あ、ああああ‥‥」と声をあげて、ひざをかくんと地面につけて、天を仰いでむせび泣きます。私はかつかつとナトリのほうへ歩いていって、華奢な裸体を抱きしめます。
「ナトリちゃん。バカな真似はやめようよ」
「うっ、う、うるさい、こ、この犯罪者が‥‥ああああああ!!!」
「ナトリちゃんも、本当は嫌でしょ?」
「うっ‥くすっ‥黙れ、この犯罪者が‥‥」
ナトリはえんえんと、涙を手首で拭きます。でもそれでも足りないくらい、新しい涙がぼろぼろと流れ出ます。床は、すっかりびっしょりになっていました。でも、ナトリは抱いてきた私に抵抗する様子はありません。
「大丈夫。ナトリは娼婦にならなくていいよ。国がダメなら、私が守ってあげる」
「うううっ、うう、ううっ‥‥犯罪者ごときにナトリの何がわかる‥‥」
そう言って、ナトリも私を抱き返します。しがみつくように、私が痛いくらいに強く抱きしめていました。私の肩と背中に熱い液体が流れ始めます。あまりの勢いに、私ももらい泣きしそうでした。ナトリの背中をさすってあげます。
大丈夫。国に裏切られたのは、私も同じだから。ナトリちゃんは変なところもあるけど、根はいい人だから。私にとって大切な人だから、頑張って守ってあげる。娼婦になんかさせないよ。
ナトリは夜遅くまで泣き続けていました。
メイやラジカも、部屋のすぐ外で私たちの話し声を聞いていました。
「‥‥この国がそこまで落ちぶれていたなんてね」
メイが話し始めます。
「あたしは亡命してもあくまでこの国に忠誠を尽くすつもりだったけど、今の話で冷めたわ。ここはひどい国よ」
「アタシはもとからだけど。アリサ様のことを裏切ったのが、アタシには許せない」
2人もそんなことを話していました。
「‥だからといって、魔族が怖くないわけじゃない。あたし、魔族と会ったこともないし、どんな人なのか想像もつかないの」
「‥少なくとも魔王は悪い人ではない。アタシたちは魔王と面識もあるし、魔王に相談ができるぶんにはいいんじゃない」
「‥魔王を使い魔として召喚するなんて、アリサは前からすごいと思ってたけどそこまでいっちゃったのよね‥おかげでツテができたからまだいいけど」
メイはふふっと笑ってため息をついてから、天井を仰ぎます。
◆ ◆ ◆
翌日。関所の反対側、ギフ方面の出口で、私たちはナトリの父と話していました。隣には母も並んでいます。
私たちは旅でぼろぼろになった制服を、運動しやすく汚れてもいい服に交換してもらいました。あまり飾りはありませんが、逃亡生活では目立たない服のほうがいいです。
「何から何までありがとうございます。それに魔族のお金って、どこでもらったんですか」
「ハールメント王国へ観光にいった人が通行税が払えないから、代わりに置いてくれたんだよ。私たちが持っていても使えないから、自由に使いなさい」
魔族の国で流通している硬貨や紙幣までもらいました。初めて見ます。紙幣の数字はなんとなくわかりますが、文字が読めません。魔族語でしょうか。硬貨は漆黒で、陽の光も反射しないほどでした。
「‥それから、君たち、ハールメント王国へ向かっているのだね?」
「はい」
「この国とハールメント王国の国境では、今も紛争が続いている。そこへ旅人が行くと目立って危ないから、行くならハデゲ王国を経由したほうがいい」
ハデゲ王国は、ハールメント王国のすぐ隣にある魔族の国です。少し遠回りになりますが、紛争中なら仕方ないでしょう。
「はい、わかりました。教えてくださりありがとうございます」
私はにこやかに答えます。父は、私の隣りにいるナトリを向きます。ナトリは肩に、使い魔のドラゴンの子供を乗せています。
「ナトリ。次はいつ会えるかわからない。もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない」
「‥‥‥‥」
ナトリはまだうつむいたままです。父は、そんなナトリを抱きかかえます。
「不肖なパパで申し訳ない。パパはご先祖様の恩があるから、この関所で番をし続けるよ。ナトリ、君は自分の生きたいように生きなさい」
「パパ‥分かった」
父がナトリから離れます。
ナトリは、父の顔をはっきり見つめています。
「ナトリは、立派に生きる。パパもママも、体に気をつけて」
「分かった」
父はナトリの頭をなでます。ナトリの頭についている獣の耳がピクンと何回も反応します。
なで終わると、ナトリは「じゃあ」と言って、我先にギフへ歩き出します。その表情は、私たちからは見えませんでした。まるでこの場をすぐ離れたいかのようです。
「お世話になりました!待って、ナトリちゃん!」
「あっ、あたしもお世話になりました」
「アタシも。服もありがとう」
私たちも父に挨拶してから、ナトリの後を追いかけます。
下り道の先には、ウィスタリア王国でエスティクに次いで第4の都市といわれるギフの町が広がっていました。
ナトリの父と母は、私たちの後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとそこに立ち続けていました。




