第60話 ナトリへの手紙
「あ〜ん‥」
私は、自分のところに配られてきたシチューをスプーンで掬って、口に運びます。
「待ちなさいよ!」
メイが怒鳴るように私を制止します。
「えっ、どーしたの?」
「それに毒が入ってたらどうするの?」
「え、でもナトリのお父様は人を殺すようには見えないよ?」
「ホニームでもらった指名手配書にもあったでしょ、生死問わずって。アリサがここで殺されても、ナトリさんたちへの褒美は減額されないの!殺し放題ってことなの!」
私は困った顔をして、スプーンをシチューの中に戻します。
「ええっ、でも‥‥そんなことないよね、ラジカちゃん?」
メイの隣りにいるラジカに声をかけますが、ラジカも首を横に振ります。ラジカもまた、食器に手を付けていません。
そんな私たちの様子を見たナトリの父が、声をかけてきます。
「そんなに心配なら、私たちと食事を交換しますか?」
それを聞いて、ナトリがぱんと机を叩きます。
「パパ!食事に毒は入れてないの!?睡眠薬は?どうして?こいつらをぶちこむなら今しかないでしょ!パパ‥‥」
「ナトリも食器を交換してあげなさい」
「ううっ、パパ‥‥」
ナトリはぐずつくように自分の食事を見下ろします。父が食器をメイに手渡すのを見て、ナトリも渋々自分の食事を隣のラジカと交換します。
私は食事を食べ始めました。メイもラジカも、納得したのか諦めたのか分からないけど、食べ始めます。
「‥アリサさん」
父が私の目を見て、尋ねます。どことなく真剣な表情です。
「単刀直入に聞きます。あなたは魔王と同等の力を持っていると噂ですが、ハールメント王国に亡命した後はどうするのですか?この国に攻め込むのですか?」
「そんなの今捕まえたら関係ないだろう、パパ」
「ナトリは静かにしていなさい」
ナトリは「うー」とうなりながら、ご飯を食べます。私は首をひねりながら答えます。
「うーん‥それはわからないです。まだ何も決まっていなくて」
救世主とか、私がこの国を滅ぼすとか、そういう神託の話は黙っておきましょう。父は次の質問にうつります。
「この国に未来はあると思いますか?」
その質問で、メイやラジカも食事の手を止めます。「急に何を言い出すの、パパ?」と聞くナトリや私以外が、この場の空気が重くなっていることに気付きました。
「え、うーん‥‥少し前まではあると思ってたんですが、旅をしているうちに分からなくなりました」
私は正直に答えます。
「旅をしていく間に、いろいろな人や町を見てきました。みんな、王様の圧政に苦しんでいました。中にはお店をたたまなければいけない人もいましたし、最悪の選択をした人もいました。私は王様に直接会ったことがありますが、その時の王様は人を殺すのをまるで娯楽のように楽しんでいました。王様の周りの家臣も悪い人ばかりだと聞いています。この国で生活していける自信がないです」
「嘘だ!」
ナトリが立ち上がります。
「王様は、ナトリたち国民のことを第一に考えて仁政をしいてくれる素晴らしいお方だ!現に、エスティクでもナトリたちは何不自由なく生活できていたではないか!あれのどこが圧政なんだ?王様を侮辱するのはやめろ!」
「ナトリ、座りなさい」
父は、次はナトリを睨みます。
「いいか、ナトリ。実はパパたちも王国のことを恨んでいるんだ」
「な‥っ!?」
身内からの思わぬ攻撃で、ナトリは目を丸くします。
「ナトリは学校に行っていたので知らなかったかもしれないが、大量の金、労働者がこの関所を通っている。全部、ギフから王都へだ。王都から帰ってきた人は、ほぼいない」
「王都の暮らしが気に入って帰ってこないだけだろ?」
「いいや、誰もが王都へ行くのを嫌がっていたよ。あの人たちはみな、給料も出ない奴隷のように扱われて、ゴミのように死んでいくんだ。パパも最初に聞いた時は目を疑ったよ。あの中には小さい子供もたくさんいた。ナトリと同じ歳の子供もいたさ。みんな王都で死んでいった」
「‥‥‥‥」
「あの子達を守れない無力感と同時に、王様のことを恨んでいるんだよ。今までの王様は、王都に豪華な宮殿や建物を建てたりしなかった。それが、今はどうだ?王様の贅沢のために、数え切れない人たちが命を落としている。もうそんな人たちをこの関所に通したくないんだ」
「で‥でも、いや、だって、エスティクの人たちはみんな幸せそうにしていたさ、エスティクではそんな話を微塵も聞かなかった。それはどう説明するんだ?」
「‥‥はぁ」
父は席を立って、部屋の壁にあった簞笥から一切れの紙を取り出して、ナトリに渡します。
「ナトリ。エスティクのような大きな都市を潰すと国全体の経済が傾きかねないから、そのような都市からは特例でほとんど徴収されないことになっているんだ。税率などは確実に上がっているらしいがね。その紙は、パパたちがギフからエスティクへ居住申請したときに役所から来た返事だ」
「‥‥っ」
「エスティクは、特別扱いされる代償として、他の都市からの移住を厳しく制限されているのだよ。王様は人民のことを考えていないのが伝わるだろう?学校の寮に入るだけなら許可はいらない。パパたちは、せめてナトリに幸せな少女時代を過ごしてほしかった。だから、わざわざ地元のギフではなくエスティクの学校を選んだんだ」
ナトリは紙を読みながら、震えています。
「いいか、ナトリ。パパもこんなことは言いたくない。だが、ナトリがエスティクで見てきたものは、幻想なんだよ。一部の特権階級が、ありもしない楽しい夢をナトリに見せていた。さて、ナトリに渡したいものがもう1つある」
そう言って父は、ナトリに追い打ちをかけるように、簞笥からもう1枚取り出してナトリに渡してから、椅子に戻ります。
「こっ‥これは‥‥‥‥」
その紙を見た瞬間、ナトリは声をあげて、目から涙をこぼします。
「‥それは、ナトリの召集令状だよ。ナトリもこの関所を通った他の労働者と同じように、王都に呼ばれていたんだ。行き先の建物の名前からも分かるだろう。国営の高級な娼館だ。君は、王様や家来を満足させるためだけに呼ばれたんだよ」
「嘘だ‥こんなの、嘘だ‥‥」
「これは一年前に来ていたのだが、学校に通っている間は免除して欲しいとパパが嘆願したんだ。それは通ったんだが‥‥ナトリ。君は、3年後に学校を卒業したら、娼婦になる運命なんだ。これがナトリの言う、国のために尽くすことだ。納得できるか?」
「嘘だ、こんなの、ナトリは信じない‥‥」
涙をぼろぼろ流しながら、首を振っています。
「ナトリ。これから3年間、エスティクで短い夢を見た後の人生を娼婦で終えて欲しくはない。パパからのお願いだ。ナトリも、この人たちと一緒にハールメント王国へ亡命するんだ」
そう言って、今度は父が私たちを指差します。
あまりの話の内容に、私たちは一口も食事を進めることができず、シチューはすっかり冷めてしまっていました。母は食事を続けていますが、その表情は悲しげで、話を聞くこともままならない様子でした。
「う、嘘だ、全部嘘だ‥‥これは何かの冗談だろ?そう言ってよ、パパ‥‥」
顔を真っ赤に腫らしているナトリが尋ねますが、父は黙って首を振ります。
「嘘だ!!!みんな、ナトリを騙しているんだ!」
ナトリはその紙をびりびり破って、手で丸めて自分のシチューの中に投げ込みます。それから、駆け出して部屋を出ていってしまいました。




