第58話 集団自殺に巻き込まれました
‥‥でも、結界の中なら巻き込まれることはないでしょう。
私は「なんだ、火事か。結界の中にいれば安全だよー」と言って、またもう一回眠りにつきます。それをラジカが強く揺り起こします。
「アリサ様。いくら結界の中が安全でも、火事で床が抜けるとまずいんじゃね?」
「あー‥確かにそーだね」
そういえばそうです。床が抜けたらさすがにダメです。
私はこの部屋の壁に、強い風の魔法をぶつけます。部屋の中にあらわれた大きな渦巻きが壁を喰らい、穴を開けます。私たちの体に浮遊の魔法をかけて、そこから宿を脱出します。
「うわあ‥‥」
宿を脱出して町全体を俯瞰します。町のすべての建物が、勢いよく燃えています。火の海です。大火事です。
「えっ、なんで、どうして?あっそうだ、広場にいた人たちを助けないと!」
そう言って広場の上空まで駆けつけましたが、案の定、広場も火の海です。あれほどのお祭り騒ぎはどこへやら、バーベキューに使った道具の残骸や、死体と思わしきものがうっすらと見えます。
「ひっ‥」
「アリサ、いいから安全なところへ連れてって!火の上にいると魔法が切れたときに危ないでしょ、怖いよ」
「‥‥うん、そーだね」
メイに言われたので、私たちはふわーっと空中を移動して、盆地を囲む山腹へ降り立ちます。
「すごい眺めだね‥‥」
町を包む火の海が、盆地を囲む山全体を赤く照らしています。
「あー、今日は野宿かな」
「えっ、野宿怖いわよ」
「アリサ様の結界があれば安全」
ラジカのぼやきにメイが反応しています。
「とりあえず、消火しなくちゃ」
私が拳を鳴らすと、メイが尋ねます。
「消火ってどうすんの?」
「はい、気候操作してここに雨を降らします。‥‥ん?」
ふと、私はすぐ近くに人影がいるのに気付きます。
「すみません、ご無事ですか?」
そこに立っていたのは、髪が白髪に生え変わり始めた程度に年をとっている男です。山腹の大きな岩に座っていました。
「‥ああ、君はこのあたりでは見かけない顔だね。旅のお方か」
「はい。すごい大火事ですね。私が今から消すから大丈夫です」
「いや、消さなくて結構。消されたら迷惑だ」
「えっ?」
私はその言葉で、手の周りに込めていた魔力を一気に解放します。
「どういうことですか?」
「ああ‥これは自殺だよ」
「自殺?」
男は、岩に座り直します。
「君は、何年か前に王都に宮殿が建てられたことを知っているかね?」
「はい」
「それだけではない。王都に演劇場、神殿などがいくつも建てられたことを知っているかね?」
「はい」
私の返事に、男はため息をついて、それから語気を荒くします。
「何もかも王様が悪いんだ!王様のせいで、このイクヒノは滅ぶんだ!」
いつの間にか私の横にはメイとラジカも並んでいました。私たちは、その男を挟むように座ります。
話によると、その男はイクヒノの町の町長だそうです。クァッチ3世は、王都に贅沢な建物をいくつも建てるために、色々な町に労役を課したり、重税をかけたりしていました。イクヒノもその被害にあった町の1つです。
もともとこの町は農地も山菜もそれほど収穫することができず、出稼ぎで生計をたてていました。それが、若い男はことごとくかり出され、王都へ連れて行かれました。しかも、給与がすべて中抜きされただけでなく、厳しい労役で何人も死んでいきました。あとは女と老人だけが残されました。これでは満足に出稼ぎすることができないばかりが、贅沢な建物を建てるために課された重税が追い打ちをかけました。町の人たちは貧困にあえぎ、税の取り立てからも逃れられず、もう死ぬしかないと考えたのです。
「じゃあ、あのお祭りは何だったのでしょうか?」
私が尋ねると、町長はつばを飲み込みます。
「‥‥最後の晩餐だよ。町にあるありったけの財産を集めて、それを一晩で消費したんだ。粗末な祭りだったが、それだけこの町にはもう何もないということだ。もう、この町には何も残されていない。町のみんなは今頃、家の中で神に祈りながら息絶えているよ。ははは‥」
町長は涙を流しながら笑い始め、そして手で顔を覆います。
「私もこの町を命をかけて守ると誓ったのに、この体たらく‥最悪の結果だよ。町のみんなに申し訳が立たない。私はこの光景を最後まで見届けてから死のうと思う」
「え‥ええっ、死ぬのはよくないですよ!」
「頼む‥頼むから、君たちはこの場を去ってくれ」
「だめですよ、死んじゃ‥どうしたの、ラジカちゃん?」
慌てる私の肩を、ラジカが叩きます。メイも私の手を掴みます。
「‥もう手遅れ。この男はほっといて、行こう」
「そうよ。仮に町長さんを助けたとして、そのあとどうするの?」
「えっ、でも‥」
ラジカが私の腕にロープを結んで引っ張ります。メイも私のもう1つの腕を引きます。
「ま、待って、2人とも‥あの町長を助けなくちゃ‥‥ねえ、2人とも?」
私は2人に引きずられるようにして、その場を離れました。
◆ ◆ ◆
時はまだ未明です。
森の中で私たちは、大きな葉っぱをかき集めて、地面にしいていました。布団の代わりです。
「‥‥ねえ」
私はその葉っぱに入って、隣で横になっているラジカに尋ねます。
「あの町にも、助かる方法があったんじゃないの?」
「方法がないから死んだんじゃないの」
「ねえ、ラジカちゃんはどうしてそう冷めたことを言えるの?」
「知らんし。寝る。おやすみ」
そう言ってラジカは私に背を向けます。私はその背中を見てしばらく黙って何かを考えてから、「おやすみ」と言って自分も横になります。
◆ ◆ ◆
早朝。私は2人よりも早く起きて、ふわりと浮き上がります。
この森は、イクヒノを囲む山の上にあります。高く浮き上がると、イクヒノの町の様子も見えます。町はすっかり灰色になっていました。煙がまだ立ち込めています。あの町長も死んでしまったのでしょうか。
私は、この町を救えなかったのでしょうか?昨日来たばかりの旅人ですけど。
私はお金をたくさん持っています。でも、この町1つを救うには足りないかもしれません。
町の人たちも、本当は生きていたかったはずです。
しかし、王様の圧政のせいで、死を選びました。
昨日、ホニームの町の司祭に言われた「救世主」の言葉が、頭をよぎります。
私がもう1人の救世主と出会った時、この国は滅び、万民を救う新たな世界が開かれる。
本当にそのようなことが可能でしょうか?
もし私があの神託のとおりに救世主になれば、このような町の人たちを救うことができるのでしょうか?
誰も死なずに、幸せに生きていけるのでしょうか?
でも、私なんかに救世主がつとまるのでしょうか?
私なんかが、1つの町を救うという大事業を成し遂げられるのでしょうか?
いいえ。それよりももっと大きな事業があります。この国を滅ぼすことです。
町1つ救うこともできない私に、そのようなことは可能でしょうか?
私はもともと政治には興味ありませんでしたが、このような光景を目の前にすると、自然と悔しさがこみあげてきます。
気がつくと、私は涙を流していました。
王様への失望、やりきれない無力感、正解のない迷路。
すべてが私の体をばらばらに刻みます。
黙祷を捧げましょう。
私は目をつむり、両手を組み合わせます。
せめて、あの町の人達が幸せなまま死ぬことができたら。
そのような幸せな日が訪れることを、願い続けていました。




