第57話 特製のお風呂に入りました
夕暮れが、盆地にあるイクヒノの町を赤く照らしていました。
イクヒノは小さな町です。盆地自体も狭く、山のふもとにも家が建っています。
でも、何やら町の様子がおかしいです。
「‥‥人が少ないね」
「田舎にしては少ない」
それだけではありません。イクヒノにいる人たちは、誰もがみすぼらしい格好をしています。町全体に活気がないようです。
どの家もあまりメンテナンスされていないようで、壊れた壁、ボロボロのドアなどが目に付きます。市場にも食べ物がほとんどなく、値札の代わりに「自由に持っていってください」の紙が吊られています。店番のいない店もあります。異様さを感じます。
「うーん‥‥何でだろう」
「アタシは知んないけど。そうゆう場所じゃないの」
「あたしは宿があればそれでいいのよ」
ラジカもメイも、あまり興味がなさそうです。
「じゃあ、とりあえず宿を探そう」
私がそう言った手前、道の向こうから騒ぎ声がします。なんだか楽しげな音楽が流れ、食べ物のおいしそうなにおいが漂います。
私たちはそこを覗いてみました。広場のようです。広い、ぼうぼうに成長した芝生の上で、町の人たちがバーベキューをやっているようです。町の中にほとんど人がいなかったのは、ここでお祭りをしていたからなのでしょうか。中にはお酒を飲んだり、明るく話したり、踊ったりしている人もいます。おいしそうな料理もいっぱいあります。
「すごいね、楽しそうだね。私たちも混ぜてもらおうか?」
「アリサ様、それはいけない。アタシたちは逃走生活中だから、目立つのはダメ」
「そうよ。アリサについていった時点で、あたしたちも捕まったら死刑だから。怖いからやめて」
「えーっ」
私は不満げに言います。そのまま私たちは広場を通り過ぎて、宿屋を探します。
「えー‥誰かいませんか?」
宿屋らしい建物を見つけたものの、中には誰もいないようです。薄暗いロビーを探して、ふと見ると、受付のカウンターに張り紙がしてあります。
「なになに‥ご自由にお泊まりください。お代は結構です、だって」
私が読み上げると、ラジカもメイも不安そうな顔をします。
「素泊まりなの?」
「あたし、おなかすいたわよ」
「食べ物はさっきの市場からとってきませんか?」
私の提案が通り、食事は市場から自由に取って調達しました。市場には店番すらほとんどいなく、私たちの顔が見られることがなかったのが救いでしょうか。でも、「自由に取ってください」という張り紙、なぜしていたんでしょうか?
何より、市場と宿を行き来する途中で見かけた、広場にいる町民たちの楽しげな顔が印象的でした。まるで仕事やら何やら放棄して、とにかく今を楽しんでいるように見えます。今日はお祭りの日なのですね。お祭りだからお店も宿にも店番がいなくて、私たちのくるタイミングも悪かったかもしれません。
宿屋に戻りました。どの部屋の鍵もかかっておらず、せっかくならと私たちは一番大きい部屋を選びました。ただ、その部屋も蜘蛛がかかっていたり、埃がそこらにあったりで、とても営業中の宿と呼べるものではありませんでした。
「まあ、誰もいないんだったら逆に隠れやすいよね」
メイはそう言って納得したようです。
食事が終わって、次に直面したのはお風呂です。宿の風呂はわいていないようで、浴室には鍵がかかっています。
「どうする、お風呂我慢する?」
ラジカが聞くと、私は首を振って、親指を立てます。
「お風呂は大丈夫!私が用意してあげる!」
「えっ、アリサが用意するの、ま、まさかアレ?」
「アレですよ、お姉様」
「あ、あたしは遠慮するかな‥‥ていうかまだその入浴やってんの?」
メイが、気持ち悪いものを見るかのような目で私を見て、一歩後ずさりします。一方でラジカは。
「あー、アタシ、アリサ様のお風呂の話聞いたことあるし興味あるんだわ。アタシにも入らせて」
「うん、わかった!」
というわけで、私とラジカ2人でお風呂に入ることにしました。
私たちは自室に戻ります。まず、部屋の窓を開けて、たくさんの水蒸気を取り込めるようにします。私は魔法で水のボールを作って、それをどんどん大きくしていきます。
そういえば、このお風呂に入るの何日ぶりでしょう。まおーちゃんが来るまでは毎日これでしたね。人1人が入れるくらい、直径1.5メートルのサイズにまで膨れ上がったそのボールを、火炎の魔法で包んで温めます。
「どっちが先に入る?」
私が尋ねると、ラジカは黙って手を挙げます。
「じゃあ、そろそろあたたまるから、ラジカちゃんは服を脱いでね!」
「分かった」
「あたしは見ているわ」
メイはそう言って、ベッドに座ります。ぽんと、メイの周りを埃が舞います。
服を脱いで裸になったラジカに、私は浮遊の魔法をかけてあげます。ラジカの体がふわりと浮いて、そして湯のボールの中につっこみます。
「んんんっ、‥‥んー?」
ラジカの頭の周りに空気のヘルメットのような泡を作ったので、湯の中でも呼吸ができます。
「なるほど」
ラジカはそのまま全身をボールの中に入れて、脚をばたばたさせます。魚のように、そのボールの中をくるくる回ります。
「これは面白い」
「面白いじゃないわよ」
ベッドに座るメイが腕を組みます。
「水の中にいるのに、地面に足がつかなくて怖いと思わないの?あたしはそれで暴れて落ちちゃったんだから」
「えー、それはお姉様が暴れすぎたからです」
メイは何年か前、私の作った湯のボールに入ったことがあります。でもメイには、地面に足がつかず体全体がずっと不安定に揺れるのが恐怖だったようで、ものすごい勢いで暴れまくっていました。予期できない動きをしたのでさすがに私の魔法でも防ぎきれず、上から飛び出して床にぺったんと落ちて怪我をしてしまったのです。あの時はお父様にも怒られましたね、あはは。
「アタシは怖いとは思わないな。気持ちいい」
ラジカはそう言って、ボールの中をくるくる泳ぎますが、ふと思い出したのかぴたりと止まります。
「アリサ様、頭を洗う時はどうすんの?」
「その時は頭の周りの空気を消すから、一度ボールの外に頭を出して息を吸っててー」
「わかった」
ラジカはボールの上の方へのぼって頭を出すと、もう一度湯の中に潜ります。今度はラジカの頭の周りに空気のヘルメットができません。シャンプーはありませんでしたが、ラジカはそのまま頭を指でこすってから、またボールの上に頭を出します。
「なるほど、こうするのか」
そのあともラジカは、私に質問しながらその湯のボールを楽しんでいました。
◆ ◆ ◆
私も入浴を済ませて、そろそろ寝る時間です。ベッドは埃もたくさんついていますが、まあ問題ないでしょう。
私が寝ようとすると、ラジカが横から声をかけます。
「結界をかけて」
「えっ?」
「ホニームでは寝ているところを襲われた。ここでもそうならないとは限らないから、寝ている間は結界をかけたほうが安全」
「なるほど、かけてみるね!」
結界をかけてから寝ます。
私たちが寝付いてから数時間。もうすぐ日付が変わる頃に、私は叩くように起こされます。
「アリサ様!アリサ様!」
「アリサ、助けて、怖いよ!!」
2人の焦るような、慌てるような声で、私は目を覚まします。目をこすって、あくびをして、上半身を起こして2人を見ます。
「‥ん、どーしたの、もう朝?」
確かに辺りは明るいです。明るいですが‥‥火?
「火事なの!あたしたち、焼き殺されちゃうの!」
メイの叫び声で、現状を認識します。
私たちが今いるベッドを覆う結界の外は、部屋中火の海でした。炎が激しく燃え盛っています。




