最終話 メイの子供が生まれました
3年後。
ヴァルギスは魔王城の一室で、そわそわして落ち付かない様子でした。仕事があるというのに何度も部屋の中をくるくる回ったり、ぼうっと窓の外を眺めたりしていました。
ドアのノック音がしたので、ヴァルギスはこほんと咳払いして、机の椅子に戻ります。
「入れ」
入ってきたのはラジカでした。いつも通り、天使の白衣を身に着けて、ゆっくりドアを閉めます。
「なんだ、ラジカか‥‥」
ヴァルギスは少し残念そうに言います。
「魔王、最近どう?」
「どうもこうもない、そろそろアリサが帰ってくる頃だから思案していたところだ」
ここでヴァルギスは椅子から立ち上がると、ラジカに問います。
「ラジカ、1つ聞きたいことがある」
「何」
「天使は未来を見ることができるだろう。アリサはいつ帰ってくる?今日か?明日か?あさってか?何日後の何時何分何秒なのか?」
「天使はむやみに予言してはいけないことになっている」
ラジカは少し呆れながらも、ふふっと笑います。
「そんな意地悪なことを言わないで、教えてくれ‥‥」
「アリサに依存するのもいいけど、その姿を万民に晒さないようにね。城の人達も呆れている様子だったから」
「むむ‥‥」
ヴァルギスはまたかくんと椅子にもたれます。
「むぅ‥‥それで、ラジカは何の用で来た?」
「天使として魔王たちに伝えたいことがある」
「たち、とは?」
ヴァルギスが訝しがると、ラジカはヴァルギスのもとへ歩み寄ります。
「メイが身ごもっているのは知っている?」
「うむ。去年に結婚していたな。そろそろ後継ぎが生まれる頃だろう」
「うん。その子供が、ニナの生まれ変わり」
「なに?」
ヴァルギスは机を掴んで、驚いた様子でラジカを凝視します。
◆ ◆ ◆
その3日後、私は3ヶ月間の旅を終えて魔王城に帰ってきました。服はみんな平民たちの服と交換してきたので、平民向けのあまりきれいではない服を着ていますが、いつものことなので城の兵士たちは慣れた手付きで私を城の中に通します。
私はいつも通り、城内の一室に通されて貴族用の立派な服に着替えます。
「‥あれ?」
いつもなら着替えている途中にヴァルギスが部屋へ入ってきて私を思いっきり抱いて、隙あらばその場で脱がして、更衣室に本来あるはずがないのになぜか都合良く置かれているベッドに押し倒されてしまうものですが、今日は走る音すら聞こえません。今日は大切な会議でもあるのでしょうか。
私がすっかり着替えを終わらせてもヴァルギスが来る様子はありません。と、丁寧なドアのノックがして入ってきた使用人が、私に頭を下げます。
「王妃殿下、魔王様が馬車をお召しになってお待ちでございます」
「えっ?」
使用人に言われるがままに城門近くのスペースへ行くと、そこには確かにいくつもの馬車や家来たちの行列がありました。一番立派な馬車の窓から顔を出したヴァルギスが手招きしています。
「アリサ、乗れ」
「う、分かったよ」
いつもと違うパターンですね、別荘で私を襲うつもりなのでしょうか、などと思いつつ馬車に乗ると、そこにはハギスやラジカも座っていました。
「これで全員だな、出発しろ」
馬車が走り出しました。当然のように私の横に座るヴァルギスが私の腕を抱いて「アリサ、久しぶりだな」と言ってきます。ヴァルギスと一通り抱擁を終えてから、尋ねてみます。
「それで、どうしたの、いきなり馬車なんて。どこへ行くの?」
「うむ、エスティクへ向かうのだ」
「えっ、お姉様に会いに行くの」
「うむ」
ラジカも、そして急遽グテーデルから呼び出されたハギスもうなずきます。
◆ ◆ ◆
私の生まれ育った町、ヴァルギスを召喚してすべての始まりとなった町、そして今はノスペック王国の王都でもあるエスティクは、3年前と比べると立派な建物が増えてきたように感じます。ラジカが事前に連絡したらしく、増築工事中の城に到着してからわりとすんなりメイやナトリと面会することができました。
メイのおなかは、2ヶ月前に会ったときより大きくなっています。そのおなかをさすりながら、メイが話します。
「魔王もハギスも久しぶりじゃない」
「久しぶりだ。変わりはないか?」
「変わりはないわよ。2ヶ月前に流行病にかかったけど、アリサが治してくれたし」
このメンツで話すのは最近は2年に1回あるかないかです。みな、誰もが昔話に花を咲かせます。
「痛っ」
突然、メイが腹を抱えます。
「大丈夫ですか?」
ナトリが駆け寄りますが、メイの息がだんだん荒くなってきます。
何人もの使用人たちが部屋に入ってきて、メイをベッドに寝かせます。しばらくしてメイがおとなしくなったので使用人たちは退出しました。
「昔話が楽しくて言い忘れてたけど」
ベッドの近くに集まった私達の前に立って、ラジカが話し始めます。
「メイは今夜、双子の姉妹を生む」
「双子‥」
まだ苦しそうな様子のメイは、目にしわを集めてラジカを見ます。
「後に出た子が、ニナの生まれ変わり」
「えっ?」
私もハギスもこのことを馬車で聞きました。初耳だったナトリも、メイも目を丸くします。
メイはニナと面識がないのですが、ニナのことは少し知っているはずです。
「ニナって確か、アリサの友達の‥」
「うん。アタシを殺した後に自殺した、あのニナ」
「そう‥‥」
ラジカがあまりにも平然と話すものですから、メイはラジカから目をそらします。
「ニナは戦争のことを後悔し続けて、天国へ行くのも拒み、地獄で自傷行為を繰り返した」
「‥‥」
「投薬治療を試みて廃人みたいになったこともあるけど、最近は落ち着いてきている。それでも精神は天界で完全に治せなかった。今夜生まれるニナは生まれつき心が弱い。周りが厳しいからではなく、本人が演技しているからでもなく、本当に心が弱い」
「そう‥‥」
メイの表情が曇るので、ラジカは付け足すように言います。
「先に生まれる子は精神が頑丈で賢く、周りへの気配りも上手で、女王にふさわしいように育つと思う。後継ぎは問題ないから‥ニナのことを大切に育てて欲しい」
「お姉様」
私も歩み寄ります。
「もしお姉様がニナちゃんを捨てるのであれば、私が責任を持って育てますから‥」
「誰が捨てると言ったの」
この時代の王室では、障害を持った子供は恥と思われていて、ゆえに捨てられたり殺されたりするのが普通です。ですがメイは自分のお腹をなでて、力強く返事しました。
「障害を持っていようが、私の子よ。誰にも渡さないし、笑わせもしない」
「メイならそう言うと思った」
ラジカが少し申し訳なさそうに、またメイのお腹をなでます。
「アタシは定期的に来て、ニナの世話をするから」
「天使に世話されると変な噂が立つわよ」
「関係ない」
2人がふふっと笑います。一通り笑ってから、メイは私に言います。
「アリサ。後で、ニナはどんな人だったか教えて」
「はい、お姉様。それと‥私も定期的にニナちゃんのことを見に来ますね」
「天使と聖女に世話されると変な噂が立つわよ」
「関係ありません」
窓から差し込む日光に照らされて、メイの輪郭がかすかに振動します。
「それで、名前はどうするのですか?」
私が尋ねると、メイはふうっと大きく息をつきます。
「長女の名前はもう夫と相談して決めてあるの。男だったらジェリー、女だったらアン。だけど双子だとは思わなかったから‥うん。妹の名前はニナにするわ」
「ニナちゃん」
「ええ。戦争がなければニナにも未来はあったと思うから‥この名前で、人生をやり直してもらうの。今度はかがやしく、幸せで、何不自由ない人生を。戦争とは無縁で、自分の生きたいように生きられる人生を。あたしが責任を持って幸せにするわ。国王として、母として」
※以下、約8000字の長文になります。読み飛ばしても構いません。この小説はまだこれで全部ではなく、次のページにエピローグがあります。エピローグで次回作(続編)のURLを案内しています。
すでにほとんどの方は気付いていると思いますが、この小説は中国で明代に成立した小説「封神演義」‥‥をもとにした横山光輝先生の漫画「殷周伝説」、それから「史記」(ちくま学芸文庫翻訳版)を参考に、大幅な改変を加えて書きました。もともとの封神演義は神々同士の対立だったものが、殷周伝説では商周2国の対立というシンプルな構図にデフォルメされていて大変理解しやすい内容です。
実は第1章のはじめのほうでは、これらをベースにするつもりはありませんでした。異世界を舞台とした純粋なラブコメのつもりで構想していたのですが、話の縦糸が作り込まれていないのに気づき、上記の作品を参考に方針を変えました。平和で純粋なラブコメを書きたい気持ちはありましたが、少なくとも第15話のころからは戦争をテーマにした話を書きたいという気持ちのほうが強くなっていました。
ウィスタリア王国の王都の名前「カ・バサ」は商の首都朝歌(殷とも。日本では一般に国全体を殷と呼ぶが、本来これは首都の名前とされる。当時は点と線による統治だったためこの呼び方も理解できるが、ここでは国を商と表記する)の読みをもしり、決戦の戦場になったボクヤはまんま牧野からとりました。第6章でハラス(聞仲がモデル)が魔族の王都に3回攻め込んできたり、第8〜9章でそれぞれの都市を攻め落としたりしたのも、完全オリジナルの話はありますが、多くは上記作品からとってきました。ただし、ユハの領主とその息子(韓栄、韓昇、韓変がモデル)にラジカの家族という設定、エスティクのニナ(張奎がモデル)がアリサの親友という設定が付け加えられるなど、アレンジを加えています。
アレンジするに当たって一番悩んだのが、西洋と中国の城の構造の違いです。実際の商周革命時代の城の構造は知りませんが、封神演義は明の時代に成立したものであり、城の形、さらにいえば王や家臣の役職、文化なども商ではなく明代のイメージに近いものになっています。すなわち、王宮や都市部全体を立派な壁で囲みます。対して西洋では、そのような壁は通常ありません。多数の異世界ものの小説においては、魔物から守るという名目で都市全体を囲む壁が存在しますが、現実にそれを作ろうとすると多数の予算と人員が必要になり、万里の長城ほどではありませんが過酷な労務と多数の犠牲者が発生することは目に見えています。古代中国では当たり前のことですが、異世界転生ものでただでさえ戦争という重い要素があるのにそこまでやりたくないと思ってできれば作りたくなかったです。それでも魔族の王都ウェンギスを囲む壁を作ったのは、ハラスとの1年間の戦役で矛盾が発生するためにやむなくといったところです。魔王の母ルフギスやそれ以前の王であれば、人間を奴隷にして死ぬまでこき使うくらいのことはできたと思いますし矛盾はないと思います。この壁については、王都カ・バサでも作ろうかと悩みました。というのも、壁がないと連合軍は城下町に自由に入り込むことが出来、住民の反乱そのものが成立しないからです。エスティクですら壁はあったのに、と思ったのですが、住民反乱はエスティクのときと違って物語の進行において重要な要素ではないので、障害は作りつつ、ある程度は簡略化することにしました。
本作ではそれ以外にも、多数の東洋の習慣が入り込んでいます。諡はさすがに作りませんでしたが、国姓や諱はまんま東アジアの文化ですし、ハク(伯邑考がモデル)が犠牲になった凌遅の刑も西洋には存在しません。凌遅の刑自体は史実でも中国や朝鮮でおこなわれ、豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時にも日本人が1名犠牲になったおぞましい刑罰ではありますが、殷周伝説に同様のシーンがあったのと、ヴァルギスの動機づけに必要な要素であったので挿入しました。肉を家族に食わせるまではさすがに史実では伯邑考と姫昌を除いてありませんでしたが、多数の人を殺した劉瑾という名の人物が凌遅に処されたとき、劉瑾に殺された人の遺族がその肉を食べたという記録はあります(これらの行動を現代や日本の価値観で判断すべきではありません)。
殷周伝説では、伯邑考の肉を食べた父姫昌は占いが好きという設定があり、伯邑考の肉であることにすぐ気づくという描写の伏線になっています。本作ではそのようなものはありませんでしたから、あの描写はやや苦し紛れになってしまったかもしれません。
クマの刑は蠆盆の刑をモデルに西洋風にアレンジしたものではありますが、封神演義の原作小説では酒池が加わっています。ただ殷周伝説、集英社の漫画の封神演義では蠆盆のみになっています。本作でも、酒池も残酷な刑罰ではありますが蠆盆と比べるとインパクトに欠けるので採用しませんでした。なお第259話の酒池は、酒池肉林という故事が由来であり、本刑とは無関係です。
炮烙の刑はどうアレンジするか悩みましたが、いいものが思いつかなかったので無難に人間ミキサーにしました。人間ミキサー自体は同人界隈で使い古されたネタであり安直で新鮮味に欠けると思いますが、それでも残酷であることには変わりありません。この刑罰の最初の犠牲になったのは、本作では商容をモデルにしたダリアでしたが、殷周伝説の炮烙の刑では梅伯という人物です。
第2章は主人公アリサが登場せず、ひたすら王の残虐な行いが主なテーマになっています。非常に重い内容になりますのでできるだけ短くすませたく、商容と梅伯を入れ替えたのもこの理由によるものです。殷周伝説で商容は王の暴政に憤り職務を辞し民間人になりますが、それだと第2章が冗長になりますのでそちらも省略しました。とはいえ、2人の太子(殷郊、殷洪)はともかく、殷周伝説もう1人の主人公(個人の感想です)ともいえる黄虎飛が商を裏切る経緯を丸ごと省略したのは失敗だったかもしれません。マシュー将軍は黄虎飛をモデルにしましたが、この省略のおかげでマシュー将軍の行動に重みがつかなかっただけでなく、本作がただひたすらアリサとヴァルギスとその周囲の人物という非常に狭い範囲の話になってしまい、物語に殷周伝説のような奥行きができなかったように感じられます。また、黄虎飛には黄天化という子がいて、アリサの新しい友達になれるくらいの年齢でした。黄天化は殷周伝説では戦争の初期のほうで全身を蜂に刺され亡くなりますが、本作においては、アリサの交流を通してウィスタリア王国家臣の無念などを覗かせる展開、またメイの恋人という設定にして死を悲しむメイにアリサが寄り添う展開もよかったかもしれません。
第2章の省略により、王の周囲には諌める人が多くいた、国のことを思ってくれる人が多く残っていたということが、本作では軽く扱われています。代わりに王の残虐な行動ばかりがクローズアップされ、それに違和感を抱いた人も少なくないかもしれません。
また、殷周伝説では姫昌は紂王の部下という立場でしたが、本作では独立した国の王同士でした。そのため、一部描写を変更しました。殷周伝説では紂王が姫昌含む4人の領主を呼び出してうち2人を殺すシーンがありましたが、本作では魔王とそれ以外を別々に呼び出すよう変更しました。他のシーンでも、この関係性の変化で少し悩むところはありましたが、さほど問題は発生しなかったように感じます。
商周革命の時代は、自分の国を裏切るという発想そのものがなかったとされています。この考えは第30話で、クァッチ3世から逃げようとしたヴァルギスをアリサが無理にでも連れて行こうとするシーンにも反映されています。中世西洋でも貴族は俸禄と引き換えに国に尽くすことが求められており、当時の貴族としては当然の行為ではありますが、感想でご指摘くださった通り転生した人の行動としてはふさわしくなかったかもしれません。転生という設定は本作では十分に活用できませんでしたが、魔法が得意という設定、アリサが聖女になる伏線にはなったように思います。
第71〜74話でアリサが釣りをしているシーンは、姜子牙と姫昌の出会いがモデルです。殷周伝説で姜子牙は姫昌に対して三顧の礼をさせる、政治について説く、姫昌自身を馬の代わりにして馬車を引かせるという3つの行動を行いましたが、本作に落とすとき、アリサの性格を考えると3つのうちどれもできません(集英社の漫画の封神演義でも、この出会いシーンのほとんどは省略されています)。アリサは魔法を除くとそこまで頭が良くなく、また好きな相手に対してそこまでいじめることはできません。でもせめて1つはやりたいと思い、アリサの亡命行を通した政治観変化の描写を挿入しました。第3章のほとんどは、最後の釣りのシーンを入れるためだけの内容でしたが、この旅でアリサが感じ取ったことはアリサがウィスタリア王国を裏切ったり、戦争に加担したりする動機づけにもなり、第4章以降で活かすことが出来ました。ただ、第3章の釣りのシーンのアリサは賢すぎたようです。このあとのシーンで、これほど賢いアリサは出てこなかったので、キャラ設計を十分に練り込みきれていなかったように感じています。
また、姫昌は事前に建てた宮殿(本作でも第44話で描写があります)に泊まった時に予知夢を見る、民の歌を聞くなどであらかじめ姜子牙との出会いを予見していましたが、本作にそのまま落とし込むと、予知夢を見てからアリサの釣りシーンに来るまでにかなりの時間がかかってしまいます。なぜなら宮殿を建ててからあの川へ行くまでの間に、第1章でアリサに召喚されるシーンが入ってしまうからです。なので本作では代わりにデグルの占いを導入しました。仕方ないとはいえ、殷周伝説と比べると軽くなってしまったかもしれません。
エスティクの戦いでのラジカの戦死とニナの自殺は、かなり初期の段階、いうなら第1章の時点から考えていました。アリサがニナの洗脳解除に成功して読者を一瞬安心させたあとの死という展開も、早いうちに考えていました。最後はアリサとヴァルギスが結ばれてハッピーエンドですので、1つくらいは悲しい死に方があってもいいかなと思いました。というか実際の戦争はそういうものです。戦争というテーマがあるからには、このようなシーンは必ず入れなければいけません。それすらやらない作品があるから、戦争そのものが軽く見られるのではないかと考えています。この悲劇のシーンをあえて導入したのは、戦争を単なるエンターティメントにしたくないという気持ちがあったからです。物語に起こしている以上エンターティメントではあるのですが、戦争は楽しかった、レベル稼ぎになった、敵を倒して無敵だった、などという軽い娯楽にはしたくなかったです。ただ読者の感情移入を狙うなら、特にアリサたちが亡命してしまったあとの学生生活、洗脳される瞬間など、ニナ視点の描写をもう少し増やしても良かったかもしれません。
ニナが天国で精神を病む描写がありますが、実際の戦争ではあれくらいいくらでも出てきます(実際は罪悪感よりも銃撃の音に恐怖を感じるパターンが多いかもしれません)。人殺しを経験したときのアリサが超人級にメンタル強かっただけです。戦争がなければ仲良く出来たはずの人間同士が殺し合うのが、戦争というものです。兵糧の内容について、ハギスが従軍中のくさやに悩むシーン、アリサがヴァルギスに狩ってきた肉を献上するシーンもありますが、実際の古代・中世の西洋軍はどのような生活を送っているのか調べ、戦争にリアリティを持たせるために挿入しました。
そもそも最初は外交努力で回避しようとして、どうしても避けきれずに発生するのが戦争というもので、ある意味外交の最終手段でもあります。第212話でネリカ妃の息子2人がヴァルギスを諌めるシーンがありますが、これは殷周伝説に描写はなく、史記(伯夷、叔斉)からとってきました。史記では別の理由が挙げられていますが、今作で平和を愛するヴァルギスが自ら軍をおこすという行動について、やむを得ず戦争を起こしたという側面を強調するために必要だと思ってこのシーンを挿入しました。王自身が屈辱を受けただけならともかく、第6章で3回も大軍を首都まで差し向けられて滅亡の危機に瀕してまで、戦争を起こさない国のほうがおかしいと思います。そういうふうに読者を納得させるために、稚拙ではありますが外交のシーンも挿入しました。
これは同時に、平和ボケしている現代の日本人も意識したものであります。戦争をおこなわないことは確かに理想ですが、戦争を指示する上層部全員がやりたくてやっているわけではありません。北朝鮮や中国含めて世界中の首脳が、程度の差はあれ、同じことを考えているはずです。そして、戦争する側は、どちらも自分が正しいと信じています。日本には日本の正義、中国には中国の正義があります。お互いがお互いを理解することは難しく、現状は罵り合いになり、正当・不当は別の問題として、お互いがお互いの権利を侵害しあっています。戦争が数々の悲劇を生むという事実は、戦争を避ける理由にはなれと、軍備・戦争しなくてもいい理由にならないというのが、平和を希求する上で最も難しい問題です。日本人が自分の国の中に閉じこもって悲惨さだけをむやみに強調しても戦争はなくならないのが現実と私は理解しています。
ミハナの会盟でおこなわれた、牛を使った儀式も、史記に実際に記述があります(酒を混ぜるところは私の創作です)。春秋時代、覇者を決めるときにおこなわれており、現代でも使われる「牛耳る」という言葉の語源にもなっています。殷周伝説では姫昌が7年間閉じ込められていた場所(羑里)と会盟を行った場所(孟津)は異なりますが、今回はヴァルギスがハクの肉を食べてしまった無念を思い出し、改めて仇敵討伐の誓いをたてるシーンを入れるために一緒にしました。そもそもあれだけ交通の便がいいのであれば、ミハナは現実ならただの田舎で終わらず発展しているはずです。本作でも今後開墾されていくかもしれませんがそれは別の話です。
史記といえば第268話で魔王がクァッチ3世の死体に3本の矢を打ち込み、首を切るシーンがありますが、あれは殷周伝説に描写はなく、史記からとってきました。殷周伝説にはありませんでしたが、集英社の漫画で姫発(姫昌の子)が紂王を処断するシーンがあり、あのような分かりやすいシーンがどうしても欲しいと思って挿入しました。ただ、史記では紂王が宝石のついた服をまとい火に飛び込んで死ぬとありましたからそれも再現したく、両方を同時にやってしまったことで、史記通り、クァッチ3世が死んだ状態で処断せざるを得ない状況になりました。もちろん集英社の漫画でもそのような描写はなく、感想にもあったように現代の価値観からは乖離してしまったかもしれません。
ここで1つ補足するのは、史記に書かれていることがすべて正しいとは限らないということです。例えば春秋・戦国時代に宋という国がありました(北宋、南宋とは異なります)。この国の最後の王は暴君であったとされ、史記でもひどい行いが書かれています。しかしこれは、小国である宋を大軍をもって滅ぼした斉などが義に反するのをごまかすために嘘の噂を吹聴したという説もあります。そもそも商を周が滅ぼしたときも、当時の中国では後世(三皇五帝の時代のあと)の人間による王朝が武力で滅ぼされるという経験が1度しかなく(夏を商が滅ぼした)、当たり前のことではありませんでした。また、古代中国では「滅ぶ国は天に定められた運命によって滅ぶべくして滅ぶものだ」という思想があり、それをことさら強調することが、古い王朝を倒した国にとっては必要なことであったと考えられます。したがって、宋の例と同様、周が商周革命の正当性を強調するために話を誇張した可能性が専門家から指摘されています。史書に書いてあることとはいえ、史実の紂王(紂は後世でつけられた名で、正しくは受王とされる。帝辛とも)が必ずしもあの行為をしたとは限らない、他の王も同様であるというのが、中国の古文を読む上で留意すべきところです。
本作の一番のテーマになったアリサとヴァルギスの恋愛について、正直、駆け足だったと感じています。特にヴァルギスの気持ちの急激な変化です。第1章ではなかなか2人の距離が縮まらなかったのに、第4章でアリサがちょっとプレゼントしただけですぐにテレてしまって、それから告白まであまりに急すぎて、これは女の子の恋愛のやり方ではないと感じました。男の子はこういうものが好きなのかもしれませんが、私はこんな女性はちょっと苦手です。悪く言ってしまえば尻軽ですから。百合を書きたくてこの小説を書きましたが、戦争部分だけ詳細に書いておいて、メインテーマである肝心の百合の、それも同性同士で好きになる過程や葛藤という一番大切な部分をおろそかにしてしまい、百合小説としては質が低いように思います。
交際を始めたあとのイベントとして、キスする、2人でデートするなどの描写があり、魔王が性交を迫るところは若干過剰気味でしたがおおむね許容範囲内ではあると思います。また、アリサとナトリがデートの練習をしたところを見て魔王が怒るシーンも、感情描写が下手な私にしてはあれでもいいほうだと思います(魔王の主張の理屈がめちゃくちゃだったかもしれませんが)。それだけに、交際を始めるまでの過程が乱雑だったことはとても残念です。次回作では改善したいところです。
本作では、キャラを使い捨てにしないようにしようと考え、あえて登場人物を絞りました。本来ならもうちょっと登場人物を増やしたかったのですが、このシーンで必要だったと思った人が、以降のシーンで必要になるとは限りませんし、むやみに人を増やすくらいなら1人1人を大切にしようと考えました。例えば、アリサがハールメント王国に亡命した直後に魔族語の語学学校へ行くシーンがあるのですが、語学学校で新しいキャラを出そうとも考えていました。第1章の学校でも、もう少し人が欲しいなと考えてました。ここでの人の追加を我慢したことで、話の奥行きを作ることは難しくなった反面、ハギスやメイの描写に割ける時間が増え、キャラの性格をじっくり作り込むことが出来たと思います。
それでもやはり起きてしまうものは起きるもので、ナトリが後半以降空気になってしまったように思います。決闘大会で仮死状態になったあと性格が丸くなってしまい、最大のアイデンティティだったアリサのライバルという立ち位置が失われてしまったのが大きな要因です。ここでナトリのアイデンティティを奪わず、以降もアリサを攻撃しながらも細かいところで思いやったり支援したりする、そんな憎めないキャラへと変化させたほうが、ナトリの個性が失われることもなくよかったと思います。また先述の通りニナの描写が足りなかった感じもあり、単に人を減らすだけでは解決しないこともあると思いました。アリサの先輩役として登場したルナの扱い方にも困ったりしまして、一時期は死なせようと思ったり迷走してました。物語を作る難しさを感じます。
本作は実は、私が生まれてはじめて完結させた100話を超える作品です。文字数は約85万に及びます。はじめに書いたときはまさかここまで続くとは思いませんでした。そして、つたない文章ながらもここまでついてきてくださった読者の皆様にも感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
次回作でも頑張ります。次回作はこの小説の舞台になった世界の2000年後、宇宙戦争をえがきます。エピローグの後書きでURLを案内いたします。よろしくお願いします。




