第279話 私と魔王の結婚式
魔族には魔族流儀の結婚式があります。魔族は古来よりみずからの魔力を削ぐ教会を嫌い、独自の宗教や慣習を形成してきました。
人間の文化にあわせた純白のウェディングドレスに身を包んだ私は、控室を出ます。そこにはヴァルギスが待っていました。試着時のときのような、黒く、妖しい気配を出すドレスで、どことなく禍々しさを漂わせます。
「きれいだね、そのドレス」
「うむ」
私に返事するヴァルギスは、どことなく緊張している様子です。なんだか体の動きがぎこちなく見えます。
「珍しいね、ヴァルギスが緊張するなんて」
「そうだな‥この日を待ち望んでいたのだ、緊張くらいするだろう」
ヴァルギスはいつもの調子で受け流して、「行くぞ」と言います。
私は「待って」と言って、ヴァルギスの横を歩きます。
結婚式と披露宴は同じ会場で行います。黒く丸いテーブルがたくさん置かれていて、それを囲む各国から招聘された貴族たちで会場はいっぱいでした。
私とヴァルギスは、周りからの拍手とともに、手をつないでステージに登ります。ただ自分の心臓の鼓動だけが聞こえます。ステージの上で、私はちらりと会場の顔ぶれを確認しました。この中にメイ、ナトリがいるでしょうが、人が多すぎてどこにいるかは分かりませんでした。
ステージの中央に、立派な漆黒のテーブルがありました。そのテーブルには、2枚の用紙が並べられています。これが結婚契約書と呼ばれるものです。そして、テーブルの横には、一人の天使、ラジカが控えています。
私たちは、まずラジカに静かに頭を下げてから、テーブルの椅子に座ります。契約書にサインを書いてから立ち上がって、一瞬だけヴァルギスとお互いの顔を見合わせてから、2人並んでまたラジカの前まで行って、契約書を手渡します。
ヴァルギスが代表して、契約書に書いてある内容を読み上げます。というか、魔族伝統の古代文字で書かれているので私には読めません。
「天使ユアンよ、我々は結婚を希望する。ここにおいて、我々は以下を誓う。別の男性や女性と情事に及ばないこと。結婚しないこと。毎年必ず我々が触れ合える時間を作ること。本来の職務を怠らないこと。‥‥」
長くなりますが、ここに書かれていることはあらかじめ私とヴァルギスが合意した内容です。結婚契約書の内容は、カップルによって違うのです。結婚式の準備でこれを聞いたとき、前世では聞いたことのない珍しいやり方だと思いました。
ヴァルギスが長々と読み上げ終わった後、ラジカが改めて私達に意思確認します。
「いかなる時もお互いを愛し、お互いのために尽くすことを誓うか?」
「はい」
「はい」
この返事を同時にしないと、同時にできたと相手が判断するまで繰り返しさせられるのです。もちろん王族の結婚式でやり直しがあると恥ずかしいので、これも事前に飽きるほど練習させられました。王族は大変です。
その後も天使と何度かやり取りを終えた後、ステージの端から、2つの食器を持ってメイドが入ってきます。テーブルの上に置かれた食器には、黄色いライスが入っています。私達はもう一度テーブルに座り、スプーンでライスを掬い、お互いの口に運びます。私はヴァルギスが持ったスプーンに乗っているライスを食べました。2人が末永く食べ物に困らないように、という意味が込められているらしいです。
一通り終わった後、何人かの使用人が来て、テーブルを撤去します。ステージの中央で私とヴァルギスは向かい合って、ラジカの「誓いのキスを」という合図で、お互いの唇を重ね合わせます。会場から大きな拍手の音が響きます。これまで2人で隠れてしていたキスを公衆の面前でおおっぴらにすると、気がひけると言うか羞恥心を感じるものです。
1分ほど続いたキスを終えて、指導者はラジカから別の魔族に交代となります。人間の寿命を魔族並みに伸ばす魔法は、一部の選ばれた魔族にしか使えないのです。
足元に黒く光る魔法陣が現れました。暖かい風が、私とヴァルギスを包みます。
「ヴァルギス」
「どうした」
「私、ヴァルギスに出会えて嬉しかった」
「妾もだ」
私はヴァルギスの首筋を隠している髪の毛をどけます。
「傷、作るね」
「うむ」
爪で引っ掻いて、首筋に傷を作ります。魔法を使ってもいいのですが、爪を使うのが昔からの伝統です。
血がしわしわ出てきましたので、私はその首筋をぱくっと口に入れて、強く吸います。
魔力のこもったヴァルギスの血が、私の中に入ってきます。
私の心臓が、力強く動きます。
◆ ◆ ◆
披露宴では私やヴァルギスに大勢の人が集まってきましたが、ラジカのところにも人が集まったらしいです。
ラジカは私の友人として普通に参加しているつもりでしたが、披露宴に天使が参加して、しかも誰とも話せるような場所にいるというのが前代未聞だったようで、人見知りのラジカは疲れた様子で対応していました。
それを眺めていた私も、各国の貴族とお話をしなければいけません。やっぱり疲れます。来週には庶民向けのパレートも控えています。王族との結婚式はやることが多いです。
「疲れたか?」
たまたま近くにいたヴァルギスが、私に話しかけてきました。疲れた様子が見てわかったのでしょうか。ヴァルギスは疲れているように見えません。
「あはは、疲れちゃった」
「この披露宴が終わったら丸2日くらい食事も休憩もないと思え。激しい運動を伴うぞ」
「ううっ‥」
「分かったら早く食え。アリサなら大丈夫だと思うが、1000年くらい前には死者も出たからな」
軽々しく返事したことを後悔しました。ヴァルギスは本気で初夜に臨むようです。ていうか魔族の性欲は本当にどうなっているのでしょうか。私はしぶしぶ、バイキングで皿に収まる限りできるだけたくさんの食事をよそいます。私、女の子が好きなだけで、激しいセックスをしたいわけではないんだけどな‥‥と思いつつチキンをかじっていると、またそばにいた人が話しかけてきます。
話しかけられてばかりでなかなか食事が進みません。これは初夜の前の試練なのでしょうか。
「恐れ入りますが、そのあたりにしていただけないでしょうか。王妃殿下はお疲れでございます」
聞き慣れた声が、私に群がってくる各国の貴族たちを牽制します。
「えっ、る、ルナ将軍!?」
いつも見ているような武装ではなく、控えめのドレスに身を包んだその女性、ルナは、周りにぺこぺこ頭を下げます。
貴族たちが散っていくと、私はまたルナに頭を下げます。
「ルナ将軍、ありがとうございます」
「恐れ入ります、王妃殿下」
ルナがひざまずいてきたので、私は慌てて皿をテーブルに置いて、しゃがみます。
「あの、別にひざまずかなくても‥‥先輩にそんなことされると逆に緊張するというか‥」
「王妃殿下は今日から王族でございます。臣下の礼は必要です」
「うう、確かにそれはそうですけど‥いきなりされても戸惑います‥」
「軍人は古来より身分を重んじます。先輩後輩は関係ございません」
「あ、あの‥」
そうやって私がルナの対応に困っているところへ、ふらっとヴァルギスがやってきました。
「ルナよ、魔王として命令していいか?」
「はい、どうぞ」
「酒を飲め」
「‥えっ」
今度はルナが戸惑った表情を見せます。
「嫌とは言わせぬぞ」
「は、はい‥‥」
5分後、少量の酒で泥酔したルナが私とヴァルギスを一気に抱きかかえます。
「いやっほ〜い、今日は無礼講よ、無礼講よ!!」
無礼講は目下の人が使う言葉ではないと思うのですが、まるっきり別人になってしまったルナの頬をヴァルギスがいじりながら私に伝えます。
「王族たるもの、部下の扱い方は心得なければならぬ」
「うん、嫌というほど分かったよ」
私は、呆れ笑いをしながら返事しました。
そのあと、私はルナと一緒に食事しました。やっと食事にありつけました。ルナの話は心做しか、点数稼ぎを気にする他の貴族とは違って軽快で、楽しく、とっつきやすい気がしました。
「いいこと、王族ってのはね、人付き合いを一番気にしなければいけない身分なのよ、くそったれと思っても丁寧に対応すべきものなのよ。やっぱり疲れるでしょ、そういうのって」
「はい、嫌というほど分かりました」
私は酒の香りをつけたただの水を注いであげながら、ルナの相手をしました。やっぱり先輩後輩の関係は、しばらく続きそうです。
完結まであと2話です。




