第278話 結婚式前夜(2)
「そういえば、ハギスちゃんは結婚式が終わったらすぐ領主になると聞いたけど」
私が話を振ると、ハギスは「ああ‥」と、だるそうにつぶやきます。
「あさっての早朝に出発なの。北の方にあるグテーデルという町なの」
「どういうところ?私も行くよ」
「人が少なくて治安のいいところなの。先月姉さんと一緒に行ったけど、住民はみんな優しいの。でも、くさやの産地ではないの‥‥」
ハギスはそう言って肩を落とします。私は、はははと笑います。
「でも、世界中のくさやを集めた市場を作ってやるなの」
ハギスはまだくさやのことを諦めていないようです。
「それから、グテーデルはかつて盆栽を作っていたところなの。盆栽事業を復活させるなの」
自分の好きなことになると目を輝かせて本気になるタイプのようです。きっとハギスにはこれから何度もつらいことがあって、そこから得る学びも多いでしょう。ある意味、純粋なハギスを見られるのは今日と明日が最後かもしれません。
ふと私は1つ思い出して、ハギスに質問してみます。
「ハギスちゃん、戦争はどうだった?」
ヴァルギスが戦争にまだ幼いハギスを参加させたのは、戦争の悲惨さを学ばせるためです。ハギスがそれを学んで、ヴァルギスの次の魔王に即位したときにどうするか、気になりました。
「えっとね‥」
ハギスは一呼吸置いて、それから少しうつむきます。
「くさやが食べられなくて、つらかったの‥‥」
「そっちなの!?」
後ろからラジカの笑い声が聞こえてきます。私も脱力して、「はああ‥」とため息を漏らします。
「‥でも、それ以外の意味でも悲しいと思ったの」
「それ以外の意味って?」
「ナロッサ(ラジカの苗字)と一緒に泊まったことがあるけど、つらそうだったの」
「ああ‥」
ラジカの兄が処刑される前の晩、ラジカはハギスの幕舎に泊まったのでした。
「戦争は悲しむ人も多いと思ったの」
「ハギスちゃん」
戦争では大勢の人が死んでいきます。
それは他人事ではなくて、ラジカのように身近な友達が死ぬこともありますし、私自身も死にかけたことがありますし。
そして、人を殺さなければいけない。人を殺すのは簡単に思えて、実はとても難しくて。
多分、ヴァルギスも心底戦争は嫌だと感じているのでしょう。
「それが少し分かっただけでもオッケーだよ」
私は、ひざを抱えて丸くなったハギスの背中を撫でます。
「姉さんが言ってたの。戦争はとても悲しいものだけど、時にはやらなければいけなくなることもあるの‥‥」
「うん」
「ウチが生きている間は、起こってほしくないの」
「うん」
私はつらそうに話すハギスの背中を何度も撫でてあげるのでした。
「つらくなったら、いつでも私を頼っていいよ。聖女として、できることはやる」
「ウチが魔王になるころには、テスペルクもおばあさんなの」
「う‥うん、そうだね」
「でも頼ってやるの」
「うん」
ハギスは少しの間、笑ってみせます。ハギスの白い歯が印象的でした。
◆ ◆ ◆
私、メイ、ラジカ、ナトリ4人の部屋は、まだ魔王城に残っていました。ただ、近日撤去するようで、メイやナトリも自分のものを全部持ち去ってしまったため、荷物はほとんどありません。撤去後は私の部屋になるらしいです。
その部屋に、私、ラジカ、ハギスが集まって、ラジカとハギスはすらりと並んでいる4つのベッドのうち2つに体を沈めます。私は宙に浮いたまま寝ます。
「ウチはあさってグテーデルへ出発するけど、テスペルクにも聖女としての旅があるの?」
ハギスが尋ねてきたので、私は下を向いてハギスと目を合わせて「うん」とうなずきます。
「ここで2週間くらいヴァルギスと過ごした後、旅に出るよ。ラジカちゃんも一緒だよ」
「アタシは天使の仕事の合間になるけど、可能な限り一緒にいる」
ラジカが補足しました。
ハギスがまた尋ねます。
「その次はいつ戻ってくるの?」
「大体半年に1回くらい戻ってきて、そのたびに1ヶ月滞在するってヴァルギスと約束してる」
5ヶ月間を旅で過ごし、その次の1ヶ月間をここで過ごします。できればずっとヴァルギスと一緒にいたかったけど、ヴァルギスはここに残って魔王としてハールメント王国を治めなければいけません。
「姉さんに会えない間、寂しいの?」
「うん、でも手紙のやり取りはするつもりだよ。それに万が一のことがあれば、いつでも空を飛んですぐここに戻れるし。ハギスちゃんこそ、寂しがってるヴァルギスを慰めてあげてね。私はラジカちゃんと一緒だから」
「‥そういえば姉さんが、ナロッサに嫉妬してたの。自分より一緒にいる時間が長いからって」
「あはは」
そうやって私とハギス、そして時々ラジカは、しばらくベッドの上で話していました。
領主になる前のハギスと話せる最後の機会です。すでに明かりは消していましたが、話は夜遅くまで続きました。
◆ ◆ ◆
翌朝。一通り朝食を食べた後、私は魔王城のパーティールームの控室にいました。
聖女、そして王妃にふさわしい純白のウェディングドレスに身を包んだ私は、小さいながらも立派なテーブルの椅子に座り、その時が来るのを待っていました。
と、ドアのノックがします。メイドがドアを開けると、メイとナトリが入ってきました。2人とも、昨日に負けないくらい立派な服を着ています。
「お姉様と、ナトリちゃん」
私が椅子から立ち上がると、メイは開口一番、言いました。
「アリサが濃い化粧なんて、らしくないわね」
「‥そうでしょうか」
確かに私は、きらきらひかる口紅をつけて、顔に美しいおしろいをつけていました。
「まったく、妹が聖女になって、しかも大国の王と結婚だなんて、姉としては鼻が高いわよ」
メイが漏らしたのは、少し呆れ果てたようなため息でした。私は「えへへ」と、ドレスの先を少しつまんで笑います。
「テスペルク」
メイの後ろに控えていたナトリが一歩進み出ます。
「王様のことはナトリに任せるのだ。ナトリが必ずや、命に代えてでも王様のことを守るのだ」
「あまりそういうこと言いふらさないでくれる、恥ずかしいから」
メイがナトリの脇腹を平手で押しますが、ナトリはメイの軽い抗議が終わってから、また続けます。
「ナトリは努力して、剣、魔法の技術を鍛えて、王様を守るのだ。そしてテスペルク。ナトリはまだお前に負けたとは思ってないのだ」
ナトリが私を見つめる表情は真剣で。
そして、どことなく命を捨ててまで遂行するという覚悟が見えてきて。
「うん、望むところだよ」
私はにっこり笑って、ナトリに手を差し出します。
それを握り返したナトリもまた、笑顔でした。
「ノスペック王国に来たら、王様やナトリに会いに来て欲しいのだ」
「もちろんだよ。ナトリちゃん、お姉様」
私はその後、ナトリやメイと軽い抱擁を交わしました。
◆ ◆ ◆
2人が部屋を出て少しして、部屋に入ってきたのはケルベロスでした。
「ケルベロスさん」
私がまた椅子から立つと、ケルベロスはいきなり地面にひざまずきます。
「ケルベロスさん、いきなりどうしたんですか?」
私が慌てて歩み寄ると、ケルベロスは下を向いたまま口を開きます。
「王妃殿下。これまでに私が取った無礼な行い、お許しください」
「そんな、私は気にしていませんよ」
「私はハールメント王国の重臣として、魔王様、そして王妃殿下を、命に代えてでもお守りいたします」
それを聞いて、私は心のどこかがむず痒くなってきました。さっきのメイの気持ちがわかったかもしれません。
私については気楽でいいですよ、と言いかけましたが、ケルベロスもきっと覚悟してこれを言っているのでしょう。
「ケルベロスさん。私は6ヶ月に1回しかここに戻ってこないです。その間、ヴァルギスのことをよろしくお願いします」
「承知いたしました」
ケルベロスは私やヴァルギスより弱いはずなのに、声は太くて、力強くて、並の人にはできないような決意を抱えているようにみえました。それが心強くて、頼れるような気がします。
最終話まであと3話です。火曜日完結予定です。




