第276話 聖女の宣言式をしました
ついに宣言式の日の朝になりました。宣言式に1日、結婚式に1日使います。
私は早く起きて、上座に座るヴァルギス・メイと、ナトリ・ハギス・ラジカと6人でご飯を食べます。メイが国王に即位するまではこうしてみんなで食卓を囲んで食事していましたが、これからはもうこのような機会はなくなるのでしょうか。そう思うと寂しいものがあります。
ナトリがメイのことを何度も王様、王様と呼んでいました。ハギスもすっかり大人しくなりました。そんな小さい変化の1つ1つを、私は寂しいと思いました。私自身も、聖女になったことでずっとヴァルギスと一緒にいられるわけではなくなりました。でも人間はずっと変化し続けなければいけない生き物です。
「どうした、アリサ。考え事か?」
見かねたヴァルギスが、顔に微小を浮かべながら私のフォークを持つ手をそっと触ります。気がつくと、ヴァルギスの隣に座っているメイも、向かいに座っているハギスやナトリも、隣のラジカも私に視線を集めています。みんな、今日や明日2つも式典があるだけあって、正装です。立派な服を着ています。ラジカは天使らしく質素な服ですけど。
「寂しいなあって思ったの。亡命してきたときはみんなで仲良く友達としてわいわいやってたけど、今は‥‥何もかも変わったって思った」
「妾も同感だ。亡命してきたときはメイがこうして隣に座るとは思わなかったし、ナトリも外国の重臣だから本来はもっと丁重に扱わねばならぬのだ。それに、天使や聖女と食卓をともにするのも、本来は名誉あることなのだ。だが、妾はそれを光栄とは思っていない。みな、友だ。何もかも変わっても、心までは変わらない」
ヴァルギスのそれを聞いて、私は静かにうなずきました。
「そうよ、本当ならあたしも、アリサの隣に座っていたかったんだけどね。聖女だからって、あたしとは別の世界の人とは思わないわよ。アリサは昔から変わらない、あたしのただ1人の妹」
メイはパンにバターを塗りながら、そう言ってきます。
「アリサ。周りから聖女と持ち上げられようと、アリサはアリサよ。自分の信じた道を進みなさい」
「‥っ。わかりました、お姉様」
私の頬が緩んでいくのがわかります。
そうですね、みんな身分も立場も変わってしまいましたが、中身は変わりません。そう思うと安心します。
◆ ◆ ◆
この日のために、何度もリハーサルしてきました。
本来、聖女の宣言式では、聖女が神に祈ったときに初めて天使が現れることになっています。しかし今回、天使は最初から会場に立っています。それは、会場に集った人たちからどよめきをもって迎えられました。
会場の中央には、巨大な3つの高さの違う台が設えられています。階段を登って、一番低い台まで行くと、そこには開催国の元首がいて、聖女はまず元首に誓いをたてます。2番目の台には国賓、そして最後の台には天使がいます。
リハーサルで何度も練習しましたが、大勢の人達に囲まれる本番というのはやっぱり緊張してしまうものです。会場は屋外ですが、ハギスやナトリと一緒に来た私は、その人の多さに全身が硬直してしまいました。
無数の人たちに挟まれた、階段へ向かう長く太い赤い絨毯を呆然と眺めている私の肩を、ナトリが叩いてくれました。
「ナトリは、今でもテスペルクのことをライバルだと思っているのだ」
「ナトリちゃん」
「だが、魔法ではもう勝てないと思っている。だからナトリは、ノスペック王国を盛り上げてみせる。テスペルクが救った人たちよりも、ノスペック王国にいてよかったと思わせてやる。だから、テスペルク‥」
ナトリのきれいな緑色の瞳が、光を反射して何色にも輝いて見えました。
「こんなところでナトリに負けるな」
「分かったよ」
私は、ナトリの手を両手で丁寧に握ります。ナトリの暖かさが伝わってきました。
「ウチもテスペルクに負けないくらいいっぱいのくさやを生産する国を作るなの!」
「魔王には長生きして欲しいのだ」
ハギスとナトリのやり取りを見て、私は少し笑ってしまいます。肩の力が抜けたようです。
「‥行くよ」
私はそう言って、ナトリとハギスに背を向けます。
赤い絨毯に足を踏み入れた私を、絨毯を挟むように並んで立っている観衆たちは歓声を上げたり、拍手したりして、歓迎します。どれも、外国の偉い人ばかりです。世界中の大臣たちが、世界が、私に期待しているのです。もう今までのような趣味まがいでの、一時の感情での人助けとは違います。私が子供の時から好きでよく練習していた魔法を、こうして人のために使える時が来たのです。
私は手を振って答えたりもせず、静かに、ゆっくりと、階段に向かって歩きます。
真っ白な階段を登って、最初の台にはヴァルギスが待っていました。
普段見るヴァルギスとはまた違って、黒く妖しく光るマントを身に着けています。
ヴァルギスは一瞬だけ私に微笑むと、ひざまずきます。ヴァルギスの髪の毛が陽の光を反射して、きれいでした。
「妾はこれまで300年間、民のための政治を心かけてきました。しかし、どの政策にも必ず長所と短所があり、限界を感じています。政治だけではすべての人を救えません。聖女として、どこの誰とも利害関係をもたない立場から、公明正大に、慈悲深く、迷える民を導いていただきたい」
私はリハーサルの手はず通り、ヴァルギスに手を差し伸べます。
「わかりました。私は聖女として、必ずあらゆる人々を救います」
「うむ」
ヴァルギスは私の手を握り返します。会場に大きな歓声があがります。
次に、2番目の台に登ります。そこでは、正装に着替えたメイが立っていました。
メイはヴァルギスと同じように、私にひざまずきます。
「私の国はこの地域では随一の面積と人口を持つ国ですがまだ建国から歴史が浅く、大きな戦争が終わった直後で、クァッチ4世を王に祭り上げる旧体制派との戦いも始まったばかりです。戦乱はまだ終わっていません。戦いに疲弊した民たちに、安らぎの場がありますように」
「先の戦争で苦しんだ人は大勢います。そのような人たちの心の拠り所をつくり、人民安寧に努めます」
私が差し伸べた手を、メイは同じく握り返します。
「アリサだからって容赦はしないわよ。あたしは、万民の命を背負っている。万民のために、あらゆるものと戦うわ」
メイが観衆に聞こえないように小声で言いますが、それも拡声魔法で会場全体に垂れ流しになってしまったようで、観衆たちが一斉に大きな拍手を始めます。
それに気づいて、メイは頬を赤らめて苦笑いしてから、立ち上がって大きな声で言います。
「アリサ。頑張ってきなさいよ」
「はい、お姉様」
私はいつもの調子でメイに小さく頭を下げてから、最後の台に向かいます。
階段を登り終えた私の前には、白い衣装を身にまとったラジカが立っていました。髪の毛を結んでいないラジカにも慣れました。私はリハーサル通り、ラジカにひざまずきます。
「天使ユアン。私アリサ・ハン・テスペルクは、聖女として万民のためにこの命を捧げます。先の戦争で、まだ多くの民が苦しんでいます。そのような人たちに、私は救いの手を差し伸べます」
「アリサ様‥あっ」
ラジカは噛んでしまったようで、咳払いをします。ラジカも緊張していたようですね。
それからしばらく、ラジカによる説教が続きます。聖女の心構え、民や為政者に対しどうあるべきか、それらを短い時間で説明されます。
一気に説明されて覚えることも多いですが、リハーサルで何度も聞いてきたことなのでさすがに全部覚えています。でも私は、一字一句聞き漏らさないように、しっかり耳を立てていました。リハーサルに天使が参加するというのも前代未聞ですけどね。
一通り話が終わったあとで、私は立ち上がって、台をびっしり囲むように並んでいる観衆たちを眺めます。
ラジカの前に立って、私は聖女の宣誓を読み上げます。大きな歓声が沸き起こってきたので、私は手を振ります。
私の表情は、もう昔の私のような適当な笑いではありませんでした。私が昔から大好きだった、毎日のように使いこんでいたあの魔法に、今は世界の命運がかかっているのです。誰もが、救いを求める目で私を見上げています。
でも、今の私なら何だってやれる気がします。もうどんな困難にも負けません。これから聖女として3〜400年余りを生きる私には、ヴァルギスやラジカだけでなく、メイ、ナトリ、ハギス、そして彼らの子孫がついているのですから。




