第269話 洗脳で遊んでいました
私たちが王都カ・バサの王城で暮らすようになって、何日か経ちました。
昼間は私は聖女として王都の町を歩いて、貧困で困っている人たちに食料を分け与えたり、病気になった人を治しながら歩いていました。ヴァルギスとメイ、ナトリは連日戦後処理の仕事で忙しくしています。ハギスはカ・バサの中でビリヤードの店を見つけたらしく、富裕層の友達を作って遊ぶようになりましたが、数カ月後には土地を与えられて領主になるということから、午前中はヴァルギスに呼び止められて勉強させられています。いつも「ちぇー‥‥なの」と唇を尖らせている様子です。
それでは私とヴァルギスが毎晩毎晩なにをしているかというと‥‥。
ある日の晩、入浴を終えたメイがトイレへ向かって廊下を歩きます。ちょうど私がトイレに入るところだったので、メイは「ああ、アリサ、今日はお疲れ」と声をかけます。しかし私はそれを無視して、ぷいっとトレイに入ってしまいます。
「待って、アリサ!」
メイは私の様子がいつもと違うと感じ取ったらしく、走ってトイレの中に入ります。私が個室のドアノブに手を伸ばすのを制止するように、メイはさっきより大きな声で言います。
「アリサ、聞こえてる?」
しかし私がまた無視するので、メイは駆け寄って、私がドアノブにかけた手を握って止めます。
「ねえ、アリサ?」
私はその手をばしっと振り払います。
「‥えっ?」
「魔王様以外が私に気安く触らないで」
それを言ったときの私の周りには、どす黒いオーラが漂っていたそうです。私の目は輝きを失ったように真っ黒で、メイはどすんと尻もちをついて、体を震わせます。
「あ、アリサ‥?」
「気安く話しかけないで。次に何かしたら殺す」
そう言って私は個室に入りました。メイはもうすっかりトイレとは何やら、喚いて叫んで、おしっこを廊下にぽたぽた垂らしながら走っていきました。
◆ ◆ ◆
翌朝の食卓、「お、おはよう‥」とおそるおそる声をかけてきたメイに「おはようございます、お姉様、どうしましたか?朝から無視して」と答えた私を、メイはとりあえず握りこぶしでぽかりと殴ります。
「い、痛いです、どうしたんですかお姉様!?」
「どうしたもこうもないわよ。昨日のトイレのことは覚えてる?あたし、とっても怖かったんだから!」
そう言ってメイはまた肩を震わせます。メイの隣では、ラジカが平然とした顔でご飯を食べています。地上にいる時は天使の羽は見えないようです。天使ですから本来食事は不要ですが、私たちと合わせたいと言って食事を食べているのです。
「昨日‥昨日‥ああ」
私は昨日のことを思い出して、そしてメイに頭を下げます。
「あ、ああ、昨日は本当に申し訳ありません、お姉様」
そう言って頭を差し出した私を、メイはもう一回殴りつけます。
「あたし、本当に死ぬかと思うくらい怖かったんだから!アリサは聖女になれるくらい強いんだから、あたしみたいな普通の人は簡単にぷちっと潰せるでしょ!本当に本当に怖かったんだから!昨日は何があったの、あの黒いもやは一体何なの!?」
「えーっと、お姉様‥‥」
私は、喚くメイから目をそらします。
「何なの、はっきり言いなさいよ」
「ゆうべの私は、まおーちゃんに洗脳されていたんです‥」
「え‥せ、洗脳、どういうこと?ま、魔王‥‥」
魔王から洗脳されたという言葉を聞いて、メイは思わずラジカに抱きつきます。
「落ち着いて、メイ」
ラジカはゆっくりメイの頭を撫でます。私はヴァルギスと目を見合わせてから、続けます。
「えっと、洗脳といってもお互いの同意の上でやっているというか、セックスの一環というか‥‥」
「何でセックスで洗脳なんかしてんのよ!お互いの同意の上で洗脳してるって、それじゃ最初から洗脳いらないじゃない!わざわざ手の込んだことをしてるの、何で?」
「それが、その‥‥」
私が言いづらそうにもしもししていると、ヴァルギスが代わりに説明します。
「うむ、ここへ来て最初のセックスの時にアリサが洗脳されたいと言い出しての」
「な、何でそんな発想に行き着くのよ!?」
「洗脳したアリサに恥ずかしい言葉をしゃべらせてみたり、恥ずかしいポーズをさせたりしてくれと言われたのだ」
メイは、またぎろりと私をにらみます。
「だ、だって、洗脳が解けた後にいろいろ思い出して興奮するから‥‥目の前にいるまおーちゃんの前で恥ずかしいことをしちゃったというか、痴女を晒しちゃったというか、そう思うと興奮してくるんです‥‥それにまおーちゃんの魔力が体に入ってくるだけでも興奮してきて‥‥」
「言っていい?」
「は、はい、お姉様」
「気持ち悪い」
「ううっ‥」
メイ、あんまりです。ここまではっきり言われるなんて思いませんでした。
ヴァルギスが説明を続けます。
「ゆうべは洗脳している途中でトイレに行きたいと言い出してな、行かせてやったのだ」
「洗脳されたままトイレに行きました」
「そういうの禁止!洗脳されたまま部屋から出るな!」
メイが叫んで怒鳴ります。昨日のような事件があったのでもう仕方ないです。私は「分かりました‥」と小さくつぶやきます。
「うむ、次は洗脳中におもらしも追加だな。妾の服の上で直接漏らしてもらう」
そうヴァルギスが言うので私は慌てて「そ、それは」と言いますが、「アリサが嫌と言うならやるぞ」とヴァルギスにいたずらっぽく言われて黙ってしまいます。
「どうでもいいけど、恥ずかしい話は後でしてくれる?食事がまずくなるんだけど」
メイの一喝で私とヴァルギスは口をつぐみます。
◆ ◆ ◆
食事が終わった後、私はラジカと話してみます。
「ラジカちゃん、天使の仕事ってどう?」
「うーん、ぽちぽちかな」
ラジカはツインテールをやめて、髪の毛を下げています。毛先はバーマがかかったようにウェーブになっています。
「そうなんだ。私、ラジカちゃんとまた会えて嬉しい」
「アタシも」
そうやって私たちはしばらく歩きます。
「そうだ」
ラジカが声を出します。
「ずっと前、アリサ様が亡命する時、ジュギル様と女子寮で話してたでしょ」
「うん」
「あの時、アリサ様はジュギル様を見て、どこかで見たような気がすると言っていた」
「あっ、そういえばそんな気がしてた」
「ふと気になってジュギル様に聞いたら教えてくれた。アリサ様が転生する時に、魔法の仕える世界に行きたいという話をした相手だったって」
「ええっ!?」
私が転生する時に話していた相手はデグルだったんですね。私には前世の記憶が残っていますから、どうりでなつかしい気がするわけです。
「アタシの前世も聞いた」
「えっ?」
「アタシ、前世では男で、アリサ様の夫だったって」
「ええっ!?」
私は思わずラジカから距離を置きます。ラジカはふふっと笑って、こう言います。
「だからといって今のアリサ様への気持ちは変わらないよ。アリサ様と魔王の結婚を心から祝福する」
「あ、ありがとう、そうだったんだ‥‥」
「うん」
ラジカは小さくうなずきます。
「アタシとアリサ様の前世は、こことは別の世界だったらしい」
「うん」
「アリサ様は前世の記憶が残っていると思う」
「うん」
「前世の話を聞かせて欲しい」
「分かった、長くなるから部屋へ行こう」
そうして私は話しました。前世は科学が発達した世界であること、私がしきりに魔法を使いたいと言っていたこと、そして私の夫、前世のラジカもまた人見知りだったけど、魔法を使おうと頑張りながら周囲に冷ややかな目で見られる私を暖かく見守ってくれて、抱擁してくれる存在だったこと。
「思えば、前世の夫と性格似てるかな」
私が言うと、ラジカは笑います。
「前世があったから今の私がいる。前世の夫にも、今のラジカちゃんにも感謝しているよ。來世も機会があればまた、よろしくね!」
「うん」
私とラジカは、お互いの拳をぶつけ合います。




