第265話 悪魔を倒しました(2)
「できたよ。ヴァルギス、魔法陣を壊さないように浮遊して、魔法陣の真ん中あたりで浮いて」
「分かった。にしてもこれは見たことのない魔法陣だな、どういう魔法陣だ?」
ヴァルギスが聞くので、私はヴァルギスの真上で浮遊しながら答えます。
「うん、これは使い魔の力を100倍まで強化する魔法」
「禁呪レベルではないか!?」
ヴァルギスが驚いて真上を向いて怒鳴ります。
「うん、手描きでないと使えない魔法なの。今はもう廃れているよ。禁呪かどうかはわからないけど」
「いや、余裕で禁呪だろう。そのような魔法があれば、使い魔の力が召喚主より強くなるぞ。結果として使い魔を制御する手段がなくなり、周辺に大きな被害をもたらすだろう」
「古文ではそんな記述もあったね。でも、まおーちゃんなら大丈夫だよ」
「む、確かに妾なら大丈夫だが‥‥400年生きていて初めて聞く魔法だな、妾もまだ知らないことが多い」
私は詠唱を始めます。
発音の仕方が今と昔とでは違っていて、昔は今ほど舌を積極的に動かしていませんでした。でも私は昔の発音まで学ぶ余裕はなかったので、今の発音の仕方で詠唱します。
「ユァッチ・ドン・ナ・ウラ・ポニエール・アジェル・ズールム」
「詠唱間違えていないか?」
魔法陣が光ったり、風が起こったり、自動で結界が張られたりしないからヴァルギスはそう思ったのでしょう。ですが私は詠唱を続けます。手描きの魔法陣はこれで合っているのです。呪文を唱え終わってもすぐに効果が発揮されるわけではありません。時間をかけて徐々に増幅し、徐々に減衰します。いろいろ現代とは違うのです。
私が構わず詠唱を続けるのを見て、ヴァルギスもそれに気づき始めたのか、ただ目を閉じてじっとするようになります。
「ウォン・ホ・ナラ・ダジェル・ヌムフンズ・ハル・ヨニーム」
小さな魔力の渦がいくつも現れます。それらが集まって、1つの大きな渦になっていきます。
「‥っ、悪魔がこっちに向かってくる!」
ラジカが叫びます。私は詠唱を止めることが出来ないので、代わりにヴァルギスが対応します。
「うむ。あと数分で来そうだな」
あと数分ですか!?え、ええと。詠唱はギリギリ間に合うと思いますが、魔法の効果がすぐに現れるわけではないので、それまではひたすら逃げ回ることになります。などと説明することも出来ません。私はとにかく詠唱を続けます。
「大丈夫だと思うが、一応様子を見てくれ」
「分かった」
ラジカが悪魔の方へ向かっていきます。その間も、私は呪文の詠唱を続けます。
◆ ◆ ◆
現場に着いたラジカは、周りの天使たちに尋ねます。
「向こうで悪魔を倒すための呪文の詠唱が続いてるんだけど、悪魔の進路変えられない?」
「話はわかりますが、私たちは避難誘導しているだけで精一杯でして‥‥」
その返事が返ってくると、ラジカは悪魔を見上げ、「分かった」と短く返答します。
浮遊の魔法で浮き上がります。アリサみたいに当たり前のように浮遊の魔法を使っている人は浮遊しながら他のことができますが、普通の人は浮遊の魔法に集中していなければいけないのです。今みたいに敵前で使う魔法ではないです。
それでもラジカは、悪魔の頭の高さまで浮き上がり、じっと悪魔の目を見ます。
悪魔と目が合います。黒く光って、禍々しい煙が目玉の中に立ち込めています。
「こっち」
浮遊の魔法に集中しなければいけないラジカは、短くそうささやきます。
悪魔の姿を見ながら、浮遊したまま後ろ向きに移動します。アリサなら呼吸をするより簡単でしょうが、ラジカはすでに額に汗を浮かべています。どうやっても悪魔より速く移動できません。浮遊の魔法はもともと浮遊することが目的で、移動はできますが訓練が必要です。
もっと速く、もっと後ろへ。ラジカはそう念じて浮遊したまま移動しようとしますが、なかなか進みません。
そうこうしているうちに悪魔が腕を伸ばして、ラジカの体を大きな手で包もうとします。
「う‥ううっ」
ラジカは高度を下げることでそれをかわします。低く下がって、悪魔の手が下がってきたらもっと低く。手を引っ込めてきた隙に浮き上がって、また手を伸ばしてきたら下がるを繰り返します。平行移動は訓練や技術が必要ですが、浮遊の魔法そのものを強くして高く浮くか、弱めて低く浮くかはラジカでもできます。懸命に、悪魔の手を見定めながら自分の高度を調節していきます。
「ラジカぁ!!!」
ヴァルギスの叫び声と同時に、ラジカの体が風のようにぴゅんと飛んで、ヴァルギスに抱かれて猛スピードで悪魔から引き離されていきます。
「貴様、何をしている。様子を見ろと言っただけではないか」
「‥‥アリサ様が詠唱を続けるにはこうするしかないと思った」
「はぁ」とヴァルギスはため息をつくと、浮遊しながらラジカを抱いて、遠巻きに悪魔の様子を眺めます。
「聖女様に謝らねばならんのう、他の女を抱いてしまった」
「アリサ様も許してくれる。それより詠唱は終わった?」
「終わったが‥どうも自分が強くなった感じはせぬな」
そうやって2人が話しているところへ、私も浮遊して、空を歩くように移動します。
「魔法の効き目は少しずつ強くなって、最大になるのが1時間くらい後だよ。そのあとはゆっくり、少しずつ減衰していく」
「なんだと、それを先に言わぬか。まあでも今も全力で飛んだからな、もし効き目が現れていたらソニックブームで周辺一帯の家を破壊していたかもしれぬな」
ヴァルギスはふふと笑います。
「それより聖女様、妾を見て何か思うことはないのか?」
「え、どこからどう見てもきれいでかわいいまおーちゃんだけど?」
私は何気なく言いましたが、ヴァルギスは一気に顔を真っ赤にして、小声であーだこーだ言い始めます。ヴァルギスに抱かれたラジカが説明してくれます。
「恋人が他の女を抱いても何も思わないかってこと」
「それはないよ。私、まおーちゃんもラジカちゃんのことも信じてるから」
「‥‥そうか」
ヴァルギスはばつがわるそうに、高度を下げていきます。私も一緒に下へおります。
◆ ◆ ◆
魔法の効果が最大限になる1時間後まで、私たちは悪魔をなにもない広い場所へ誘導することになりました。
「向こうに山があるから、あのあたりは誰もいない」
自前ではなく私の浮遊の魔法で浮かび上がったラジカが、遠くを指差します。
「分かった、あそこまで行ければいいんだね」
「うん」
ラジカを地面に下ろした私は、悪魔の眼前へ行きます。
「おーい、悪魔さん!」
私は思いっきり手を振ります。悪魔と目が合います。
「うん、こっちこっち」
私は、さっきラジカがうまくできなかった浮遊しながらの後ろへの移動をたやすくやっていきます。「こっちこっち」と手を振りながら、悪魔の腕の動きをじっと観察して、近づきすぎず離れすぎず注意しながら後ろへ誘導していきます。
悪魔は住宅街を抜けて、畑を抜けて、遠くの山までやってきます。
「今だよ、まおーちゃん」
山の頂上のはげたところにラジカと一緒に先回りしていたヴァルギスは「うむ」とうなずいた後、ラジカに「今すぐ山を下りろ」と言います。
そうして呪文の詠唱を始めます。
ヴァルギスが軽く魔力を使っただけなのに、山全体を覆う巨大な魔法陣ができます。まるで戦略魔法です。巨大な、竜巻のような暴風が吹き荒れます。
「アレクサ・エリカ・ウ・ランドン・ホルデム」
ヴァルギスの詠唱が竜巻に乗せられて、大きな轟音へと変わっていきます。
こんな竜巻の真ん中で呪文を詠唱するのは、ヴァルギスにとってはもちろん初めての経験です。でもヴァルギスは動じず、粛々と呪文を唱え続けます。




