第262話 シズカの最期
宮殿の炎上を、馬に乗って王都の市街地に入ったヴァルギスは目撃しました。横で浮かんでいる私が言います。
「これで終わったね、まおーちゃん」
「いいや、まだ終わりではないぞ」
ヴァルギスはそう言って、馬を進めます。私もその後を追いかけます。
「終わっていないって、どういうこと?」
「シズカに取り付いた悪魔をまだ倒していない。奴こそがこの戦争の元凶であり、ほっておけばまた新たな戦争の火種を生む。ここで倒しておかねばならぬ」
「あっ‥そういえば、ずっと前にナトリちゃんが話していたね。すっかり忘れていたよ」
「うむ、そういうことだ。あの時ナトリから受け取った薬は、妾の腰のポケットにきちんと入っておる。ここで決着をつけねばならぬ」
ナトリから、生きたまま天界に行けるという薬を2人分もらっていましたねそういえば。悪魔が天界に逃げた場合はそれを使って、私たちに天界まで来て倒してほしいという話でした。
「まずは、シズカがこの世に残っていれば、天界へ送り出さねばならぬ」
まずシズカを探すことになりました。私たちは、王城へ着きます。兵士の鎧はウィスタリア王国伝統のそれでしたが、兵士はヴァルギスの命令に従って門を開け、私たちを王城に入れてくれました。
廊下を歩いていた兵士やメイド、クァッチ3世の家臣たちに会って、シズカの居場所を聞き出します。王城の本城から少し離れた小さい城に、シズカの部屋はありました。私とヴァルギスは、その大きな扉に肩をつけて、体重をかけます。
「いくよ、まおーちゃん!」
「うむ」
加速の魔法で自らの体ごと扉に衝撃を与えます。ばたんと大きな扉が倒れて、地面にぶつかって粉砕します。そして湧き上がった土埃の向こうには、床に横たわっている1人の女性がいました。クァッチ3世がシズカを側室にしたのは20年以上前のはずですが、その女性はまるで学生のように、幼さと若さを併せ持っていました。
デグルの説明では、シズカからは瘴気を感じるはずです。
「貴様、瘴気を感じないな。誰だ?」
ヴァルギスが尋ねると、その女性はかすれかすれの声で言います。
「‥‥シズカ・ペル・ナインデール・ホン・クロウです」
「貴様がシズカか」
シズカは黙ってうなずきます。
「どうする、殺すの?」
私が尋ねると、ヴァルギスは「待て」と言います。
シズカの目から涙が溢れているのを見て、ヴァルギスはしゃがんで尋ねます。
「貴様、なぜ泣いている」
「‥‥私に取り憑いた悪魔が王様に呪いをかけ、数え切れないほどの人々を殺したからです」
「その悪魔はどこにいる」
「すでに‥私の体を害して、天界へ行きました。私は外見は無傷ですが、体内の内蔵をめちゃくちゃにされて‥残り数分の命です」
「妾が治す」
そう言ったヴァルギスの手をシズカはか弱い力で握ります。
「多くの家臣や人々は、私のことを恨んでいるでしょう。悪魔など関係なく、私を憎んでいます。私が生きているだけで、またこの世が乱れます。このまま死なせて下さい」
ヴァルギスはその手を振りほどき、シズカに手をかざしますが少し待って「‥‥確かにそうだな。殺すために蘇生するわけにもいくまい」とうなずきます。
「聖女様、この人のために祈れ」
「分かったよ」
私はヴァルギスの隣でひざをついて、正座します。そして、シズカの右手を、両手で握ります。
「私は最近聖女になったばかりのアリサ・ハン・テスペルクです。あなたが安らかに天国へ行けるお手伝いをします」
「地獄がいいわ」
「あなたは何も悪くないです。悪魔に操られていただけでしょう」
私の言葉に、シズカは黙ります。
何か思案した後に、目を閉じます。
私も魔法以外のことは全く知らないわけではなくて、エスティク魔法学校に行く前の小学校の授業で、宗教の先生は特に厳しく、賛美歌とレクイエムを完璧に歌えるまでは留年させると脅されたものでした。
私はそれを歌います。落ち着いた調子のその歌を聞いて、シズカの目から涙がこぼれているのが見えます。
ヴァルギスが立ち上がって、部屋の端まで歩きます。そこにピアノがあったのです。
私のレクイエムに合わせて、ヴァルギスがピアノをひきます。
その静かな音楽は、もの淋しげで、聞いているだけでこちらが涙を流してしまいそうで、1つの人生の終わりを告げるものでした。
やがて私の歌が終わる頃にはヴァルギスもピアノの蓋を閉じて、私とシズカのところに戻ります。
ヴァルギスはシズカの目を指で大きく開きます。
その瞳孔が大きくなっているのを見て、ヴァルギスはシズカの目から指を離します。
「死んだか」
私は、血の通っていないシズカの手を優しく握ります。
「私、許せない。このシズカさんの命を、人生を台無しにして、王様を操って大量の人間を殺した悪魔が許せない」
「うむ」
ヴァルギスもうなずきます。
「それにしても聖女様、レクイエムを知っているとは大したものだ」
「私だってそれくらい知ってるよ!」
「うむ‥聖牛の儀式も知っていてほしかったのだがな」
「ううっ‥‥」
◆ ◆ ◆
私たちは陣に戻ります。
天界に行っている間、私たちの体がどうなるかデグルから説明はされませんでしたが、おそらくナトリの時みたいに仮死状態になっているでしょう。そうなった私たちを保護してくれる忠実な部下が必要なのです。
ヴァルギスは自分の幕舎に、ナトリ、メイを呼び寄せます。
「妾とアリサはこれから天界に行く」
「えっ、死ぬの、アリサ、どういうこと!?」
事情を知らないメイが慌てますが、ナトリは「落ち着け」と言ってくれます。
「魔王とテスペルクは天界に用事があるけど、用事が終わったら帰ってくるのだ」
「帰るって、どうやって帰るというのよ?」
「天界の人からもらった薬があるのだ」
ヴァルギスが説明しようとしていたことを、メイに詰めかけられたナトリが次々と話していきます。私がふと横を見ると、ヴァルギスは苦笑いしていました。
「はぁ‥‥そういうわけね」
やっと納得したのか、メイが息をつきます。
「アリサ、ヘマだけはやらないでね」
「わかりました、お姉様」
そうやって私とメイのやり取りが終わったところで、ヴァルギスが改めて説明します。
「妾とアリサが天界に行っている間、警備をしてほしいのだ。貴様らなら信頼できる。一時的に身体能力を強化する魔法をかけてやるから、よろしく頼む」
「分かったのだ」
「わ、私はアリサにかけてもらいたいわ」
メイは魔王に魔法をかけられたことがないので、怖いようです。私は「分かりました」と答えて、呪文を唱えてメイを中心とした魔法陣を広げます。
それを見たヴァルギスも、ナトリに対して呪文を唱え始めます。
魔法をかけ終わったところで、メイは「これで‥強くなってるのかしら」とつぶやきます。
「本当に強くなってるか不安だから試し打ちしていい?」
「試し打ちはやめておけ」
「うん、私もやめたほうがいいと思う」
ヴァルギスも私も口を揃えて言うので、メイは肩をびくっと震わせます。
「ちょっと待って、今かけた強化魔法って、どれくらい強いの?」
「は、はい‥一突きで山が1つ吹き飛ぶくらいです」
「え、え、えええええっ‥‥」
顔を青くするメイを、ナトリががしっと受け止めます。
ナトリがメイの体を後ろから受け止める様子は、見た目は本当になんでもない平凡なよくある風景だったのですが、メイは豪華な屋敷1つが潰れるくらいの力を出して、それをナトリが同じくらいの力で受け止めているということは、私にもヴァルギスにも分かりました。異常なほどの土煙がわきあがります。
「やはりメイにかけるにはリスクが大きかったかもしれんのう」
ヴァルギスはため息をつきます。
「でも、どうする?私たちを守るの、ナトリちゃんだけで大丈夫?」
「‥‥聖女様、一応メイを縛っておけ。ナトリでも解けるようにな」
「分かりました」
そう言って私はメイに近寄るのですが。
「ま、待って、アリサ、本気!?」
「ごめんなさい、お姉様」
私は、メイが無意識に次の魔法を使ってしまわないうちに、空気を固めて銀色に光るロープを作ります。そして、それをメイの体に縛り付けて、浮遊の魔法で浮かび上がらせて固定します。
「ち、ちょっと、こんなの、痛いんだけど」
「ごめんなさい、お姉様‥」
「メイのことはナトリが責任を持って見るのだ」
ナトリもそう言ってくれたのでメイはため息をつきます。
「アリサ、天界から戻ってきたら覚えときなさいよ」
ううっ、メイは怖いです‥‥。
今週土曜日から続編小説の連載を再開予定です。




